少年は大人になる(2)
一方で未だ運命に抵抗している者がいた。
「う〜む、いかん。いかんいかんいかんいかん!どうもいかん…」
ブルマがパスチケットを取りに行ってしまうと、ヤムチャは人の目を気にする余裕もなく、庭園に向かって1人ごちた。今の彼には、背中をつつく子どもも、遠巻きに眺める何かの着ぐるみも、どうでもよかった。
「どうも変だ…」
ヤムチャは、ブルマの声を聞くたび、振り向かれるたび、その手に触れられるたび、その一挙手一投足に、千々に乱れる自分の心を自覚しつつあった。だが、手放しでそれに身を委ねる気にはなれなかった。彼は、なぜとはなしに不安になる自分の気持ちに抵抗していた。
ヤムチャはそういう感情に慣れていなかったのだ。

チケットをポケットに押し込んで、ブルマが戻ってきた。
「ソフトクリーム、食べる?」
純白と桃色のそれらが、手に握られていた。
「どっちがいい?」
軽く掲げて訊ねる。だが、ヤムチャに返事を差し挟む間を与えず、ブルマは付け足した。
「と訊くべきところだけど、ヤムチャはこっち」
ブルマはバニラのソフトクリームを彼に差し出した。
「あたし、イチゴが好きなの。どんな時でもこれだけは譲れないのよね。非論理的だとは思うんだけど」

なんてことない会話なのにな。
ブルマと2人、噴水前のベンチに腰掛けながら、ヤムチャは心中一人ごちた。
この子といると楽しい。浮き立った気持ちになることは確かだ。それは認めないわけにいかない。
彼は自分の心を理解しようと努めた。
そしてふいに彼は、自分が重大なことを見落としていたことに気がついたのだ。

無邪気にイチゴの味を楽しむブルマを横目に、ヤムチャは動きを止めた。
そして今日初めて、彼の方から会話を仕掛けた。
「あ、あの…」
「ん?」
「聞いてもいいかな…」
ヤムチャのおずおずとした態度に心を擽られながらも、ブルマは彼が彼にとって大切なことを切り出そうとしているのを感じ取り、黙って次の言葉を待った。
「そのブ、ブルマさんは…本当に俺のことす、す、す…」
彼の言葉は、だが意思の力に反した。
「好きなのかって?」
なかなか言葉の出てこないヤムチャに代わり、ブルマが後を引き取った。
「…い、いや!えーと…………うん…」
彼は勇気を振り絞って頷いた。彼女の美味から口を離して、ブルマは答えた。
「さぁねえ。どうなのかしらね」
「え!?」
明後日の方角を見るような、そのブルマの瞳に宿る表情は、まったく彼の想像するところではなかった。
「ヤムチャはどう?あたしのこと好き?」
そして、常人ならまず予想するであろうこの反撃に、ヤムチャは完全に息を呑んだ。
「そ、そ、それは…」
彼にはわからなかった。
「答えられないの?」
焦点の定まらぬ目でブルマの口元を凝視するヤムチャに、ブルマはさらにたたみかけた。
「あたしのこと嫌いなのね?」
言いながら俯き、目を伏せる。
「そっ、そんな、そんなことは…」
先ほどまでの陽気とはうって変わったブルマの様子に、ヤムチャは心揺さぶられ、消極的に、だが確かに心の一端が顔を覗かせかけた。
その時、ブルマの肩が震えた。
「…っ、くっ、くくく…」
「あっははは!」
ブルマは顔を上げた。すっかり泣き顔への構えをとっていた少年は、その笑顔に完全に虚を突かれた。
「ブ、ブルマさん?」
「ごめんごめん」
絶えまぬ笑いの波に体を預けながら、ブルマはヤムチャの胸を小突いた。それは恋人というより友人のする仕草だった。ブルマもまだヤムチャに完全に心を許しているわけではないのだ。
「ヤムチャがあんまりかわいいから、ちょっといじめたくなっちゃった」
「か、かわ…」
「ふふ」
微笑をたたえて立ち上がると、ブルマは呆然と彼女を見つめるヤムチャの手を取った。
「さ、もういこ。次はコースター3連発よ!」
何事もなかったかのように歩き出すその後姿に、ヤムチャははぐらかされたという事実を危うく忘れるところだった。彼女の注意を再び喚起するべく、彼はおずおずと声をかけた。
「あの…」
「ああ、さっきの話?」
ブルマはヤムチャの表情に未練らしきものを見て取ると、口元に小さな笑みを浮かべて言った。
「大丈夫よ、嫌いじゃないから」
彼女の心のドアは、ともかくも開けられてはいたのである。

