Trouble mystery tour Epi.2 (6) byB
行きにはヤムチャとリムジンバスで辿った道を、あたしは一人リムジンタクシーで戻った。
港へ着くと、ちょうどリムジンバスから人が吐き出されたところだった。見知った顔のない人波の後ろを、船へと向かって歩いた。タラップを上がり切ろうとした直前、デッキから声をかけられた。
「おかえり」
…そんなところにいたの。
完全に逆光だったけど、わからないわけはなかった。デッキの手摺りに片腕を預けているヤムチャの手にはもうさっきの花はなく、そればかりかかなり手持無沙汰なように見えた。そのこともあって、あたしはこう返してやった。
「べー」
なーにが『おかえり』よ。これみよがしにさ。…ま、ちゃんと帰ってきてたことは褒めてあげるわ。あと、そこであたしを待っていたらしいことも。これで部屋でふんぞり返ってたりしたら、絶対に許さなかったわ。
今ではなくなりかけている人波の後を、船室へと向かって歩いた。当然のようにヤムチャは後をついてきた。そして当然のようにまた声をかけてきた。
「なあ、ブルマ」
「何よ!?」
だからあたしは、わざわざ自分からそう訊いてやった。途端にヤムチャが黙り込んだ。
そうだろうと思ったわ。どうせ声かけてみてるだけなんだから。いつもそうなんだから。何もわかってないくせして、声だけかけてくるんだから。
あたしはそのまま部屋へと向かった。ヤムチャもそのまま後をついてきた。今ではもう何も言わずに、ただ黙ってあたしの数歩後ろを歩いていた。はっきり言って、うっとおしいことこの上ない。でも、それをどうにかしようという気は、あたしにはなかった。っていうか、できなかった。だって、部屋一緒だから。
だけど、部屋に入ってからのことともなれば、話は別だった。
「夜ごはんは別々よ。レストランに行きたいなら、今日は7時半からだからね。当然あたしは行かないけど!」
そう、船って夜はレストランでの食事の時間、部屋ごとに決められてるのよね。面倒くさいったらありゃしない。なんだって喧嘩相手にこんなこと教えてあげなきゃならないのよ。
ヤムチャにというよりは船の仕様にイラつきながらベッドルームのドアを潜り、まずはブーツを脱ぎ捨てた。次にクロゼットから適当にドレスを一枚引っ張り出した。夕食はバイキングカフェで済ませるわ。だけどそれでもそれなりの格好をしなくちゃいけない。ここにはドレスコードがあるから。夜は正装か準正装。ドレス着てごはん食べに行って部屋に戻って平服に着替えてそしたら今度は展望浴場(こんな時に部屋のバスルームなんか使わないわよ)…………あああ、面倒くさい。旅行って面倒くさい――
…違った。
うっかり思ってしまったそのことを、あたしは慌てて打ち消した。そうじゃないわよ。面倒くさいのは旅行じゃなくてヤムチャよ。悪いのはこの船じゃなくて、ヤムチャ!
「よし!」
その呪文は思いのほか効いた。だって事実だもんね。あたしは一つ大きく伸びをして、自分の中で折り合いをつけた。
この際、一人を楽しむわよ。


そんなわけで、一度はクロゼットから引っ張り出したドレスを、あたしは再びしまい込んだ。そしてトランクからドレスの入ったカプセルを取り出した。一度も着てないドレス、まだあるのよ。女優が着てるの見て買ってそれきりにしちゃったゴージャスなやつ。そうよ、こういう時こそお洒落しなくっちゃね。文句言うやつもいないことだし!
