Trouble mystery tour Epi.4 (3) byB
「寒くないか?」
夜、目を閉じようとすると、ヤムチャが言った。
「んー…平気」
あたしは答えて、そのまま眠りに落ちた。
「頭、痛くないか?」
朝、目を開けると、ヤムチャが言った。あたしは体を起こして、そう答えることのできる自分を確かめた。
「大丈夫…みたい」
南国の清涼な空気のせいか、それともビールしか飲まなかったためなのか。とにかくあたしは案外すっきりと目を覚ました。ヤムチャは言わずもがな、すでにすっかり起きていた。身なりこそ整えていないけれど、その髪は少し濡れていたし、手にはバドワのボトルがあった。元気ねー。もう突っ込んでやりたくないほどタフだわ。嫌んなっちゃうわね。
それ以上は何も言ってこなかったし何をする気配もなかったので、あたしは完全に目を覚ますため、バスルームへと向かった。一人さっさとシャワーまで済ませちゃうなんて、気が利かないわねえ。そうは思ったけど、口にはしなかった。
もともとそういうやつだもん。もう言うのやめたわ。旅行中くらい少しはそんな風に、なんて考えたあたしがバカだったのよ。
なんてこと、ずーっと思ってる気がするわね。だってさー…
軽く息を吐いて、シャワーのコンソールへと手を伸ばした。下げられたままの温度設定を元に戻しながら、あたしは一瞬途切れた思考をそのまま心の片隅へ追いやった。
…癪だから。


ディンギーにはエンジンがない。キャビンもない。
体を移動させて動きをコントロールし、ただ風だけを動力に走らせる小型のヨット。それはそれは旧式の乗り物――というより、ほとんどスポーツ。それもなかなかハードな…一般人の感覚で考えれば。
だから、あたしは一切手を出さなかった。やりたいと言ったのはヤムチャだし、どう考えてもこれはあたしの領分じゃない。コクピットに立って艇を操るヤムチャを尻目に、遠ざかって行く岸を見ていた。岸はすぐに一本の線となり、やがて完全に視界から姿を消した。ヤムチャはとりたてて何も言わなかった。ただ波を切る音が聞こえるだけで、それは静かにでも意外に速いスピードで沖へと艇を進めていった。まったく、何でもできるやつね。この手の、特に体を使うことに関しては。
「ランチさん、天津飯さんと会えたかしらね」
「そうだなあ…」
なんとなくかけたあたしの言葉は、なんとなくそれっきりにされた。一言呟いただけでヤムチャはまたもや無言になり、素早く体を右から左へと移動させた。もー。ヤムチャってば、あたしのこと全然気にしてないんだから。今はディンギーと、それを滑らせる風の向きしか目に入ってないみたい。
そんな感じでヤムチャがすっかり目の前の遊びに熱中してしまったので、あたしはあたしでこの後の遊びのことを考えることにした。水着の上に身につける簡単な衣服と、ちょっとした身の回りのもの。上陸の準備は万全。だけど…
「う〜ん、集合時間に間に合うかしら。思ってたよりは速いけど、案外遠回りしなきゃいけないみたいね。あと40分か…」
置いてかれたらどうしよう。森の道わかるかしら。
「大丈夫、間に合わせるさ」
「そんなこと言ってぇ。あんたの自信ほど当てにならないものはないんだから」
嫌みというよりはからかうだけのつもりで、あたしは言った。それに対するヤムチャの反応は、軽くあたしの意表を衝いた。
「そうだな。よしブルマ、ちょっとこっちへ来い」
「そうだなってあんたね…」
さっぱりきっぱり言い切って、しれっとした顔であたしの方へと手を伸ばした。もともとプライド高いやつだなんて思ってないけどさ、それはないでしょうよ。もう、ほんっと話聞いてないんだから。あたしはすっかり呆れながら、差し出された手に掴まった。そのまま体を引かれてヤムチャと一緒にコクピットに立った。
「…で、何よ?」
「しばらく俺に掴まってろ」
「えー?」