「ほら、今てっぺんよ」
ふりそそぐ夕陽の中、2人は地表を離れて空にいた。遊園地は観覧車で締めくくる、というのがブルマの流儀らしい。
「まだ気にしてるの?」
ヤムチャを正面に見据え、ブルマは小首をかしげた。
「べ、別にそういうわけじゃ…」
ヤムチャは躊躇いがちに視線を返した。
「目逸らさなくなったわね」
「……」
「ふふ」
ブルマの横顔が暮れ行く太陽の光に縁取られる。
今度はヤムチャはしっかりとそれを見た。もはや彼女を視界から外せそうにはなかった。
自分達は打算的なカップルだと思ったこともある。だが今は…
(俺、この子のこと…好きかも…)
彼の体の中心で早鐘が鳴っていた。

「あそこにC.Cが見えるわ。こうして見るとうちも小さなものね」
身を乗り出し外を見るブルマは、いつのまにかヤムチャの横にいた。揺れる髪がヤムチャの肩に落ちかかる。
「今日、楽しかった?」
仰ぎ見るように覗き込み、瞳にヤムチャを映す。
「ああ」
「そう、よかった」
ブルマはヤムチャの隣に滑り込んだ。触れた肩を離すことを彼は必死で耐えた。
「たまには2人っきりってのもいいもんでしょ?」
ブルマはいたずらっぽく笑うと、軽く伸びをした。
ヤムチャの瞳が和らいだ。

ブルマにはわかった。ヤムチャが一歩を踏み込んだのが。彼女の心のドアに手をかけたのが。彼の瞳に浮かぶ率直さが眩しくもあった。ブルマは瞳を閉じた。
(この雰囲気は…)
ヤムチャは空気を読んだ。認めてしまえば、あとには恋愛に強い憧れを持つ少年の姿があるのみだ。
彼女に触れたい。彼はそう思った。

その時だ。ヤムチャの手がブルマのチューブトップに引っ掛かかったのは。
思わず腕を引いた。隙間から、他の部分よりひと際白い肌がこぼれ落ちた。
「バッ…」
ブルマの瞳が憤怒に滾るのを彼は見た。
「バカッ!!」
地に降りんとする観覧車の中に、鋭い平手の音が響いた――


ウーロンとプーアルは思わず道をあけた。
C.Cに帰ってきたブルマの足取りが、あまりに荒々しかったからだ。
ヤムチャをあんなに心配していたはずのプーアルも、迫力のあまり口も利けない。
ただ1人常に笑顔を絶やさない女主人が、荒れ狂う娘に平然と質問をぶつけた。
「あらブルマさん、ヤムチャちゃんは?一緒じゃないの〜?」
答える声が、2匹をさらに震え上がらせた。
「知らないわよ!あんなやつ!!」
ひりつく右手を擦りながら自室へと歩き去るブルマを、ウーロンとプーアルはただ無言で見送った。

「あ、あれ?たしかここを右だと思ったのに…」
その頃、1人置き去りにされたヤムチャは、C.Cを探し彷徨っていた。
通行人の視線が頬についた手形の痛みをさらに強くした。


〜後日談〜
カチャンと僅かに音を立てて、俯く男の目の前で、カップがソーサーに戻された。
女の開かれた瞳は冷たく、未だ氷のなごりがあった。
「反省した?」
「…はい…」
「もうあんなことしない?」
「はい……」
ひたすらにうな垂れるヤムチャの頭に、ブルマは大きな吐息を落とした。
「しょうがない、今回は許してやるか」
未だ姿勢はそのままに、薄目で彼女を見やるヤムチャに向かって、ブルマはこともなげに言った。
「ところでこれから買い物に行こうと思うんだけど、荷物持ちしてくれるかしら?」
「はい!よろこんで!」
ヤムチャは声の限りに追従した。

「…もう尻にしかれてる…」
「ヤムチャ様…」
ウーロンとプーアルが、物陰から哀れむような目つきでヤムチャを見ていた。
inserted by FC2 system