Trouble mystery tour (2) byB
C.Cを後にして約5分。そのくらいも経った頃には、あたしの心はすっかり切り替わっていた。空を飛ぶといつもそう。なんとなくそういう気分になっちゃうのよね。慣れてはきたけど、爽快感はなくならないし。特に今はお姫様抱っこしてくれてるし。それになんたって、これから『豪華ペア旅行』だもんね!
だから人の疎らなエアポートの端っこにヤムチャが降り立った時、あたしは素直に感激してみせた。
「さっすが!まだ30分前よ」
「だから飛んだ方が早いって言ったろ」
そんなこと言ったっけ?
そうは思ったけど、口には出さなかった。別に言ったっていいんだけど、わざわざ乗り気に水を差すこともないでしょうよ。
心の中でだけ首を傾げながらあたしはトランクを転がし、エアポートへと足を向けた。すぐにヤムチャがトランクを持ってくれたので、今度は半歩後ろへ台詞を転がした。
「時間あるから、お茶しよ!」
ゆったりとカフェの一角。コーヒーよりもパフェ。もちろんイチゴの。すっごくそういう気分だわ。
そして、そういう気分でパフェを食べるとなれば、やっぱりこれよね。
「あーん」
「やめろって…」
あたしがクリームを乗せたパフェスプーンを差し向けると、途端にヤムチャがコーヒーを啜り始めた。完全にわざとのタイミング。これまたわざとらしく閉じた薄目。呆れたような声音。
「うん、もう。ノリ悪いんだから」
あたしは意識して不満そうな声を出した。やっぱり意識して眉間に皺を寄せた。自然とはそうならなかった。なんとなく、わかっていたからだ。
ヤムチャはそれほどノリが悪いわけじゃないってことに。その証拠に、あたしはちっとも不愉快じゃない。心楽しい態度ってほどじゃないけど、険が全然ないもの。本当に呆れられてるような気はしない。でも、照れてるって感じでもない。どう言えばいいかしら。とにかく、くだけた態度の一つよ。
そんな感じだったのであたしはごく自然に、一度はヤムチャに差し向けた2口目のパフェを、自分の口に入れた。さらに3口目を掬いかけたところで、ヤムチャが言った。
「ところで、一体何日の予定なんだ?この旅行は」
あたしはクリームとアイスの乗ったパフェスプーンを宙に浮かせて、それに答えた。
「ん?90日よ。90日世界一周」
「90日!?」
「はい」
ここでヤムチャが大きく口を開けたので、あたしはすかさずスプーンをその中に突っ込んだ。当然の成り行きで、ヤムチャは口を閉じた。数瞬の後に開いた口から出てきた言葉は、あたしのしたことに対する文句ではなかった。
「それ、昔の物語じゃないのか?」
「それは80日。どっちにしても違うわよ。言わなかったっけ?」
4口目を自分の口に入れる手を休めてそう答えると、途端にヤムチャが眉を寄せた。
「俺が聞いたのは博士にチケットを貰ったということだけだぞ」
「あら、そうだっけ?」
「そうだっけっておまえなあ…」
「何よ?」
あたしが少しだけ語気を強めると、ヤムチャは黙った。最後の台詞には、明らかに呆れが篭っていた。ちょっぴり険…というより非難の色も含まれていた。でもあたしは気にもならなかった。
呆れたのはこっちよ。あんた、日程も訊かずにOKしてたの?言わなかったあたしも悪い――なんてこと思わないわよ。だって、あたしそんなに強引に話進めたわけじゃないもの。言ってすぐにデートを切り上げたとかでもないわ。話した後、たっぷりショッピングしたもんね。夜ごはんだって一緒に食べたし。訊く時間なんていっぱいあったわよ。
だからあたしは念を押したりはしなかった。最終通告もしなかった。ただ、自分の感じたことだけを口にした。
「あんた、軽いわね〜」
「放っとけ」
ヤムチャは不貞腐れたようにそう呟いた。今ではチェアに横向きに座って片頬杖をついたりしてたけど、あたしは全然不快には感じなかった。むしろ感心してしまった。
だって、ごねないんだもの。そりゃあたしは助かるけどさ、腹を決めるの早過ぎだわよ。孫くんに次ぐ軽さね、これは。
「ま、そういう姿勢の方が旅行は楽しめるわよ、きっと。はい、あーん」
あたしが5口目のスプーンを向けると、ヤムチャは黙って口を開いた。依然として不貞腐れた表情のままで。どうやらこっちについても、腹を決めたみたい。
本当に軽いわね。これならたっぷり付き合ってもらえそうだわ。


旅行の幕開けは、南部都市レッチェル。…へ行く為の飛行機。もちろんファーストクラス。飛行機の中で過ごすことも楽しみの一つだと、あたしは思う。おいしい食事においしいワイン、それはもう少し後のことだとしても、とりあえずは楽しい会話。そしてそれは、たいへん盛り上がった。
「これは貸し切りか?異常に人が少ないが」
「そうよ。定員5組なの。みんなペアみたいね」
「一体どういう旅行なんだ?」
「簡単に言えばお金持ちを対象とした会員制のパッケージツアーよ。お金と時間の余ってる人を口コミで集めたの」
「老夫婦3組はわかるけど、あの女の子たちは?どう見ても高校生くらいだぞ」
