食事の後は、ラウンジでカクテル。ナイトキャップを兼ねて。

隣の車両だから移動は面倒くさくないし、そもそもそうやって小まめに場所と気分を変えないと、飽きちゃうのよね。ゴージャスで快適とはいえ、所詮は狭い列車の中よ。もう三日目だし。そして、今日はのんびり田舎散策なんかをしたせいか、バーで楽しむよりは、ラウンジのゆったりとしたソファで寛ぎたい気分だった。

「本日はつまみとしてビアリのスモークがご用意できますが、いかがですか」

「せっかくだけど、もうお腹いっぱいだから、食べ物はいいわ」

「では、葉巻はいかがですか」

「葉巻か…そうだな。貰おうかな」

「いいわね。気分出る〜。二本いただくわ」

「おまえも吸うのか？」

「一人で楽しもうなんてずるいわよ」

一人掛けのソファに深く沈み込みながら、ボーイの切ってくれた葉巻を口に当てる。すると、ボーイが遠火でじっくりと時間をかけて火を点けてくれる。んんん〜、なんかすっごく金持ちの道楽って感じがするわ。

「あたし葉巻って初めて。これ一本に30分以上もかけるなんて、贅沢な時間の使い方よねえ」

「俺は安いやつなら吸ったことあるぞ」

「一体いつどこでそんなもの吸ってんのよ、あんた？」

「いや…物は試しって感じで…」

「答えになってないわよ」

その会話力のなさだけに文句をつけて、あたしは葉巻を楽しむことに戻った。ヤムチャの言葉は意外だったけど、なんとなく納得できた。煙草だってお酒だって、ヤムチャの方が先に手をつけてたし。なんていうかまあ非常に非論理的だけど、男って感じするわよね、そういうところ。

そう、いつの間にか男になってた。お酒はともかく、初めて煙草を吸った時には、そう思った。最初の一本はヤムチャから貰ったんだけど、全然おいしく感じられなかったのよね、その時。ただただ煙いばかりでさ。でもヤムチャは咽ることなく普通に吸ってた。男っていうか大人になってるな〜って思ったわ。中身じゃなく、体がだけど（だって中身はまだまだガキくさいもん）。

とはいえ、葉巻に関しては、そういう感慨はなかった。初めてお酒を飲んだ時みたいに、妙に高揚することもない。あたしはわりと冷静に、葉巻を味わうことができていた。

「結構おいしいわね。だけど…カクテルに合わない〜」

「そりゃそうだろ。葉巻にはブランデーだ」

「確かに映画とかじゃそうだけど、それちょっと渋過ぎない？」

「じゃあポートワイン。酒じゃなくてもいいならチョコレートケーキ」

「…あんたなんでそんなこと知ってるのよ。甘いもの好きじゃないくせに」

「さあ？」

「何惚けてんのよ。何か疾しいことでもあるの？」

「いや、まさか、そんな」

ゴージャスで贅沢な時間は、あっという間に、時々起こる日常的な場面へと雪崩れ込んでいった。そう、時々あるのよ、こういうこと。ヤムチャってば、いつも修行修行で山なんかに篭ってばかりいるくせに、なぜか妙に都会的なこと知ってたりするのよね。そりゃいろいろ教え込んだのはあたしだけどさ、最近じゃ教えてないことまで知ってるっていうか…………一体どこでそういう知識仕入れてくるわけ。本当に修行してるんでしょうね？

「きっと、酒買いに行った時にでも聞いたんだよ。リカーショップとかでさ」

「この不良武道家！」

呆れたというよりは拍子抜けして、あたしは叫んだ。そりゃ、お酒飲むくらいいいけどさ。なーんかイメージ違うわよね。人里離れた山奥で修行してるくせに、リカーショップ…まあ完全に山人になるよりはいいけどさあ。

「武道家だって酒くらい飲むぞ。半年に一度くらいは仲間と酒を酌み交わしもする！」

「えーっ、ずるーい。あたしも連れて行きなさいよ〜」

「ダメ。男同士の付き合いだから」

「ケチッ」

「おまえとはこうして90日もの長〜い旅行に付き合ってるだろ。ほら、何か別の飲み物頼むか？」

「ふんだ、機嫌取りっ」

おまけに偉ぶっちゃってぇ。なーにが『男同士の付き合い』よ。どうせ相手は天津飯さんとかでしょ。もしくはクリリン――そのくらいしか、こいつと話合うやつなんていないもの。ひとのいないところで一体何話してるんだか…今度会う機会があったら訊いてやろ。

一つ旅行後の予定を組み込んで、あたしは再び葉巻を楽しみに戻った。と、おもむろに飛んできた嫌みな女の声が、その楽しみを侵害した。

「ふふっ、まあ〜あ、かわいいこと。仲よくケンカしちゃって、子どもみたいね」

眉を上げつつ声のした方へ目をやると、ちょうど向かいのテーブルが埋まったところだった。天敵のあの女に、天敵のその兄、そして彼ら兄妹に比べれば、まだまだ無邪気とも言える双子たち。その無邪気な双子の片割れが手を振りながら、もう片っぽはちょっと頭を下げながら、でも結果的には二人とも無邪気に無神経にあたしに声をかけてきた。

