Trouble mystery tour Epi.3 (4) byB
結局、カジノで稼いだあぶく銭をパーッと使わないままに、ショッピングを打ち切った。
そういう気分じゃなくなったわ。だいたい、パーッと使おうとするたびにあんな失言かまされたんじゃたまんないわよ。本当に恥ずかしいやつ。
「本当にいいのか?金まだいっぱいあるぞ」
「いいの。どうせ何着てたって同じだもん。そんな風に見えるんでしょうからね!」
嫌み半分で、あたしは言ってやった。もう半分は知らない。知らないっていうか、あれよ。…忘れちゃいたい。とにかく、思いっきりわざとらしく言ってやった。それにも関わらず、ヤムチャはこんなことを言った。
「あ…あれはついその……いや、雰囲気があるって意味で――」
「一体どういう雰囲気よ。エッチ!」
だからまた言ってやった。そのものズバリ言ってやった。そうしたら、今度はヤムチャはこんなことを言った。
「まあ、そういうことは今は置いておいてだな。服を買わないなら、何か他の物を――」
「ちょっと!流さないでよ!」
あー、悔しい!
ボケてんだか何だか知らないけど、それはないでしょ。レディーファーストできてりゃいいってもんじゃないわよ。荷物なんか持たなくていいから、その心持ちをどうにかしなさいよ。
あたしは本当の本当にそう言ってやりたかった。でも、言わなかった。…いかにもな恥を掻かされるのはもちろん困りものだけど、こういう当人にしかわからない恥を掻かせるっていうのも困りものよね…
「あーもう、やめやめ。この話はもう終わり!とりあえずどこかで休みましょ」
ただ、切り上げた。これは非常に重要なことだけど、決して流したわけじゃない。断固たる事実としてあたしから切り上げて、会話と共に場を移した。流すのではなく、移した。ちゃんと覚えておいてよ。この二つはえらい違いよ。
でも、それがヤムチャにわかったのかどうかはわからない。いえ、たぶんわかってないと思う。ヤムチャはいつものようにあたしの後ろをついてきたので表情から確認することはできなかったけど、なんとなくわかる。
どうしてかって?だって、そういう男だからよ。


移った先はカフェバーだった。もちろん偶然じゃない。ちゃんと選んだ。昨日、カフェへ行く途中で目に留まった、カラフルなクラシックカーを店先に飾ったカフェバー。バーなら一人でも平気だけど、カフェバーはなんとなく一人で行く気になれない。そして今日は一人じゃない。
「ジンライム。シェイクしてね」
「また酒飲むのか」
あたしがお酒を飲むたびにいちいち文句をつけてくる男が隣にいる。もう本当にうるさいんだから。
「そういう気分なの!」
そのうるさい男を、あたしは一言で往なした。もううだうだ言うの飽きちゃった。いくらなんでも、甘い物を食べたい気分じゃないってことくらいはわかるでしょうよ。
ヤムチャは最初どことなく白々しい目つきであたしを見ていたけど、カウンターの向こうでバーテンダーがお酒を作り始めるとそうじゃなくなって、あたしのお酒が出てくると同時に呟いた。
「フレッシュライムか。じゃあ俺は甘味なしで」
…マイペースな男ね。おまけに自分もまた飲むのね。意外でもなんでもないけど、なんだかね…
非常に微妙な一息を、あたしはついた。自分のグラスに一口をつけたヤムチャが次にこう言ったので、さらに気分が変わった。
「買い物しないなら、この金どうする?」
「あんたが使えばいいわ。あんたが当てたお金なんだから」
服を買うとかバイクを買うとか。そこまでは、あたしは言わなかった。ヤムチャが気合いを入れて服を買いに走るとは思えない。エアバイクは時々乗ってたけど、それはもうずいぶん前のこと。最近は、めっきり自力で飛んでる。一体、何がほしいのかしら。あたしがそう思った時、ヤムチャがあたしの疑問を根こそぎ覆した。
「そう言われてもなあ。別にほしいものないしなあ…」
あたしは思いっきりずっこけながら、突っ込みを入れてやった。
「じゃあどうしてボディガードなんかしてお金稼ごうとしてたのよ?」
一昨日、カジノで持ち出されていた話よ。ヤバイ…というより怪しいボディガードのバイト。やめてほしいわよね。別の意味で人様に言えないようなバイトをするのは。
「…ああ、いや、あれはなんとなく」
「軽いわね〜」
「金はあって困るものじゃないだろ」
「今、困ってるじゃない」
あたしはまた突っ込みを入れてやった。欲がないっていうより、単なるバカね。そんな流されるままに変なことしようとしないでほしいわ。
ここにきて、あたしはすっかりいつもの気持ちになった。いつもの、しょうもない気持ちになった。だから完全に忘れていた。
「あまり飲むなよ。ジンライムって結構キツいぞ。まだ昼間なんだから」
