酔いどれの戦士たち(蛇足編)
水平線から朝日が昇り、鳥が朝を告げ始めた頃、カメハウスのエントランスに二人の男が舞い降りた。
一人は何もない空中から、もう一人はエアバイクから。黒髪にごつい筋肉、一見似たような特徴を持つ二人は、だが、正反対の態度を示していた。
「どうしたヤムチャ、入らねえのか?」
「いや…何て言って入ろうか、ちょっとそれを考えてて…」
「ただいまって言やぁいいじゃねえか」
目の前のドアに手までかけておきながら躊躇しているヤムチャに、悟空がきょとんとした顔で言った。ヤムチャは手を引っ込めて、代わりにどこかから妙な強気を持ち出してきた。
「それは違うだろ。俺はケンカして飛び出したんだぞ。たった一晩のこととはいえ、それはいくらなんでも間抜け過ぎる。だいたい、ブルマのやつが『おかえり』と言ってくれるとでも思ってるのか?」
「『ただいま』じゃなきゃ、何て言うんだ?」
「だからそれを考えてるんだよ。『おかえり』とまでは言わないにしてもな、無視されずに済む言い方を。こういう時はうまいこと持っていかないと、ブルマはすぐに無視するんだから」
「よくわかんねえけど、いろいろ面倒くせえんだなあ」
「…まあな」
同じような修羅場を幾度もくぐり抜けてきた者ならではの情けない余裕を吹かすヤムチャに、たいして納得した様子もなく感心してみせる悟空。その二人を、未だ開いていないドアではなく、すでに開け放たれている窓から見ている人物がいた。
「おかえり」
「うわっ!そ、そこにいたのか、ブルマ」
「まあね」
ずっといたわよ。昨夜からね。
それは心の中で呟きながら、ブルマは腰を上げた。自分で飛び出してったくせに、勝手なこと言ってるわよね。本当に酒の勢いだけだったのね。支離滅裂だったらありゃしないわ――と、やっぱり心の中で呟きながらブルマはリビングを横切り、この時になってもまだ開いていないドアを開けた。
「おかえり、孫くん。チチさんが心配してたわよ。あんたのこと、ずいぶん遅くまで起きて待ってたんだから。今は寝てるから、起きたら謝っておくのね」
そうしてヤムチャの後ろに立っている男に声をかけると、ようやく少し場の空気が動き出した。ヤムチャの表情がなんとなく緩んだところで、彼女はここぞとばかりに言葉を繋げた。
「ヤムチャもよ。ちゃんと謝っておきなさいよ。…あたしにもね」
ヤムチャの表情がまた強張った。とはいえ、先ほどブルマの存在に驚いた時の態度とは少し違って、すぐにもごもごと口を開いた。
「…うん。ごめん、俺が悪かった」
「何が悪かったか、ちゃんとわかってるの?」
「わかってるよ。ちゃんと覚えてる。昨夜は酒のせいであんなこと言ったけど、俺、ブルマのことそんな風に思ってるわけじゃないんだ。その、体目当てとか…俺がずっとそういうこと苦手だったの知ってるだろ?そりゃブルマはスタイルいいし、今じゃそういうことは嫌いじゃないけど…」
「…………バカ正直に本当のこと言ってくれてありがとうね。まったく、みんながいなくてよかったわ」
僅かに口の端を引きつらせてから、嫌みったらしくブルマは言った。悟空の存在は、とっくのとうに無視されていた。
「あんた、口が軽過ぎなのよ。もうお酒とか関係ないわよ。せめて人のいるところでくらいは、ああいうこと言うのやめなさいよね。っていうか、焼きもち妬くにしても、もうちょっとマシな妬き方にして」
「う…うん」
「今度からは、そこの唐変木にだってわかる、素直でかわいい焼きもちにしてほしいものだわ」
ブルマはわざとらしく両手をあげ、先ほどまで彼女がいたリビングスペースにちらりと横目を流した。そこでは、玄関先で立ち話していたブルマとヤムチャをよそにいつの間にか部屋に入り込んでいた悟空が、帰ってきたら食べるに違いないと、チチが作り置いていった握り飯をパクついていた。
「あんたたち、昨夜はどこで寝たのよ?」
ヤムチャに背を向けリビングへと戻りながら、ブルマが昨夜のことを訊ねた。ヤムチャがどこか戸惑い気味に、おずおずとそれに答えた。
「あ、それは、その辺の荒地で…」
「ヤムチャがいつも修行してるとこだってよ。ここよりもっと東の方で、何にもないところだったけどな。でも修行はしなかったぞ。腹減ったからムカデ食って、さっさと寝ちまった」
