彼女の恋人(3)
何となく去る機会を失って、ブルマとヤムチャはC.Cの居住区へと足を踏み入れた。
「はい、こちらへどうぞ!」
小さな主人に案内されて、2人は勝手知ったる自分の家のリビングに、客人として腰を下ろした。慣れた動作で向かい合わせに座りながら、ヤムチャは部屋をぐるりと見回した。
「あんまり変わってないなあ」
「それもどうかと思うけどね」
つまらなそうにブルマは呟き、テーブル上のペーパーウェイトを指で弾いた。
「今お茶淹れるね。待っててね!」
快活にそう言って、少女が2人の客人を見上げた。少女の笑顔に引き込まれて、ヤムチャは思わず微笑んだ。
「いらないよ、パパもママもいないんじゃ大変だろ?」
「ダメ!お客様にはお茶を淹れるものよ。ママがいつもそうしてるもん、あたしもそうするの!」
言うが早いか、少女はすでに駆け出している。その後姿を見送りながら、ヤムチャは夢見るような瞳で呟いた。
「おまえ、かわいかったんだなぁ…」
片鱗はあるけどな。その言葉は飲み込んだ。しかし、それでもまだ甘かった。
「『かった』って何よ!?」
鋭く咎めるブルマの声に、ヤムチャは慌ててフォローを入れた。
「あ、いやいや、もちろん今だってかわいいよ。昔からかわいかったんだなって意味だよ、うん」
彼はこういう口だけは達者になりつつあった。
その瞳から逃げるように、ブルマから顔を背けていたヤムチャであったが、それ以上追撃がないとわかると、ふと神妙な顔つきになって言った。
「なあ、どうする?これから」
「そうねえ」
ブルマは一方の手で頬杖をつき、他方の手で額を押さえた。それは彼女が思考をめぐらす時の仕種だった。
「素直に、時間を逆行したと考えていいのかしら」
「そうとしか考えられないだろ。あれはどう見たっておまえだ」
「あんたは単純でいいわね」
ブルマは多世界解釈や平行世界(パラレルワールド)の可能性を考えていたのだ。
そのことを説明しようとして、ブルマは口をつぐんだ。廊下から、小走りの足音が聞こえてきた。
「はい、お茶だよ!もう少しでクッキーも焼けるからね」
朗らかな声でそう言うと、ガチャガチャと大きな音を立てて、少女は持ってきたトレイをテーブルに乗せた。そして2人の前にカップを置くと、危なげな手つきでお茶を注ぎ始めた。お茶がポットから勢いよく噴きだして、思わずヤムチャがそれに手を添えると、少女は眉間に皺を寄せて声高に叫んだ。
「ダメ!あたしがやるの!」
ブルマは笑った。今日初めて見せる、険のない笑顔だった。
「放っておきなさい。やりたいのよ」
小声でそう言うブルマの顔を、ヤムチャは意外そうに見つめた。
ブルマはゆっくりとお茶を啜った。2つ3つ砂糖を落とすと、ヤムチャもそれに倣った。
「おいしい?」
少女が期待に満ちた表情で訊ねる。ブルマは答えた。それは常になく優しい声音だった。
「とってもおいしいわ。お茶淹れるの上手ね」
「ヤムもおいしい?」
「うん、おいしいよ」
少女に笑顔を投げかけながらも、ヤムチャの瞳はブルマだけを映していた。
(珍しいこともあるもんだ)
ヤムチャは1人ごちた。ブルマが子どもにこれほど優しく接するのを、彼は見たことがなかった。自分に優しいと言ってしまえばそれまでだが、その表情は彼にとって新鮮だった。
「ねえ、2人はこれからどうするの?」
少女が尋ねた。自分たちの置かれた状況の異常さを思い出し、それに気を取られたヤムチャは、少女の口調の微妙さに気づかなかった。
「そうだなあ、どうするかなあ」
「よかったらここにいなよ」
とはいえ、さすがにこの言葉には頷かなかった。それをしたのはブルマであった。
「いいわよ。パパとママが帰ってくるまでならね」
「やった!」
「おい、ちょっとブルマ…」
その時、キッチンでタイマーが鳴った。
「クッキーだ!」
少女は再び駆け出していった。
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