ヤムチャが調子に乗っていたということを。…ええ、まだ調子に乗ってるわよ、こいつは。いつもはこんなこと言わないもん。二杯目だって、黙って飲ませてくれるもの。こんな風に、突っ込まれたからって突っ込み返したりしないもの。っていうか、自分だって飲んでるくせに。
「いいの。夜はあまり飲まないから。忘れてたけど、まだだるいんだからね!」
だから、あたしは言ってやった。朝にはさりげなく言ったことを、思いっきり嫌みたらしく言ってやった。そしてその後、そのことを後悔した。
…あー。せっかく忘れてたのに、また思い出しちゃった。


朝、ベッドを出た時にも似た気持ちで、バーカウンターを離れた。カジノを切り上げた時にも近い気持ちで、ドアを潜った。ショッピングを取りやめた時の気持ちを思い出しながら、カフェバーを後にした。カラフルなクラシックカーを尻目にしたところで、あたしは本日二度目のその台詞を呟くこととなった。
「…ちょっと、何よこの手は?」
今日に限っては当然とも言える態度で、ヤムチャがあたしの右手を掴んできたからだ。この時あたしは朝とは違って、言葉通りヤムチャの手が今ここにある理由を訊ねていた。そういう意味では、ヤムチャはきっちりとあたしに答えた。
「顔、赤いぞ」
…あんたのせいよ、あんたの。
心の中で呟いて、あたしはヤムチャの言葉を流した。お酒のせいだと思ってるなら、それでいいわ。全然酔ってなんかいないけど、敢えて酒豪を気取りたいわけもない。だいたい、もう5杯飲んでるし。だけど――
「結構よ。一人で歩けるわ」
だけど、あたしはヤムチャの手を振り払った。理由はちゃんとあった。
だって、遅いんだもの。絶対的にタイミング間違ってる。それはさっき取るべき態度でしょ!カフェバーに入る前に。ドレスショップを出た後に。
「なんだよ、急に」
ヤムチャはかなり驚いた顔をして、そう言った。その言葉を否定するつもりも、あたしにはなかった。今日ずっと手を取られていたことは事実よ。だからこそ、今それを拒否する訳を考えてもらいたいものだわ。
「いいから、放っておいて!」
「どうしたんだよ、一体」
「一人で歩けるって言ってるの!」
さっぱり噛み合わない問答の末に、あたしは意地になった。ええ、認めるわ。わかってもわからなくても、とにかく手を繋ぎたい気分ではなくなった。そうしたら、ヤムチャは溜息と共に呟いた。
「しょうがないな、もう…」
同時に、ゆっくりと手を引いた。これはこれで腹が立つわね。そう思った時だった。
「きゃっ!」
一瞬にして、あたしの気はヤムチャ以外へと逸らされた。前にある手ではなく後ろにやってきた手がそうさせた。
「どうした?」
「今誰かお尻触った!」
瞬間、亀仙人さんの顔が脳裏に浮かんだ。でもこんなところに亀仙人さんがいるはずもない。そして当然のように、白昼堂々と痴漢行為を働いた人間もすでに見当たらなかった。目に入るのは、着飾った紳士淑女と、楽しそうな家族連れ――
「信じらんない!こんな豪華客船で――」
自分でもどうかと思うけど、あたしの怒りはそっちに向いた。慣れっこになってるなんて思いたくないけど、とにかくそっちに向いた。…ヤムチャがこう言うまでは。
「自重しろってことだろ。そういう格好をしてる時はな」
はぁ!?何それ!!
なんでそうなるの!?一体どういう態度なの!?あたしが悪いって言うの!?
あたしの怒りは当然ヤムチャに向いた。見当たらない人間を探す気はもうなかった。どこに訴えてやればいいのかなんてこともどうでもよかった。ただヤムチャの態度とその言葉に腹が立った。
「あんたがこれでいいって言ったのよ!」
「俺がいいってことは他のやつもいいんだろ」
何その屁理屈!
ヤムチャはまったくあたしを呆れさせた。そりゃもうお尻を触られたことを忘れるほどに呆れさせた。だって、なんなのその態度は。どうして開き直ってるの!?ここは絶対謝るところでしょ!
このお調子者!!
今日ずっと思っていたことが、この時はっきりとした不満になった。それを口に出さなかったのは、遠慮したからじゃない。気圧されたからでもない。
「ほら、さっさと行くぞ」
ただ、呆れさせられたからだ。当たり前のようにあたしの手を掴んで、さっさと歩き出そうとするその様に。なんていうかもう、あたしはこの一連の流れそのものに開いた口が塞がらなくなって、塞がらないままに訊ねてやった。
「どこに行くのよ?」
ヤムチャが自分からどこかに行こうなんて言うこと、滅多にないんだから。とはいえ、あたしは興味があったわけじゃない。なんとなくわかっていたからだ。
ヤムチャはあたしの観察を裏付けることを、この上なく偉そうな口調で言った。
「それはおまえが決めるんだろ」
…ああそう。
あくまでレディファーストを行使する気ね。本当は考えなしのくせに!
