Trouble mystery tour Epi.4 byB
トーイングチューブをやるのは初めて。あたしもヤムチャも。
それどころか、ジェットスキーさえもが初めてだった。でもそのどちらも、あたしは上手く操ることができた。特にジェットスキー、これはエアバイクと似たようなものね。水上バイクって言うくらいだし。だからトーイングチューブを引っ張るのだって、お手のもの。
「どわ!」
スピードが乗ったところで急ブレーキをかけると、ヤムチャの乗ったゴムボートは遠心力に負けて物の見事にひっくり返った。でもあたしは、しまったとは思わなかった。
「きゃっほ〜。やりぃ!」
だって、わざとだもん。当ったり前でしょ。このブルマさんがそんなミスをするもんですか。ちょっとした懲らしめよ。なんとなく癪だったから。何がだなんてもういちいち言わないわ。まあヤムチャのことだからたいしたダメージはないでしょうけど、それでもいいのよ。
「おまえなあ。何が『きゃっほー』だ。どういう苛めだ、それは」
思った通りヤムチャはすぐに水面から顔を覗かせて、なんの苦もなくボートを元に戻した。だけどそのわりには悔しそうな顔をしていた。えっへっへ。ええ、ええ、そうでしょうとも。こいつええ格好しいだからね、こういうのが効くのよね〜。そしてええ格好しいだから、同じことをやり返したりは絶対しない。そうじゃなくても、ヤムチャがあたしを海に突き落とすなんて、考えられる?何があったってしないと断言できるわね!
そんなわけで攻撃の手を緩めるつもりは、あたしにはないのだった。
「ほら、さっさとボートに乗って。もう岸に戻るわよ。お昼ごはん食べるんだから」
「乗るわけないだろうが!!」
ヤムチャは思いっきり眉を上げて叫んだ。その非難口調の理由があたしにわからないわけはなかった。…うーん。見透かされてるわねえ。ま、当然といえば当然か。もう3度目だものね…
3度も引っかかってくれるなんて、本当に優しい男だわ。もちろん皮肉であたしがそう思った時、ヤムチャがジェットスキーに手をかけた。
「もういい。俺が操縦する。おまえは後ろにくっついてろ」
「はぁーい」
あたしは勝利気分満点で、素直に返事してやった。聞いた?『後ろのボートに乗ってろ』じゃなくて『後ろにくっついてろ』だって。ね、やっぱりやり返さないんだから。もう完全にあたしの勝利ね!…昼間は簡単なんだけどなあ。どうして夜はうまくいかないのかしら。
ともすれば首をもたげてくる敗北感を追いやって、ヤムチャの体に腕をまわした。厚みのある体。力強い筋肉。
きっと生れながらの性差ってやつよ。ヤムチャってば見た目はめいっぱい男なんだから。それ以外に理由なんてあるわけないわ。


岸に着いた時、あたしはもうそういうことを考えるのを止めていた。
不毛だから。今は今のことだけを考えるの。そう、今日は南国気分を仕切り直し。プライベートビーチでたっぷり遊んだ後は、二人だけでのんびりとグリッシナダンスを見ながら昼食。
「あー、メシが美味い!」
まずは暑さの恩恵――おいしいビールを喉に流し込んでいると、ヤムチャが満面の笑顔でそう言った。
「なんか孫くんみたいなこと言ってるわねえ」
「悟空じゃなくたってそう思うさ」
そうね、確かに料理は美味しいわ。特にこのパパイヤのサラダは絶品よ。ビールにもよく合うし。
そういう会話をするつもりは、あたしにはなかった。ヤムチャがビールより料理を取った理由はわかっている。やっぱり体を動かす方が好きなのよね。あたしの読み、大当たりね。
「旅行から帰ったらバイク買おうかな。ひさしぶりに乗りたくなっちまった」
「もう少し待てば新型が発表されるわよ」
「いや、いくらか古い型の方がいいよ。少しエンジンがうるさいくらいの方がな」
「そーお?あたしは新しい方が断然いいけどな。ポテンシャル高くていろいろ弄れるじゃない」
スパイスとポートワインの風味がアクセントの子羊。花の香りのするコンフィチュール。エキゾチックな皿を味わいながら、あたしたちはすっかり地に足の着いた会話をしていた。でもあたしはそれを、物足りないとは全然思わなかった。むしろいいことだと思っていた。
その場のノリでいきなりそういうこと言われるよりはいいわ。特に退屈凌ぎに手を出されたりするよりはずっといいわよ。そういうスイッチ入れればいいってもんじゃないわよね。なんていうか、タイミングとか雰囲気がね…
