Pure stone(後編/ヤムチャ目線)
「すいませんねえチチさん、ブルマのやつ強引で。あいつ、ああいうことになると見境なくって…」
悟空とブルマが出ていった後、一瞬訪れた静寂の中で、俺はいち早くそう言った。チチさんはゆっくりとドアから目を離して、俺に答えた。
「構わないだよ。悟空さにとっても、いい食後の運動になるだ。だいたい悟空さは放っとくといつまでも食べ続けるだからな」
俺が安堵したことに、チチさんの目は本当に穏やかだった。俺のよく知っている女性がこういう時にするような、険のある嫌みな目つきとは大違い。 かわいい人だなあ。俺は素直にそう思い、ほのぼのとした気分で 悟空の家を見渡した。
飾り気のない木のテーブル。こじんまりとした台所の隅に置かれた、瓶や壺、樽の数々。野草の似合う一輪挿し。壁に掛け軸。これが『結婚した』悟空の家。古風だが手入れの行き届いたいい家だ。
「さてと。オラちょっくら失礼して、洗濯させてもらうだな。悟空さったら、すーぐ服汚すんだから。子どもみたいだべ」
メシを食う前に悟空が脱ぎ捨てたシャツを手に颯爽と席を立ったチチさんに続いて、俺たちも外へ出た。遮るものの何もない明るい日差し。爽やかに頬を撫でていく山の風。
「いい天気だ。洗濯日和だべ」
にこやかに笑うと、チチさんは少し離れたところにあった川で洗濯をし始めた。…古風過ぎるな。そう思い始めた俺の横では、ウーロンが珍しく女性から一歩を引いてこう呟いた。
「悟空のやつもうまいことやったよな。おれもあんなかわいい嫁さんほしいぜ」
プーアルがどことなく意味ありげな視線を寄こしたような気がした。だが俺は二人とは違って何も思わずに、川の中で手を動かすチチさんに目をやった。
うまくやってるみたいだなとは思うが、羨ましい一方かというとそうでもない。確かにブルマは怖いけど、チチさんと代えてほしいとまでは思わない。人の好みはそれぞれだ。
だから俺は何を言うこともなく、他人の生活を見続けた。川で洗濯した後は、家の傍の木の枝にそれを干す。何もかも自然を利用だ。そういえば昨夜猪を食ったとか言ってたな。当然その猪は狩ったのだろう。なんだか少し懐かしいというか、今さらそんなことはやれんというか、ずいぶんと旧式だな、ここの生活は。山の中だからしょうがないのか…
ふと、ウーロンがいないことに気がついた、もうその時にはやつはチチさんの隣に行っていて、木の高みへと吹き飛ばされてしまったらしい一枚の下着を一緒に見上げていた。
「お、おれ取ってきてやろうか。鳥に化けてよ」
「大丈夫だ。あのくらいオラ自分で取ってこれるだよ」
チチさんはさっくりとウーロンを往なすと、それは身軽に木を登り、枝を伝っていった。うーん、さすが悟空の嫁。野性味あるな。そういえばこの人は天下一武道会にも出場するほどの腕の持ち主なんだもんな。俺が感心していると、山の裾野から風が吹いてきた。それは気持ちの良い風だったが、木の上のチチさんにとってはそうではなかった。
「きゃあぁあぁあぁ!」
軽く足元を掬われて、チチさんは木から落ちた。どことなく調子外れの叫び声を上げながら。俺はすかさず地を蹴って、その真下に回り込んだ。受け身を取り損ねたチチさんが、背中から飛び込んできた。
「ふわー、びっくりしただー。もうこんなに風の強い季節になっただなあ。ヤムチャさ、ありがとうな」
案外けろりとチチさんは言った。俺はというと、腕の中に収まった彼女の髪から香る匂いに、思わずクラッときてしまった。
――こんな山の中に住んでるわりには、ずいぶんといい匂いをさせてるじゃないか…!
一応断っておくが、食べ物の匂いではない。そういうオチではない。ちゃんと女性の香りだ。
どんなところに住んでても、女って女やってるもんなんだなあ。そうだよな、チチさんはかなりかわいいし。それにすごくかいがいしいし。悟空のやつもうまいことやったよなあ…
俺はいたく感心した。思わず抱きしめ続けていた腕を少しだけ緩めると、空中にその悟空の姿が見えた。同時にブルマの声がした。
