Trouble mystery tour Epi.2 (7) byB
結局、あたしは折り合いをつけることができなかった。…当然よね。そしてそれに気づいたところで、気分が変わった。
…なんだかバカらしくなってきた。
どうしてあたしがこんな思考に陥らなきゃならないわけよ。悪いのはヤムチャなのに。あたしは怒っていたはずなのにさ。
思考と共に今だに着ていたドレスを脱いで、買ったばかりのあのネグリジェに袖を通した。そして、リビングへ行ってみた。
話をするためじゃない。一日を終わらせるためよ。…これで反応悪かったら、もう勝手にしちゃお。今日は合わなかったと思って、さっさと寝ちゃお。 ヤムチャは適当にそのへんで寝ればいいのよ。そこまで考えてやる義理なんかないのよ、そもそも。
そして、そうしてよかったと、数瞬の後にあたしは思うこととなった。ヤムチャがリビングのソファの上に横になっていたからだ。ジーンズにシャツを引っかけただけという湯上りらしいラフな格好で、それはもうのんびりとした雰囲気で仰向けになって、悠々と煙草を吹かしていた。あたしがその足先に回り込んでようやく足を除けた有り様だ。
はー、本当にバカらしい。わかってないとは思ってたけど、これほどとはね。もう怒る気にもなれないわ。おまけに、また見たことのない煙草吸ってるし。
「それは服か?それともパジャマか?」
ソファの端に座り直しながら、ヤムチャがそう訊いてきた。灰皿へと落とされる煙草の長い灰を見ながら、あたしは答えた。
「パジャマよ。でも、もう着ないわ」
同時に言おうと思っていた言葉を呑み込んだ。…もうわかっちゃった。今の声とこの表情でわかっちゃった。昨日と同じ。やっぱりこいつの趣味ってわかんない…
あーあ。これでもう本当に着る機会なくなっちゃった。…あたしの趣味がおかしいのかしら。いえ、そんなことないわよね。さっきのドレスだって、あの双子は素敵って言ってたし。ほとんどあたしと同じような感想言ってたわ。男と女の違いなのかしら。だけどこのネグリジェ、あんまり女の前で着る気にはなれないわよね…
「…あー、あたしにも一本ちょうだい」
気分転換に煙草を一吸い。とりあえずはそれだけで、あたしは半日前に垣間見た女の夢の世界に別れを告げることにした。四の五の言うつもりはなかった。…虚しい行為よ。無駄な買い物って、本当に虚しいわよね。金額じゃなくってね。特にこういう、他人の目を多少は意識した物はね。だけどさすがにこれにフォロー入れさせる気はしないわ。余計虚しくなりそうよ。
どうやら開けたばかりであるらしいその煙草には、ちょっぴり眉を顰めさせる要素があった。ルートビア動物園のロゴ。逆立ちパンダのマーク。…軽口の報酬か。またもや双子との会話を思い出し一瞬手をとめたその隙に、ヤムチャが煙草の箱をテーブルの向こう端へと滑らせた。
「似合わないからやめとけ」
「何よ今さら。もう何度も吸ったわよ」
ヤムチャがしれっと言ったので、あたしもしれっと言ってやった。するとヤムチャはさらにしれっと言い切った。
「その格好には合わん。せっかくのかわいさが泣くぞ」
灰の落ちかかった煙草を揉み消しながら。あたしは感激したりはしなかった。前述の通り、すっかりわかっていたからだ。
「嘘ばっかり。あんたって考えてることがすぐ顔に出るんだから。昨日と同じ顔してるわよ。ご丁寧にいちいちあたしのドレスを貶してくれた時とね」
もちろん嫌みであたしは言った。流してやろうなんて思ってなかったけど、今のところ言わないでおいでやったのに。態度が悪いっていうより、単なるバカね、こいつ。
「お世辞なんかいらないから。機嫌取るならもっとマシな方法考えてね」
我ながらすばらしいと思うことに、まったく感情に流されることなくきっぱりと、あたしは言ってやった。機嫌を取ろうとしてるだけマシ。そんなこと思わないわよ。そんなので許されるのは一回こっきりよ。それに、さっきはなんとなく淋しかったものだけど、顔見たら全然淋しくなくなったわ。そりゃそうよね。ヤムチャってば、ちっともそういう感じしないんだもの。今だったらどっか行っちゃっても平気よ、きっと。
…っていうか、いっそもう本当にどっか行っちゃってくれないかしら。
一瞬の後に、そこまで思える心境にあたしは達した。ヤムチャが首を振って大げさに溜息をついて、さらには頭を片手で抱えたからだ。
「何よそのわざとらしいリアクションは。あんた本当に態度悪いわよ!」
立ち上がりざま、あたしは思いっきり突っ込みを入れてやった。するとヤムチャの態度はさらに悪くなった。
「アホかおまえは!機嫌取りでこんな恥ずかしいことが言えるか!!」
「アホとは何よ、アホとは!だからあんたは顔に出てるんだっつーの!昨日文句言ってた時とまるっきり同じなの!!」
まるで小学生の喧嘩ね。そう思いながら、あたしはまた同じ言葉を繰り返した。わかってないのは本人だけなんだから。それにしたって、どうしてそう偉そうなわけよ。あんたは被疑者!被疑者ってのは頭を下げるもんでしょ。上から目線で見下ろしてんじゃないわよ。こういう時はこいつのタッパが嫌になるわね!
