Trouble mystery tour Epi.3 byB
男ってずるいと思う。
力も体力もあってさ。そしてそういう点では、ヤムチャはものすごく男なんだもの。そういうの普段はたいして感じさせないくせに、やっぱりそうなんだもの…
そんなことを思ったのは、この夜が初めてだった。ずるい言い方とかずるいやり方とか思ったことはあったけど、存在そのものがずるいと思ったのは初めてだった。
この時、危惧した通り、あたしはヤムチャと顔を合わせることができなかった。一瞬見れたけど、ダメだった。…どうしてそんなに平然としてるの。流してくれてるってわけ?あんたはできてもあたしは無理よ。どうしたって流せないわ。
ネグリジェ、着たままでよかった。もし裸であんなことされてたら、口をきくことすらできなかったかもしれない。バックでよかった。こうしてることが不自然じゃないから。そんな心境であたしはベッドに伏せ続けた。頭がまだぼうっとしていた。体も全然動かなかった。やがてヤムチャが、あたしの髪を撫で始めた。その手が腰へと移っても、あたしはまだ動けなかった。でもその後に手がスカートの中を弄ってきたので、さすがにあたしの心境は変わった。
――回復、早過ぎ…
お尻とそこから続く腿を優しくさするその手を除けることは、あたしにはできなかった。でも、口を開くことはできた。
「…ダメ…」
「うん?もう終わりか?」
ヤムチャの声はまるきりけろりとしていた。だからあたしは、顔を伏せることをやめた。やっぱりけろりとした顔で、ヤムチャがあたしを抱き起した。あたしはただ流れに任せた。あたしを膝の上に乗せても、ヤムチャの笑顔は変わらなかった。でもまた髪を弄り出したので、あたしは断りを入れておいた。
「…普通のがいい…」
あたしは本当に健気だと思う。それなのにヤムチャはこんなことを言った。
「エッチ」
「あっ、あたしじゃないもん!」
この瞬間、あたしの頭は起きた。どうしたってこの言葉は流せない。だから言った。そのことを認めるのすら癪だったけど、でも流すよりは数倍マシだった。
「ヤムチャがそういう風にしたんだもん…」
「うん。そうだな」
ヤムチャは全然悪びれたところのない笑顔でそう答えた。すっかり開き直ってるわね。あたしはそう思ったけど、口には出せなかった。口を開けなかったからじゃない。今では体も起きていた。答えながらヤムチャが指を髪から耳へと移した瞬間に、すべての感覚が戻されていた。頭も心も体も、もう完全に醒めていた。
あー、もう。
もう。もう。もう…………
どうしてこいつのキスってこんなに気持ちいいの……




翌朝、ベッドから出た後に、煙草を一本吸った。
眠気覚ましのためじゃない。頭も心も、もうすっかり醒めていた。つまり体を醒ましたかったわけだけど、その煙草はあまり役には立たなかった。
「うわ、何これ、キツッ!よくこんなの吸えるわね」
「いや、俺もほとんど吸えなかった」
昨夜吸わせてもらえなかった煙草。ルートビア動物園名物逆立ちパンダの煙草。即座にそれを口から離すと、昨夜とほとんど同じ格好でヤムチャがおもむろに言い切った。それであたしは改めて、昨夜のヤムチャの台詞を思い出した。
それならそう言えばいいのに。『キツイから吸うな』ってさ。そういう時だけああいうこと言うんだから。やらしいわよね、こいつ。
いつもなら絶対に口に出すその言葉を、あたしは心に留めおいた。…この突っ込みは、また不本意な展開を誘発しそうな気がするわ。だって、ヤムチャってばすっかり調子に乗ってるんだから…
そんなわけで、煙草の存在をあたしは無視した。それを手に入れた経緯についても、もう追及しないことにした。今のあたしにとっては、すべて小さなことだった。この際すべてを流して、シャワーを浴びることに専念することにした。
「あたしシャワー浴びるから。絶対入ってこないでね!」
思いっきり突っぱねてやってから、バスルームに駆け込んだ。ヤムチャの反応を見る必要は、もう全然感じなかった。まるで何事もなかったかのようにペリエを飲み始めていた最後の姿を思い出しながら、シャワーのコックを捻った。
本当に男って――
…いえ、もうそういうこと考えるのよそっと…………


