デート de shit(前編)
ブルマは菫色のジャケットを羽織ると、慎重に胸元を検めた。
「おっす!ブルマ」
窓の外から声がした。C.C2階のブルマの自室でのことである。
「あら、孫くん。早いわね」
鏡に映してすばやく全身をチェックすると、ブルマは声の主へと顔を向けた。悟空は彼らしい不躾さで、いきなり事の本題に入った。
「何かくれるんだって?」
「うん。送ろうかとも思ったんだけど、あんたに頼んだ方が早いし。それに少し家のことさせたほうがいいかと思って」
悟空はもう例の声はあげず、ただ「ははっ」と小さく笑った。
「そこのテーブルの上に置いてあるから、適当に選んで。なんなら全部持ってってもいいわよ。どうせカプセルに入れちゃうんだから」
「いつも悪りぃな」
ブルマが目線で指し示すと、悟空は塵ほどの遠慮もなく、ズカズカと部屋の中に上がり込んだ。
頃は7月。テーブルの上には「中元」と熨斗のついた箱詰めが、山と積まれていた。すでに開けられたいくつかの中身を見て、悟空はうれしそうな声をあげた。
「うっひょう。旨そうなハムだなあ。本当に貰っていいんか?」
「少しでも家計の足しになればうれしいわ。あんたんちエンゲル係数高そうだからね」
歯に衣着せずそう言うと、ブルマはドレッサーへと移動し、メイクボックスを引き寄せた。早くもギフトの包装紙を破り始めた悟空の姿を鏡越しに見やって、忠言を呈する。
「あんた少しは節食したら?今は若いからいいけど、年取って武道家引退したら太るわよ」
「うへえ」
やっぱり今日も、悟空は母親に諌められた子どものような声を出した。
「おめえ、そういうこと言わなきゃいいやつなのにな」
「何言ってんの、友人としての忠告よ」
悟空はギフトを漁り終え、それをしこたまカプセルの中に詰め込むと、テーブルの下に置いてあるダンボールに目をやった。
「でっけえな。こりゃ何だ?」
悟空がそれに手を伸ばそうとするのを見て、ブルマが慌てて引き止めた。
「それはダメよ。今日納品するやつだから」
それは他企業に依頼されて製作した新製品の試作品であった。悟空が意外そうな顔でブルマを見た。
「おめえが自分で持ってくのか」
「しょうがないわ。今忙しい時期だから」
ブルマは再び鏡に向き直り、慎重に口紅を引いた。
「オラ持ってってやろうか?」
「いいわよ。チチさんが待ってるでしょ。早く帰りなさい」
メイクを調え鏡に1つウィンクを飛ばすと、ブルマは、行儀悪くテーブルの上に座り込んでいる悟空の隣へと歩み寄った。
「それがあいつ、今日牛魔王の父ちゃんのところに行ってていないんだ」
ブルマは呆れたように悟空を見やった。
「あんた、また何かやったわけ」
悟空は胸を張って答えた。
「オラじゃねえよ。今月金足りねえから借りに行くって」
「…チチさんも大変ね」
大食らいの亭主を持つと。ブルマは心の中で付け加えた。
「そんなわけだからさ、オラ持ってってやるよ。今日の礼だ」
「なかなかいい心がけね」
ブルマは悟空の好意に甘えることにした。


