Beer up(前編)
夜のビアホールに、どこかちぐはぐな二人連れが一組。
「あたし中生ね」
「なあ、オラ、メシ食いたいんだけどいっか?」
「あー、いいわよ。何でも頼みなさい」
「じゃ、オラは水と、このページに載ってるやつ全部10個ずつな!」
悟空が元気な笑顔で言い放つと、『笑顔と元気』がモットーのビアホールのウェイトレスは、目に見えて狼狽した。
「え…?あ、か、かしこまりました。生ビール中ジョッキお一つと、串焼きを各種10串ずつ…………あの、それだと全部で280本になりますが、よろしかったでしょうか」
「ああ。おっ、こっちのページのやつもうまそうだな!」
「えっ…」
「とりあえずはそれでいいわ。あとは適宜追加ってことで。急いでね。この子食べるの早いから」
「は、はい。かしこまりました」
ブルマのフォローも、ウェイトレスの驚きを緩和することはなかった。ウェイトレスはそのカウンターの一角を去ると、慌てふためいて厨房へと入って行った。


まずはブルマの目の前に、水滴の滴るジョッキに入った黄金色に輝く液体が置かれた。ブルマはそれをぐいっと呷ると、ぷはぁ、と大きな息を吐き、それからちょっと口を尖らせて言った。
「あーあ、すっかり酔いが醒めちゃった。おまけにヤムチャに一杯奢らせようと思ってたのに、それもパアよ」
「そう言うなよ。こうして付き合ってんじゃねえか」
「あたしの奢りでね」
ブルマの隣に座る悟空の前には、無色透明の液体の入ったコップ。――まったく、これじゃ乾杯のしようもないわ。一体いつになったら、孫くんは大人になるのかしら。呆れたようにそれを見るブルマを横目に、悟空は水を一気に飲み干した。
「おめえがそれでいいって言ったんじゃねえか。それにしても、おめえ時々妙にセコいこと言うよなあ。金持ちのくせによ」
「奢りの一杯っていうのはおいしさが違うのよ」
「そっかー?オラあんまり思ったことねえな、そんなこと。おかわり!」
そりゃあんたは人様に奢ることなんかないでしょうからね。軽く眉を顰めたブルマをよそに、悟空はまた新たな一杯を飲み干した。耐えきれず、ブルマが呆れを声に出す。
「ザルね、あんた」
「喉渇いてたからな」
「それはいいけど、もうちょっと色気のあるもの飲みなさいよ。水っていうのはね、普通、何杯もおかわりするものじゃないのよ」
「喉が渇いてる時にはこれが一番うめえんだよ」
「…ったく、どこが『付き合ってる』って言うのよねえ」
ブルマが吐き捨てるように呟くと、悟空は宙を見ながら何やら考え始めた。
「そうだ、オラ、あの梅を漬け込んだやつなら飲めるぞ。チチが瓶にいっぺえ作っててよ、暑い日に飲むとうめえんだ」
「梅酒ね。それを早く言いなさいよ。すいませーん!梅酒一つ!」
悟空の背中をバシリと叩いてから、ブルマはその手を上げた。厨房の中で忙しく動き回っていたウェイトレスが慌てて出てくる。
「はい、かんぱーい」
程なくして悟空の前にジョッキに入った梅酒が置かれた。半分ほど飲み進めた自分のジョッキを、ブルマは楽しそうに悟空のジョッキに合わせた。
「あー、孫くんと乾杯できる日がくるとはね。あたしも年を取ったもんね〜」
「おめえ、いくつだっけ?」
だが、悟空がそう言った途端に、呷ったジョッキを荒っぽくカウンターに叩きつけた。
「ええい。そこはそんなことないって言うところでしょ!っていうか、女性に年を訊いちゃダメ!」
「なんでだよ?」
「なんでも何も、そういうものなの!」
「変なの」
悟空は首を捻りながら、梅酒のジョッキに口をつけた。そしてまた首を捻った。
「あれ?これ違うぞ。チチの酒じゃねえ。似てるけど、味が薄いぞ。飲んだ後にくる、ぷはぁーってやつもねえ」
「なーによ。いっちょまえのこと言うじゃないの。いつまでも子どもだと思ってたのに、あんた結構大人になってんのね〜」
からかい口調で言いながら、悟空の頭をわしわしと撫でる。そんなブルマの目は、どこか遠くを見ているようでもあった。
