Trouble mystery tour Epi.3 (6) byB
結局、お酒は飲んでやった。杏仁豆腐も食べてやった。
双子の態度を見習ってやったわ。まるで何事もなかったかのように、食事を終えてやった。…周りのテーブルへの建前も兼ねて。
「あー、おいしかった!」
「ごちそうさまでしたー!」
レストランの外へ出ると、双子は一応はお礼を言って、でもすぐにその場を離れていった。あたしはまったく呆れ返りながら、当然のように伸ばしてきたヤムチャの手を振り払った。
怒っていたからじゃない。あたしは冷静よ。さっきは怒ってたけど、今では冷静よ。もう全然引き摺ってないわ。どう言ったらわからせてやれるか、なんてことも考えてない。あたしが考えたのは、どうやったらこのお調子者のバカをいつものポジションに戻してやれるか、ということよ。
そう、こいつはまーだ調子に乗ってるのよ。だっていつもは、あんなわざわざ終わったことをほじくり返すようなことは言わないんだから。うっかり言っちゃうことはあっても、あんな風にしたり顔で言い出すことはないんだから。
あたしはさっさと部屋へ向かって歩いた。当然のように、ヤムチャは後をついてきた。ようにじゃなくて当然か。部屋、一緒なんだから。だからそれはいい。問題はその態度よ。
どうして何も言ってこないのよ。なんか言い訳しなさいよ。おまけに妙に距離取っちゃってさ。いつもだったら絶対に纏わりついてくるくせに。かっわいくないんだから。
食事の後の部屋への道。今夜は少し違った気分で歩く、昨夜と同じ道。昨夜と同じように一人先に部屋へ入ったところで、あたしは気分を切り替えた。
もういいわ。これはこれで。どうせ今日は自重するんだから。むしろこれでいいわ。自ずと自重されるでしょうよ。
そんなわけで、ヤムチャの存在をあたしは無視することにした。その態度についても、もう考えないことにした。この際すべてを無視して、自分の時間を過ごすことに専念することにした。
「あたしお風呂入るから。まだまだ宵の口だから、あんたはどっか行っちゃってもいいわよ」
とはいえそこにいることは厳然たる事実だったので、やがてヤムチャがやってきた時、あたしはそう言ってあげた。さっきも同じようなこと言ったわね。でもこれは嫌味じゃないわ。あたしは勝手にするから、ヤムチャも勝手にすればいい。くどいようだけど、嫌みじゃないわよ。
さて、どこに行くかしら。やっぱりカジノかしら。身ぐるみ剥がされる心配だけはないわよね。変な話に乗せられないといいんだけど。
そんなことを考えながらあたしはバスルームに入り、シャワーのコックを捻った。
別にこのくらいのことを考えるのは、意に反してはいないと思うわ。


それなりにのんびりとバスタブに浸かってからバスルームを後にすると、ヤムチャがまだ部屋にいた。
リビングの床の上で、ブリッジしながら腕組みをしていた。『器用なことしてるわね』一瞬そう言いそうになったけど、自制することなくその言葉は呑み込まれた。
そこまでの気分にはなれないわ。あたしは怒ってる…わけじゃないけど、思うところはあるんですからね。
だから何も言わずに、そのままベッドルームへ行った。するとほとんどすぐにヤムチャがやってきた。
「ああ、すぐに出ていくよ。着替え取りにきただけだから」
あたしが口を開く間もなく、そう断りを入れてきた。そして、その後バスルームへと消えた。どうやら出かけることはしないみたい。そうと知った時、あたしは非常に複雑な気持ちになった。
…いなくていいのに。どっか行っちゃっていいのに。無視してやりたいとこをわざわざ言ってやったのに。どこまでも空気読めないんだから…
そう思いながら、バスローブを脱いだ。着替えと肌のお手入れを済ませても、睡魔はやってこなかった。ま、予想していたことよ。だからちゃんと暇潰しも用意してある。
まだ目を通していない雑誌を片手に、リビングへ行った。本当はベッドの上でごろごろしたいところだけど、今はちょっとね。喉を潤すものはペリエ。ちょっと遅いデザートにプチフール。それらを用意してからあたしはしばし考えて、ソファの上に腰を下ろした。そして、自分の時間を再開した。
やっぱり論文はパス。技術開発情報よ。『高エネルギー負イオンビームを用いた高機能材料表面改質及び高熱負荷試験。イオン源を新たに製作することにより(設計・製作を行うことも可能)、小電流や特殊イオンビームを利用することも可能』…あー、いいわねえ、これ。早く実用化してくれないかしら。こんな面倒くさいこと、自分でやる気になれないものね。やっぱりお金貰ってやってる人たちは違うわー。違うっていうか、偉いわ。こんな面倒くさいこと、とてもやる気にならないわよ。あっ、プラズマ理工学。『開放系粒子シミュレーション 』…
旅行中にまでこういうこと考える羽目になるとは思わなかった。一時はそう考えていたものの、あたしは結構のめり込んできていた。こういうのんびりした環境で敢えて考えてみるのも悪くない。そう思えてきていた。…その時までは。いつの間にかバスルームから出てきていたヤムチャが、そこにやってくるまでは。
ふいにソファが自分の意志に寄らず揺れた時、あたしは瞬時に我に返って、心の中で叫んだ。
だーかーらー!
