Ball up(後編/ヤムチャ目線)
俺一人が打ってもダメなんだよ。せめてランナーがいないことには。
溜息を呑み込みながらグラウンドを回った。二度踏んだホームは、いずれも自分の力のみによるものだった。おまけに踏んだのも自分だけ。
「退屈だなあ…」
守備ともなればベンチにいる時よりさらにヒマを持て余した。相手チームのバッターは、俺のいる方(今はライトだ)には球を飛ばしてくれない。どんな球でもアウトにされるということがわかっているからだ。それなら内野に回れと思うかもしれないが、そこまで扱き使われてやるつもりは俺にはない。俺はホームランバッターなんだ。チームに点をもたらすのが俺の仕事だ。
とは言ってもなあ…
時折声援をくれるファンに作り笑顔で応えること以外にはすることなく戻ったベンチの中で、俺はもう溜息を呑まなかった。7回裏の攻撃を迎えて、4対2。俺がいないとどうにもならないというから来てやったのに、俺がいてもどうにもなってないじゃないか。これは自戒ではない。俺はちゃんと自分の仕事を果たしている。見逃せばボークに違いなかった球をわざわざ打ってやったし、立っているキャッチャーへ向けられたボールにだって無理矢理手を出してやった。
「さっすがヤムチャさん!あんな球ヤムチャさんにしか打てませんよ!ヤムチャさんは我がチームの宝です。次も頼みますよ〜」
そして二球ともきっちりスタンドに運んだ。監督の言葉を否定するつもりもない。でもなあ…
「はー、虚しい…」
こっそりと呟いて、バッターボックスに立った。例によってランナーはいない。また地味な一点を稼がなきゃならんのか。これでやる気出せって方が無理だよなあ…
「んっ?」
だが、バットを構えた瞬間、気分は変わった。正確には、気分を変える声が聞こえた。俺は審判の注意の声を無視してバットを下ろし、耳を澄ませた。
「かっとばせーヤムチャー!!」
…やっぱりブルマだ。
観に来るなんて一言も言ってなかった。俺もチケットを渡したりはしなかった。近くから遠くから聞こえてくる歓声は、一人の声を掻き消すには十分な賑わいだった。それでもわかった。どうしてかって?愛の力に決まってんだろ。
ブルマは遠く、バックスタンドの一角にいた。一度観客席を見回しただけで、それがわかった。何万といる観客たちの中で、そこだけ燦然と輝いて見えた。それももちろん愛の力…と言いたいところだが、ちょっと違う。今はさほど盛り上がっていないレフトスタンドのビジター席、青一色の相手チーム応援団の手前に立っている、我がタイタンズのチームカラーにも似た派手な山吹色の道着。…悟空だ。相変わらず空気を読まないやつだな。その格好はケンカ売ってる以外の何物でもないぞ。
言ってくれれば特等席を用意したのに。今やすっかり楽しい気分になって、バットを構え直した。ブルマがスタジアムに来るなんて、ずいぶんと久しぶりだ。『今日の試合どうだった?』そんな一言さえ最近じゃなかったのだ。さてはこないだの薔薇が効いてるな。意外なほど怒られなかったからな、あの後。どうして悟空が一緒にいるのか気にならないこともないが、そこはそれ、派手に敵チームにケンカを売っていることでチャラにしてやろう。ウーロンなんかを誘って来るよりはわかる話だ。
そんなことを考えている間に、一球目が飛んできた。それは見逃してしまったのがもったいないほどの、いい球だった。球界ナンバーワンピッチャーと言われるアーティ・ショウにしか出せない、おそらく球速165km。きっちりとインコースを衝いていったその球に意外を衝かれながらも、俺は得心した。きっと、どんな球を投げても打たれるってわかったんだろ。お望みどおり打ち込んでやる。
初めて入った俺へのストライクに湧く歓声を耳にしながら、俺は心の中で予告ホームランをした。実際にしなかったのは、もう今さらだからだ。ここは一つブルマの声に応えて、思いっきりかっ飛ばしてやろう。そうだな、場外…いや。
いっちょう派手に世界の果てまで飛ばしてやるか。愛の力でな。


今日初めて気分よくホームを踏んだ。
湧き上がる大歓声にブルマの声は聞こえなかったが、俺はそれなりに満足だった。俺はきっちり仕事を果たした。これで一点差。ここの監督はなりふり構わぬ戦法を取るから、もう一度くらいはなんとしてでも俺に打順を回すだろう。そうすりゃ同点だ。そこまで持ってきゃとりあえず顔向けできる。『せっかくあんたががんばったのに、残念ね』そのくらいの台詞なら、試合後のビールもそこそこ美味く飲めるというものだ。
今や俺は完全に、ブルマとビールのために試合に参加していた。そのどちらも今日はなしだと思っていたのだから、俺の心境がどんなものだったかわかるだろう。だから、グラウンドに飛び込んだジェット風船が片づけられ、プレイが再開し、呆気なく続くバッターが打ち取られ、8回表の守備へと赴いた時、俺は少なからず気分を逆撫でされた。
