男と女と男とベッド(前編)
それは、ブルマがレンチを床に放り投げた時だった。
「よう、ブルマ」
「あら、孫くん」
窓の外に悟空がいた。C.Cの2階にあるブルマの自室でのことである。
ブルマは開け放たれた窓に近づき、長年の友人の不躾な訪問に悠然と応えた。
「久しぶりね。どうしたの?」
悟空は、彼にしては珍しく曖昧に言葉を濁した。
「うん、ちょっとな」
「まあ入りなさいよ」
ブルマは手振りで彼を中へと促した。悟空は遠慮する様子も見せずに、それに従った。

デザートにホールケーキを6個も平らげてから、ようやくゆっくり茶を啜り、悟空は一息ついた。自分もイチゴのケーキをつつきながら、ブルマはそれを横目で見ていた。
「本当はあたし、こんなことしてるヒマないんだけど」
「悪りぃ悪りぃ」
どう見てもそう思っていないだろう笑顔で、悟空は頭をかいてみせた。ブルマはそれにはまったく構わず、彼に尋ねた。
「で、何なのよ?」
「あのよう、今晩泊めてくんねえかなあ」
不躾にもほどがある。時計の針はもう夜の10時を回っているのだ。
だがブルマは呆れたように悟空を一瞥しただけで、慣れた口調で先を続けた。
「またなの?今度は何をやったのよ」
「何もやってねえよ。やってねえけど、家がぶっ壊れちまってさあ」
「何もやってないのに、家が壊れるわけないでしょ」
さっぱり要領を得ない様子の悟空だったが、その話を強引に纏めるとこういうことだった。

その日、悟空はいつものように修行をしていた。いつものように空を飛び、いつものように蹴りを繰り、いつものように力を溜め、いつものように気を練り、いつものようにそれを放出すると、いつものように家が――

「…まったく、チチさんも災難よね」
ブルマは処置なし、と言うように眉間を中指で押さえた。
「それでオラ、追い出されちまったんだ」
悟空はまったく悪びれたところのない顔で言った。
「家が直るまで帰ってくるなってさ」
ブルマは軽く溜息をつくと、「やれやれ」と片手を振り仰いてみせた。
「あんた、普段はいいだけ外で修行してるくせして、こんな時には来るのよね」
うちのご飯目当てにね。ブルマは心の中でそう付け加えた。
「だってよ、ここのメシ旨いからさあ」
当ってもうれしくないとはこのことだ。ブルマは一番肝心なことを悟空に訊ねた。
「チチさんはうちにくること知ってるの?」
「それがさあ、前にケンカした時に、チチと約束したんだよ。おめえんとこだけには、迷惑かけちゃダメだって。でも黙ってりゃわかんねえだろ?」
「…あんた本当に筋斗雲に乗れてんの?」
神様も贔屓が過ぎるわね。ブルマは心中1人ごちた。
「別にいてもいいけど、あたし明日までに上げなきゃいけない仕事があるから、相手してられないわよ」
「サンキュー、ブルマ」
悟空はてらいのない笑みをひらめかせた。

「寝るまでにもうちっと時間あっから、稽古でもしてっかな。ヤムチャはどこだ?」
作業を再開したブルマの傍らで、手足をほぐしながら悟空は訊ねた。興味のなさそうな声でブルマが答える。
「あいつならいないわよ。どっかで野垂れ死んでるんじゃない」
今度は悟空が呆れる番だった。
「おめえら、またケンカしてんのか」
「失礼ね。あいつが勝手に出てっただけよ」
ブルマの声音にわずかな怒気を感じ取って、悟空は内心首を竦めた。
「修行か?」
「そうじゃない。まったくどうして、うちってそんなのばかり集まるのかしら」
おめえが連れてくるんじゃねえのか、と言いかけて悟空は目を逸らした。
「プーアルやウーロンたちは?」
「知らないわよ。そんなことに構ってられるほど、あたしヒマじゃないんだから」
「ふーん」
よくわからない返事をして、悟空は椅子に腰を下ろした。背もたれに向かい、だらしなく両足を左右に投げ出しながら、ブルマの背中に語りかける。
「おめえも相変わらず忙しいんだなあ」
「商売繁盛で結構なことよ」
「商売か」
「少なくとも、あんたたちの修行よりはお金になるわよ」
「うへえ」
母親に諌められた子どものような声を出して、悟空は舌を出した。
「あんたも少し働きなさいよ。ヤムチャでさえ野球選手やってるんだから。あんたならもっといい仕事できるでしょ」
「いやー、オラはなあ」
「結婚したんだから、いつまでも子どもでいちゃダメよ」
窓から差し込む星の光に照らされたブルマの横顔を、悟空はまじまじと見つめた。
「おめえ、母ちゃんみたいなこと言うなあ」
聞くが早いか、ブルマは弾かれたように叫んだ。
「失礼ね!!花の独身社長に何てこと言うのよ!!」
「ははっ、そりゃいいなあ」
「まあ、まだ社長じゃないけどね」
ブルマはふう、と息をはいた。
「まっ、別に煩いこと言うつもりはないけど。適当にやりなさいよね」
「おめえもな」
2人は顔を合わさず、そう言った。


気がつくと、日付が変わっていた。
ブルマは椅子に座ったまま眠りこける悟空に、視線を投げつつ言った。
「そんなところで寝ると風邪引くわよ。寝室に布団が敷いてあるから、そこで寝なさい」
返事はない。ブルマが耳を引っ張りさらに言う。
「孫くん!」
「…ああ」

ふらつく足で寝室へと消える悟空の後姿を見やりながら、ブルマはくすりと呟いた。
「まったく、いつまでたっても子どもなんだから」
そして自分の仕事へと戻る。
「さ、あたしもさっさとやっちゃおっと」




ブルマが疲れきった体を引きずりベッドへと辿りつくと、そこには先駆者がいた。
悟空だった。
「…ちょっと」
時折体を揺らしながら、高いびきをかいて寝入っている。
「ええい孫くん、どきなさい。そこはあたしのベッドよ。あんたはこっちの布団!」
鼻を抓み耳を引っ張っても、まったく起きる気配はない。
「うっ…重〜」
ブルマはわずかに残った気力をふりしぼり、悟空の腕を引っぱると、床に敷いた布団の上に蹴落とした。
「ほら見なさい、ブルマさんに不可能はないのよ」
息を切らせながらそう言うと、ブルマはベッドに倒れこみ、深い眠りに落ちた。

悟空は目を覚ました。
ベッドに寝ていたはずなのに、なぜか床の上にいる。足下がスースーする。
「っくしゅっ!さみ〜」
大きなくしゃみを1つ発すると、寝惚け眼でベッドの中へ潜り込んだ。


ブルマと悟空。女と男。
かつての少女と少年は、たわやかに体を添わせ、2人幸せそうに眠っていた。
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