Trouble mystery tour Epi.3 (7) byB
…飴と鞭みたいなものかしら。
そんなことを思いながら、あたしは目覚めたばかりのベッドの中で再び目を閉じた。
眠かったからじゃない。ヤムチャが目を覚ましているのがわかったからだ。目を開けた時にはすでにこちらを向いていたヤムチャは、きっと腕だけを動かして、あたしの頭に手を置いた。そしてそのまま頭を撫でてくれた。ちゃんといっぱい撫でてくれた。
してって、昨夜約束したの。だってヤムチャって、普段はこういうことほとんどしてくれないんだから。するとかしないとかいう以前に、目が覚めるといないんだから。温もりすら残っていない、冷たいベッドよ。そういうひどい男なんだから。
まあ、昨日の朝はしてたけど。そしてそれにあたしは騙されたわけだけど。騙されたっていうか、不意打ちだもん。もう男の事情持ち込みまくりなんだから。…ま、あれくらいならいいんだけどね〜。なんて思えるのも昨夜のフォローがあったからこそよ。
ほんっと、男ってずるいわよね。…メリハリがあっていいけど。


…騙された。
というより、裏切られた。いえ、やっぱり不意打ちか。だって、頭にもなかったから。いくらなんでもこれはないでしょ…
その後ベッドを出てしばらくしてから、そんな苦々しい思いと共にコーヒーを飲んだ。
眠気覚ましのためじゃない。頭も心も体も、もうすっかり起きていた。空き過ぎたお腹に朝食を流し込むためだ。
「まったく、こんな時間に朝食のルームサービス頼むなんてどうかしてるわよ。もうすぐお昼よ」
ちなみに電話したのは、時間ギリギリの10時半。あたしが偶然時計に目をやらなかったら、それだって逃してたわ。昨夜は夕食早かったっていうのに。もう17時間近く何も食べてないことになるじゃないの。
「おまえが頼めって言ったんじゃないか」
「あんたが悪いんでしょ!やらしいんだから!あたしは頭撫でてって言っただけなのに!」
ええ、もうわかったわね。ヤムチャってば、頼んでないことまでやってくれたのよ。つーか、昨日の朝とおんなじ!ワンパターンもいいところよ。
「そんなこと言ったって…おまえだって乗ってきたくせに」
「あたしは付き合ってあげたのよ!」
「そうかー?それにしては濡れるの早…」
「あんたはもう、してる時以外は口閉じてなさいよ!」
あたしは究極の台詞を叩きつけてやった。ええ、もうこいつのいいところはそこだけよ。調子に乗ってるとか考えるのもやめたわ。こいつのはただ口が軽いだけよ!
そうしたら、ヤムチャはこんなことを言った。
「それじゃメシ食えないだろ」
…頭も軽いみたいね…
深い深い溜息をついてから、あたしは食事に専念することにした。早いとこ食べちゃわないとね。シャワーも浴びなきゃいけないし、荷物も纏めなくちゃ。そもそもそれだからこそ、ルームサービスなんか頼んだのよ。外に食べに行く時間すらないんだから。
あたしが黙々とオムレツを崩していると、やがてヤムチャがそれはのんきそうな顔つきで言った。
「さてと、今日はどうする?」
「今日は下船よ。2時にグリーンシーニ到着予定」
「あ、そうなのか。2時から何時までだ?」
「何時じゃなくて、一週間。…あんたもそろそろ日程を把握したらどう?」
あたしは結構な呆れを感じていた。ヤムチャがこの旅行について何も訊いてこないのは、もう最初からのこと。でもそれに対する感覚は、今ではだいぶん変わってきていた。
「いや、いいよ別に」
そして、きっぱりと言い切ったその態度が、またあたしを呆れさせた。
マイペースな男ね…
マイペース過ぎて困るわ。一見合わせてくれているように見えるだけに余計にね。
あたしはまた溜息をついて、食事を終わらせた。そして今度はもうみなまではっきりと、言っておいた。
「あたしシャワー浴びるから、あんたも適当に用意しなさいよ。言っとくけど用意が終わったからって、何もしないからね」