これは愚痴じゃない。新たな発見をしたっていうだけの話よ。
「この後はどうする?」
「そうねえ、スキンダイビングやらない?ちょっとした腹ごなしになるわよ」
「スキンダイビングって何だ?スキューバダイビングとは違うのか?」
「スキューバはボンベを使うけど、スキンダイビングは何も使わないの。言ってみればただ潜るだけ。ここそんなに深くないからそれで大丈夫よ。それでね、一つやってみたいことがあるの」
あたしはなんとなく言っていたけど、まるっきり付け焼き刃の提案というわけじゃなかった。マリンスポーツのことだってちゃんと調べてあるのよ。調べた上でロマンティックなプランを立ててたんだけど…ま、少しバランスが変化したってところね。
「何だ?イルカの背中にでも乗るのか?」
「ブッブー。はーずれ〜。水中キスよ、水中キス!ほら、ドラマや映画なんかでたまにあるでしょ。ねえ、空気って本当に口移しできると思う?」
あたしが言うとヤムチャは昨日までの自分を棚に上げて、それは苦々しい顔をした。
「おまえ、いきなりそういうこと言うなよ…」
その上、完全に料理をつつく手が止まっていた。でもあたしはそれには気づかない振りをして、食事と会話を続けてあげた。
「何言ってんの。純粋に素朴な疑問よ。あと、抱き合って冷えた体を温め合うっていうやつもね。本当にそんなことであったまるものなのかしらねえ。いくらくっついても冷たいものは冷たいまんまだと思うんだけど」
「おまえなあ…何が純粋だ。食事時にそんなことを言い出すやつがあるか」
「そんな風に思うのは邪なことを考えてるからよ!」
最後にあたしが言い切ってやると、ヤムチャはようやく食事を再開した。ふふん、またあたしの勝ちね。そこで言い返さないのもどうかと思うけど、まあいいわ。無駄な見栄を張らなくて結構なことよ。
「あ、ビールお願い。ライム入れてね」
だからあたしは素知らぬ顔を決め込んで、アルコールを追加した。いくらプライベートビーチったってね、素面で白昼堂々とキスなんかできますか。それにこのグリッシナ料理の、ビールの進むこと。今までで一番ビールがおいしいわ。もういくらでも飲めちゃいそう。
明るい太陽。真っ白な砂浜。美しく輝く珊瑚礁の海。青い空ときらめく波。木陰に揺れる椰子の葉。エキゾチックな料理に、喉を潤すビール――
南国気分満点。ふっふっ、満足、満足。


ターコイズブルーの海をくぐると、フィヨルドグリーンの珊瑚礁。そこここを華麗に舞うかわいらしい魚たち。透き通った水は太陽を受け入れ、海底には光の網がゆらめいて──
そういうのに流されたわけじゃない。だって、目瞑ってたから。…どうも、お酒飲み過ぎちゃったみたい。ちょっとヤバかった…
そんな感じで、水中キスのあたしが本来知りたかった方面での感想は、またの機会に、ということになった。やっぱりね、こういうのは土壇場にならなきゃ本当にはわからないものなのよ。空気口移しっていうのは酸欠でクラクラきてる時にしてもらうものであって、されてクラクラするものじゃないのよ。という、今のあたしにとっての感想は、自分だけの胸におさめられた。ええ、言わないわよそんなこと。言えるわけないでしょ。
「ねえヤムチャ、あそこ行こ、あの沖の小島。今から競争ね!」
だから、決してあたしを置いては行かない男を引き連れて、遠泳へと乗り出した。珊瑚礁の中にできたその白砂の小島は、まるで物語に出てくる楽園のようだった。色とりどりの花が咲き乱れ、そよ風が揺らぎ、澄んだ空気が万物の奏でる天上の調べを運んでくる楽園。 鳥たちが陽気に歌い、水辺には美しい熱帯魚が泳ぎまわり、リスたちがちょこちょこ走り回っている。なんて心が洗われる風景。無心になって深い幸せを感じ始めたあたしは草の上に横になり、ちょっぴり眩しい太陽に目を細めた。このまま寝ちゃおうかなあ。そんな風に思った時、ヤムチャがあたしの腕を揺さぶった。
「おい、こんなところで寝るな。ヨットから人が降りてきてるぞ」
「起こしてくれたら起きる〜」
幸福感を妨げられた恨み。それをあたしは一切表には出さずに、そう返事してやった。やれやれといった感じで、ヤムチャがあたしの腕を引いた。だからあたしはその勢いに紛れてヤムチャに抱きつき、キスをした。できる限りの甘いキスを。だって、もうそういう気分だったから。…ではなかった。
さっきのお返しよ。少しはヤムチャも困るがいいわ。
