Trouble mystery tour Epi.2 (3) byB
部屋へ戻るとヤムチャが盛大に鼻をかみ出したので、あたしはそれを横目にベッドルームへ行きドレスを取り出した。
レストランへ行くため。そしてその後カジノへ行くため。この船のドレスコードはほとんどが正装か準正装。いかにもって感じよね。ここは本当にイメージ通りの世界だわ。
『カジノ風ドレス』と銘打った黒に白のきいたロングドレスを身に着けてリビングへ行くと、未だスラックスをしか着ていないヤムチャが呆れ笑顔で呟いた。
「またそんな格好して…」
「いちいちうるさいわよ、あんた」
これはれっきとした『カジノ風ドレス』なんだから。かといって、胸と太腿を露出したボンドガールみたいなのじゃないわよ。胸元はストレートラインだし、スリットだって入ってないわ。裾はふんわりした数段フリルで、胸元にも縦の数段フリル。どこからどう見たってかわいらしい一着よ。一体何が不満なのよ。
「さっきから文句ばっかり言って。女がドレス着たら褒めるもんでしょ!」
あたしはまたヤムチャを言い負かした。リフレッシュしたばかりのせいか、そんなにイライラはしなかった。でも、不満は育った。
ショップでは褒めるくせに実地では褒めないなんて、そんなの店員と同じじゃない。そんなおべっか使わなくていいわよ。っていうか、こいつどうして今日に限ってこう突っかかってくるのかしら。いつもは褒めないにしたって文句なんか言わないのに。…やっぱり関心ないわけじゃないわよね。関心なかったら文句なんか言わないものね。
もう、我儘なんだから。
さっきとは似て非なる結論を、あたしは叩き出した。たぶん当たってると思うわ。ヤムチャって流されやすいから。開放的な雰囲気の中で開放的な気分になってるのよ、きっと。実際、いつもよりちょっと強引になってるし。本当はそれでいいんだけどね。いかんせん方向性がねー…
溜息と共にペリエを飲んでいると、部屋のチャイムが鳴った。黙々とシャツのボタンを留めているヤムチャを尻目に、ドアコンソールのモニターを起動した。
「お取り込み中失礼します。ヤムチャ様はいらっしゃいますか」
…様?
あたしが呆気に取られたのは、ドアの向こうにいる人間がスタッフのユニフォームを着ていなかったからだ。わりと小奇麗な格好ではあるけれど、どう見ても年齢で不採用になりそうな細っこい男の子…
「…なんか子どもがあんたのこと様づけしてるけど」
「子ども?」
「プーアルが変身してあんたを追いかけてきたんじゃないの?」
もちろん冗談なんだけど、ありえないと言い切れないところが嫌よね。ヤムチャに様づけするなんて、プーアル以外にいないもの。あの子はお土産を返上してヤムチャの無事を祈るようなヤムチャバカなんだから。
「まさか」
全然そうは思っていなさそうな笑顔でヤムチャは言い、あたしの隣へとやってきた。無造作にシャツを羽織りながら。
「あー、さっきの…」
「誰?」
「さっき海に落ちた子だよ」
言うなりヤムチャはさっさとドアを開けてしまった。すぐに男の子がエントランスへと入ってきた。あたしはちょっぴり呆れながら、二人のやり取りを見ていた。
「やあ。もう動いていいのかい?」
「ヤムチャ様、先ほどはありがとうございました。ぼく本当に全然泳げないものですから、ヤムチャ様が助けてくださらなかったら、きっとあのまま死んじゃってたと思います。本当にありがとうございました」
なるほど、お礼を言いに来たってわけね。それはいいけど、どうして部屋へ来るのよ。ヤムチャもあんまり他人にほいほい部屋を教えないでほしいわね。こいつのプライヴェート感覚は一体どうなってるのかしら。
「ヤムチャ様はぼくの命の恩人です。ヤムチャ様にはどんなに感謝してもしきれません」
男の子はとうとうと喋り続けた。それに対し、ヤムチャはただ一言こう言った。
「様はやめてくれ、様は」
「それであの、ぼくヤムチャ様に何かお礼がしたいんです。もしよろしければ、興味がおありでしたらですけど、こちら何かいかがかと思いまして」
