Trouble mystery tour Epi.4 (2) byB
「一番星見ーーーつけた!」
ビアホールを後にした段になって、ようやく空に星が瞬き始めた。
「ウミホタルだわ。きれーい!」
海では虫たちが神秘的なマリンブルーの輝きを放っていた。荒っぽく波打つ水面が、化学反応で燃えているかのように青白くきらめいていた。
「あっ!カニ見っけ!」
目を楽しませながら海岸沿いの道を歩いて行くと、一匹の生き物が足元を邪魔した。昨日一昨日と間接的にあたしたちの邪魔をした赤い甲殻類。昨日は実にかわいくなく見えたそれは、今のあたしにはただのカニにしか見えなかった。
本当に出るのね。そんな風に思った。みんなが言うほど見かけなかったから、ひょっとして嘘だったんじゃないかと思ってたところよ。
カニを砂浜に放して先へ行くと、やがて今まさに店じまいしようとしている露店ワゴンカーが遠目に見えた。あたしはふと思い立って、数歩後ろを歩いていたヤムチャのところへ戻った。
「100万ゼニーの男見っけ!!」
「ひとの財布に手をかけるな!」
あたしがそのポケットに手を伸ばすと、ヤムチャは一転してそれまでの穏やかさを捨てた。まー、冗談の通じない男だこと。何よその、マキャベリの名言みたいな台詞は。…とは、あたしは思わなかった。ヤムチャってお酒を飲むと、気が大きくなる一方で妙に細かいことを言ったりするのよね。
「別に取ったりしないわよ。ねえヤムチャ、何か買って!」
「何かって…」
「何かそれっぽいものよ!」
少しだけヤムチャの鈍さを恨めしく思いながら、あたしはその腕を引っ張った。ピンクとブルーのかわいらしいワゴンカー。その店先にごたごたと並べられたいくつかの小物類。椰子の木が描かれたピューターのついた木の小物入れに、モンステラがデザインされたアンティーク調のフォトフレーム。おそらくは手織りのきれいな布に、細やかな彫刻の施された何かの石の髪飾り。数々のそれっぽい物の中から、あたしは最高にそれっぽいものを見つけ出した。
「これ!この、うさぎ貝のネックレスがいいわ」
すると、ヤムチャが呟くような声で言った。
「おっまえ、かわいいものほしがるなあ…」
「何それ、どういう意味よ?」
あたしは思わず眉を顰めた。そうせざるをえない、ヤムチャの口調だった。
「んー、いや別に」
「ふんだ。わかってないんだから!」
どことなく惚けた顔をして、ヤムチャは代金を支払った。あたしはというと、軽く息を吐きながら、それを見ていた。ヤムチャの言わんとしていたことはなんとなくわかる。なんていうの?『もっといい物買えよ』みたいなニュアンス。本ッ当、わかってないんだから。
こういうのは雰囲気なのよ。物の質よりも雰囲気!『それっぽいもの』って言ったでしょ。『白い貝殻のネックレス』…これほどそれっぽい響きのものもないじゃない。
そんなわけで、なかなか素っ気なく、ヤムチャはネックレスを買ってくれた。その後の展開はあたしにはすでに読めていたので、その流れに乗る前に機先を制して言っておいた。
「つ・け・て!」
「はいはい」
「サンキュ〜!」
それはゆったりとした手つきで、ヤムチャはネックレスをつけてくれた。ちょっと返事が気に食わないけど、まあいいわ。頭上にきらめく美しい星空。目の前に青く輝く夜の海。胸元に光る白い貝殻のネックレス。
うん、なかなかいい感じね。


ホテルに戻って軽く一息ついてから、あたしたちはカードをすることにした。
まだ眠くなかったから。眠りにつかなきゃいけないような時間でもなかったから。はっきり言っちゃうと、退屈だったから。でも、つまらないわけじゃない。のんびりという名の退屈。ゆったりとした南国の夜長。
「ね。賭けしましょうよ、賭け」
ヤムチャは緊張感なくラグの上に胡坐を掻いていた。あたしはクッションをいくつか集めて、その上で体を崩した。
「賭け?って、一体何を賭けるんだ?金か?おまえから金取ってもたいして得した気しないがなあ」
「そんなのあたしだってそうよ。何をするかは勝った方が決めるのよ。じゃ、とりあえずジン・ラミーやりましょうか」
マッチの勝敗とゲームスコアを読み飽きた学術書の隅に書きつけながら、あたしたちはゲームを進めた。マッチの数ははっきりとは決めていなかった。
「はい、ノック」
「うむむむむ…」