「あのね、ブルマさん。リザさんって占いできるんだって。それがすっごく当たるんだって！」

「町の人はみんな結婚する前にリザさんに占ってもらうんだって。だからあたしたちも占ってもらうことにしたの！」

「あんたたち、結婚相手なんかいないでしょ」

「ふふ、それも含めて占えてよ。お二人さんも占ってあげましょうか」

「結構よ」

リザの言葉を、あたしは一言の元に切り捨てた。リザは何も言わずに笑っただけだった。再び葉巻を咥えると、ヤムチャがちょっと眉を寄せて呟いた。

「また占いか。何か妙に因縁あるな…」

「田舎ってそういう根暗な遊びが好きな人多いのよ。娯楽がないからね」

あたしはその言葉も切り捨てた。ヤムチャが何を心配してるのか、わかるつもりよ。でも大丈夫。もうあたしは王女に取り憑かれたりしないわ。もし取り憑かれたとしても、どうすればいいのかはわかってる。

「あーあ、すっかり気分壊されちゃったわ。ねえ、シャンパン頼みましょ。それで乾杯し直すわよ！」

そしてうんと見せつけてやるわ。しつこくこちらに（っていうかヤムチャに）横目で視線を流してくるリザと、どこにいるとも知れない王女に。あんたたちの入り込む隙はどこにもないってことを教えてやる…

「どうぞ、ブルマ様。こちら『リトル・プリンセス』でございます」

「はっ？」

ウェイターを呼ぼうとしたまさにその時、そのウェイターがテーブルの横に現れた。ダークレッドの液体の入ったカクテル・グラスを持って。さすが一流どころ、客の意向を読み切ってる――

わけじゃ、なかった。

「あたし、こんなの頼んでないわよ」

だいたいにして名前も知らないカクテルよ。知ってたって頼むわけないわ。『リトル・プリンセス』――なんて皮肉な名前のカクテルなの。

「エイハン様からです。メッセージを言付かっております。失礼をしたお詫びとお近づきの印にと…」

あたしが思わず件のテーブルへ目をやると、エイハンが悪びれもせずにぱちんとウィンクを飛ばしてきた。

何よそれ。映画やドラマじゃあるまいし。キザなやつ！ドンファン気取ってんじゃないわよ。いえ、それよりも…

「いらないわ。向こうのテーブルに返して」

「は、しかし…」

「妹さんにどうぞって言っといて。あたしたち、もう部屋に戻るから。ヤムチャ、行こ！」

「あ、ああ…」

完全にあたしに釣られて、ヤムチャは席を立った。もう〜。目の前で自分の彼女が粉かけられてるのに、どうして怒らないの！？いつもだったらそう思うところだけど、この時は違った。あたしの怒りは直截エイハンへと向かった。

「やあ。カクテルはお気に召さなかったようだね」

「あなたにお酒を振舞っていただく理由はありませんから」

テーブル横の通路を通り際にこやかに話しかけてきたエイハンに、あたしは思いっきり慇懃無礼に答えてやった。ただただ薄笑いを浮かべて、横目に視線を流してくるリザ。きっと何も考えずに、あたしたちの会話を聞いてるだけの双子。エイハンも含め、そのテーブルに漂う雰囲気はまったく変わらなかった。

「そう硬いこと言わずに仲よくやろうよ。しばらく一緒に旅をする仲間じゃないか」

「好きで一緒になったわけじゃないわ。金輪際あたしに構わないで。失礼するわ！」

もう遠慮なくあたしは言ってやった。もともとあたしが遠慮する必要なんてないのよ。遠慮どころか身を小さくするべきは、あっちの方なのに。

「まったく、面の皮の厚い男だわ！人に乱暴しといて平気な顔で話しかけてくるなんて」

エイハンのじゃない、自分の体面だけを慮って部屋に入ってからそう怒鳴ると、あたしをフォローするべき男がこんなことを言い出した。

「痴漢じゃなかったとか」

「そんなわけないでしょ！」

これにはさすがにあたしの怒りも振れた。さらに、いつもとは少し違う怒りが心に湧いた。どうして女の方は見抜けて、男の方はわかんないのよ。普通は逆じゃないの？…それだけ巧みってことかしらね、あの男が。

物腰は柔らかいし、服の趣味は悪いけど薄汚いわけじゃないし、格好よくはないけど振舞いは一応紳士的だし。例えなびきはしなくても適当にあしらって楽しんでおこう、くらいには思えちゃう相手よ。あたしだってきっと……あんなことされてなければ。

