Beer up(後編/ヤムチャ目線)
そのビアホールは俺の行きつけの店だった。俺というか、プロ野球チームの連中の。
この夜は、あの騒動の後俺が憮然としていたら、監督が連れてきてくれた。言わば接待だ。俺は普通の選手とは違うからな。
顔は利くし料理もうまいしなかなか悪くない店なので、ブルマと来たこともある。プーアルやウーロンとも。で、この時は、監督の他にもう二人が一緒に来ていた。
ファンクラブの女の子たちだ。チームのファンであると同時に、俺のファンでもある。監督が気を利かせて呼んだのだ。俺としては、以前この面子でこの店にいたことをどういうわけかブルマに知られて一触即発になったことがあったので、あまり気は進まなかったのだが――監督とサシで飲むよりはな…
「じゃあヤムチャさん、私は少しやることがあるんでここらで失礼させてもらいますが、ヤムチャさんはゆっくりしてってくださいねえ」
「ああ、はい、お疲れ様でした」
「ヤムチャさんこそ、今夜はたっぷり英気を養って、また明日もお願いしますよ」
一時間もすると、見え見えの嘘をついて、監督が帰っていった。自然、後には俺と女の子たちが残された。まあ、要するにそういうことだ。とはいえ、俺にはこの据え膳に飛びつくつもりはなかった。かといって、目くじら立てて監督を咎める気もなかった。
この際、気の済むまで飲ませてもらって、適当におだてられて帰ってやるさ。俺には破格の待遇だとか言っといて、実はまだまだ金は出せることが判明したんだからな。そのくらい安いもんだろ。
「ヤムチャさん、冷酒頼みませんか?お酌させてくださいよ〜」
「きみたちが飲みたいならいいよ」
「すいませーん。冷酒二本お願いしまーす」
やがてやってきた冷酒二本は、すべて俺が飲むことになった。二人の女の子たちから交互に杯に注がれて。ま、だいたい予想できてたことだ。
「きみたちも大変だね、いつもいつも。彼氏に怒られたりしないのかい?」
「えーっ、彼氏なんていませんよぉ」
「あたしたちはタイタンズ一筋、ヤムチャさん一筋なんですからぁ」
「ははは、そりゃどうもありがとう」
「あのー、あたしちょっとお手洗い行ってきてもいいですかぁ?」
「あっ、あたしも。少しだけ失礼しまーす」
「はい、どうぞ、行ってらっしゃい」
どうして女っていつも揃って手洗いに行くんだろう。心の中では首を捻りながら、俺はにこやかに手を振った。冷酒はここまでだな。さすがにこのペースで飲み続けていたら潰れてしまう。今のうちに水でも足しておこうか。そう思い最後の冷酒を呷った時、だんだんと人の少なくなってきたホールの中、間にいくつかのテーブル席を挟んだ中央のカウンターが目についた。
ブーーーーーッ。
直後、俺は思いきり口の中の冷酒を吐き出してしまった。目に入ってきた後ろ姿に、見覚えがあり過ぎたからだ。少し乱れた菫色の髪をした女と、特徴的な髪型の男。回りかけていた俺の酔いはいっぺんで醒めた。
…悟空、おまえ飲めたのか。
それにしても、また俺をハブりやがって、ちくしょう。
それと共に、忘れかけていた憮然が戻ってきた。そして間もなく、席を外していた二人も戻ってきた。それで俺は、ブルマと悟空に対する不満ではなく、まずは一番の不安要素を取り除くことにした。
「ヤムチャさん、お待たせしましたぁ〜」
「一人にしちゃってごめんなさーい」
「…あ、あのさ、いきなりで悪いんだけど、もう帰ってくれないかな…」
「何言ってるんですか〜、夜はこれからですよぉ」
「あたしたちまだまだいけますよ!ねっ!」
「いや、俺がもうマズイから。この続きはまた今度」
「えーっ、でもぉ…」
「…あたしたち、何か気に障るようなことしましたか?」
「あ、きみたちは悪くない。なーんにもしてない。ただちょっと俺が…見られちゃ困るっていうか…いや俺はいいんだけどきみたちが…」
「…なんかよくわかんないけど、ヤムチャさんが困るんなら帰りますよ」
「うん、ありがとう。…あ、今日のことはオフレコにしといてね」
ふーーーーー。
なんとかバレる前に事なきを得た。俺は胸を撫で下ろしながら、ブルマと悟空のいるカウンターへと向かった。とはいえそんな心境だったので、二人に声をかけた時は、あまり強気になれなかった。
「よ、おまえら。…何してるんだ?」
いつから来てるんだなんて、訊くまでもない。かといって、楽しんでるかとは言いたくない。だから、そんな間抜けな台詞になった。この俺の言葉に応えたのは悟空で、それもなかなか間抜け且つ失礼な態度だった。
「あれ?ヤムチャ、おめえいたんか」