二度もシャワーを浴びている時間はないのよ。こんな状況でもし何かしてきたら、もう何も教えずに置いてくわ。
「…おまえ、俺を何だと思ってるんだ?」
「餓えた狼でしょ」
不満そうに黙り込んだヤムチャを尻目にあたしはバスルームへ行き、ロックを二重にかけた。
『入ってこないで』って言うの忘れたから。『そんなこと言わなかったじゃないか』とか言いそうだから…
素なんだかわざとなんだか知らないけど、言い分がずるいんだから、ヤムチャってば。


今さらだけど、この旅行は中身が濃い。ひとところに長く留まるということがほとんどない。90日で世界一周ってところに無理があるから、必然的にそうなる。そう、旅行としては長いけど、世界一周旅行としては短い。普通は200日はかけるところよ。
そんな中でこのグリーンシーニ滞在一週間は、本当の意味での休暇気分を味わえる貴重な時間。だから、ここで愛を育もうと思ってたのよ。でも、もうすでに育まれちゃってる。それもまったく希望に沿わない形で。ま、初日の時点ですでにそういう気分捨ててたけどさ。困ったやつだわ。
そんなことを考えながらグリーンシーニの港に下りたって数分後。送迎用の白いリムジンが走り出してすぐに、あたしの気分は切り替わった。
「わぁ、きれーい」
「へぇ…珊瑚礁でできた島か…」
目の前に続くフィヨルドグリーンの珊瑚礁の海岸線。その向こうに広がるターコイズブルーの海。そして、あたしの向かい側で呟いたヤムチャの言葉が、そうさせた。
「あんた、しょっちゅう家を空けてるわりには、全然いろんなとこ行ってないわよね」
珊瑚礁でできたものとしては世界最大のこの島は、ちょっと変わった形をしている。馬蹄型で、その内側が浅い大きなラグーンになっている。ガイドブックに乗ってた宇宙ステーションからの写真を見ても、かなり特殊。少しくらい離れていても、絶対、目に留まると思う。
「遊びに出てるわけじゃないからな。修行に適してる場所なんて自ずと限られるさ」
もったいない話よね。
もしあたしが空を飛べたら、そんな修行ばっかしてないで、絶対こういうきれいなところへ来るのに。こいつ、グランニエールフォールズも初めてだって言ってたし。修行は修行でいいけどさ、もっといろんなもの見にいけばいいのに。まあ、そんなことは言わないけど。それじゃ、まるでどっか行っちゃうことを奨励してるみたいだもんね。
そんなわけであたしは、当初の目論見はともかく、ヤムチャの頭の中も無視して、ここでは思いっきり旅行気分を味わうことに決めた。恋人と過ごす旅行じゃなくて、単純に旅行をよ。ビーチで遊ぶのはもちろん、海岸線をドライブしたり、内部の方を散策したりするの。いろんな意味で不健康なヤムチャの頭の中を、清涼にしてやるのよ。
一時間ほどリムジンに揺られると、やがて海岸沿いのホテルについた。ここは都市じゃないから規模は小さいけど、立地は馬蹄形の中心に位置する、どこに行くにも便利な場所。時刻は夜の6時。どうしてかって?グリーンシーニは、地球上で最も早く新しい1日が始まる時間帯『UTC+14』を採用しているからよ。つまり、協定世界時よりは14時間、西の都よりは3時間進んでるってわけ。
「着替えたら外出ましょ。レストランに行きがてら散歩しましょうよ」
「了解」
部屋は一階の、ビーチに面したスィートルーム。リビングのガラス扉の向こうはパティオ。そこから見える青いビーチと、陽の落ちてきた広い空。ちょうど夕陽を見ながら夕食がとれそうね。そう思いながらオレンジのロングドレスを身に着けた。ワンショルダーで胸元に白い花がついてて、そこからロングストールが流れ落ちてるやつ。あたしは運試しのつもりで、自分からヤムチャに声をかけた。
「ねえ、このドレスどう思う?」
ヤムチャはいつもながらの軽やかな笑顔で、こう言った。
「うん、よく似合ってるよ」
よし!