ヤムチャにバスルームを空け渡してから、クリーニングシュートにネグリジェを放り込んだ。ベッドの乱れを簡単に直して、カーテンを開け放った。下着をきっちり身につけ、クロゼットを開けた。でもそれで余韻が一掃されたわけではなかった。
…なんとなく、足出したくない。
何この感覚。初めてした時以来よ、こんなの…
別に普段足を出すのが好きってわけじゃない。だけど、カジュアルのロングスカートなんて持ってきてない(っていうか、持ってない)。サブリナパンツもちょっと嫌……それに、この船ではカジュアル過ぎるわ。
足を出さない、平服以上の服。それはあたしにとっては、わりあい難問だった。…なんか、一昨日ヤムチャに言われた文句が頭の中に聞こえてきた。本当に嫌なやつ…
ロングドレスは、この時間ではドレッシー過ぎる。カジノやパーティに行くならまだしも、ごはんを食べに行ったりするのには絶対に。だけど部屋でごはんを食べるのはつまんない…
…はぁ。
溜息をつきながら、あたしはとりあえずの気持ちで持ってきていたそのドレスをカプセルから取り出した。濃緑地のノースリーブのチャイナドレス。黒シルクの縁取り。黒一色の古典的な花と雉の絵柄。胸元だけが黒のレースになってて、視線がそのへんにくるやつ。スリットは左側のみ。ちょっと地味だし雰囲気違っちゃうけどいいか…
チャイナ風に髪を結ってリビングへ出て行くと、ヤムチャがまた昨夜と同じような格好でそこにいた。濡れた髪を掻き上げながら、全然悪びれたところのない笑顔で言った。
「なんだ、そういう服ちゃんと持ってきてるんじゃないか」
「うるさいわね」
あたしはまた突っぱねてやった。あんたが言わないでほしいわ、そういうこと。っていうか、それ以上何か言ったら、本気で怒るわよ。
「よし、じゃあ俺もそっち系にするか。シャツはあったんだよな」
「いいけど、普段着はダメよ。ちゃんと正装用のがカプセルに入ってるから」
男のチャイナ正装服は女のチャイナドレスと同じような形のチャンパオか、カンフー服。当然のようにヤムチャは後者を選んだ。丈長の黒のシルクにやっぱり黒で龍の絵柄が入った、内襟と袖のみ白い引き締まったデザイン。…結局、こういうのが一番似合うのよね。いいんだか悪いんだか…
喜々としてそれを着込んだヤムチャは、悠々とソファに座り込んで呟いた。
「うーん、落ち着く…」
「アホな態度取ってないで、さっさとごはん食べにいくわよ」
すっかり呆れ返って、あたしはヤムチャを促した。落ち着くのは勝手だけど、あまり雰囲気出さないでほしいわ。南部のしかもクルーズ船じゃ、この格好は浮きまくりなんだっつーの。
「レストランはなんだから、昨夜のバイキングカフェね」
「はい了解」
至極当然といった口調で、ヤムチャは答えた。昨夜は別行動だったっていうのに。そりゃ、あたしは気づいてたけどさ。ヤムチャだって気づいてたんだろうけどさ。
なんか、まるっきり何もなかったみたい。…あたしはとうていそうは思えないけど。
ずるいわねぇ…


部屋を出てエレベーターへと向かっていると、いきなり声をかけられた。この前カジノでやっぱりいきなり声をかけてきた、あの失礼なおばさま方に。
「あらあら、かわいいわねえ」
「あなたたち、そういうの似合うわねえ。お揃いでかわいいこと」
エレベーターを待っている時に、またいきなり声をかけられた。通りすがりの赤の他人夫婦に。
「懐かしいわ。私たちも旅行先でこういう格好したことあるわよね、あなた」
「何十年も前の話だがね」
エレベーターへ乗った直後に、さらに声をかけられた。洒落たスーツを着たおそらく2、3歳年上の線の細い顔立ちをした赤毛の男に。
「パーティへ行かれるんですか?」
「いえ、カフェへメシ食いに行くんですよ」
それにはヤムチャが無造作に答えた。男は意外そうな顔もせず、笑って言った。
「へえ。お洒落ですね。ずいぶんキメていらっしゃるから、てっきりパーティに行くのかと思いましたよ」
そういう見方もあるか。お洒落な人だからこその発想ね。こういう人となら、一緒にごはんくらい食べてもいいわね。でもきっと恋人いるんでしょうけど。待ち合わせってところかしら。
たいして気を入れずに、あたしはそう考えた。すると、その男とあたしの間に挟まっていた人間が声を潜めて呟いた。
「ひょっとして、俺たち目立ってるのか?」
「当ったり前でしょ」
あたしはすっかり呆れてしまった。この身なりも態度も洗練された男に対して、ヤムチャの鈍いことといったら。見た目のレベルが近くても、中身は雲泥の差ね。
「そうか…」
非常に間抜けな声をヤムチャは漏らした。あたしは敢えて突っ込みを入れないでおいてあげた。エレベーターの中にいる間は。でもエレベーターの外に出た時に、その姿勢を崩さざるをえなくなった。
「…ちょっと、何よこの手は?」
気がつけばいつの間にか、ヤムチャがあたしの右手を掴んでいたからだ。あたしは言葉通りヤムチャの手がそこにある理由を訊ねたわけじゃなかった。
何これ。こんなに自然に人前で手を握ってきたことなんて、今までなかったわよ…
「あ、嫌か?」
「そうじゃなくて、何って訊いて…」
「嫌じゃないならいいじゃないか」
…何それ。そんなこと笑って言い切ることもなかったわよ…
あたしは眉を潜めたけど、それ以上のことは言わなかった。悪いことじゃないわよ。むしろいいことよね。タイミング的にはちょっと気になるけど。
手を引かれながら歩くプロムナード。面と向かってする食事。何の意味を考えることもなく飲むエスプレッソ。
そのカップの底に溜まった砂糖をすくいあげた時、ヤムチャが言った。
「さてと、今日はどうする?」
「そうね〜…」
あたしはそれ以上のことは言わなかった。言えなかった。
まったく何も考えてなかった。今日は下船予定はない。プールで泳ぐ気はしない。肌を焼く気にもなれない。ショッピングしたいってわけでもない。パーティ気分にはほど遠い。かといって映画や劇場もいまいち。それに…
「なーんかだるいのよね〜…」
「そうか」
あたしの呟きにヤムチャは素っ気なく答えた。…あんたのせいでしょうが。あんたの。まったく、惚けてるんだから。もちろん突っ込んでなんかやらないけど。
「じゃあ俺、球突いてこようかな」
「ビリヤード?あんた好きね」
「わりとな」
そんなわけでブランチを終えた後は、あたしもカジノへ行くことにした。一人で部屋にいても退屈だから。他にすることが思いつかなかったからよ。
別にヤムチャに手を引かれてたからじゃないわよ。
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