ヤムチャはすっかり固まった。何か言うどころか、あたしを解くこともしなかった。わかっていたことよ。ヤムチャがあたしを振り解いたりするわけないんだから。あたしは勝利気分満点で、腕をヤムチャの首に回した。
「じゃ、岸に戻りましょ。それでね、足がつくとこまでおんぶして。もう泳ぐの疲れちゃった」
すると、ヤムチャはようやく動き出した。もちろんあたしの望む方向に。おんぶして泳ぐという器用なことを、思っていた通り楽々とやってのけた。苦虫を噛み潰したような顔をして、こんなことを言ってはいたけれども。
「おまえも後先考えないやつだな。俺がいなかったらどうしてたんだ」
「あんたがいなかったらこんなとこまでこないも〜ん」
何と言われようと構わないわ。使える時に使っておくわよ。いいのよ、ヤムチャにはこんなこと苦でもないだろうし、だいいちやられっぱなしってわけじゃないんだから。
あー、楽ちん、楽ちん。


あー、いい気持ち。
椰子の木陰のデッキチェアに陣取った頃には、あたしの南国気分はひとまず落ち着いていた。今日はもうこのくらいで充分よ。ヤムチャはまだスキムボードなんかをしてるけど。
砂浜から波に向かって走っては、波打ち際にボードを落として飛び乗る。それから大きくターンしてみたり、一回転してみたり、ジャンプしてみたり。そして波に乗って浜に戻ってくる。そのエアリアルかつ規則的な動きは、あたしにとって子守歌のような役割を果たした。ともすればすぐにやってくる双子が現れなかったのもよかった。黄色い声にも聞き知った声にも邪魔されない、プライベートビーチでのひととき。爽やかな潮風。遠くに潮騒…
やがて目を覚ましても、変わったことは何一つなかった。ヤムチャはまだ波打ち際で一人派手に遊んでいたし、あたしの髪に花もついていなかった。そんなわけで、昨日のあれは本当にまるっきり正真正銘ただの暇潰しであったことが証明された。
「あ、ブルーハワイお願い。氷抜きでね」
とりあえずは王道の一杯で喉を潤していると、波乗りついでといった感じでヤムチャが戻ってきた。
「おはよう。ずいぶん寝たなあ。また夜眠れなくなるんじゃないか?」
「平気よ。昨日とは違うもん」
今日は昨日とは違って健康的に疲れてる。例え僅かな睡魔でも、妨げる者はいない。それに敢えて夜早く寝ようとも思わない。様々な意を含んで、曖昧にあたしは答えておいた。
「はー、喉渇いた」
ヤムチャは特に言及してくることもなく、勢いよくブルーハワイを煽った。すでにあたしが飲んでいたブルーハワイのグラスは、それで空になった。あたしはちょっと呆れたけど、咎めることも二杯目をオーダーすることもしなかった。
「何か飲みに行きましょ。それとごはんね」
まーヤムチャってば、昨日と態度の違うこと。さっぱり変わり過ぎだわ。そう思うけど、きっとそれはあたしも同じね。だって、全然腹が立たないもの。
「俺、今日はラフに食べたいな。ビアホールみたいなところで」
「あ、あるわよそういうの。無国籍料理だけど」
「メシの種類は何でもいいよ」
ひょっとするとこの旅行始まって以来初めて、あたしたちは完全合意の末に行き先を決めた。どっちが強く言うってわけでもなく、自然な流れで。
「んー、どうだったかしら。確か屋外席なら水着OKだったような気もするけど…」
さらに、あたしが頭の中でガイドブックを捲っていると、ヤムチャがあっけらかんと反論してきた。
「着替えくらい面倒くさがらずにしようぜ。それに、俺シャワー浴びないと。体もだけど、髪がだいぶんしょっぱいんだ」
「あら、そういえばあたしも。それに日差し強かったから、キューティクルはがれじゃってる」
…本当に変わり過ぎだわ。ついこないだまで着替え面倒くさがってたのは誰よ(あたしはちゃんと気づいてたわよ)。呆れながらも、あたしはその言葉に乗った。あたしはまだまだ甘かった。
「ふーん?…あ、本当だ。なんかごわごわしてる」
「ちょっと、触んないでよ!」
ヤムチャがそれはもう無造作に後ろ髪を掴んだので、あたしは即行で怒鳴りつけた。もう、デリカシーないんだから。こういう時はフォローしておくものでしょ!バカ正直なんだから…『肌汚くなっちゃった』とか言わなくてよかった。
ヤムチャはすぐに手を離した。でも数瞬の後には、また髪を弄り始めた。ごそごそとあからさまに何かをしている気配。視界の端に見え隠れする赤い花。