「だったらそっちの俺を否定しろ!」
とはいえ、それはさほど問題じゃなかった。目線の高さは慣れっこ。そしてこのかわいくない態度もここ数日で慣れっこよ。…今のは本当にかわいくないけど。本当の本当にね。あのかわいい反抗心はどこ行っちゃったのかしらね〜…
……とにかくそんなわけで、あたしが口を噤んだのは、思いのほか強いヤムチャの声に押されたからじゃなかった。ちょっとしたわからなさ。それと、その後の打って変わったような態度のせいだ。
「かわいくないなんて言ってないだろ?」
ふいに閃いた笑顔と声の優しさに、あたしは一瞬流されかけた。でもどうにか踏み止まった。
「言ってなきゃいいってもんじゃないでしょ。いっぱい文句つけてたくせに」
正論よ。百歩譲って貶してないとしたって、立派に水差してたわよ。別に何もかも乗ってこいなんて言わないけどさ、水差さないでほしいわよね。そんなだから、せっかく嬉しいことされても喜び半減なのよ。
ふいに舌を出して消えたい気分に、あたしはなった。悔しかったからだ。思い出してしまったことが。本当は怒ってなんかいないってことが。見透かされてるのかどうかはわからないけど、それでもそんな風に流れていってしまっているということが。
それでも、あたしは舌を出さなかった。消えもしなかった。
「…あー、ちゃんと説明してやるよ。だからまず座れ」
この流れの先を見たかった。偉そうにソファを指し示すヤムチャの言葉を聞いてみたかった。そう、言葉を。
だから、それに関してはあらかじめ釘を刺しておいた。
「またキスで誤魔化そうとしてるんじゃないでしょうね?」
「そのことは今言うな」
「何よ。自分でしたことでしょ」
「そうだけど。…わざわざ思い出させるな」
ヤムチャはまた頭を片手で抱えた。でもその仕種は、さっきとはまるで雰囲気が違っていた。…照れ隠し。かわいい反抗心。それであたしはちょっとだけ譲って隣に座ってあげたわけだけど、その寛容さはすぐに裏目に出た。
「あー、一度しか言わないからな。ちゃんと聞いとけよ」
「ちょっと、言い訳するのになんでそんな偉そうなのよ」
「昨日みたいなドレスはな、雰囲気あり過ぎなんだよ」
眉を寄せ偉そうに両手を組むという不遜な態度で、ヤムチャは話を始めた。あたしの突っ込みも思いっきり無視した。それにも関わらず、言葉はすぐに途切れた。
「似合ってないならまだしも、似合ってるから余計にな」
口篭ってはいなかった。棒読みでもなかった。でも、とても感情が篭っているとは言い難かった。っていうか。
「おまえはもう大人なんだから、かわいいだけじゃ済まないんだよ」
…だらだらしてるわねえ。
まあ、嘘言ってるわけじゃないのはわかるけど(だって昨日もだらだらしてたもの。文句言ってる時)。どうせ言うんなら、もっとビシッと言えばいいのに。だいたい、あたしが欲しいのはそういう言葉じゃないんだけどな。
「済まなきゃなんなのよ。っていうか、それって結局かわいいの?かわいくないの?」
だから、あたしがビシッと訊いてやった。ヤムチャのいいところと悪いところ。それをあたしはわかってるつもりだった。
スロースターターなのよね、こいつ。戦ってる時はあんなに素早いくせに。それ以外のことはてんで後手後手なのよ。…調子に乗るまではね。そして、ちょっと押してやればすぐ調子に乗る。時々は手こずるけど(今みたいにね)、それでも最後はちゃんと応えてくれる。