二人してなんとなくマッチを重ね、あたしはそれにほぼ比例して勝ちを集め、さらに同時進行してクッションへと体を沈み込ませた。ヤムチャはというと、気持ちだけは押されているものの(だいぶん負けてるから)、その姿勢はいつになっても変わらなかった。時折口へ運ばれるビールも気だるさを増長させることはないらしく、背筋だけはしゃんと伸ばして手持ちのカードへと首を突っ込んでいた。…元気ねえ。あたしは結構疲れちゃったけどな。やっぱり体力の差か。男と女の、じゃなく、体力異常者と一般人の。
「そろそろ違うゲームにする?」
「いや、もう少し」
前述の通りの気だるさと勝者の余裕から、あたしはゲームの選択と進行をヤムチャに任せた。ヤムチャはあたしからすればまったく無駄なほどの気合いを見せて、ジン・ラミーをやり続けた。こいつ、そんなにジン・ラミー好きだったっけ?などというボケをかます気は、あたしにはなかった。まったく、何をさせる気でいるんだか。そう、ヤムチャがこんなにゲームに熱中してるのは、単に賭けのせいよ。いつもは負けたって全然平気な顔してるんだから。ジン・ラミーに固執してる理由?そんなの、ただ引っ込みがつかなくなっただけでしょ。でも、その『引っ込みがつかなくなった』状態こそが、らしくないのよね。
そう思いながら、あたしはヤムチャの意地に付き合ってやった。いつまで経ってもなくならない、勝者の余裕から。さらに終いには根負けして、せめて姿勢を正してやろうかな、という気になった。でも体を起こしてカードを見せた途端に、ゲームは終わった。
「んー、ノック。あ、ジンね」
「はー、負け負け。俺の負け」
「あら、もういいの?」
もともとぐちぐちしない性格とはいえ、なかなか潔くヤムチャはカードとゲームを投げ出した。それでもあたしが確認すると、ちょっとだけ意地を見せた。
「ああ。…いや、そうだな。じゃあ明日の夜また一戦」
「オッケー、いいわよ。でも、勝負は持ち越さないわよ。今夜はあたしの勝ちだからね」
「はいはい。それで、俺は何をすればいいんだ?もしくは何をされればいいんだ?」
半ば棒読みの最後のセンテンスは、明らかにあたしに対するあてつけだった。でも、今のあたしには全然気にならなかった。所詮『負け犬の遠吠え』よ。そういう考え方もありか。むしろそう思った。
「んー、そうねー。…じゃ、背中流させて!」
「は?」
それは素っ頓狂な声をヤムチャは上げたけど、そういう声を出させるようなことをあたしに言わせたのは、他ならぬヤムチャ自身だった。
「さっきお風呂入ったのにまた入るの面倒くさいのよ。だから一緒に入りましょ」
あたしはなーんにも考えていなかった。ただただ気だるかった。だからカードなんかをして気を引き締めようとしてたのよ。全然引き締まらなかったけど。だって、ヤムチャ弱いんだもん。
「いいじゃない。こんないい女に背中流してもらえるなんて、あんた幸せ者よ〜」
「…………」
ヤムチャはすっかり黙り込んだ。胡坐と姿勢を崩しただけで、うんともすんとも言わなかった。だから、あたしは笑ってその場を後にした。腹は全然立たなかった。ま、こんなもんでしょ。何か気の利いた受け答えを、よりにもよってこういう時にヤムチャがするなんて思っちゃいないわ。だいたい、こういう時の気の利いた台詞なんて、あたしだって知らないわよ。
「じゃ、あたし先に入ってるから。あ、カード片づけておいてね」
これにもヤムチャは答えなかった。でもあたしは構わずバスルームのドアを開けた。
ヤムチャは絶対後から入ってくる。そういう男よ。


…一日の汗を流すお風呂だったなら、もっと時間がかかったと思う。
でも、この時はそうじゃなかった。つい数時間前に入ったばかりだった。ヘアケアも念入りにした直後だった。『さらさらに戻ってる』、ヤムチャもさっきそう言ってた。
つまりまあなんというか、あたしは時間を持て余した。ヤムチャがなかなか来なかったから。しょうがないわね。ここは一発セクシーに誘いにいってやるか。負けたにしてはずいぶんと幸せな男だこと。そう思った時、ようやくバスルームのドアが開いた。
「ヤムチャ、おっそ〜い」
女を待たせるもんじゃないわよ。ほとんど喉元まで出かかっていたその台詞を、あたしは瞬時に呑み込んだ。ヤムチャが何も言い返してこなかったからだ。今さら照れるわけもない。そう思ってたけど、やっぱり照れてないわ。そういうやつには言いたくない台詞よ。悔しいってほどじゃないけど、ちょっと癪よね。