どうしてそこに座るのよ!さっきはラグに座ったくせに。自主性ってものはないの!?
もうお調子者でも天然ボケでもいいから、空気読んでほしい。あたしはそう思って、ヤムチャに背を向けた。ソファの上に足を乗せながら。ベッドルームに行く気はなかった。まだ眠くない。眠くないのにベッドに入りたくない。
ヤムチャがどんな反応をしたのかはわからない。見えないから。でもその声は、はっきりと聞き取れた。
「昨夜のパジャマは着ないのか?」
この瞬間、あたしはヤムチャの存在を無視することをやめた。ここぞとばかりに、声を強めて言ってやった。
「クリーニングシュートに入れたわ。誰かさんが汚してくれたからね!」
あたしは事実を言った。ええ、嫌みだけど事実よ。厳然たるね。だからこれは苛めじゃない。あたしが背を向けてるんだから、その口閉じてなさいよ!
だけど、ヤムチャは黙り込みはしなかった。それどころか、こんなことを言った。
「俺だけのせいじゃないだろ。ブルマだっていっぱい汚してたぞ」
まるっきり平然とした声で。全然悪びれたところのない笑顔で。なぜそれがわかったかというと、この時にはもうあたしは背を向けていなかったからだ。
「あ…あんたは!どうしてそういうこと言うのよ!」
「さて、どうしてだろうな」
このぉー!
俯き加減に薄く笑ったヤムチャの顔を、あたしは睨みつけなかった。ずるいやり方!その言葉も口には出さなかった。
ただ、切り上げた。そういう話はしたくないのよ。いつもの調子で仕掛けたあたしがバカだったわ。今だけのことだと思って流してあげるわ!
そんなわけで、あたしはまた自分の時間に戻った。再びヤムチャに背を向けて、雑誌の続きに目を通した。ヤムチャは相変わらず隣にいるけど、もう構わない。調子に乗った男って最低!空気が読めないどころか、いつもに輪をかけて無神経なんだから。ああいうこと、普通は言わないでしょ!?それもあんたに言われたくないわよ!今日はもう、そんなことばっかりなんだから。だけど、いくらなんでもこの状況で『そんな風に見える』なんて言わせないわよ。あたしは真面目に論文を読んでるんですからね。ええ、もう論文だって読んでやるわ。えーとなになに、『プラズマ中及び気・固・液相界面電場が創る物理と応用』…ええい、レベルが低いわね!もっと没頭できそうなタイトルはないの!?
やがていくつかの論文を読み飛ばした後に、ようやく興味のありそうなページを見つけた。タイトルは『革新的プラズマ理工学応用による炭素起源ナノバイオ研究未踏領域の開拓』。こういうの大好き。『未踏領域の開拓』…なんて科学者魂を揺さぶるタイトルなのかしら。おまけに内容もかなりやりがいありそうよ。『単独・孤立垂直配向のSWNTを低温成長させ、これを用いた気相及び液相中プラズマイオン照射法により、従来不可能であった新規な1次元ナノバイオデバイスの特性創出に寄与するpn接合型内包SWNT、DNA内包SWNT、及びコロイド内包SWNTが初めて創製され、プラズマ科学によるナノバイオ科学未踏領域開拓という大きな学術的・学際的意義がもたらされると共に、プラズマ応用ナノスペース制御という学術基盤の体系化に寄与する意義が…』こんなおいしい研究をしてお金貰ってるなんてずるいわねえ…
あたしはすっかり没頭していた。完全に夢中になっていた。時々ペリエとプチフールを口に運ぶ以外には、何にも気を散らしてはいなかった。…その時までは。
まったく何も言わないまま、ヤムチャがあたしの髪に触った時…いえ、その時は無視してやった。耳に触れつつ髪を掻き上げ始めても、まだ無視してやってた。でもそのままごそごそと襟足の髪を弄り出したので、さすがにあたしは口を開いた。
「…何してんのよ…?」
「うん、ちょっとな。この『コイルド・プレーツ』っていうのやってみようかと思って」
「はぁ?」
「昼間の髪。あれ、解いてみたかったんだ」
瞬時にあたしは理解した。今日の髪型。チャイナ風シニヨンヘア。『コイルド・プレーツ』なんて言うからわからなかった。一体どこでそんな言葉――いえ、そうじゃなく!
「この天然ボケ!!」
あたしは思いっきり叫んでやった。嫌味も皮肉も篭めてなんかやらなかった。
「は?」
「そういうことぽろっと言うのやめなさいよ!!」
あたしはヤムチャがそういうことを口にしたってことを責めたわけじゃなかった。平然と口にしたってことを責めているわけでもなかった。
まったく、こいつはいつまでそんなことやってんのよ!ガキじゃないんだから、いい加減わかりなさいよ。あたしじゃなかったら絶対に誤解するわよ!