大きなオレンジストーンバックルがウェストに付いた、真っ赤なドレス。胸元とスカートがセパレートになってて、バックルで繋いでるの。形は大人っぽいけど前の裾がミニ丈でそんなに重々しくないから、ラフに着こなしても平気よ。このラフでありながら着飾ったところが、『一人でも楽しめる大人の女』って感じするじゃない。
その今夜のコンセプトを、あたしはベッドルームから一歩を出た瞬間から実行した。エントランスへと続くリビングではヤムチャが出かけるらしい用意をしていて、その悠長な態度には正直腹が立ったけど、あたしは何も言わなかった。舌を出すこともしなかった。
もうそんなことしないわ。あたしは大人だから。大人ないい女だからね。
カフェへ行きがてら、昨日は目にしなかったプロムナードを歩いた。4階分をぶち抜いたロイヤル・プロムナード。青いしずくが垂れるイルミネーション。虹色にライトアップされた階段。カフェバーの前に止められたカラフルなクラシックカー。そして、その華やかなプロムナードと、そこを行き交う人々をガラス越しに眺めながらカフェで食事。
バイキングカフェのメニューは美味しかった。パンに塗りつけて食べるチキンレバーのパテ。目の前でカービングされるローストビーフ。付け合わせのヨークシャープディングはたっぷり。デザートのフルーツは盛り放題。レストランに行かなくても充分ね。気楽なぶん、こっちの方が上かもしれないわ。ここではワインを自分で注いでも、おかしくも何ともないし。
食後の飲み物はエスプレッソ。なんとなくそう決めてなんとなくそれに口をつけた瞬間、あたしはちょっぴり後悔した。
…そういう気分じゃなかったはずなのに。
ストロベリージュースに手を出さなかったのは上出来だとしても(それは絶対に大人の雰囲気じゃないでしょ)、どうしてエスプレッソなんか頼んじゃったのかしら。習慣って嫌ね。
そう、あたしはヤムチャと喧嘩した後には、よくエスプレッソを飲む。外にいる時には特に。だって、甘いものを口にしたい気分では当然ないし。香りのいいお茶を飲んでまったりしたいわけもない。だからエスプレッソ。
とはいえ、もともとはそれほど好きだったわけではなかった。ヤムチャがうちに来るまでは、たまに頭を醒ましたい時くらいにしか飲まなかった。その頃はただ苦いものだと思って飲んでた。でも、今ではわかってる。上手に淹れたエスプレッソはそうじゃない。トロッとしててコクがあって香りが強くて甘くって砂糖を落とすとまるでチョコレートのよう――
その、濃く甘くちょっぴり苦いエスプレッソを、あたしはガラスに映るヤムチャの姿を見ながら飲んだ。…そ、ヤムチャのやつ、カフェの奥の方にいるのよ。少し前に気づいたの。きっと、だからよ。エスプレッソなんか頼んじゃったのは。せっかく忘れて楽しんでたのに。
あんた、どうしてそこにいるのよ。目障りだから周りうろちょろしないで。喉元まで出かかったその台詞を最後の一口と共に呑み込んで、あたしはカフェを後にした。
しかたのないことよ。食事できる場所なんて、だいたい決まっちゃってるもの。食事する時間だって被るに決まってる。お昼ごはん食べた時間が同じなんだもの。
だから無視してあげるわ。あたしは大人だからね。

ライトアップされたプロムナードからきらびやかなエレベーターホールへ。そこからさらに透明なボックスに運ばれて、デッキへと行ってみた。
デッキは夜景を楽しめるよう、ライトダウンされていた。これも昨夜は目にしなかった。昨夜はカジノに入り浸りっぱなしだったから。
食事時のせいか、デッキにはほとんど人がいなかった。漆黒の海上の闇の中、唯一光彩を放っているルートビアの街の灯り。徐々に遠ざかって行くその灯りから目を離して空を見上げると、青い星明かりが視界を埋めた。夜空を彩る何光年も前の光。どこからか流れてくる海の風。ワインで暖まった体を撫でる涼しい空気。ふいに温度差のせいか喉を刺激されて、あたしは小さく声を漏らした。直後、肩に見覚えのあるグレーのタキシードジャケットがかけられた。
「そんな格好してるから…」
さらにそう聞き覚えのある声もかけられた。思わず顔を向けてしまったその後で、あたしは自分の取るべき態度を決めた。
…ちょっとくしゃみしただけでしょ。なのに何なのその顔は。なんでこのくらいのことでそうも呆れられなきゃいけないわけ。っていうか、またその台詞!?