…ライトの俺にレフトスタンドのおまえらが見えないなんて思うなよ。俺はな、悟空ほどじゃないが普通の人間よりは目がいいんだ。
悟空とブルマはすっかりシートに根を下ろしていた。グラウンドには目もくれず、ひたすら各々の手と口を動かしていた。ブルマはおそらくビールを、悟空は何とは言い切れない数々の食べ物を口に運んでいた。そりゃあ相手チーム応援団のノリに加わらないのはわかるがな。それにしたって、ゲームを無視し過ぎじゃないのか。せめて俺くらいは見てろ!それにブルマのやつ、俺がいない時に酒を飲むのは自重しろって言ってんのに。悟空に至っては一体どこを見てるんだ。売り子しか見てないんじゃないのか?確かに俺はホームランバッターだけどな、だからといって守備がダメってわけじゃない。どんな打球もアウトにしてやれる強肩と跳躍力を持ってるんだ。ただ球が飛んでこないだけなんだ!
そんなことを考えている間に、打球が飛んでいった。レフトの頭上、見ただけで諦めざるをえないところに。せっかく俺が詰めた点差をあっさりと開けるツーランホームラン。俺は思わず歯噛みした。ええい、どうして俺のところに打たないんだ!あんなの軽く飛んでアウトにしてやるのに。ファインプレーの真髄を見せてやるのに…
レフトスタンドから歓声が、ライトスタンドから溜息が、一斉に上がった。だが悟空とブルマはそのどちらにも加わっていなかった。まったく素知らぬ顔で互いの顔を突き合わせている。この時この状況の中で二人は、一見二人だけの世界を作っているようにも見えた。それを認識した瞬間、俺は決めた。
こうなったら何が何でも勝ってやる。そして美人アナウンサーのヒーローインタビューにこう答えてやる。
『愛のために打ちました』と。


ふっふっふ。俺の出番がやってきた。
いつもなら『この監督無茶するなあ』と思うところを、俺は素直にそう思った。6対3で迎えた9回裏。勝利の予感に浮ついたリリーフピッチャーからフォアボールを得た後は、得意のデッドボール進塁策。さらに俺の存在をアピールすることによってボークを誘発したりして、気がつけばツーアウト満塁。そこで4番の俺様の登場だ。あらゆる意味で俺だけにスポットライトの当たるこの流れ。やはりこの監督はやってくれた。
「いっけー、ヤムチャ!!」
「ヤムチャ、がんばれー!」
この時ばかりはさすがに、ブルマと悟空も声援を送ってくれた。いや、悟空は知らないが、ブルマはいつも俺がバッターボックスに立った時は声援を送ってくれる。…ケンカをしている時以外は。そのことを俺はちゃんと知っていた。じゃあなぜ今さっきのような気持ちになったのかというと、それ以外の時とのギャップが問題なんだよ。俺がバットを握っている時以外は、まるで俺が存在していないかのように無関心なんだ。俺はちゃんと外野にいるってのに…
ブルマが来た時はショートかサードでもやらせてもらおうかな。一瞬思ったそのことは、やがてすぐに頭の隅に追いやられた。そう、今意識すべきことは他にある。湧き起こる歓声の中バッターボックスに立ちながら、俺は心の中でレフトスタンドに向けて予告ホームランをした。
『君の頭上にウィニングボールを!』
あくまでも『あいつら』ではなく『君』だ。そこんとこ間違えないようにな。


さすがにそこまでうまくはいかないか。
ブルマの頭上にホームランボールを打ち込むことに成功した俺は、それを見て軽く溜息をついた。ボールはレフトスタンドの中段あたり、相手チーム応援団のど真ん中へと消えていった。少々力を抜き足りなかったようだ。球がブルマの手の中にすとんと落ちたら格好いいなと思ってたんだけどな。そういうのはドラマや映画の中だけか…
舞い散る紙吹雪と紙テープの中、俺は本当の笑顔でグラウンドを一周した。闇雲に飛び回るジェット風船の向こうに、ブルマと悟空の姿が見えた。二人は帰り仕度を始める相手応援団を背景に、手に手を取って喜び合っていた。周囲の状況から見ても、完全に二人の世界だった。だが、俺は嫉妬したりはしなかった。
俺はそんな狭量な男じゃない。俺のために喜んでくれるならいいのだ。そんなの当然じゃないか。
『放送席、放送席。ヒーローインタビューです。今日のヒーローは劇的な逆転満塁サヨナラホームランを放ちましたヤムチャ選手です。ナイスバッティングでした!』
「どうもありが――とおおおおお!?」
まだまだ興奮醒めやらぬバックネット前、当然のように差し向けられたインタビュアーのマイクと言葉に、俺は応えきれなかった。反射的に体を仰け反らせると、胸元を僅かに掠めてボールが超スピードで飛び去っていった。
ドッゴオォォォーーーーーン!