だが、俺にはあまり気にならなかった。まあ、いつもの悟空だ。それよりも俺には、その隣の席にうつ伏せている女の方が気になった。
「おーいブルマ、ヤムチャがいたぞ。おーい、ブルマってば」
「なんだなんだ、すっかり酔い潰れてるじゃないか。おまえらそんなに飲んだのか?」
俺がそう訊いたのは、ここがビアホールだったからだ。でもすぐに、悟空はどんな店でだって物怖じせずにたらふく食うのだということを思い出した。悟空の前に置かれた皿に残された串の山が、それを思い出させた。そして同時にこの状況を作り出した理由もわかった。
悟空の食欲に付き合って酒を飲むなんてな。自殺行為だよな…
「ブルマ、ブルマ、しっかりしろ。具合が悪くならないうちに帰るぞ」
「オラもさっき帰ろうって言ったんだけどよ、ブルマのやつ酔うまで飲むって言い張ってよう」
「酔うまで?…そんなこと言ってる時点で酔ってるんだよ」
俺の憮然はすっかり四散していた。だから俺にも声かけりゃよかったのに。今ではそんな気持ちに変わっていた。潰れるまで飲んどいて、『酔うまで』もないだろ。酔いが足りなかったんじゃなくて、酔いの雰囲気が足りなかったんだよ。つまり、悟空じゃそういう相手にはならなかったってことさ。
「ほら行くぞ、ブルマ。負ぶってやるから」
「あーによ、まだ何か惚気るつもりなの、孫くん…」
「悟空じゃなくて、俺だって…」
「ん?あ〜、ヤムチャ〜、もう〜、あんたが奢ってくれないからぁ〜…」
「ああ、はいはい。で、悟空、おまえは……ん?」
ブルマを肩に担ぐと、ウェイトレスが一人やってきた。だがその子が持ってきたのは一枚の伝票ではなく、二枚の皿だった。
「お待たせいたしました。追加の串焼き56本お持ちしました。ご注文は以上でお揃いですか?」
「あれ?オラまだ頼んでたっけか」
「…………」
俺は軽く言葉を失ったが、本当に呆然としたのはこの後だった。悟空の大食いになんか慣れてはいた。でもさすがにその反応には驚いた。
そう、ウェイトレスがその皿をカウンターに置いた途端、悟空の口ならぬものが盛大に音を発したのだ。
――グゥ〜〜〜〜〜ッ…
おまえは…………どうしてそれだけ食っといてまだ腹の虫が鳴るんだよ…
「せっかくだから悟空は食ってけよ。なんならもっと追加してもいいぞ。ここ俺の名前出せばツケきくから、奢ってやるよ」
「そっか。じゃあ、そうすっかな。サンキュー、ヤムチャ」
「客間の窓開けといてやるから、そこから入ってこいな」
完敗だな。もう何もかも。文句を言う気にもなれない。…悟空にはな。
ビアホールを後にし夜風を浴びると、俺の頭はさらに冷静になった。時折すれ違う人々の視線をも浴びながら、俺は背中にいるブルマの相手をした。
「酒臭いなあ、もう。飲み過ぎだぞ、おまえ」
「あんたが早く来ないからでしょ〜」
「おまえたちが勝手にいなくなったんだろうが」
「そんなの追っかけてくればいいじゃないのよ〜う」
ぶちぶちと文句を言うブルマは、かわいくはないが素直ではあった。とても素直に、勝手なことをほざいていた。勝手に来といて『追っかけてこい』もないよな。そりゃあ俺は気づいていたが。
だけど俺はそれは言わずに、ただちょっと明日のことを考えた。もうじき今日になってしまう、明日のことを。
明日も試合はある。明日はブルマのために席を用意してやろう。隣に派手な道着の男がいなくても気づくことのできる席を。もちろん、悟空も来たいというなら、悟空にも用意してやる。本音は来ないでほしいがな。
「だから、二日酔いになるなよ」
「二日酔いになんてならないわよ。全然飲んでないも〜ん」
「そうか。じゃあ、自分で歩けるよな?」
「あ〜、何すんのよう。落ちる〜」
俺の首を絞めるようにしがみついてきたブルマを解いて、下へと下ろした。それから文句を言われる前に、その体を抱き上げた。そして地面を蹴った。
繁華街は抜けていた。もう視線を飛ばしてくるやつもいなかった。だから飛んだ。ブルマをお姫様抱っこして。
だって、悟空がお姫様抱っこで俺がおんぶだなんて、絶対におかしいからな。本当は、悟空がブルマをお姫様抱っこすること自体がおかしいんだが。
でも、今日のところは目を瞑っておいてやるよ。悟空の、何にも勝る食欲に免じてな。


だが、俺は甘かった。ブルマだけじゃなく、俺もまだまだ悟空に甘かった。
と思わざるを得ないことに、俺は翌日の試合後ブルマと一緒に行ったビアホールで、知らされることになる。
前夜、俺の一ヶ月の働き分がそっくりそのまま消えてしまったということを。
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