「そんな風に機嫌取らなくていいから。そんなに怒ってないから。ほら、さっさと部屋に戻るわよ」
呆れを隠さず、あたしは言ってやった。わからないわけがないわよ。今このタイミングで花なんかつける理由が他にある?しかも昨日とまったく同じ花よ。芸がないったらありゃしない。ま、昨日は暇潰しだったけど…少しは正しい花の使い方、できないのかしらね。
「そんな身も蓋もない言い方するなよ。俺は純粋に飾ってやろうと思っただけ…」
「はいはい、わかったわよ。じゃあつけてあげるから」
なーにが純粋よ。そう突っ込むことはあたしはせず、そのままビーチを歩いてやった。あたしはヤムチャとは違うわ。いちいちそんな無粋な突っ込みをしたりはしないわよ。理由はどうあれ、人っていうのは本当にしたくないことはしないもの。それくらい、わかってるわよ。
っていうか、それくらい、わかってほしいわ。わかってないのにああいうことしないでほしい。それとも実はわかっててあんなやり方してたのかしら。
…そうだとしたら、もっと癪ね。


海での記憶は水着と共に捨て置いた。
「なあ、どうして一度シャワーしただけでさらさらに戻ってるんだ?」
「そういうヘアパックを使ってるからよ。あんまり触んないで。せっかくセットしたんだから」
「はいはい」
さらにこの上なく現実的な会話を繰り広げながら、夕暮れの雑踏を歩いた。目的の店は街外れにある『サンセット』。その安直な名前が示す通り、地元の人もよく入る普段使いなビアホール。でも、それでいいと思う。今日はビールがおいしいから。ビールを飲むならビアホールよね。
そんな感じでたいして期待もせずに入ったその店は、予想に反してなかなかいい雰囲気だった。そこかしこに観葉植物が置かれていて、まるでジャングルのよう。木々の合間のちょっとした一角にテーブルやカウンターがあって、リゾート気分を壊さないお洒落な感じ。特にカウンターはひっそりとしていて、ホテルのバーのような趣さえある。
「これは…カウンターかな」
「賛成〜。…あら?」
ヤムチャが言い出す前に、あたしはすでに席を物色しにかかっていた。そして、相談するまでもなく席は決まった。
よく見知った後姿がカウンターの一つにあったからだ。カールした金色の髪。そこから覗く赤いスカーフ。足を広げてスツールに座り、豪快にグラスを煽るその仕種――
「やっぱり、ランチさん」
半ば独り言のように名前を呼ぶと、それは鋭い勢いでランチさんは振り向いた。その目は少なからず濁っていた。
「…なんだ、おまえらか。珍しいところで会うな。ひょっとして他のやつらもいるのか?」
「ううん、あたしたちだけよ。あたしたち今、世界一周旅行してるの。ランチさんは一人?」
「…ああ。今のところはな」
呟くように答えると、ランチさんはまたグラスを煽った。2オンス用のストレートグラスが、あっという間に空になった。ランチさんはどことなく意気消沈しているように見えた。不貞腐れてるって言った方が正しいかしらね。
「あ、誰かと約束してるの?」
「天津飯のやつを探してるんだ。このあたりにいるって昔の仲間が情報をくれてよ。なのによう…船からちらっと見かけたんだが、あいつ、俺が降りる前に逃げやがった」
「天津飯さんならルートビアで会ったわよ。餃子くんと一緒に買い物に来てたの。ルート平原にいるみたいなことを言ってたけど」
「何だって!?それは本当か!?」
「うん。えーとあれは…4日前よね」
あたしが話を振ると、ヤムチャは黙って頷いた。なぜかランチさんにも似た表情で。でもその理由を訊ねる暇はなかった。
「サンキュー、そっちに行ってみるぜ!!よっしゃあ!天津飯、首を洗って待ってろよ!!」
「行くって今から?船のチケット持ってるの?手続き、間に合わないんじゃない?」
「そんなもんどうにでもならあ!」
派手な音を立ててスツールとグラスを倒すと、ランチさんは店を飛び出していった。途中で一人のウェイターをどついてから。
「邪魔なんだよ、この野郎!!」
それがあたしが最後に聞いたランチさんの声だった。あたしはすっかり呆気に取られたけど、ランチさんの態度そのものはそれほど意外じゃなかった。本当に意外なことは別にある。ヤムチャの起こしたスツールに腰を下ろすと、自然とそのことが口をついて出た。
「天津飯さん、どうして逃げたりしたのかしら。そこまでランチさんを嫌がってるようには見えなかったけど…」
「あいつはそういうやつだ」