おまけに髪掴まれたまんまだから、首が痛いのなんのって。むちうちになるじゃないの。あたしは本能的に、振り向けた顔に合わせて体を動かした。すると途端に、ヤムチャが言った。
「失礼なやつだな。ちゃんと意味分かって言ってるよ」
ちょっとだけ不本意そうに眉を上げて。でもそれ以外は平然と。あたしは一瞬呆然としたけど、すぐにそれどころじゃないことに気がついた。
「そんなに子どもだと思うか?」
気づいた時には遅かった。髪を掴んでいたはずのヤムチャの手は、すでにあたしの頬にあった。その台詞を言う前に、もう触れていた。あたしはその手を払えなかった。
でも、後退ることはできた。めいっぱいソファの端まで後退ると、ヤムチャは目を丸くして呟いた。
「ちょっとブルマ、なんでそんなに…」
「もうあんなことしないんだから!」
だからあたしは、はっきりきっぱり言ってやった。そうよ。絶対、昨夜みたいなことはさせないんだから。死んだってさせないんだから。触られる方が悪いなんてことだって、言わせないんだから!
「は?」
「『は?』じゃないわよ!わからないなんて言わせないわよ。あんたがしたことでしょ!あんたが!昨夜――…」
この天然ボケ!!
あたしは思いっきり叫んだ。心の中で。口に出すつもりはなかった。
何であたしが言わなくっちゃいけないのよ。あたしは忘れたいのに。それなのにどうしてあんたが忘れてんのよ!…いえ、忘れてないわよ。ただボケてるだけよ。今日ずっとそうなんだから。昨夜のことよりも今日のその態度が腹立つのよ!
そんなわけであたしは黙った。ヤムチャも黙っていた。でもそれは、ほんの少しの間のことだった。
「んー…わからないなあ…」
こともあろうにヤムチャはそう言った。それはそれは間抜けな声だった。考えている素振りもなかった。この瞬間、あたしはもう完全に、ヤムチャを相手にすることをやめた。
天然ボケのお調子者って最低!言っていいこととダメなことの区別もつかないの!?わからないなら黙ってなさいよ。いつものように黙って縮こまってなさいよ。ええ、その方がまだマシよ。わからないことを偉そうに主張するよりまだマシよ!
「わからないことをするとかしないとか言われても困るな」
無視してもなおその声は続いた。相手にすることをやめていたあたしの心は、次のステップへと進んだ。…もういいわ。わからなくっていいわ。その方が手っ取り早いわ。まさかこの雰囲気で続きを始めたりはしないでしょうよ!
「わからないんだからできるわけがない。そう思わないか?」
そしてここで止まった。
ヤムチャの声も。あたしの心も。あたしは耳を疑ったけど、意味を疑ったりはしなかった。
ちゃんとわかった。わからないわけがない。思わず感心しもした。はっきり言って、上出来だと思った。そして、その瞬間気づいた。
違うみたい。
あたし、昨夜のことを気にしていたわけじゃないみたい。それはそうよね。ちゃんと顔、合わせてるもの。普通に話してるもの。ヤムチャがあんまりけろっとした顔してるからずるいなぁって思ってたけど、それだけだもの。…それだけってことはないけど。いっぱい腹立ったけど。でも、嫌いになったわけじゃない。恥ずかしかったけど、嫌じゃなかった……
あたしはちょっと困った。いえ、だいぶん困った。これは、あたしが何か言うべきなような気がする。許すとか許さないとかじゃなくて、わかってほしい何か。だって、ヤムチャは男なんだから。あたしが言わないと、女の気持ちはきっとわからない。でも、あたしにもよくわからない。…このまま流しちゃうべきなのかしら。なんか釈然としないけど。すっごく釈然としないけど…
ふいに小さな音がした。見るとヤムチャが、テーブルの上に重ねたあたしの雑誌に、いかにも適当といった感じで手を伸ばしていた。一冊を掲げながら、聞いたところ無造作な口調でこう言った。
「眠くなったら声かけてくれ。荷物運ぶから」
あたしは一瞬息を呑んだ。ヤムチャの言葉の意味がわかったからだ。そして、自分の気持ちにも気づいたからだ。
この旅行の最初の日。ヤムチャにベッドルームまで『荷物』を運んでもらったあの夜。あたしをベッドに下ろした後のあの優しい笑顔。…そう、きっとあの時みたいな顔を見せてくれていたのなら、こんな風には思わなかったのよ。
「…じゃあ、寝る」
だからあたしは言った。一見スマートなようでいて、その実結局あたしに言わせるヤムチャにちょっぴり恨みを感じながら。
ヤムチャは少しだけ驚いたような顔をしてたけど、すぐに雑誌を手放してあたしを抱き上げてくれた。思っていたよりはさっぱりとした、はっきり言っちゃうとあまり雰囲気のない感じで。でも、あたしはそれは気にしなかった。その時になればヤムチャはちゃんとそういう風になってくれる。それを知ってるから。まあ、昨夜はそれに騙されたわけだけど。
大丈夫、今夜は流されない。
だって、あたしの望みははっきりしてるんだから。…その顔を見た後のことについては、ちょっと自信ないけど。
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