そして一瞬の後に、バックネット下を破壊した。俺は冷や汗を掻きながら、心の中で叫んだ。
あっぶねえええぇーーーーー!
一瞬受け止めようかとも思ったが、なんとなくかわしておいてよかった。あんなのに手を出してたら、きっと指の一本は折れてたぞ!まったく、悟空のやつなんてことするんだ!!
なんでこんなことするんだ、とは思わなかった。まさかキャッチボールしようとしたわけではないだろうが…そうだな悟空のことだ、『落とし物だ』とでも思ったんだろ。そして、悟空の仕業だということは俺にはわかっていた。こんな球を放れるのは今ここでは俺と悟空だけだし、何より俺は今まさにあいつらの方に目をやったところだったからだ。そう、例の台詞を言うために。
「ちょ、超剛速球…!」
だが、その機会は少しく先延ばしにされたようだった。美人アナウンサーは表情をすっかり崩して、マイクを引っ込めてしまった。スタジアム内も異様な雰囲気に包まれた。もともと浮いていたブルマと悟空の周りでは、人がすっかり遠巻きになっていた。しょうがないな。友人だって言ってやるか。俺はそう思ったが、俺より先にマイクを手にした人物がいた。
『す、すばらしい…!』
それは監督だった。インタビュアーとさらに俺をも押し退けお立ち台へと上がった監督は、とうとうと喋り始めた。
『誰か知らないがそこの君!うちでピッチャーやらんかね!?君なら1億ゼニー出すよ!!君は100年に一度の逸材だ!ええい、なんなら10億ゼニー出そう!!』
どこかで聞いたような台詞…っていうか、俺の時とほとんど同じじゃないか!違うのは金額の桁くらいだ。俺が呆気に取られていると、今度はスタンド側からマイクの音が聞こえてきた。
『放送席、放送席!こちら観客席、ただいまボールを投げた青年を見つけました。これから話を窺いたいと思います。あなた、名前は?いきなりの話だけど、どう思う?』
『へっ!?』
へっ?、じゃねえだろ。そこは断れ!
俺同様呆気に取られているらしい悟空に、俺は思わず苛立った。悟空とチームメートになるのが嫌というわけじゃない。でも、ポジションが問題だ。悟空がピッチャーだなんて絶対にダメだ。だって、あんな球一体誰が受けれるというんだ。俺しかいないじゃないか!俺はキャッチャーなんて地味なポジションはやりたくない!
『ブ…ブルマ、帰ろう!!』
監督からマイクを奪ってやるべきか俺が迷っているうちに、悟空はその名を出した。そして傍にいた女性アナウンサーの手を振り切って、ブルマの手を掴んだ。…それは俺がやろうとしていたことだ!帰るなら一人で帰れ。ブルマはおいてけ、ブルマは!
『あっ、あなたせめて名前を!話を受けるかどうかだけでも――』
『君、待ってくれ!15億出すぞーーー!!』
今ではマイクも観客たちの目もすべて、空へと消えかける悟空とブルマに向いていた。それを認識した瞬間、俺は思いっきり歯噛みした。

ええいおまえら、俺の活躍を掻き消していくな!
しかもまたお姫様抱っこしてやがる…
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