「結婚って偉大ね〜。いえ、チチさんが偉大なのか。これで子どもでもできた日には、ますますわかんないことになりそうね〜」
「そういえばチチもそんなこと言ってたなあ。そんで子どもがほしいってよ。そしたら牛魔王のおっちゃんがイモリ食えって言うから、オラ時々夜メシに食うんだけどよ、最近オラんちの近くにはいなくなっちまってさ、隣山まで探しに行くんだ」
ブーーーーーッ。
流し込んだばかりのビールを、盛大にブルマは吐いた。激しく噎せ返りながらも、年下の友人に精一杯のアドバイスを送る。
「あんた、そういうこと人に言うんじゃないわよ。っていうか、やることちゃんとやってんのね…」
とはいえそれにはたいして気が入ることはなく、ブルマはただただ自分の中に湧き起こる感心の思いに浸った。
「偉大だわ…」
――ということは、当然、初夜もこなしたわけか。そりゃ結婚してるんだから当たり前だけど。でも、最初の時ってすっごく大変なのに。大変そうなのに。
「すいませーん!中生一つ!」
次から次へと湧いてくる想像を中断して、ブルマは二杯目のビールをオーダーした。今の一吐きでジョッキは空になっていたし、何より自分の時のことを思い出して、酔いが醒めかけたのだ。――だってあの時って、すっごく痛いんだもん…
そして、それを思ってさらに感慨が深まった。自分は女で、悟空は男。そんな当たり前のことが、今初めて本当にわかったブルマだった。
「まあな。オラだって、たまにはチチの手伝いすんだぞ。丸焼きにすっのに火を熾すのもオラがやるんだ」
「そういう意味の『やること』じゃないわよ」
だからと言って、二人の間の空気が変わることはなかったが。そして、やがてウェイトレスが串焼きを持ってきたので、場は完全に色気とは無縁の雰囲気になった。
「お待たせいたしました。生ビールと、串焼きを30本お持ちしました。あとの250本はでき上がり次第お持ちしますので…」
「おほ〜、うっまそ〜。いっただっきまーす!おっ、うっめぇ!ブルマ、これすっげぇうめえぞ!!」
「はいはい、よかったわね」
悟空はすっかり串焼きにかかりっきりになった。それで話相手を失ったブルマは、悟空を横目に自分のビールを飲みながら、今度は少しほのぼのとした想像をしてみた。
――夜を控えて、二人仲よくイモリ焼きか。
全然羨ましくはないけど、仲は良さそうよね。


それから約二時間後。深夜のビアホールに、それはちぐはぐな一組ができあがっていた。
「バッカね〜。あんたそりゃ〜チチさんだって怒るわよ〜」
「なんでだ?オラ、ちゃんと言われた通りにしてたんだぞ」
「それはそういう意味じゃないのよ〜」
ブルマの前には、何杯目かの空っぽになったジョッキ。ブルマは完全にできあがっていた。頬は赤く、目はとろんとしていて、舌もよく回っていなかった。もっとも態度自体はいつもと変わらなかったが。と、彼女自身は思っていた。
「それは『鍋見てて』って言われて、焦げようが火を吹こうが黙って見てるのと同じよ〜」
「へぇ〜、おめえよくわかったな、オラが鍋燃やしたって。でもチチのやつは『家が燃えなくてよかった』って喜んでたぞ」
「…今のは例え話よ」
一方、悟空の前には300本を超す串の山。ブルマの言葉通り、悟空は適宜オーダーを追加して、厨房を大混乱に陥れた。そのわりに串の数が少ないのは、串焼きを焼くのが間に合わないので他の物を頼んでくれないかと持ちかけられたからで、揚げ物・煮込み・炒め物など、ほぼすべてのメニューを食べ尽くしていた。さらにそれらを食べながら梅酒も数杯飲み干しており、文字通りの底なし胃袋だと厨房内では伝説になりかけていたが、そんなことはもう百も承知であるブルマが気にしたのはそこではなかった。
「あんたって本当に変わんないわね〜。おまけに、飲んでも全然変わんないし」
「おめえはなんか荒っぽくなるよなあ」
「はぁ〜?荒っぽい?何よそれぇ」