これは幸先がいいわ。何も言われない時点でいけるとは思ってたけど、上出来よ。ヤムチャもやればできるじゃない。…なんかあたし、求めるレベルが下がってきてるわね。
なかなかいい気分で、あたしはバッグを手に取った。なかなかいい気分でミュールを履いた。そのままなかなかいい気分でエントランスを潜ると、さらに気分がよくなった。
何も言わずに、ヤムチャがあたしの手を取ったから。ものすごく自然だったとは言わない。だって、そんな雰囲気全然なかったもん。でも、あたしの気分は違った。昨日とはまったく違った。
すっごくいい気分だった。なんで突然、とかちっとも思わなかった。朝みたいな警戒心も湧かなかった。どうしてなのかはわかってる。なんとなくだけど、気分がゆったりしてるからよ。
そうなのよ。結局、気分の問題なのよ。ヤムチャには悪いけど、そうなのよ。…いえ、悪くはないか。だって、そういう気分がどうこうっていうの、もともとはヤムチャのせいなんだもんね。
「どこに行くんだ?」
「わりと近くにレストランが数軒並んでる通りがあるの。海岸沿いよ」
あたしたちはまったく手のことには触れぬまま、ホテルの中を歩いた。どこからともなく戦いでくる風を受けながら、ホテルの庭を歩いた。やがてその風が、どこからともなくでは済まされない声を運んできた。
「おーーーい」
思わずあたしは目を瞠った。そしてまだ瞠っているうちに、次なる声も聞こえてきた。
「ヤムチャ様ーーー」
あたしたちは手を離した。気まずかったからじゃない。ただ同時に振り向くためにだ。
「よう、お二人さん」
最初にあたしたちを呼んだ人間が、ごく当然のような顔つきでそう言った。その傍で笑っている顔共々、あたしは怒鳴りつけた。
「ウーロン!プーアル!どうしてあんたたちがここにいるのよ!?」
「おれたちだけじゃないぜ。ほら」
得意そうにそう言うウーロンの後ろには、さらに二人の人間がいた。鳩の親戚みたいな南国の鳥を一羽肩に乗せた父親と、いつでもどこでも笑っている若作りの母親――
あたしが二の句を告げられずにいると、母さんがもともと笑っている顔にさらに笑みを閃かせた。
「驚いた?ママたちね、6日前からここに来てるのよ〜」
「6日前!?それってあたしたちが出発した日じゃない!」
「そうなの。ブルマちゃんが旅行に行っちゃったら、ママも行きたくなっちゃって〜」
「明日の夕方からはフィルッツ諸島に行くんじゃよ」
よくホテルが取れたわね。そういうことを訊ねる気はあたしにはなかった。どうせコネを使いまくったに決まってるわ。
そしてまた、訊ねる暇もなかった。すぐさま、まったくもって唐突に、ウーロンがこんなことを言い出した。
「それにしても、おまえらやーっぱりケンカしやがったな」
「う……」
「ちょっと、何よそれは!」
またもや得意そうな顔つきで。自分の隣にいる人間諸共、あたしは怒鳴りつけた。ヤムチャもそこで口篭ってんじゃないわよ!