「ふあぁぁぁあぁ…あ」
1人廊下の片隅で、悟空は欠伸を連発した。
「ブルマのやつ、おっせーなあ」
悟空は恨めしそうに、ブルマの消えて行ったドアに目をやった。「関係者以外立ち入り禁止」そう掲げられたその部屋に、悟空は入れてもらえなかったのだ。
やがてガヤガヤと数人が部屋から出てくると、その末尾にブルマの姿があった。悟空は人目も憚らず大声で叫んだ。
「ブルマおめえ、おっせーぞ。すぐ終わるって言ったくせによ。オラ、もう少しで寝ちまうとこだったぞ」
「ごめんごめん。説明が長引いちゃって。お詫びとお礼にご飯おごるから」
両手を摺りあわせ陳謝のポーズを取りながらも、ブルマは的確に悟空の弱点を突いた。
「メシ!?」
効果は絶大だった。悟空は瞳を輝かせた。
「このあとヤムチャとご飯食べる約束してんのよ。今日チチさんいないんでしょ。あんたも来なさいよ」
しかし続くブルマの台詞を耳にすると、悟空はがっくりと肩を落として言った。
「オラやめとく」
「何でよ」
孫くんが食事の話を蹴るなんて、天変地異の前触れかしら。ブルマは本気でそう思った。悟空はブルマを窺い見るように顔をしかめさせ、不本意そうに答えた。
「それってデートってやつだろ?そういうのは邪魔するなってチチに言われてんだ」
あらあら、チチさんも着々と教育してるわね。ブルマは思わず微笑した。
「あんたはそんなこと気にしなくていいのよ。ヤムチャとはいつでも会えるし。あんたと外でご飯食べるほうが、ある意味貴重だわ」
ブルマの煽てるような物言いに、悟空のしかめっ面はますます酷くなった。
「…おめえら、またケンカしてるんじゃないだろうな」
巻き込まないでほしいなあ。悟空は心中1人ごちた。
「違うわよ、失礼ね。行くの、行かないの?」
「んー、じゃあ行くかなあ」
結局、悟空はエサに弱いのだった。

アフターファイブへと突入した街中は、人でごった返していた。人の頭で埋め尽くされたその光景をひと目見て、悟空はうんざりした声をあげた。
「うへえ、ここ通って行くのかあ」
「大丈夫、店は静かなところにあるわよ」
「ん〜」
額に指を当て何やら唸っていた悟空であったが、いきなりブルマの手を掴むと、腰に手を回し、その体を持ち上げようとした。ブルマはそれを察して、すばやく飛び退った。
「ちょっと、何するのよ」
「何って、飛ぶんだよ」
ブルマは悟空に再び捕まらないようリーチを保ちながら、大声で喚きたてた。
「あんたはいいかもしれないけど、あたしは嫌よ。そんなことで評判落としたくないわ」
どういう意味だよ、とは訊かないところが悟空のいいところだ。
「じゃあどうすんだよ」
「決まってるじゃない、歩くのよ」
言うが早いか、ブルマは先に立って歩き出した。渋々と、悟空がそれに続く。
「絶対飛んだほうが早えのに…」
諦めきれない様子でなおも繰り返す悟空。
田舎者。言っても堪えないだろう言葉を、ブルマは呟いた。

「…でね、ヤムチャったら酷いのよ。って、あら?孫くん?」
先ほどの言葉とは矛盾して、歩きながら恋人への不平を洩らしていたブルマだったが、悟空の返答がないことに気づき、後ろを振り返った。まるで溺れる子犬のように、人ごみに流されていく逆毛頭が見えた。
「ちょっと、何してんのよ」
悟空に声の届くところまで数歩を戻り、その服の裾を引っ張った。悟空は戦っている時の姿からは想像もつかない、情けない声を出した。
「オラこんなとこ歩けねえよ」
「何言ってんの。もう、すぐそこなんだから。しゃっきりしなさい」
「こんなとこ歩くんなら、滝の中で逆立ちしてるほうがマシだ」
常人にはとうてい想像しえないその比喩に、ブルマの思考は一瞬飛んだ。思わず悟空がそうしているところを思い描いている自分に気づき、ブルマは我に返った。
「しょうがないわね、もう」
呆れたように溜息をつき、悟空に左手を差し出した。
「ほら、掴まりなさい」
「お、サンキュ」
悟空はブルマの手をとった。ブルマはその手を固く握った。
2人は手に手をとって歩き出した。


その姿は、姉と弟のように見えただろうか。恋人同士に見えただろうか。
少なくとも、不審に思う者がいないことだけは、確かだった。
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