「ちょっとぉ、ずいぶんシャワーの温度高いわね。熱くないの?」
やがてヤムチャの体を濡らし始めたシャワーのお湯は、やや冷めかけているせいだとしてもあたしの周りにあるバスタブのお湯とはだいぶん感度の違うものだった。飛んでくるその飛沫ですら熱いと感じていたあたしに、ヤムチャは言った。
「少しな。でも、この方が気が引き締まるんだ」
その言葉はあまりあたしを納得させなかった。男と女の違いかしらね。お風呂はゆったり入るものだと、あたしは思うわ。
「さ、じゃあそろそろやらせてもらおっかな」
とはいえ、あたしはすでに充分ゆったりしてしまっていた。だからヤムチャが髪を洗い終えたところで、すぐさまその作業に取りかかった。バスタブから出て、ヤムチャに背中を向けさせた。
「ひとの背中流して楽しいのか?」
「さあね。よくわかんない。なんとなくよ。だけど懐かしいな〜。あたし昔、孫くんの背中洗ってあげたことあるのよね。会ったばかりの頃」
「ふうん」
「髪も洗ってあげたのよ。あんたもそうしてほしかった?」
「うーん…」
ヤムチャの曖昧な返事は、口篭るというより言葉を探しているように、あたしには感じられた。まー、正直なやつね。『うん』って言うのもなんだけど、『ううん』って答えられるわけでもない。大変ね、いろいろ格好つけたいやつは。
「はい、終ーわり!」
ひさしぶりに洗った男の背中は、以前そうしたものよりもだいぶん広いものだった。おまけに筋肉質で、ごつごつしてる。ちょっと疲れちゃった。軽く息をついた後で、あたしは思った。ちょっと幸せ過ぎるわね、こいつ。そりゃあたしが言い出したことだけど、それにしてもね。
「よし、じゃあ次、あたしにやって!」
「ああ、はいはい。って、おい?どうして湯に浸かるんだ」
「あたしはもうずいぶん洗ったからいいのよ。一緒に入って後ろからぎゅーってやって。似たようなもんでしょ」
そうよ、それくらいやってもらわなきゃ。それだってヤムチャに損するところはないんだから、幸せなもんよ。
ヤムチャは非常に微妙な顔をして、バスタブに沈み込んだあたしを見ていた。それでも溜息はつかずに、あたしの後ろに体を沈めた。まあ、ぎりぎりってとこかしら。腑に落ちないらしいのまでは許せるけどね、もしも溜息をつかれていたらさすがに怒ってたわ。
きゅっとあたしの身体を抱き締める、太い両腕。背中から伝わってくるぬくもり。こうして、あたしはちょっぴり幸せになった。どうしてかしらね。後ろから抱かれるのって、なんか幸せ。幸せっていうか、落ち着くのよね。すごく守られてるっていう感じがする。不思議よね。相手の顔も何も見えないのにね。
最初っからこれを頼めばよかったのかしら。そんな風に思った時、背中にかかる重みが増えた。さっきまでは感じられなかった吐息が耳元をくすぐった。あたしを守っていたはずの手が、腕の下から脇へと滑り込んできた。あたしはそこまでは見逃した。でも指が胸の先に触れて、やがてお腹の下へと滑っていくと、どうにも耐えられなくなった。
もー…
気持ちはわかるけどさあ。少しは何か言ってからそういうことやってよ。せめてちゃんとキスしてから…
きっと、そう思った時点であたしの負けだった。気づけばあたしはそれまでとはまったく逆の方向を向いて、ヤムチャの胸の中にいた。そして、当然のようにキスをしていた。ううん、されたのかも。よくわかんない。わかるのは、すでに始まっちゃってるっていうこと。少し圧し掛かりぎみにあたしを抱く男の体が、ひどく心地いいっていうこと。きっとヤムチャはもう絶対、そして結局のところあたしにも、止める気はないっていうこと。そうね、わからなくても考えなきゃならないことがあるとするなら、ただ一つ。
…………お風呂の中でするのって初めて…




「きゃあぁ!ちょっと、何すんのよ!」
「これが気持ちいいんだって」
甘く長いバスタイムの終わりに、あたしは文字通り冷水を浴びせられた。飛沫でさえ熱い、そう感じていた熱いシャワーの後で。一緒にシャワー浴びたいなんて言ったあたしがバカだった。なんて絶対思わないわ。普通、水をかけるならかけると言うでしょ。っていうか、どうしてこの雰囲気で水かけんのよ!!