「おまえらがそうやってわざとらしく手を繋いだりしてる時っていうのは、たいていケンカした後なんだからな。わかりやすいやつらだぜ」
あたしはまた二の句が告げられなくなった。当たってるような、当たってないような…いえ!当たってないわよ。少なくとも今は全然当たってないわ。だって、仲直りしたのは昨日だもん…
今ではあたしはすっかり忘れていた。あたしはどういう気持ちだったのか。これから何をしに行くところだったのか。だって、それどころじゃないわよ。一体何なの、この展開は。だけど、それはすぐにそれどころなことになった。母さんがにこやかにこう言ったからだ。
「じゃあ、そろそろみんなでお食事行きましょ。おいしいって評判のチャイニーズレストランを予約してあるのよ〜」
「えぇー、また中華!?昨夜中華食べたばかりなのにー」
「ヤムチャちゃん、旅行楽しんでるかしら?お食事の時にゆっくりお話聞かせてね〜」
「ちょっと!あたしを無視しないでよ!!」
すでに母さんはヤムチャの腕を取っていた。いえ、ヤムチャが腕を取られていた。同時にみんなが歩き出した。この瞬間、あたしは目の前の現実がある一つのパターンに嵌り込んだことを知った。
いっつもそうなんだから。
母さんってば、いっつもあたしよりヤムチャを優先するんだから。そしてヤムチャもすぐそれに乗せられちゃうんだから。自分がどういう立場に置かれてるかにも気づかないでさ。
そう、あたしにはわかっていた。きっとあたしにとってだけそうなんだろうということも。取られてる人間はまったくそんなつもりないんだろうということまでも。
ヤムチャは人質。
それよ。


そんなわけで、あたしはとりあえずのところは事を譲った。譲って予定通りの道を歩いた。予定からは完全に排除していたその店へ行くために。…まあいいわ。昨日はそれほど料理は食べなかったから。この面子でお酒を飲んでも楽しくもなんともないんだから、今日は食べることに専念してやるわ。
でも、譲れないこともあった。それはヤムチャにはまったく関係のないことだった。しばらくすると母さんがヤムチャの腕を離して、おもむろに話を振ってきた。
「そうそうブルマちゃん、ママの水着買ってくれた?」
「水着?」
「ほらぁ〜、ルートビアのお店で買ってって頼んだじゃない」
「えっ、あれ水着なの!?」
いえ、ちょっとは関係あるかしら。…まあ、それは横に置いておくとして、あたしは結構驚いた。でも、一方では納得もした。宝石は見せるもの。そういう意味ではわかる話よ。
「そうよ〜。素敵なお店だったでしょ。ブルマちゃんも何か買った?」
「か、買わないわよ、何にも!」
「あらそうぉ。ブルマちゃんもお好きかと思ったのに。じゃあ、この旅行が終わったら貸してあげるわね」
「遠慮しとくわ…」
非常に複雑な心境となって、あたしはそのありがたくもない申し出を断った。貸してなんかくれなくて全然いいから、早いとこクロゼットの奥底にしまい込んでほしい。そう思った瞬間、気がついた。
「まさか母さん、あれ着る気?」
『この旅行が終わったら』。今、確かにそう言ったわ。そして父さんはさっきこう言っていた。『明日の夕方からフィルッツ諸島』……じゃあ、昼間は?
「もちろん。こちらの方ってみんなすっごく派手な水着を着てて、ママちょっと悩んでたのよ。でもあれならちょうどいいわ〜」
「やめてよ。着ないで!ここでは絶対に着ないで!!」
「え〜どうしてぇ〜?」
「どうしても!せめてフィルッツ諸島へ行ってからにして!」
「えぇ〜、どうしてここじゃダメなのぉ?」
「じゃあどこでも着ないで!あんなもの着て、宝石目当てに襲われても知らないわよ!」
「まっ、怖い。ブルマちゃんてば怖いこと考えるのねえ。でも平気よ。パパがいるから…」
「父さんが当てになるわけないでしょ!」
「わしがなんじゃって?」
鳩の親戚みたいな鳥を一羽肩に乗せた父親と、どこまでも笑い続ける若作りの母親を両脇に、あたしはレストランへの道を歩いた。どこまでも譲らず、歩き続けた。その間ヤムチャはというと、完全にあたしたちに道を譲り渡して、残る二人の闖入者と共に後ろを歩いていた。
もう、ずるいんだから。
今あたしがこんなことになってるのは、全部ヤムチャのせいなのに。ずるいんだから!
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