Trouble mystery tour Epi.6 (5) byB
あたしは一度も後ろを振り向かないまま、船へと戻った。
ショッピング?しないわよ、そんなの。あれが口実だってことくらい、わかるでしょ。…ヤムチャのバカはわからなかったみたいだけど。あいつってほんっと鈍いんだから。人の言うことすぐ鵜呑みにしちゃってさ。そのくせこんな時だけ乗ってこないなんて。…間の悪いやつね。
そして、その間の悪いやつは、要領も悪かった。いつまでもぐずぐずとあたしの後をついてくる。あの双子に捕まったまま。ふと目をやったショーウインドウに映っていたので、それがわかった。まったく、あんな子たち放っておいてさっさと謝りにきなさいよね。うっかりそう思ってしまってから、あたしはしみじみと反省した。
ダメね。そういうことじゃないはずなのに。あたしったら、ついいつもの癖で…………癖、なのかしら。とにかく慣らされてしまっていることは確かね。
そう、自分の態度に感化されちゃったというか何というか、実のところあたしはそれほど腹を立ててはいなかった。もう許してあげたとか、そういうことでもない。許すとか許さないとか、そういう風に考えてないのよ、初めっから。だって、あんなのいつものことだもん。でも、それがダメなんだとも思うわけよ。
つまり、あたしは文字通り感情の赴くままに行動していたのだった。今までは感じたことのなかった、初めて湧いた自分のその感情に。いま一つ思考が纏まらないままに。…ワインのせいかもね。ちょっと飲み過ぎたわ。
…さてと、これからどうしようかな。
やがて部屋に着きベッドに寝転がると、非常に単純な問題が頭をもたげた。まだ夕方なのよね。ショッピング…は今したばかりだし。そうじゃなくても、荷物持ちなしでする気にはなれないわ。全部の荷物を一人で持ってこの部屋まで来るの、すっごく大変だった。ヤムチャがいたからこそ、思いっきり買い物してたんだもん。お灸を据えるタイミング間違えたわ。あたしも案外間が悪いわね。
とにかくショッピングにはもう行かない。カジノへ行ってパーッと遊ぶほどの気分でもない。プールなんかで泳ぐには間抜けな時間だし、だからといって休むには早過ぎる。お風呂…ももうちょっと後でいいわ。お腹はいっぱいだから夕食って線もないし、そうね、じゃあバーにでも…
その時、ふと目に入ってきたものがあった。
ベッドの上に投げ捨てたショッピングバッグ。その一つから、中身が覗いていた。ブラックのレザーで作られたティアラケース。中身は言わずもがな。なんとはなしに手に取ると、自然とその考えが湧いてきた。
…パーティ、行こうかな。
思いっきりドレスアップして。買ったばかりのこのティアラを着けて。一人でだって行けるわよ。っていうか、ここで行かなきゃこのティアラ着けるチャンスないじゃない。せっかく買ったのに、宝の持ち腐れになっちゃうわ。
よし決めた。行こうっと。ちょっぴり疲れた体に気合いを入れるように、あたしは勢いよくベッドから起き上がった。と、ドアの向こうから微かに物音が聞こえた。どうやら帰ってきたようね。誰がって?そんなの決まってるでしょ。
とはいえ、あたしのいるベッドルームのドアは開かないどころかノックすらされなかった。それであたしはドアから目を離して、トランクからドレスの入ったカプセルを取り出した。初めて着るネイビーブルーのドレス。ウエストがゴールドで、胸元にラインストーンがいっぱいついてて、ノーブルな感じなの。考えてみれば、あのダンスパーティにぴったりだわ。どうして今まで着ようと思わなかったのかしら。…忘れてたのよね。それによしんば思い出していたとしても、バランスがね〜…ヤムチャにノーブルな雰囲気なんてあると思う?
でも、今は一人だから。思う存分お姫様になってやるわ。引く手数多な壁の花目指して。
耳元に『レチル』のピアス。足元にはいつもよりヒールの低いパンプス(ダンスの時相手の足踏んだりしたくないからね)。そして花のティアラを髪に乗せたら準備完了。わぁお、うっつくし〜い…
「じゃーん!」
あたしは思いっきりにこやかに、いるに違いない男の前へと飛び出した。ヤムチャはやっぱりリビングにいて、例によってソファに寝転がっていた。無造作にシャツの前をはだけて。もー!だっらしないわね!っていうか、緊張感ないわ。ひょっとして、お灸を据えられてることすらわかってないんじゃないの?