あたしはすっかり頭にきた。でもそれは、顔も見たくないという種類のものじゃなかった。あれよ。傍に置きながら苛めてやりたい気分よ!
「じゃあブックストア!その後部屋に戻るわ!」
だからはっきり言ってやった。表面上なんてことのない台詞に、思いっきり嫌みを篭めて。
「ブックストア?」
「もう後は部屋でゆっくり過ごす!」
お望み通り、自重してやろうじゃないの。あたしはだるいんだから!


まさか旅先でまでメカのことを考える羽目になるとは思わなかったわ。
軽く溜息をついてから、ブックストアを漁った。先日ルートビアに寄港したばかりだったので、その小さな店の蔵書は古くはなかった。発売されたばかりの科学雑誌とファッション雑誌を数冊ヤムチャに持たせて、あたしは宣言通り部屋へと戻った。
時刻は夕刻。レストランの割り当て時間までにはまだだいぶんある。だからあたしはリビングで自分の時間を始める前に、一つ寛大な台詞をはっきりきっぱり言ってやった。
「あんたはどっか行っちゃってもいいわよ。ビリヤードでもしに行けば?」
荷物持ちの仕事は終わりよ。エスコート役の出番もね。どこへでも好きなことをしに行けばいいわ。
…などと思ったからではない。
単なる嫌みよ。こういう時、ヤムチャは絶対あたしの傍を離れない。それはもうしつこく、付き纏ってくるんだから。あたしが離れてやらない限りね。昔からずーっとそうなんだから。
そしてこの時も、やっぱりそうだった。ヤムチャは一瞬足を止めたものの、部屋を出て行こうとはしなかった。あたしがかなり呆れたことに何も言わずにフリーザーのドアを開けて、ペリエを二本取り出した。そしてやっぱり何も言わずに、あたしが腰を下ろしていたラグの端へ座り込んだ。そして当然のように、ペリエを一本押し出した。それで、途中から抱いていたあたしの思いはより強くなった。
…かわいくない。この、さりげなく置いてくところがかわいくない。なんかよくわかんないけど、かわいくない!
だいたい、どうしてそこに座るわけ。ソファがあるでしょ、ソファが。昨日はソファでさんざんぐだぐだしてたくせに。ひとの真似しないでほしいわね。
そう、あたしはこういう毛足の長いラグの上で横になって本を読むのが好き。ブティックのスィートなだけあって、ラグも豪華でソフトな手触り。でも今は、そうするつもりはあたしにはなかった。
「背凭れ!背凭れちょうだい!」
「背凭れ?」
「あんたがなるの!」
呑み込み悪いわね!そう言ってやろうとした時、ヤムチャが背を向けた。その一見素直な態度は、でもあたしの怒りを治めはしなかった。背を向けながらヤムチャがこう呟いたからだ。
「ああ、はいはい…」
…こういう態度が一番腹立つわ。服従してるのかしてないのか、はっきりしなさいよ。
ともかくも、あたしは雑誌を開いた。それなりに快適な背凭れに背を預けて。ファッション雑誌は後回し。まずは今月の新製品情報よ。『ECR型イオンシャワー装置EIS-2000ER。最高3kVまで加速され、有効ビーム径φ20mmのイオンビームが手軽に得られます。基盤へのダメージの少ないエッチング、表面クリーニングなどが可能』…手軽じゃなくていいからもっと有効径広げてくれないかしら。無電極放電はいいんだけどねえ。父さんはこっちの方面には全然手をつけてくれないし。自分で作るのは面倒くさ過ぎるしなあ…
メインページの論文はパスして(そこまで読んでる時間はないわ。あっても旅行中なんかに読みたくない)、次にファッション雑誌を手に取った。今服を買う気はあんまりないけど、流行色くらいはチェックしておかなくちゃ。『自然素材。シャーベットカラー』…ん〜、あんまり好きな感じじゃないわね。あ、シャーベットオレンジのツーピースならあったっけか…
なんの気なしに、あたしはペリエを口にした。そしてなんとなくそう思った。
「オレンジがほしいわねえ」
「オレンジ?」
ペリエをオレンジジュースで割って飲みたい。とはいえそれは、本当にただ思っただけのことだった。ただなんとなく口にしただけだった。でもヤムチャが次にこう言ったので、そうじゃなくなった。
「ライムジュースならあるけど」
「ライムじゃダメ!絶対にオレンジ!フレッシュなオレンジジュース!」
オレンジとライムはまったくの別物でしょ。味も香りも、色からして全然違うものよ。気分で誤魔化せる範囲を超えてるわよ。
「あ、オレンジジュースもあったかな」
「既製品なんかダメよ。割るならフレッシュじゃなきゃ!」
そして、その気分はどんどん悪くなっていった。ヤムチャは口を開くたびにあたしの気分を壊した。話聞くなら、ちゃんと聞きなさいよ。全部ズレてる!っていうか、誤魔化してんじゃないわよ!