ここでようやく男の子は口を閉じた。そしてそれまで後ろに置いていた、あたしがちょっと気にしていた黒い大きなパイロットケースを開けた。中から取り出されたものを見て、あたしは思わず声を上げた。
「わ〜、ステキ」
しっとりとした乳白色。きめ細かな肌合い。繊細な深彫り。それはかなり良質な象牙で作られた細工物だった。ブローチ、ネックレス、タイピン。カフスセットまでが床に並べられたところで、あたしの関心は疑惑に変わった。…どうしてこんな子どもがこんな高価な物を持ってるのかしら。それにこのパイロットケース…
「仕事先で扱ってるものなんですけど。アンティークの象牙細工です。どれも希少価値の高いものばかりです。どれでもお好きなものをどうぞ。仕入れ値の5掛けでお譲りします」
「ちょっと待ってよ。タダでくれるんじゃないの?」
「ごめんなさい。それだとぼくも生活できないものですから。これが精一杯なんです」
何それ。
命を助けられたんだから、生活くらい捨てなさいよ。現金な子どもね。
あたしの疑惑は当然不信へと帰着した。ヤムチャはというと一見悠々としゃがみ込んで、のんびりと象牙細工を物色し始めた。
「そうだなあ。装飾品じゃなくて、日用品がいいな」
「じゃあこちらはいかがですか。ツールナイフ、シガレットパイプにピルケース…」
「ナイフは不要だな。うん、じゃあピルケースと…」
まったく、呆れるわね。助けた相手に物売りつけられてどうすんのよ。っていうか、それのどこが日用品なわけ。ピルケースなんて、ヤムチャに一番必要ないものじゃない。
「それと、パイプ」
「何あんた、煙管吸うことにしたの?」
「いや、これは武天老師様に」
…本当に、呆れるわね。
きっとこういう人間が芋づる式に売りつけられていくのね。もしも全員分のお土産買おうとしたら、さすがに止めなきゃね…
そんなことを思いながら、あたしはヤムチャと男の子の商談を見届けた。そう、見ているだけに留まった。ヤムチャが二つ分の代金を支払うと、男の子は笑って感謝の気持ちを営業トークに乗せた。
「気に入っていただけてよかった。ぼくロイヤル・プロムナードで商品配達やってるんです。もしまた何かご入り用でしたら声をかけてください。本当にありがとうございました」
その笑顔がなかなかかわいかったので、あたしはこの小さな訪問者を許してあげることにした。押し売るってほどじゃなかったし。それに、確かに安かった。買わなきゃいけない時点でちょっと(いえかなり)おかしな話だとは思うけど。まあ、土産話にはなるんじゃない。
「じゃあ、失礼します」
小さな笑みと共に深い礼を施して、男の子は部屋を出て行った。うーん、これはお金持ちのおばさま方にかわいがられるタイプね。うっかりそんなことまで考えていると、ヤムチャが唐突に手首を翻した。
「ほら、やるよ」
「えっ、あたし?」
たった今受け取ったばかりのピルケースを持った手を。そして、さっきあたしが思ったことを、無造作に口にした。
「そりゃそうだろ。こんなもの俺は使わんぞ」
「わー、ありがとう」
あたしはすっかり感心して、ピルケースを受け取った。そんな素振り、全然なかった。ごくごく普通に、ノリで買っているように見えたわ。
「うん、ステキ。それに状態もすっごくいいわ」
綿密な猟犬の象牙細工の、なかなかにユニークなピルケース。半値とはいえ、それなりの値段。今日が何かの記念日とか、そういうことではまったくない。物欲しそうな目もしてなかった(と思う)。
つまるところ、あたしは感心を超えて感激しかけていた。ヤムチャがそんな態度を取らなければ、きっと本当に感激していたと思う。
「さてと、さっさと着替えちまわないとな」
まったく何事もなかったかのようにそう言って、リビングへ戻ってしまわなければ。まったく何をも思っていないような手つきでペリエを飲んで、その後タイをつけ始めなければ。
一見、スマートよね。自然よね。そういう恩着せがましくないところは、すごくいいところだと思う。