「どう?素敵でしょ。あたしダンスパーティに行ってくるから、あんたは先に寝てていいわよ。じゃあね、おやすみ!」
一瞬イラついてしまった気持ちを心の隅に追いやって、あたしは言った。もう相手にするのやめるわ。あたしはあたし、ヤムチャはヤムチャ!さっきレストランでもそう言ったんじゃなかったっけ?言った時は単なる嫌みだったけど、もうそれでいいわ。いいえ、それがいいわ。
がばりと体を起こしたヤムチャは、でも何も言わなかった。ただただ目を大きく瞬かせてあたしを見ていた。ちょっぴり間抜けなその驚き顔は、あたしに強い満足感をもたらした。
ふっふっふ。きれいでしょ。びっくりしたでしょ。あたしが本気出せばこんなもんよ。非日常的なティアラだって、こーんなに似合っちゃう!そうね、今世紀最後のお姫様ってところね。
ヤムチャでさえこれなんだもの、これは本気で会場の視線をさらっちゃうかもしれないわね。ほーっほっほっほっほっほ…


ダンスパーティへ行く途中、エレベーターの鏡に映る自分を見ていて、ふと思った。
ちょっとパンプスのヒール低過ぎたかしら。
変ってほどじゃないけど、ちょっとツメが甘い感じ。やっぱりヒールは高い方がドレスが映えるわよね。足ももっときれいに見えるし。相手の足のことなんか考えないで、自分の足のことだけ考えるべきだったかしら。…でも、このドレス少し動きにくいのよね。この上ハイヒールなんか履いてたら、上手く踊れる自信ないわ。…ヤムチャの足なんかいくら踏んでも構わないけど、他人となるとやっぱりねえ…
初対面の男ともなるとなおさらよね。やっぱり優雅に振る舞いたいじゃない?ダンスの下手なお姫様なんていないもの。
なんてことを考えてはいたけれど、実のところ実際にダンスを踊ることになるような気は、あたしは全然しなかった。果たしてあのパーティにダンスを踊る相手がいるかどうか怪しいもんだわ。あのパーティにいたのはほとんどカップル、それも中高年のカップルばかりだったもの。超豪華客船なんてそんなものよ。何度も言うようだけど、だからこそあの双子がヤムチャに目をつけたのよ。そういう状態の中で目立たないはずがないもの。あいつは見た目はいいからなおのこと…
「パーティへ行かれるんですか?」
やがてエレベーターに乗り込んできた男が、そう声をかけてきた。洒落たスーツを着たおそらく2、3歳年上の線の細い顔立ちをした赤毛の男。
「ええ、まあ」
その時はちょうどエレベーターがレストランフロアに乗員を放出した後で、あたしたちの他に人はいなかった。あたしが曖昧に答えると、男は笑ってさらに言った。
「前にもお会いしましたよね。あの時もすごくお洒落でしたけど、今日はさらにお洒落ですね」
「えっ?ごめんなさい、どこで会ったかしら?」
「ここですよ。このエレベーターの中。あなたはチャイニーズ風のドレスを着てました」
ああ、あの日…
あたしはどうにかして思い出した。彼の言う、『チャイニーズ風のドレスを着ていた』日のことを。彼のことは思い出せなかった。いつ会ったのかも。その時何を話したのかも。
「今日はお一人なんですね。お連れの方は具合でも?」
でも、彼がいろいろ覚えているということはわかった。ヤムチャのこと、あたしのドレスのこと。どうやら本当に会ったようね。
「…ええ。連れはその…具合っていうか、遊び疲れたみたいでもう寝ちゃったの。でも、あたしはまだ眠る気になれないから」
「まだ6時ですもんねえ」
はは、と声を上げて彼は笑った。それはとても人懐こい笑顔だった。 最初に声をかけてきた時の畏まった感じとは大違い。その瞬間あたしは、次に言われるであろう彼からの言葉をほぼ正確に予想した。
「僕も同じ。一人で、退屈なんですよ。退屈な者同士ご一緒しませんか」
「ええ、いいわよ」
だから、すっきりとそう答えた。ヒール、低いのにしてよかった。そう思いながら。


「父がリゾート開発をしていまして、僕も大学を卒業したら手伝うことになってるんです。といっても、各地を旅行して物件を探すのが仕事なので、今と身軽さは変わりませんけどね」
なんだ、年下か…
老け顔ね、この人。傷を作ってもたいして渋くならないどこかの武道家とは正反対だわ。
「優雅ね。じゃあ今もいろいろ視察したりしてるの?」
「いえ、これは個人的な旅行です。僕、海洋動物に興味があるんですよ。それで学業納めに航海旅行してるんです。ブール海のクジラ、リュスティック海のイルカ、どちらも楽しみにしてます」
それとも、顔が細いから老けて見えるのかしら。顔だけじゃなく、体も細いし。いかにもインテリって感じ。腕なんかすっごく細くて、うっかりすると折れちゃいそう。あたしの知ってる男とは大違い…
