少年は大人になる
その朝、従順な供の柔弱な主は姿を消していた。
「ヤムチャ様?おかしいなあ。ヤムチャ様、どこにいるんですか?」
いつまでも主を探すかつての園友に、始めこそ興味なさ気な視線を送っていたウーロンだったが、そのしつこさに絶えかね、やがて告げた。
「ヤムチャなら、朝早くブルマにひっぱられてどっか行ったぞ」
ポットを抱え朝食のテーブルへとやってきた女性が、いつもどおりの陽気な声を添えた。
「まっ、おデートね」
「もう勝手にやってくれって感じだな」
「ママもヤムチャちゃんとデートしたいわあ」
陽気な母親と陰気なブタの噛み合わない会話の中で、1人プーアルだけがヤムチャの身を案じていた。彼と彼の主にしか知りえない理由によって。
「ヤムチャ様…大丈夫かなぁ…」

それはヤムチャがC.Cに来てより1週間、未だブルマに対し敬称の抜けきらぬ頃のことであった。

「遊園地、来たことある?」
ブルマは自然な笑みを浮かべながら、傍らを歩く男に横目で視線を投げかけた。
「いや、はじめて」
ヤムチャは事務的に答えた。ブルマはそんな彼の態度に気分を害することもなく、先を続けた。
「だと思った。ずっとあの荒野にいたの?」
「ああ」

デートと呼ぶには固すぎる雰囲気。だがとにもかくにも、ブルマはヤムチャを単身外へと連れ出した。
いつまでもブルマ「さん」などと呼ばれていてはたまらない。おまけにいっつもあのプーアルが一緒だし。
思春期の少女としては最もな不満である。彼女は、この不思議な巡り合わせの少年に、心を開く気になっていた。
だから彼を誘い出した。思春期の少女としては最もありふれたデートコース――遊園地、に。
(場所なんてどうでもいいのよ。とにかく2人っきりになることよね)
自分の俗っぽさを隠すように、ブルマは心の中で呟いた。

ヤムチャはあまり喋らなかった。喋っている時もその目はブルマをまっすぐには捕らえず、どことなく下を向いていた。
(女を知らないといっても、孫くんとは全然タイプが違うわね)
どうやら少年は女性に免疫がないらしい。それくらいのことは見抜いていた。彼と彼の僕は隠しているつもりのようだが、ヤムチャの態度はブルマには一目瞭然だった。
しかし悪い気はしなかった。この男の中に女は自分しかいないのだと思うと、こそばゆくさえある。
これからどんな風に変えてやろうかなどと考えることも、彼女には楽しかった。

「ん、じゃあとりあえず定番どころでコーヒーカップからかな」
ヤムチャの素っ気なさには構わず、ブルマはマイペースに事を進めた。
少年が自分を嫌っているという可能性は考えない。というより、自分が他人に嫌われるということなど思いもしない性格なのだ。

ヤムチャの手を引いて、桃色のコーヒーカップに席を取る。少年はやや間隔を置いて彼女の右隣に座った。
「このね、ハンドルを回すのよ」
ブルマはヤムチャの手を掴むと、正面のハンドルの上に乗せた。
「こんな風にね」
横に沿えたブルマの指が触れる。ヤムチャははっと手を引いた。頬にさした赤みが耳まで広がっていく。
(か〜わいい)
ブルマは再び同じ動作をすると、今度は自分の手をその上に乗せた。
ハンドルに合わせてカップがくるくる回る。周囲に配置されたライトが、色とりどりの風船が、空が流れ、単調な万華鏡となる。
「ね?簡単でしょ」
「あ…ああ…」
ヤムチャの目が周囲を排して、ある1点だけを見つめているのを認めて、ブルマはくすりと笑った。

ブルマは間を置かず、どんどん彼を先導した。遊び好きな彼女の性格もそれに一役買っていた。ゴーカート、フライングカーペット、バイキング。メリーゴーラウンド…は避けた。さすがに照れくさい。
「さて、そろそろ本番行くわよ〜。きっとコースターは大丈夫よね」
自分の腕にブルマのそれが絡まると、ヤムチャは一瞬身を固くした。ブルマはそんなことにはまるで気づかないかのように、グイグイと彼を引っ張っていく。
(積極的だなぁ…)
(この子本当に俺のこと好きなのかな)
ヤムチャの目が少しづつ自分に向かって泳いできていることに、ブルマは気づいていた。本当は腕を組んだ時の彼のたじろぎにも気づいていたが、故意に無視していたのだった。
彼女の心は、今や悦喜に満ちていた。彼女としては珍しいことに、他人に感謝さえしていた。
(うふふ。何かすっごくいいもの拾っちゃった気分。これだけはウーロンの願いに感謝かな)
用意された恋人ではこうはいかなかった。きっと。この「初物を独り占め」するような気分は…
もともとブルマはヤムチャに対し、特別な感情を持っていたわけではない。成り行き上のことと言えばそれまでだった。
しかし今ではそれだけではなかった。一種母性本能的ともいえる好意が、彼に対し芽生えていた。そしてそれが恋愛感情に昇華するのは時間の問題であるように、彼女自身にも思われた。
(こういう出会いもあるのね)
運命を信じる気に、ブルマはなっていた。
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