言いながら、ブルマはぺちぺちと悟空の頬を叩いた。そういうところだよ、と悟空が言わなかったのは、単に口が魚串で塞がっていたからに過ぎない。
軽く喉に詰まらせながらも悟空はその魚を食べ終え、オラんちの近くの川で獲れる魚の方がうめえな、などと思いながらやがて言った。
「さて、じゃあ、そろそろ帰って寝っか!」
「え〜?何よ、まだいいじゃないのよ〜」
歯切れよく言い切った悟空に対し、ブルマはぐずぐずと絡み始めた。酔っぱらいの常で。
「まだまだ宵の口よ。あんたうちに泊ってくんでしょ。なら付き合いなさいよ〜」
「でもオラ、明日牛魔王のおっちゃんちに行かなきゃなんねえからさあ。寝坊しねえようにしねえと」
「あ〜、そういえばそうだったわね〜」
「おっちゃんにやる熊もまだ捕ってねえし」
「熊ぁ?何それ、そんなものどうするの?」
「食うに決まってっだろ。オラもおっちゃんも大好きなんだ」
「それは……プレゼントってことよね…?なーによ、あんた、ずいぶん気が利くようになったじゃないの〜」
そしてそのままぐだぐだと話を続けた。酔っぱらいの常で。今度はばしばしと背中を叩き始めたブルマをだが悟空は止めはせずに、平然とした顔で叩かれながらその絡みに答えた。
「オラ前に、チチに誕生日訊かれたんだ。わかんねえって言ったらチチのやつがっかりしちまってよ、そしたらおっちゃんが『じゃあ今日にすっべ』ってすんげえごちそう食べさしてくれたからさぁ」
「へ〜、あの人結構いい人だったのね〜」
「だからオラもおっちゃんに何かやるよって言ったんだけど、おっちゃん何もいらねえって言うから、おっちゃんの好きな熊持ってくことにしたんだ」
「ふーん……」
いつしかブルマは悟空の背を叩くのを止め、残り少なくなったジョッキに手を伸ばしていた。話の盛り上がりとは反対に、彼女の酔いは覚め始めていた。
「ま、いいんじゃない、それで。あんたから何か貰おうなんて思ってるやつは、きっとこの世にいないわよ。あ、チチさんを除いてね。でも、そうね。そのうち孫の顔でも見せてあげるのね」
「孫の顔?」
「子どもよ、子ども」
言いながらブルマは思った。やはり悟空は飲み相手には不向きだと。な〜んか酔い覚まさせられちゃうのよね。飲み方もだけど、話題も。新婚を飲みに誘っちゃいけないって本当ね。まあ幸せそうなことで、ところどころで無邪気に当てられるのがたまんないわ。
「そういや、おっちゃんもそんなこと言ってたなあ。『早く孫の顔が見たいべ』ってよ。けどよ、なんでみんなそんなに子ども欲しがるんだ?」
「それが結婚のオプションだからよ。すいませーん!中生おかわり!」
「いっ?おめえ、まだ飲むんか?」
「ここで終われるわけないでしょ。せめて最後はいい感じに酔って〆るわよ〜。あんただって、何だかんだ言ってまだ眠くはないんでしょ?」
「そりゃそうだけどよう」
「ったく、いつの間にか大人になっちゃって。いーっだ!」
ブルマは思いっきり自分の歯を剥き出しながら、悟空の頬を引っ張りさらに彼の歯をも剥き出させた。このよくわからない行為には、さすがの悟空も呆れを感じた。
「…おめえ、ひょっとして酒乱ってやつか?」
「そういう言葉がさらっと出てくるところが大人だって言うのよ!!」
「…………」
びしりと指したブルマの指を鼻先に受けながら、悟空は沈黙した。確かにブルマの言う通り、悟空は少しだけ大人になっていた。
このブルマを放っておけないと思う程度には。ここで無理矢理帰るのはちょっとなあと思う程度には。メシ食わせてもらったし、というのが主な理由ではあったが。
しょうがねえなあ。もうちっと付き合ってやっか。
しっかし、これじゃヤムチャのやつも大変だなあ…………


と、ちぐはぐな二人がちょっぴりそれっぽくなったところを、そのヤムチャが見ていた。
ちょっとした焦りを抱きながら。
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