…でも、それでちょっと損してるわ。


派手派手しい照明に彩られた高い天井。敷き詰められた赤い絨毯。緑の円卓に、格子柄のゲームチェア。
さほど混雑してはいない夕方のカジノで、あたしたちは手始めにビリヤードをやった。でも約一名、手始めとは思えないくらい素でかっ飛ばしてるやつがいた。スピンも何もかけずに、淡々とゲームをかっさらっていくやつが。
「何あんた、上手過ぎ!」
「弾の軌道を読むことならな」
あたしは褒めたわけじゃなかった。ヤムチャの言葉もまた、褒められたものじゃなかった。
だって、技もポジショニング・プレーも何もないのよ!そりゃあたしだってそんなのたいしてできないけど、ヤムチャはやらなさ過ぎよ。っていうか、『球』のニュアンスが何か違うのよね。どうも『弾』って聞こえるような気がするんだけど。気のせいかしら。
「力まかせじゃなくて、もっと頭を使いなさいよ。ビリヤードってそういうものじゃないでしょ!」
「はいはい、わかったよ」
頭を使うというハンデを科してようやく五分五分に持ち込んだ5ゲーム目の終り頃。まさに最後の一撞きを決めようとした時だった。
「ブルマさーん!調子はどうですかぁ!?」
「あーーーっ!」
唐突に左右から同時に飛んできた黄色い声に、あたしは大声で反応した。その声に押されて撞いたキューが、球をあらぬ方向へ押しやったからだ。
「あー…今のはなし、うん、なしでいこう」
ヤムチャはそう言ってくれたけど、それで気分が戻るはずもなかった。今すっごくいいところだったのに!もう一度撞き直しなんて、冗談じゃないわ。ビリヤードはそういうものじゃないんだっつーの!
「あんたたち、カジノ行くって、ちゃんと親に言ってあるの?」
あたしはめいっぱい保護者気分を発揮して、今では気分どころか現実をも邪魔し始めている双子にそう訊ねた。
「はい!賭けにお金使わなきゃいいって言ってました!」
「だから見学でーす!それからビリヤードやろっかなって!初めてなんですぅ」
ああ、そう…
完全にダメ親ね。擦らなきゃいいってわけ。懐だけじゃなくて、体面も守ってくれないものかしら。こういうマナー違反の子どもを野放しにしないでほしいわ。
そんなわけで、あたしはキューを置いた。片付ける必要は感じなかった。
「あれ、やめるのか」
「ルーレットやってくるわ。あんた、その子たちにビリヤードのマナー教えてやんなさい」
『ルール』ではなく『マナー』。あたしははっきりとそう言ってやった。見学ったって、もうすでに乱入しているも同然なんだから。かといって、それをどうにかしてやるような義理はあたしにはないわよ。
「ええ?ちょっと待てよ。だいたい3人じゃゲームができない――」
わりあいあからさまに、ヤムチャは不満の色を見せた。聞いたところいかにもな理由をつけてもきた。でもそれは、すぐに双子の声に掻き消された。
「3人だとダメなんですかぁ?」
「絶対ダメってことはないけど。普通は2人でやるものなんだよ」
「そうなんですかぁ。じゃあ、あたしたち代わりばんこにやりまーす!」
ここであたしは背を向けた。もう場が流れ出していることはわかりきっていた。ルーレットの方へ足を向けると、すぐにその会話が聞こえてきた。
「それは今だけにしておいてね。普通はダメだからね。あと、プレイ中に声をかけるのもダメだよ」
「はぁーい!」
「わっかりましたぁ!」
まるで幼稚園ね。あたしが振ったこととはいえ、ヤムチャもよくやるわ。
そう思いながら、あたしは歩き続けた。あたしは怒っていたわけではなかった。
ただ、呆れただけよ。

ルーレットはカジノの華。でもそれは、必ずしもやってる人間がいい気分になれるからじゃない。このカジノのディーラーはロボットだから、勝負は単純に確率の問題。赤か黒かの確率は半分というのがルーレットの金言だけど、現実にはなかなかね。実際、過去には51回連続で黒、38回連続で赤という記録もある。