「…あんたね。どうしてそういうこと言うのよ。こんな時くらい褒められないの!?」
なぜヤムチャがここにいるのか。一体何をしてるのか。そういうことを、あたしは全部すっ飛ばした。訊かなくたってわかるわよ。あたしは無視はしたけど、逃げも隠れもしてないからね。それよりもどういう態度なのよ、それは。どうして謝る時にまで貶すわけ。
「昨日からずっとなんだから。せっかくひとがドレスアップしてるのに、いちいちケチつけてくれちゃって。一体どういう神経してんのよ、あんた!」
「ごめん。でも、ケチをつけたわけじゃないんだ。ただちょっとその格好がそぐわないと――」
「同じことでしょ!」
やっぱりヤムチャはいつもと同じだった。わかってないのに、声をかけてきてた。それがあたしにはよくわかった。同時に、これまで見逃してきたことが全部繋がってしまったということも。
「ジャケットは結構よ。もう中に戻るから!」
何を誤魔化すこともなく、あたしは言ってやった。不毛な水かけ論はごめんよ。形ばかりの態度を示されることもね!
ジャケットを突っ返してから、まっすぐに部屋へと向かった。ヤムチャはまた後をついてきた。延々声をかけながら。もう、これに関しては何も言うことないわ。いつものことよ。特に今はどうしようもない。
だけど、部屋に戻ってから後のことともなれば、話は別だった。
「言っとくけど、あたしお風呂に行くんだから。ついてきたって入れないからね!」
簡単に纏めておいたお風呂セットを持ち出して、わざわざそう教えてあげた。ええ、お風呂は行くわよ。
絶対に被りっこないからね!

そんなわけで、あたしはドレス姿のままで展望浴場へと向かった。そしてそのことを、数分の後に後悔することとなった。展望浴場への道すがら浮きまくっていたからでは、決してない。
「わーブルマさん、素敵なドレスー!ゴージャス!おっとなー!」
「大人の夜のデートって感じー!ヤムチャさんと仲直りしたんですね。よかったですねー」
途中で顔を合わせた双子が、笑ってそう言ったからだ。その褒め言葉を素直に喜べるはずはなかった。
あっの、お喋り男!
どうしてそういうことを、他人にぺらぺら話すわけ。恥ってものを知らないの!?
「ブルマさんって、いろんなドレス持ってますよねえ。かわいいのとか、大人っぽいのとか。ウェルカムパーティの時のも、カジノの時のも違ったし。あたしたちももっとドレス作ろうかなあ」
「えっ、ウェルカムパーティってあんたたち…」
…いたか。いたわね、そういえば。
すぐにあの時見た双子の姿を思い出して、あたしは言葉を切った。あたしのドレスを知ってるってことは……当然、見てたのよね。あの、思わず議論白熱しちゃった時のことを。あれは実にくだらない議論だったわ。ヤムチャが妙に反抗的なもんだから、あたしもつい大声を上げちゃったのよ。でも、この子たちがどう思ったかは怪しいものね。そう言えば、カジノでもおばさま方がそういうこと言ってたっけ…
「ドレスの丈は長めにしておいた方がいいわよ。ちょっぴりエッチなおじさま方がいるみたいだから」
忠告がてら事実を告げて、あたしは双子に後ろ手を振った。こんな風にいちいち思い出させられるところが、きっと旅行のデメリットね。これがウーロンやプーアルだったなら、もっとはっきり言ってもやれるのに。『放っといて』『あっち行って』ってさ。
なんとなく気を殺がれながらも、あたしは展望浴場へ入った。御影石のひんやりとした感触に、熱いお湯。浴場のバスタブからは、外の景色が一望できた。一面のガラスの向こうに、さっきは邪魔された夜の大海原。遥か遠くにちらほらと光る、どこかの街の灯り。夜の海もなかなかきれいね。レッチェルで見た景色を思い出すわ。一人のんびりとお風呂に浸かりながら見た、真っ赤な空と海。今ではそのどちらも闇の色。ティーツリーの香りを体に纏うかわりに、サウナで汗をひとっ掻き。その後に入る水がまたたまらないのよ。ん〜、いい気持ち。あ〜、ビール飲みたい。
ちょっぴり苦い記憶と共にビールの味を思い出して、あたしはその後ビアバーへ入った。気の利いたことに、展望浴場と同じフロアに小さなビアバーがあったからだ。湯上りのカジュアルな服装でも入れるようなラフな店構え。あたしはまたもや周囲から浮きながら(替えの服持ってこなかったのよ)、カウンターでビールを一杯煽った。…煽ったことに深い意味はないわ。ビールってのは煽るものよ。すっきりとした自然な苦味で喉を潤して、なかなかいい気分で部屋へと戻った。でもドアを開け惰性で声を漏らした後で、それまでの気分は壊された。
「ただいま〜」
「…おかえり」
リビングにいたヤムチャが、ペリエのボトルから口を離してそう答えたからだ。それで、本来なら言う必要もないことを、あたしはわざわざ口にする破目になった。
「あんたに言ったわけじゃないわよ。独り言よ、独り言!」
それくらいわかるでしょ。いい加減、空気読みなさいよ!