「わかったよ。買ってくるから」
「どこまで買いに行く気よ。そうやって逃げるんでしょ!」
クルーズ船にフルーツショップがあるわけないでしょ。ルームサービス頼みなさいよ。電話よ、電話!
「ああはいはい、わかったよ。じゃあルームサービスだな」
「あとフルーツもね!」
完全に惰性で、あたしはそう言ってやった。ヤムチャの返事が悪過ぎだから。こうなったら、もうめいっぱい扱き使ってやるわ。そしていつものポジションに落とし込んでやる。
「あ、ルームサービスお願いします。フレッシュオレンジュース、デキャンタで。それとフルーツ盛り合わせ…」
今一つよくない返事と共に腰を上げたヤムチャは、ずいぶんとてきぱきとキーテレホンへと向かって喋った。そのことがまたあたしの怒りを刺激した。…かわいくない。どうして最初っからその態度を見せないのよ。っていうかなんで、ホテルマンに対して見せてるわけよ。ホテルマンにじゃなくて、あたしに頭下げなさいよ!
やがてルームサービスがやってきた。そのワゴンに乗っていたものを目にした時、さらに怒りが煽られた。デキャンタに入ったフレッシュオレンジュース、白磁の皿にシンプルに纏めて盛られた8種類の一口サイズのフルーツ、そしてやっぱり白磁の皿に円を描くようにして並べられた10種類のプチフール……何よこれは。頼んでないもの勝手にオーダーしないでよ。自分はこんなの絶対に食べないくせに。このおべっか使い!
あたしはまったく憤慨しながら、グラスにフルーツを落とし込んだ。続いてペリエを注ごうとすると、ヤムチャが口を挟んできた。
「オレンジペリエを飲むんじゃなかったのか?」
「いいでしょ、別に。これが飲みたくなったのよ」
だからあたしははっきりきっぱり言ってやった。ケーキを食べるなら、オレンジペリエなんて味の濃いもの飲まないわよ。あたしは味覚障害者じゃないんですからね!
ヤムチャはもう何も言わなかった。すっかり黙り込んで、ただあたしを見ていた。それでようやく、あたしの怒りは沈静へと向かい始めた。…それでいいのよ。あんたはあたしのすることを、黙って肯定してればいいの!
そんなわけで、あたしももう何も言わずに、ペリエとケーキに手をつけた。肌触りのいいラグの上。今では口を挟まれずに楽しむ小さなお茶会。何も言わずに控える男。満足とはいかないまでも、納得できる心境にはなっていた。でも、やっぱりというか何というか、今日のヤムチャはいつもとは違った。
なんか知らないけど唐突に、まったく何も言わないまま、時刻柄少し落ちてきたあたしのおくれ毛を引っ張ったり戻したりし始めた。言っとくけど、そういう雰囲気じゃ全然ないわよ。あたしはそれなりにつんけんしてやってたわ。
「…何してんのよ?」
当然、あたしは訊いた。訊いたというより、突っ込んでやった。ヤムチャは手を引っ込めずに、それどころか身動ぎ一つせずに、淡々と嘯いた。
「ん?ああいや、別に。なんとなく」
「なんとなくでひとの髪弄らないで!」
一瞬にして、あたしの気分は戻った。部屋へ帰ってくる前の時に、ブックストアへ行くと決めた時に。だからはっきり言ってやった。表面上なんてことのない台詞に、思いっきり嫌みを篭めて。
「もうごはん食べに行く!そしてさっさと寝る!」
「まだレストラン入れる時間じゃないだろ」
「チャイニーズレストランならいつでも入れるもん!」
一人では絶対に行かない種類の店を、この時あたしは出した。そう、ヤムチャを突き放してやるつもりは、あたしにはなかった。昨夜みたいな展開にはしないわ。そんなの、絶対にごめんよ!
「あたし髪直してくるから、サービスワゴン下げておいて。でもプチフールは下げないでよ。後で食べるんだから!」
デザートが乏しいことが、チャイニーズの欠点。そんなことを考えられるほどに、あたしは冷静だった。ええ、怒ってはいるけど冷静よ。
冷静だから、感情に流されたりしない。うんと自重して、エスコート役をきっちりと果たさせるわ。
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