「クジラの潮吹き、見たことありますか?あれは鼻腔の数で方向が違うんですよ。ハクジラ類の鼻腔は1つ、ヒゲクジラ類は2つなんですが、僕はまだ二方向に吹き上がるやつを見たことがなくて…」
キール――彼の名前よ――は、とても話好きな人だった。ダンスフロア隅のカウンターバーでとりあえずのカクテルを飲みながら、訊いてもいないことまで教えてくれた。…年下はねえ。嫌ってほどじゃないけど、あんまり気が乗らないのよね。いかにも教えてあげたくなるようなかわいいタイプならまだしも、この人わりとしっかりしてるし。しっかりしてるわりに、あまり空気読まないけど。さっきから自分のこと話してばっかり。だからあたしはずっと彼の話を聞くふりをして、彼のことを観察してたってわけ。
で、結果は…………そうね、品はいいわね。それにお洒落。白いスーツに赤い髪が映える映える。赤いフリルシャツなんてものを嫌みなく着こなしているのもポイント高いわ。これは細いからこそできるファッションね。もしガタイがよかったら、きっとものすごく柄が悪いことになってるわよ。
「生物分類上は、イルカとクジラに差はないんですよ。僕、子どもの時にそれを知って、すごく不思議に思ったんです。それで調べ始めて、以来海洋動物の虜になっちゃって…」
顔は…ん〜。…ヤムチャの方が上かな。っていうかわざわざ比較しなくても、彼自身ハンサムってほどではない。でも、それを気づかせないような身なりのセンス。そして…
「そろそろ一曲踊りませんか。せっかくダンスパーティに来たんですから」
「ええ、いいわよ」
何ていうか、そつがないのよね。確かに話は独りよがりなんだけど、ちゃんと切り上げるし。っていうか、ひょっとして話に飽きてきてたの、気づかれちゃったかしら。
とにかくあたしは、誘いを受けた。すると彼はまたそつのないところを見せてくれた。すごくさりげなくあたしの横に並んでダンスフロアまで歩いて、フロアに来たところであたしの手を取った。何ていうの、適度な距離感?いきなり手を取るほど馴れ馴れしくはないし、かといってぎくしゃくしちゃうほど慣れていないわけでもない。おかげであたしは一瞬脳裏を掠めたこと――腰に手を置かれるのってちょっと微妙かしら、っていうことを忘れることができた。なんかこの人いい意味で色気がないっていうか、安心できるわ。もし口説かれるにしても、ちゃんと順序を踏んできそうな感じ。いい具合に儀礼的なのよね。
「ダンス、上手なのね」
だからあたしも儀礼を通した。…わけではなかった。キールは本当にダンスが上手だった。ついでのように誘うからあたしも軽く受けたけど、これはレベルが違うわ。でも、ついていくのが全然大変じゃないの。ステップは優雅にゆっくり。視線は流れるように、手の動きもとっても丁寧で、何よりあたしにすっごく気を遣ってくれているのがわかる。優しくさりげない、でもしっかりとした巧みなリード…
「経験がある程度です。父が懐古趣味で子どもの頃無理矢理やらされてたんですよ」
そしてそれを自慢することはない。っていうか、はっきり言ってさっきお酒を飲んでた時とは別人なんじゃないかと思うほど口数が少ない。でも楽しんでるってことは、その笑顔でわかる。
うん。この人とはダンスをしてる方がよさそう。それなりにタッパもあるし、何よりダンスをしている時の笑顔がなかなかチャーミング。魅力が踊ってない時の五割増しね。海洋動物に興味があるって言ってたけど、こんな細い体じゃ連日の調査活動とか辛そうだし、ダンスの道に進めばいいのに。あ、仕事は旅行なんだっけ。
あたしはそんな他愛のないことを考えながら、仄かな灯りの下、キールに身を任せた。
一曲って言ってたけど、このままずっと踊っちゃお。この様子じゃ彼もきっとダンスが好きなんだろうし、今夜は本来の意味でのダンスパーティを堪能しよっと。


薄暗いダンスフロアを照らす柔らかな光。優美に流れるクラシック生演奏。そして、その中を颯爽と踊るあたし。
気っ持ちい〜い。
今、自分が視線を集めているのがわかるわ。そりゃ、ここにいる人たちはみんなそれなりの身分の人たちだからまじまじと見てきたりはしないけど、間違いないわ。見られてる方が気づかないわけないでしょ。
言っとくけど、やらしい目で見られてるんじゃないわよ。そういう格好じゃないもの。キャミソールドレスだけど、胸はほとんど出てないもん。少なくとも水着の跡はわかんない。一番近くにいるキールだって、そこのところは気にしていない(ように見える)。そう、キールのおかげね、これは。