「だから、お金持ちの娘でしょ。卒業旅行とかそういうのよ、きっと」
「90日も旅行で学校休むのか…」
「お金持ちの感覚なんてそんなもんよ」
思いっきりズレた話題で。行き先の説明をするとかならともかく、自分の参加しているツアーがどんなものなのかを話している人なんて、絶対あたしたちしかいないわよ。ヤムチャってば、間が抜けてるんだから。
そう思いながらあたしは笑顔でそれぞれの質問に答え、ヤムチャの声が途切れたその隙に、肩に頭を預けてみた。前述の通り、飛行機は貸し切りで、あたしたちを含めても11人(1人はトラベルコーディネーターよ)しかいなかったから。そして、みんな思い思いの座席に座っていて、あたしたちの視界の中には誰もいなかったから。それもあってか、ヤムチャは今度は何も言わなかった。驚いたような素振りもなかった。えへ。やっぱりそんなにノリ悪くなかった。んー、軽さって便利ね。
まあ、欲を言えばもうちょっとアクションが欲しいけど。そうね、肩抱いてくれるとか。…少しあからさま過ぎかしらね。じゃあ、手を繋いでくれるとか。…片手が塞がれちゃうと不自由かもね。でも、それ以外に人前でしても平気そうなことって、思いつかないわねえ…
結局のところ、あたしはそれほど不満を感じてはいないのだった。普通にしてくれてるだけで充分よ。もう全然不貞腐れてないし。もちろん照れて明後日の方向を向いたりもしてない。そうね。デートを終えて腕組んで帰ってくる時に似てるかな。それよりちょっと色気が薄い感じ。
最も、今はこれから行くんだけど。そして実際に飛行機が行路に乗ったので、さっそくあたしはその儀式に取りかかることにした。
「ね、ワイン飲も、ワイン」
出発と前途を祝して乾杯。 これは一人でも絶対にやる儀式よ。それがファーストクラスの特権だもん。
「それともシャンパンの方がいい?」
「どっちでもいいよ」
緩やかな笑顔に無造作な返事。楽でいいって思うことが半分と、一言くらい添えるべきだと思うことが半分。
「んー、じゃあ最初はシャンパンね。あ、すみませーん。『サムシングブルー』あるかしら」
今は前者に近い気持ちで、あたしは勝手に事を進めた。アテンダントから青いグラスシャンパンを受け取ってから、当然の台詞を口にした。
「じゃ、乾杯ね」
ヤムチャは曖昧な返事を呟くこともなく、ただ黙ってグラスを掲げた。あたしは完全に前者の気持ちになって、ヤムチャのグラスに自分のグラスを合わせた。人によってはここは気の利いた一言を望むところなのかもしれないけど、あたしはそうではなかった。
いいバランスよね。
ヤムチャのこういう、色気のないところって、旅行には適してるかもしれないわね。だってあたし、旅行自体も楽しみたいもん。まさか気の利いた一言がウザいなんて思わないけど、これくらいの態度の方が、なんていうか自然でいいわ。特に90日も何から何まで一緒に行動するとなればね。ヤムチャって雰囲気的なことでは気は利かないけど、荷物なんかは持ってくれるし。おまけに、荷物の量や重さに関する気遣いなんかは絶対に必要ないし。ひょっとすると、一人で旅行するよりも気楽かもしれないわ。父さんにペアのところを突っ込まれた時、『プーアルでもいいかな』って一瞬思ったものだけど、これは断然ヤムチャの方がよさそうよ。
さすがに一応は主なだけあるわねー。
ひょっとするとそういう意味では初めてヤムチャをプーアルの上位に置きながら、グラスを口元に引き寄せた。その時だった。
「機長より乗客のみなさまに申し上げます。当機はただ今ハイジャックに遭いました。どうか落ち着いて座席に座ったままで待機してください」
いきなりそのアナウンスが機内に流れた。あたしは一瞬ヤムチャと顔を見合せて、次に機内を見回した。シートの上から覗く9つの頭が、落ちつかなげに動き出した。きっとあたしたちと同じことをしてるのよ。これまでとは一転して密やかに流れる人の声。3人のアテンダントは、取り乱すことはなくただ呆気に取られたように立ちつくしていた。いま一つ漂わない緊迫感。その理由ははっきりしていた。
どう見ても何も起こっていないように思えるからだ。実際、アテンダントは全員ここに顔を揃えているし、乗客だって一人として席を立っていない。銃を持った人間なんかが乱入したりもしていない。性質の悪いユーモア感覚を持った機長による性質の悪い冗談……
瞬時に持ったその考えを、あたしは質問に答える形で否定することとなった。
「冗談…だと思うか?」
「まさか。こんな冗談、懲戒解雇処分ものよ」
だいいち今日はエイプリルフールじゃないし。っていうか、きっとエイプリルフールにだって、こんな冗談言わないわよ。
やがてアテンダントが一人、引きつった笑顔で操縦室へと消えて行った。そして一分もしないうちに、引きつった真顔で帰ってきた。後ろに見知らぬ男を引き連れて。背中に大きなナイフを当てられて。
こうして前途を祝した乾杯のグラスは、永遠に口にできないこととなった。
inserted by FC2 system