「あんた、どういう神経してんのよ!もう、あたし先にあがるからね!」
変なとこだけガキなんだから。そう思いながら、例のネグリジェを身に着けた。ええ、あたしは大人ですから。子どもの相手はしてやんないけど、かといって無視したりもしないわよ。きっちり元の位置に戻されていたクッションを再びソファから落として、ごろりとリビングの床の上に寝転がった。転がってから思った。…なんか飲みたい。でもミニバーまでいくの面倒くさい。せいぜい届くところにあった学術書を手に取ってみたけれど、それ以上動く気にはなれなかった。『植物体内の電圧変化(葉面電位)と植物の感覚・感情の因果関係についての考察』…植物の感覚なんかより、今は自分の感覚よ。目と鼻の先のミニバーにビールを取りにいくのも面倒くさいなんて、これは完全に負けたくせして幸せな男のせいよね。そう思った時、本人がバスルームから出てきた。そしてミニバーへと消えた。ビールを2缶持ってきて、1つをあたしにくれた。それからソファに腰を下ろして、おもむろに口を開いた。
「なあ、明日だけどディンギーやらないか?」
あたしはちょっぴり目を丸くしながら、プルタブに指をかけた。ディンギー?っていうか、もう明日の話?元気ねー。それにしても、だんだん遊びが派手になってきてるわね。
「いいわよ。じゃあそれで現地集合ってことにしましょ」
「現地集合?」
「明日ね、一つ参加したいプランがあるの。島の東の方に真ん中に砂浜を挟んで左右が海っていうビューポイントがあるのよ。そこを見てから近くにある古代の森を散策するっていうプランなんだけど…ま、ハイキングみたいなものね」
「相変わらず気合い入ってんなあ…」
完全な呆れ声でヤムチャは言った。それには別に腹は立たなかった。というより、腹が立ったわけじゃなかった。なんとなく、言ってやろうかなって思った。釘を刺そうとまでは思ってない。ただ前述の通りの気だるさと、何よりまるで何事もなかったかのように落ち着いた雰囲気が、あたしをちょっと癪な気持ちにさせたのだ。
「あんたほどじゃないわよ。まー体力に物を言わせて思うまま手ぇ出してくれちゃってさ。この一週間で一体何回したと思ってんの。おまけに余韻も雰囲気も何もなしでさ。デリカシーないんだから。イカせればいいってもんじゃないのよ」
「おまえ、すごいこと言うな」
ヤムチャは目を丸くして、ビールを手放した。でもその代りに腕を組んだので、床の上に座っていたあたしからすれば、まだまだ充分ソファにふんぞり返っているように見えた。
「本当のことだもん。付き合うこっちの身にもなってほしいわ」
だから、あたしは思いっきりつんけんしてやった。するとヤムチャはようやく眉を下げて、でもこんなことを言った。
「ごめんごめん。じゃあ今日から別々に寝るとするか」
おまけに目線はすっかり明後日の方向を向いていた。これであたしが納得するわけはなかった。
「ちょっと!なんでそうなるのよ!」
「だって、ブルマは無理して付き合ってくれてるみたいだからさ。これからは無理せず一人でゆっくり休んでくれ」
「そういう話じゃないでしょ!」
ここであたしもビールを手放した。飲んでる場合じゃなくなったということに加えてもう一つ。中身がなくなったからだ。ヤムチャはソファから腰を上げると、あたしが床に置いた空の缶を嫌みったらしくダストシュートに放り込んだ。
「じゃ、一緒にベッドに入っていいんだな?」
「ずるい男!」
おまけに何なの、そのついでのような言い方は。そんな態度取りながら隣に来ないでほしいわね!
言葉ではなく態度で、あたしは気持ちを示してやった。すぐさまそっぽを向いて、ヤムチャを隣ではなく後ろへと追いやった。でも、無視するつもりはなかった。何か言い訳させてやりたい。少しは下手に出させてやりたい。せめてもうちょっとマシな言葉を…
そう思った時、背中に重みがかかった。後ろから、太い腕がまわってきた。ゆっくりとあたしの身体を抱き締める、その動き。布越しに背中から伝わってくるぬくもり。ついさっき感じたばかりの感覚が首をもたげた。それを止めていたのは怒りにも似た感情だった。でもそれもやがてすぐに解かれた。
ヤムチャの指が、あたしの頬に触れたから。他のどこに触れるよりも先に。その瞬間、あたしはちょっぴり固まった。後ろから何かされるのって、なんか知らないけど緊張する。そして、そんなことを考えている時点で、もうあたしの負けだった。
あたしを振り向けようとするヤムチャの手を、あたしは解けなかった。その後、当然のように当てられた唇も。そうしてキスされたまま、さらに体を抱き上げられた。そのままベッドルームへ向かおうとするヤムチャを――体力に物を言わせて思うまま手を出してくる男を、あたしは止められなかった。悔しいけど、文句も言えなかった。だって、これまで何度も思ってきたことだったから。うだうだ言うくらいなら、キスの一つもしておけって。それと――
柔らかなベッドの上、いつもながらの優しい手つきで体を撫でられながら、あたしはすでに解れてしまった心を持て余した。少し前に零したものと同じ声を漏らしながら、一方では幾度も溜息を呑み込んだ。
もー…
…………どうしてあたしも、すぐこんな風になっちゃうのかしらね…
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