「…ム、ムカデ!?…」
「食ったのは悟空だけだよ。俺は食ってないぞ」
度重なる悟空のマイペースな態度で、ブルマは完全に素に戻ったようだった。そこはかとなく漂っていた怒りも今では消えて、ある意味いつもながらのキツさが表れてきていた。
「とりあえず、なんとなく酒くさいし、思いっきり埃っぽいから、お風呂入ってらっしゃい。服も全部洗うからね」
「オラもか?」
「当たり前でしょ。あんたは酒くさくはないけど、それ以上になんか煙いわ。ま、それ食べてからでいいわよ」
しっしっとヤムチャを手でバスルームに追いやると、ブルマは横目で悟空を見ながらキッチンに行き、コーヒーを淹れ始めた。


悟空が握り飯を食べ終え、またヤムチャがバスルームから出てきた頃には、一同はほぼ全員がリビングに雁首を揃えていた。ある者は二日酔いの頭痛に悩み、またある者は生欠伸を噛み殺し、それぞれに昨夜の余韻を漂わせていた。とは言え、昨夜のケンカの結末は、当人の片割れいなくしてすでに知られるところとなっていたので、プーアルあたりを除いては、まず予想通りの朝を迎えたという感じだった。
「ヤムチャ様ー!戻ってこられてよかった〜」
「は、は、は…心配かけたな、プーアル」
「まったく、人騒がせなやつじゃ。――プハーッ。やはり夏はビールに限るの〜」
「うまそうですね、武天老師様」
呆れたことに、当人さえも通常通りの朝に移行しつつあるようだった。或いは単なる脊髄反射だったのかもしれないが、どちらにしても、それはブルマに止められた。
「ヤムチャはダメよ、お酒飲んじゃ。だいたい、ここはいつも夏なんだから、『夏はビール』だなんて、口実もいいところよ」
いつもながらの口調に近しいお小言は、さほど場の空気を悪くすることはなく、チチに至っては微かに笑みを浮かべてさえいた。
「それより、ちゃんと歯を磨いてよ。ムカデ食べてきたんでしょ?」
「ム…ムカデ?」
「俺は食ってない!食ったのは悟空だけだ、悟空だけ!」
目を丸くしている一同に向かって、ヤムチャは二度目の説明を試みた。ブルマはというと、先ほどから見せている彼女にしては意外なほどの冷静さの代償で、しばらくヤムチャを苛めることに決めたようだった。
「そんな言い方することないじゃない。せっかく孫くんが迎えに行ってくれたのに」
「それとこれとは関係ないだろ…」
「ないことないでしょ。帰ってくるんならさっさと帰ってくればいいのに、わざわざ何もないところで男二人野宿なんかしちゃってさ」
「何言ってんだ、おまえ?」
だが、そのことには当然ヤムチャも、他のみんなも気がついてはいなかった。話はブルマの思惑通り、一同思ってもみなかった方向へと転がり始めた。
「だって、それじゃ昨夜一晩何してたのよ?」
「別に何もしてないよ」
「本当に?孫くんには指一本触れてない?」
「妖しい言い方をするな!そりゃ、頭は撫でたけど…」
「アタマ?そんなのいつしたんだ?オラ知んねえぞ」
「いつってその…寝てる時に…」
「寝てる間に?うっわ、やっらし〜。あんた、ホモっ気あったわけ?」
「なるほどなー。だからおまえ、女が苦手だったのか。あー、オレ、ブタでよかった。ブタは対象外なんだよな?」
本気とも冗談ともつかないことを、ウーロンが言った。悟空がなおも不思議そうな顔で呟いた。
「なあ、ホモって何だ?」
「あ、孫くんは知らないのね。あのね、ホモって言うのはね、男が男のことを…」
「おまえら…!ええい!悟空におかしなことを教えるな!!」
「おかしなことって何よ、あんたがしたことでしょ」
「だからそんなんじゃないって。実際、悟空だってそんな風に思ってないだろ?」
「そうだよブルマさ。悟空さにはそったらこと教えなくていいだ。ただしヤムチャさ、そういうことなら今後は悟空さとの付き合いを控えてもらうだ」
「そんな、チチさんまで…」
終いには笑顔だったはずのチチまでもが顰め面で口を出して、カメハウスは混沌に包まれた。ヤムチャは額に汗を滲ませながら、さて何と言って場を治めようか、再びそれを考え始めた。
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