見栄えがするのよね、この人。パッと見だけど。よくよく見るとたいしたことないんだけど、ここでダンスしてるぶんには充分よ。女性を立てたリードをしてもくれるし。
そんなわけで、今のあたしは洗練された男にリードされて踊るお姫様。背中に回された手と体全体で動かされて、知らず知らずのうちに上手く踊らせてもらえちゃう。だから、あたしは余裕を持ってドレスの裾を翻す。
「美しいティアラですね」
彼がそう言えばにっこり笑って小首を傾げる。こうすれば、ティアラがよりいっそう輝くのよ。そして、それを着けているあたしがもっときれいに見えるってわけ。
あたしはめいっぱいダンスを楽しんだ。そして、何曲目かの演奏が終盤に差し掛かった頃、軽く息をついた。
「ふう…」
「お疲れですか?ちょっとはりきり過ぎましたね。この曲が終わったら、休憩がてらカクテルでも飲みましょう」
「ええ、そうしたいわ」
そんな簡単なやり取りの後で、あたしたちはダンスフロアを離れた。こんなにスマートにダンスを終えたの、初めてなんじゃないかしら。とってもいい気分でダンスを踊って、とっても満足してダンスフロアを後にして、カウンターバーで喉を潤すカクテルを飲む…
「あたしはストロベリー・マルガリータにするわ」
「僕はコホラ・ミスト。知ってます?コホラって南国の古代語でクジラの意味なんですよ。このミルクにブルーキュラソーを加えた美しい乳青色がクジラを思い起こさせるでしょう。僕は大学に入った時にこのカクテルを教えられて、それ以来…」
「…………」
…失敗したわ。
もう…この人、喋ると途端に相手を立てなくなるんだから。少しはあたしにも話を振りなさいよね。…ま、いいけど。あたしはそんなに自分のこと教えたいと思ってないし…
ダンス疲れ。アルコール。そして隣の男の一方的なお喋り。様々な理由から、あたしはちょっとアンニュイな気持ちになって、軽く溜息をついた。…ん。このマルガリータおいしい。もはやキールの観察にも飽きていたのでそんなことだけを思ってカクテルを飲んでいると、やがてふいにそのことに気がついた。
…………あれ、ヤムチャ…
そういえばいたんだっけ。すっかり忘れてた。おまけにそんなところにいたのね。
コの字型のカウンターの向かい側に、ヤムチャがいたのだ。珍しくニヒルな雰囲気でマティーニグラスを傾けている。…追いかけてきたのかしら。それにしてはかっわいくない態度ね。どうして声かけないのよ?そりゃあたしは無視してやってたけど、あんたが無視していいわけはないでしょ。
ゆっくりとグラスを口から離すと、その無視が解けた。ヤムチャと目が合ったのだ。こちらを睨みつけるヤムチャの目と。そして同時にあたしは気づいた。
その隣に座り込む二人の女に。胸元に大きなひまわりが並んだライトグリーンのドレス。この大人の社交場で浮きまくる双子の姉妹。
あ〜らかわいいこと。とーってもお似合いね!
思わず眉間に皺を寄せて心の中で毒づくと、キールが話を切り上げた。
「そろそろフロアに戻りましょうか。いつまでも壁の花とシミになっているのもなんですしね」
「ええ、いいわよ。でもその前にちょっとデッキに上がらない?酔い醒まししたいの」
あたしは嘘をついた。まだ二杯しか飲んでないもの、酔っぱらってるわけないわ。でも、もうダンスはしたくなかった。なんだかテンション下がっちゃった。夢から覚めたような気分。だけど、このままここでキールの話を聞き続けるのもね。はっきり言ってつまんないし、そういうつまんなさそうにしてるところを、ヤムチャに見られたくないのよ。
「お酒、弱いんですね」
キールは笑って席を立った。だからあたしもそれに倣った。するとキールがさりげなくあたしの腰に手を回して誘導してくれたので、あたしは彼に気づかれないよう後ろを向いて、笑って舌を出した。周りにいた何人かがちょっとびっくりしたような顔をしたけど、それには構わなかった。どうせもうここには戻ってこないからいいわ。あたしはヤムチャがそういう気持ちになってくれれば満足なの。
そう、もちろんあたしはヤムチャに向かって舌を出していたのだった。この期に及んで若い女を二人も引き連れているヤムチャに。それはヤムチャにもわかったはずだ。なのに、ヤムチャは無視した。
無視して、わざとらしいほどゆっくりとグラスを啜った。へらへらしてるよりはマシだけど、何その態度。
…かっわいくないの。
あたしは心の中で呟きながら顔を前へ戻して、キールのエスコートに身を任せた。
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