「…何してんの、ヤムチャ」
「何って…」
俺は思わず言葉に詰まった。ブルマの口調が、あまりにも棘のあるものだったからだ。どうやらまた誤解しているようだ。ブルマはこういうのを見るとすぐ、そんな風に考えるんだからな。
「そんな抱き方、あたしにはしないくせに!」
「そんなことないだろ」
予想通りの穿った台詞が投げつけられた。うっかりぽろっと答えてしまったのが悪かった。
「しないわよ!何かを誤魔化す時とか謝ってくる時にしか!!」
「おまえ、そんな身もフタもない言い方…、い、いや!俺はただ抱き止めただけなんだ。木から落ちてきたチチさんを助けるために」
「見え透いた嘘つかないでよ。孫くんじゃあるまいし、チチさんが木登りなんかするわけないでしょ」
「嘘じゃない!だいたいおまえこそ何だ。どうして悟空にお姫様抱っこされてるんだ。エアバイクはどうした、エアバイクは」
「エアバイク?ああ、壊れちゃったのよ。だからしかたなく孫くんに…」
「見え透いた嘘をつくな!!あれ、買ったばかりの最新型だろ!!」
俺は思いっきり怒鳴りつけた。ああ、これが怒らずにいられるものか!
俺には紛らわしいことをするなとさんざん言っておきながら、自分は平然とそういうことしやがって。一体どういう神経してるんだ。そう、俺は悟空に怒ってるわけじゃない。お姫様抱っこくらい、どうせ悟空は何も感じずにするんだろ。だから、その胸にすがりついてるブルマに対して怒ってるんだ。どおおおおおして、そんなに嬉しそうに悟空の胸に凭れてるんだ。石はどうした、石は!あれはただの口実か!?
「おかえり悟空さ、石は見つかっただか?」
「ああ、ちょっと場所を思い出すのに時間かかったけどな。そうだチチ、これ持ってきてやったぞ。おめえこの花好きだって言ってたろ」
「エーデルワイスじゃねえだか。ずいぶんきれいに咲いてるなあ。悟空さ、覚えててくれたんだな。オラ嬉しいだ〜」
心中怒りの吹き荒れる俺の前では、悟空がブルマを地へと下ろし、チチさんと歓談し始めた。石を探しに行ったはずのその手には小さな白い高山の花。これで思わないわけがなかった。
まったく、うまいことやってるな。俺たちのことなどお構いなしにな!
「…ブルマ、ちょっとこっちへ来い」
「何よ、怖い顔して」
自分も怖い顔をしている俺の彼女は、それでも一応俺のところにやってきた。だから俺はもうブルマに対しては何も言わないことに決めた。
「さっさと帰るぞ。もうここに用はないだろ。悟空たちの邪魔をしちゃ悪いからな!」
おそらく通じないだろうとは思いつつも、悟空に対して嫌みを一つ言っておいた。それは俺の思惑に反して、ブルマにも通じなかった。
「何よいきなり。そりゃまあ、用はないけど。…しょうがないわね。じゃあ今エアジェットを出して――」
「いらん。俺が連れて帰ってやる」
「は?」
俺がブルマを抱きかかえると、当人のみならずウーロンとプーアルもぽかんとした顔をした。これはもう、誰にも通じてないな。一瞬感じてしまった虚しさを、俺はすぐさま捨て去った。
「行くぞ。しっかり掴まってろよ!」
そう。俺だって飛べるんだ。乗り物なんかなくたって、どこへだって行ってやる。人前でお姫様抱っこだってしてやる。花だってくれてやる。都人の俺たちにふさわしい、豪華なやつをな!

――俺は決して悟空に当てられたわけじゃない。それは断じて違う!

心の中で叫んでから、俺は思いきり地を蹴った。腕の中にいる俺の彼女が、そこから逃げ出さないうちにと。そう、ブルマは一応抱かれてこそいたが、その態度はまだまだ頑なだった。何も言わないのは納得したからではなく怪訝かつ驚いているだけなのが丸わかりだったし、そんな風なので俺の胸元に凭れたりも当然していなかった。むしろ軽くそっぽを向いていた。これは着いた先で一悶着あるな。その予感を胸に、風を切りながら俺は思った。

…あー、俺もあんな素直でかわいい彼女がほしい。
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