ヤムチャはこともなげに言い切った。あたしはメニューを手にしたけど、したいのはオーダーの相談ではなかった。
「ねえ、あんたずいぶん天津飯さんと親しげよね。一体いつ会ったりしてるわけ?」
実は気になってたのよね。ルートビアで会った時から。天津飯さんも餃子くんも意外としっくりヤムチャとビール飲み合っててさ。なんかあたしの持ってたイメージと違うのよ。本当に修行中なの?そう言いたくなっちゃったもん。
ヤムチャはポケットから煙草を取り出しながら、それは自然な雰囲気で答えた。
「たいてい修行してる時だな」
「えっ、修行中に会ってるの?やらし〜」
「何がやらしいんだよ?」
さらにあっけらかんとヤムチャは言った。それであたしは完全にメニューを見ることをやめた。
「だってぇ、あたしにはいかにもストイックにがんばってますみたいな顔してるくせに。天津飯さんとは会ってるんだ。へえ〜、ふう〜ん」
「おまえ、なんか誤解してないか?そういう『会ってる』じゃないぞ。たまたま近い場所でお互い修行してたりだな…」
「うわぉ、この広ーい地球上で『たまたま近い場所でお互い修行して』るんだ。運命的〜ぃ」
「あのな…」
「ビール二つね。料理はおまかせでお願いするわ。適当なところでストップかけるから」
ここでウェイターがやってきたので、あたしはすかさずオーダーを通した。料理はどうでもいいわ。今夜はお酒と何より酒の肴を楽しむわよ。数瞬の後に視線を戻すと、その酒の肴が不貞腐れたように片頬杖をついて、空中に煙草の煙を吐き出していた。
「あ、怒った?」
「呆れた」
「そお?楽しい想像じゃない。餃子くんはともかく、あんたと天津飯さんならそこそこ絵になるわよ。今度会ったらあたしも呼んでね。みんなで飲み明かしましょ」
それは本当に楽しい想像だった。もし実現したら天津飯さんにも同じことを言ってやるの。あの人はヤムチャと違ってうんと硬派だから、きっとからかいがいあるわよ〜。二人の邪魔もしてやれるしね。
ヤムチャは惚けた顔をして、煙草を吸い続けた。焼きもちを装った悪戯。それを一通り楽しんだ後で、あたしは思い出した。そんなことをしたらひょっとするとあたしが焼きもちを――焼かれるってことはないかもしれないけど、それでも怒られるには違いない人間がいたことを。
「もちろんその時はランチさんも一緒にね。…ランチさんと天津飯さんって、二人きりだとどんな話するのかしらねえ」
「それは俺にもわからんな…」
今度はぼんやりとヤムチャは言った。宙に漂う煙草の煙を見ながら、あたしはしばし他人のことに思いを馳せた。あたしと同じように武道をする男を好きになったランチさんのことを。あたしの相手とは違ってクールに徹しているらしい天津飯さんのことを。でも、前述の通りぼんやりとしたヤムチャの表情と後に続かない声が、それを打ち切らせた。
「ま、二人きりだからってそういう話をするとは限らないわよね。現にここに一人そういう空気の全然読めないやつがいることだし!」
まったく、他人を心配してる場合じゃないわよね。だいいち、あたしがランチさんより楽ってわけもないんだから。そりゃあヤムチャは天津飯さんに比べればずっと近くにいるんでしょうけど、だからって気が利いてるわけじゃないもの。傍にいても、もどかしいことの多いこと。むしろいない方が諦めもつくってもんよ。
「何言ってんだ。それは俺だけじゃないだろ?」
「あら、自覚あったのね」
「…………」
ヤムチャはすっかり黙り込んだ。こうして、未だお酒もこないうちに、酒の肴は一仕事果たした。女に花を持たせること。あたしに勝利感をもたらすこと。だけど、今あたしが望んでいることはそれじゃなかった。だから、ヤムチャの最後の台詞を否定するため、あたしも黙っておいた。すでにメニューはひっそりとしたカウンターの片隅に戻してあった。実際には少し手持無沙汰に、でも表面上はゆったりとして見せて、ヤムチャが煙草を吸い終えるのを待った。
やがて無言のままに、ヤムチャは煙草を灰皿に押しつけた。それがビールが運ばれてくる前にあたしの見た、最後のヤムチャの行為だった。頬に触れる手を感じながら、あたしは目を瞑った。
どうやら今は通じたようね。あたしの思っていたことが。
うだうだ文句を言うくらいなら、キスの一つもしておけっていうことが。
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