今日これまでに出た数字の履歴をチェックし、時折『見』を挟みながら、どうにかチップの数を元に戻したところで、双子がやってきた。
「ブルマさーん。調子はどうですかぁ?」
何よちょっと。もうビリヤードに飽きちゃったわけ。それともヤムチャに飽きたのかしら。…どっちでもいいけど。
「わぁ、映画とおんなじ〜!」
「ベルが鳴ったら、こう、チップを押すんだよね!」
「ちょっとちょっと、勝手に賭けないでよ!」
ものの1分もしないうちに、あたしは頭が痛くなってきた。何も知らないなら顔出すなってさっきは思ったものだけど、あれは間違いだったわ。…知ってても顔出さないでほしい。
そんなわけで、あたしは席を立った。チップを片付ける必要は感じなかった。
「あたし何か飲んでくるから、代わりにやってていいわよ」
「えー!本当ですかぁ!」
「やったー!ありがとうございまーす!」
はぁー。
こんな何も知らないような子たち、よく子どもだけで旅行に行かせるわね。ずっとそう思っていたけど、今考えが変わったわ。親の気持ちがわかったわ。こんなのに付き合ってられないわよね…
溜息をつきながら、少し前に歩いたところを歩いた。双子に使った口実を実行するつもりはなかった。
お酒はパスよ。さっきレストランでそこそこ飲んだし。もう二日酔いはごめんだわ。昨日は陸にいたから何とかなったけど、今は海の上なんだから。おまけにスィートは高層階で、結構揺れるんだから…
だから少し手持無沙汰に、ヤムチャの姿を探した。ヤムチャはさっきと同じビリヤード台にいた。ゲームをしてはいなかったけど、違う意味で手が塞がっているようだった。手には2本のキュー(ちゃんと自分たちで片付けさせなさいよ)、そしてその隣には、今では顔だけは知っている年配の同行者が2人いた。
「…わしグリーンシーニでそういうところへ行ってみたいと思ってるんだけど、ボディガード代わりについてきてくれないかね?あ、妻には内緒じゃぞ」
「ははは。そうですねえ。入口までならね」
聞こえてきたのはそれだけだったけど、あたしの足を速めさせるには十分だった。
「ちょっと!何、ノリで引き受けようとしてんのよ!」
すぐにヤムチャをその2人から引き剥がしたけど、時すでに遅かった。ヤムチャはもうかなりその気になってしまっていた。
「ボディガードならいいじゃないか。俺は何もしないんだし。ちょっとした小遣い稼ぎになるだろ?」
「あんたはそんなことしなくていいの!だいいちあんたは旅行中でしょ!」
あんなじいさんのボディガードしてる暇があったら、あたしの傍にいなさいよ。っていうか、そういうところって何よ、そういうところって!妻に言いつけるわよ!
その時、ちょうどあたしたちの横を、その妻たちが通りかかった。でも、あたしは言いつけなかった。それより先に、相手がこう言ったからだ。
「まあまあ、若い方は元気でいいわねえ」
「でも、こんなところで喧嘩してちゃダメよ〜」
…何それ。
喧嘩じゃないでしょ、喧嘩じゃ。第一、どうして旅行先でまでそんなこと言われなくちゃならないのよ。
思わず口を噤んでいると、遠く背後でけたたましい歓声が湧き上がった。
「きゃー!!やったぁー!!!」
もうすっかり聞き飽きた双子の声。振り返る間もなく、その片割れがやってきた。
「ブルマさん、ブルマさーん。当たっちゃいましたぁ。赤の2!あたしたち今赤いドレスだからー。チップめっちゃ多くなっちゃったんだけど、どうしますか?」
「えっ、マジ!?一目賭け!?」
「いちもく?それって何ですか?」
「一つだけに賭けることよ!」
「あっ、そうでーす」
「すぐ行くから!ベットしないで待ってなさい!」
「はぁーい」
「ヤムチャ!何でもかんでも人の話に乗るんじゃないわよ。わかった!?」
絶対監視の必要な押しの強い子どもが二人。絶対監視の必要な押しに弱い男が一人。そして降って湧いたチップ36倍。
こうして大変忙しく、カジノの夜は更けていった。
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