Made happy(前編)
レースのついたエプロンドレス。床用ワックス、バケツにモップ。
リビングの中央にそれらを揃えて、ブルマはソファに、足を組んで座っていた。
ふと、どこからか蚊の鳴くような声がした。
「お、おっす。…ブルマ」
「来たわね。孫くん」
ブルマは窓の外の人物を睨みつけた。悟空は額に汗を滲ませながら、異性の友人の顔を見つめた。
「そ、そんなコワい顔すんなよ…」
「逃げずによく来たわね。それだけは褒めてあげるわ」
悟空はブルマの鋭い眼光を避けきれずに、C.Cのリビングへと降り立った。

C.C住居部半壊。それが前回、悟空(とヤムチャ)の引き起こした事故だった。事故というのは本人たちの弁で、周りの人間は誰1人認めなかったが。
C.Cはその資金力とコネをフルに活用し、1ヶ月ほどで復建したが、ブルマの怒りが消えさったわけではなかった。ブルマは悟空に宣告した。
「いいこと、孫くん。あんたには体で払ってもらうわ」
「い、い〜っ!オ、オラだけかよ。ヤムチャは…」
ブルマの背後に燃え立つ炎に、悟空はなす術もなく、同罪の友を差し出した。
「ヤムチャは、ちゃんと自分で稼いだお金で払ってくれたわよ。孫くん、あんたにお金を払えとは言わないわ。チチさんが大変になるだけだもの」
「いいじゃねえか、あれぐらい…おめえんち金持ちなんだからよ〜…」
悟空の嘆願は、しかし逆効果だった。
「そういう問題じゃないでしょ!あんた、反省の色が見えないわよ!」
うひぃ、と叫んで悟空は首を竦めた。
「だいたい今のであんたの性根が見えたわね。あんたは体で教えなきゃダメなのよ」
ブルマは腰に当てた拳を解き、軽くウィンクしてみせた。
「そんなわけだから。しっかり働いてね」
悟空には、それが魔女の合図に見えた。

「なあ、何でこんなの着なきゃいけねえんだ?」
悟空は、ブルマに手渡されたエプロンドレスを身につけた。白いレースの衣裳の下は、もちろん彼の日常着――オレンジ色の道着である。馴染まないこと、このうえない。
「気分よ、気分。なかなかよく似合うじゃない。なんなら、ヘッドドレスもあるわよ」
ブルマは愉快そうに笑った。ブルマは今回のことに関して、本心から悟空のことを責めているわけではない。いわゆる「お灸を据える」というやつで、彼女にとっては遊びの1つであった。
「勘弁してくれよ」
「文句を言わずに、ちゃっちゃと働く!」
ブルマは、文字通り悟空の尻を叩いた。
「あんたの仕事は、C.C全部屋のワックスがけよ。今日中に終わらせてよね」
「うへえ」
目を白黒させ唸る悟空に、ブルマは飴とムチを使い分けてみせた。
「あんたならできるでしょ。ちゃんとできたらバイト料あげるわよ。チチさんにプレゼントの1つも買ってあげるのね」
喚きと悲鳴を放り出し一瞬目を瞠ると、悟空は神妙な面持ちになって言った。
「おめえ、いいやつなのかそうじゃねえのか、わかんねえな」
「何言ってんの。こんないい女そうそういないわよ!」
はは、と乾いた笑いをたてる悟空に、ブルマはモップを投げつけた。
「手順は言ったとおりよ。さっ、始め!」
まるで雄牛を嗾けるようにブルマは言い放ち、自分はソファに腰を下ろした。悟空は窓際の、先ほど自分が入ってきたあたりから、仕事にかかり始めた。
「ところでよ、何でおめえまでそれ着てんだ?」
悟空は不器用にモップを動かしながら、自分と同じエプロンを身につけているブルマを、不審の目で見つめた。
「付き合ってあげてんのよ。感謝しなさい」
「でも、オラよりきっちり着こんでねえか?靴は歩きにくそうだしよ」
「あたしは完璧主義なのよ」
なるほどな。悟空はブルマやウーロンと、初めてフライパン山に行った時のことを思い出していた。そういやあの時も、妙にきっちり着てたっけ。
「そこまでやるんなら、手伝ってくれりゃいいのによ」
ブルマの髪を飾るヘッドドレスにちらりと目をやりながら、悟空はブルマに聞こえないよう、小声で呟いた。

「腹減ったなあ…」
仕事はようやく半分終えたというところだろうか。
廊下の端で、悟空がさみしくなった腹に両手を当てたちょうどその時、キッチンからブルマの声が聞こえてきた。
「孫くーん、お茶にするわよー」
「おっ、ありがてえ」
悟空がキッチンへ飛んで行くと、テーブルにはケーキやパイ、サンドイッチなどがところ狭しと並んでいた。
「ちょうど腹減ってきたところだったんだ」
「だと思ったわ」
悟空は、彼のために用意されたナイフの入っていないホールケーキを、触れる側から口に詰め込んだ。
「うっめーなあ!今日はいつもより、ずっとうめーぞ!!」
「労働ってそういうものよ。わかったら、あんたも少しは働くのね」
ブルマはケーキのイチゴを弄びながら、飄々と言った。
「ちぇっ、まーたそれかよ」
「あんたのために言ってるのよ」
しかしブルマはそれ以上は言わず、悟空はサンドイッチへと手を伸ばした。と、ふいにその手を止めた。
「ははっ、おめえも人のこと言えねえなあ」
悟空はここぞとばかり、うれしそうな声音で言った。ブルマは不思議そうに訊き返した。
「何がよ?」
「ここんとこについてっぞ」
言うが早いか、悟空はブルマの唇の横に指を当て、そこについているクリームを拭うと、その指を自分の口に入れた。

間。

「ちょっと!何するのよ!!」
ブルマが猛然と立ち上がった。それには動じず、悟空はきょとんとした顔でブルマを見返した。
「何って、クリームとってやったんだよ」
「その後にしたことよ!!」
悟空はまったく心外だというように、口を尖らせた。
「何だよ。何で怒んだよ。…チチは怒んなかったのによ」
瞬間、ブルマは言葉を失い、悟空の顔をまじまじと見つめた。
「…あんたって、実は結構やるのね」
「へへっ、そうか?」
「見直したわ…」
呆然とした表情でブルマはそう呟くと、しかし次の瞬間には、再び敢然と悟空に立ち向かった。
「でも、あたしにやっちゃダメよ!っていうか、チチさん以外の人にやっちゃダメ!!」
「そうなんか?」
「当ったり前でしょ!!」
ブルマがさらに悟空へ教育を施そうとしたその時、静かにリビングのドアが開いた。

「おまえら…」
ヤムチャがそこに立っていた。
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