うっかり独り言も言えやしない。そう思いながら、ベッドルームに飛び込んだ。そしてそのままベッドに飛び込んだ。すでにあたしは、着替えをすることすら面倒くさくなっていた。お風呂でリフレッシュした気分は、一瞬にして元に戻っていた。いいえ、違う。本当はわかってた。
カフェでの食事は美味しかった。展望浴場も素敵だった。湯上りの一杯も体を潤した。でも、自分の気持ちだけは誤魔化すことができなかった。
…………つまんない。
何かすっごくつまんない。こんなにつまんないのも久しぶり。まだヤムチャが『ガキ』だった頃――今みたいに修行でC.Cを空けたりしてなかった頃。喧嘩しても何しても、ずっと一緒に住んでいた頃。あの頃以来よ。一緒にいるのに喧嘩してるのって、本当につまんない。なまじそこにいるから、気晴らしもできない。追っ払いたいけど、追っ払ったら本当に帰っちゃいそうだし。船の上だって何だって、ヤムチャは帰っちゃえるんだもの。すぐさま飛んで、きっといつものように修行しに行っちゃうに決まってるわ。
あたしはまたビールが飲みたくなってきた。さっきよりさらに苦いこの気分を、現実的な苦味で覆ってしまいたくなった。これは逃げじゃない。人間の知恵よ。でも、実際にそうしようとは思わなかった。
それをするには、ヤムチャのいるリビングを通って行かなくちゃいけない。そして帰ってきたら、またヤムチャの顔を見る破目になる。それじゃ永遠に気は晴れない。だからしかたなく、ビール抜きで現実と向き合った。今のあたしにとっては一つの象徴とも言える、あのピルケースを眺めてみた。
あたしは物がほしいわけじゃないのよ。そりゃ、くれるのは嬉しいけど。でも、どっちかというと、それをくれる気持ちの方を見せてほしいの。我儘かしら。そんなことないと思うんだけどな。ヤムチャもどうせくれるんなら、そういうのもついでに見せてくれればいいのに。そうしたらもっとずっと嬉しいのに。
そう、あたしは本当の本気で怒っているわけではなかった。怒ってるけど、顔も見たくないっていうやつじゃない。言わば八つ当たり。本人に対しての。だいたい、顔も見たくないなら、怒る必要なんてない。そして今では、ほとんど怒ってない。ちょっと怒った振りしてみてるだけ。だけど、その気すらもう薄れてきてる。だってつまんないんだもん。
でもだからって、何事もなかったかのように出て行こうとは思わない。そんなの、釈然としない。釈然としないっていうか…気が乗らない。乗るわけないわよ。
気が乗らないなら、乗らないままでいればいい。いつもならそう思う。でも、今は旅行中なのよ。同じ部屋にいるのよ。ベッドだって一つしかないのよ。
最終的に、あたしは非常に現実的なことに頭を悩ませることとなった。
はっきり言って、あたしは全然気が乗らない。でも、ベッドは一つしかない。だけど、こんな気持ちで一緒に寝るのは…
でも、一緒のベッドにいてそっぽを向くのは…
でも、だからって、ベッドを追い出したりしたら…
…………
……
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