そういう意味では、ヤムチャはあたしを裏切らなかった。被さるようにあたしの体を抱きながら、あたしの欲しかった言葉をくれた。
「すごくかわいいよ。だけど色っぽ過ぎるから、外では着ないでほしいんだよ…」
でも今ではあたしには、それはどうでもよくなっていた。
そういう感覚、ヤムチャにもあったんだ…
なんか今さらっていう気もするけど。だって、もう何年付き合ってると思ってんのよ。そういうのって、普通はもっと最初の頃に感じるものなんじゃないの。本当にスロースターターね。どうりでいつまでもわからないはずだわ。
ヤムチャに腕を解く気配はなかった。一方的に抱かれる幸福感が不自由さに変わり始めたところで、あたしはそれを口にした。
「じゃあね、あんたが女になびくのやめたら、あたしもやめたげる」
思った通り、ヤムチャは腕を離した。そして、それは不本意そうに言ったものだ。
「俺がいつなびいたんだよ」
「赤ずきんちゃんから花買ったんでしょ」
もちろん嫌みであたしは言った。流してやろうと思ってたけどやめたわ。どうせなら交換条件よ。あたしに大人っぽくなってもらいたいなら、ヤムチャだってそうなってもらわなきゃね。
ヤムチャは一瞬黙り込んだ。不意を衝かれたように瞠った目は、でもすぐに上から目線のものとなった。
「おまえ、本当に大人か?」
「何よ!あんたがそう言ったんでしょ!」
「そりゃそうだけど。…いや、もうやめよう。おまえもそういう顔ばっかりするな。せっかくかわいい格好してるんだから…」
「ずるいやり方!」
溜息と伏し目。ヤムチャがまたかわいくない態度を取ったので、あたしは当然怒ってみせた。それでも、舌を出すつもりも席を立つつもりも、もうなかった。わかっていたからだ。
ヤムチャってば、もう調子に乗ってるわ。じゃなけりゃ、正面切ってこんなこと言うはずないもの。でもどうせ言うんなら、もっとそれっぽく言えばいいのに。そんなんじゃ嬉しさも半減だっていうのに…
「本当にかわいい?」
だからあたしはまた訊いてみた。ちょっとしつこいかしらね。でも、あたしは見たかった。
さっきあたしを流しかけた笑顔。あれをもう一度見たかった。
そういう意味では、ヤムチャはあたしを裏切らなかった。目線を下げながら、あたしの髪を弄り出した。それと同時に答えてくれた。
「ああ」
すぐに言葉は途切れたけど、それはあたしに何も感じさせはしなかった。
「すごくかわいい」
この時あたしはすべてを認めた。
あたしはただやきもちを焼いていただけなんだってこと。他の女にじゃなく、他の人間みんなに。だって、ヤムチャがあんまり流されやすいものだから。それなのにあたしにはちっとも流されてくれないものだから。でも流れだけで乗ってくるのは嫌なの。…ちょっと我儘だったかしら。
あたしはちょっぴり反省した。するとその時、ヤムチャがこともなげに言い放った。キスも何もすることなしに、正面切って言い切った。
「だから脱がすぞ」
何が『だから』なのよ。すっかり調子に乗ってるわ。でもそういうわかりきったこと、わざわざ口に出さなくてもいいのにね。
心の中で突っ込みを入れてから、あたしは目を閉じた。もう何も言うことはなかった。…あ、一つあるかな。
もしそうしてくれなかったら、だけど。『ベッドに行きたい』って言わなきゃね。
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