逆に言えばあたしはあんなことをされていたので、今さらどう振舞われようとも、絶対に誤魔化されたりしない。みんなの前で騒ぎ立てて追い出そうとまでは思わないけど（本当はそうしてやりたいところだけど、そのタイミングはもう逸したわ）、あのことはもう忘れようなんてとても思えない。

「どう見たって部屋に連れ込もうとしてたわよ。あそこであたしが元に戻らなかったら、大変なことになってたんだからね！」

そしてそういうことは、ヤムチャにだけはわかっておいてもらわなければならなかった。他の乗客のことなんて知らないわ。みんな勝手に付き合ったり牽制したりしてればいいのよ。牽制する必要がありそうなのは、あたしだけだけど。そして、だからこそ言っておかなきゃいけないのよね。

「もうあんな目に遭うの嫌だからね。あんたもちゃんと気をつけてよ。あいつは外面はいいけど、人がいないところじゃ何するかわからないんだから。あたしがあんな目に遭ったのは、あの時あんたがいなかったせいなんだからね！」

そうよ、あたしを放っておいて電話なんかしてるから。そりゃヤムチャは、あたしじゃなく王女を放っておいたんだろうけど。それはわかるけど、やることが中途半端なのよ。一度双子に電話を借りたんなら、二度でも三度でも借りとけばよかったのよ。目を離したくないとか言っといて、行動がもう穴だらけなんだから。

「それは……仕方ないじゃないか。あんなやつがいるなんて知らなかったんだから。いや、もちろん気をつけるけど。でも、あの時はそれどころじゃなかったんだ。王女とかドラゴンボールとか、いろいろと考えることがあった…」

「それなのよね。そこでドラゴンボールを使おうなんて、ちょっと大げさ過ぎない？」

今やあたしたちの話題は完全にズレていた。あたしはそれに気づいていたけど、話を戻すつもりはなかった。

だってまだ半日しか経ってないんだもの。完全に切り替えろっていう方が無理よ。それに、ヤムチャに教えておかなくちゃ。念の為に――もうあんなことはないと思うけど（あったらたまんないわ）、それでも一応保険として。

「そんなことしなくても、あんたが一つキスをしてれば、きっとあたしは戻れたわよ」

あたしが言うと、ヤムチャはいかにも心外だというように、大きく目を見開いた。わざとらしいほどのその惚けた仕種に、あたしは呆れたというかなんというか、非常に微妙な気持ちになった。

『キスをして元に戻す』っていうの、物語とかの中だと、結構定番の方法だと思うのよねえ。定番っていうか、それしかないっていうか。あとよくあるのは、深層意識に呼びかけるとか……それこそ方法としてじゃなく、思わずやっちゃうようなことよね。なのに、呼びかけてたのはあたしだけだったわよ。まったく、酷い話だわ。

「…そうか？」

「そうよ」

心の底から問い質しているようなその声に、あたしの気はすっかり殺がれた。だから我ながら冷静に返事をして、ベッドの端に腰を下ろした。まあ、ヤムチャにそんなロマンティックな面があるなんて、初めっから思ってないわ。考えもつかないほど色気のないやつだとは思いたくなかったけど。

「ふーん…」

納得したんだか何なんだか。やがてヤムチャはどことなく畏まった顔をして、まじまじとあたしを見ながら隣に座った。そして、まったくいつも通りにあたしの肩を抱いた。

なんていうか、普段部屋にいる時みたいに。まるで何事もなかったみたいに。旅行してるってことさえも横に置いたように。もうほとんど惰性みたいな感じで。そして、そのままキスしてきた。

「んっ…」

あたしはそれを受け入れた。なんとなく、わかっていたから。こう言えばこうなっちゃうだろうってこと。だから、敢えて今まで言わなかったのよね。

それに、それを拒否するほど怒っていたわけでもなかった。呆れたけど、心の底から呆れたってわけでもない。非論理的な方法だし、だいいちあくまで結果論よ。もし実際に王女にキスしようとしていたら、その時こそあたしは怒っていたに違いないわ。…ま、それはそれで戻れたかもしれないけど。でもそれだと、エイハンじゃなくてヤムチャを殴ることになってたわけで、それもちょっとねえ…

「…ね、ヤムチャ」

「ん？」

「何か飲まない？一杯だけ。乾杯したいの」

あたしたちはすでにベッドの上に横になっていた。それでもあたしは隙を見て、そう言った。時間的なものと精神的なもの、両方からくる余裕が、あたしにそうさせた。

田舎の夜は長い。列車で缶詰になっているとあってはさらに。そして、精神的に弱い王女はもう来ない。来たって、あたしはもう勝てる。

ヤムチャは軽く苦笑して、もう一度キスをした。短く軽いキスを。あしらわれた側からの、『後で』のキス。あたしはちょっと笑って、心の中で呟いた。

ごめんね。

なんて言わないわ。空気が読めなかろうとなんだろうと、今夜は許してもらうわ。

あたしは自力で元に戻ったんだから。間接的に助けてもらった恩なんて、感じないわよ。