あたしは思いっきり不審な気持ちになったけど、実際にはヤムチャの言葉に従わざるをえなかった。ヤムチャがあたしから手を離したからだ。直後後方へと伸ばされた腕は、ヤムチャにはあたしに何かをする気はないということを再確認させた。それともう一つ。
「きゃああああ!!ちょっとちょっと、ヤムチャーーー!」
それに気づいた時には、すでにヤムチャは何かの技を放ってしまっていた。それも一発二発じゃなく、連続して。かめはめ波の亜種かしら。思わずそんなことを考えてしまった自分を、あたしは叱りつけた。そうじゃないでしょ!なんでいきなりこういうことすんのよ!…いえ、そうでもなく。
「もー!どーーーしてこういうことすんのよーーー!!」
至極妥当な、でも答えのわかりきった言葉を、あたしは投げつけた。わかりきった答えは、でも聞こえてこなかった。ヤムチャが答えたのかどうかさえわからなかった。ジェットコースターに乗っている時にも似た風の音と、何より体に吹きつけてくる強い風が、あたしの五感を鈍くした。そんなわけで、ヤムチャのその声が聞こえてきたのは、すべてが終わった後だった。
「おっ、見えた。あれだろブルマ、あの森のある海岸。うん、余裕で間に合ったな」
「ええ、そうね!!」
すでにスピードの緩んだディンギーの上でのうのうと言い放った男を、あたしは思いっきり怒鳴りつけた。
あー、アホらしい!!
一体どういう感覚してんのよ!気をエンジンのかわりにするなんて。おまけにあのスピード!もうディンギーの意味まったくないじゃないの!
ヤムチャは一瞬身を引いたけれど、こういう時たいがいそうするように、首を竦めたり頭を掻いたりはしなかった。図太いというか上出来というか、わりあい自然な仕種であたしの肩を引き寄せた。特に何を言うこともなく。あたしはいろいろ言いたいことがあったけれど、とりあえずこの場は黙って胸の中に収まってやることにした。
癪だけど、腰が立たなかったからだ。


真ん中に砂浜を挟んで左右が海というビューポイント。そこへと続く海岸に、あたしたちはディンギーを着けた。
「やあ、こんにちは。今日も仲良くやっとるのう」
「ほーんと羨ましいわねえ、あなた」
そこにはすでに人がいた。微妙に見知った人たちが。まずは、何日か前にヤムチャに不潔な話を持ちかけてきた恐妻家のエロじじいとその妻。どうやらあたしたちより一足先にツアーのバスが着いてたみたい。
「あ、あら…ええ、まあ。……ちょっとヤムチャ、もう手離してよ」
これはさっきヤムチャが技を使ったから…なんてこと、言えるわけもない。あたしはすかさずパレオを巻きつけて、一人砂浜へと駆け込んだ。自分の後始末は自分でやってもらわなきゃね。やがて半分も歩かないうちに、あの双子と鉢合わせた。
「こんにちはぁ、ブルマさん。ブルマさんたちも来たんですねー」
「ブルマさんたちはもう行きましたか?ラバーズポイント!」
そして旅行のバランスが変化した際に切り捨てたプランの一つを口にした。思わず足を止めてしまったあたしの前で、ミルが延々と喋り始めた。
「そう!なんたって『ラブゴールベル』!!3回鳴らすと幸せになれるなんて超素敵!マァムにあるやつと両方鳴らすともっといいんですよね!でね、あたしたちもとりあえずこっちのやつを鳴らしとこうかって思って。でもそれ、カップルじゃないとダメらしいんですよぉ。だから――」
「ヤムチャだったら貸さないわよ!」
あたしは素早く先を遮った。『ラブゴールベル』じゃなくて『ラブコールベル』なんだとか、幸せになれるやつは『金の鐘』で『ラブコールベル』は愛が叶うやつなんだとか、そんな突っ込みをわざわざ入れてやるつもりはなかった。
「そういうのはちゃんと恋人ができてから自分で鳴らしに行きなさい!」
どっちもこの子たちには不要よ。だいたい何よ、『とりあえず鳴らしとこうか』って。気持ちが篭ってないにも程があるわよ。そういうところじゃないでしょうが!それにしたって、なんて露骨な利用の仕方すんのよ。もうそれ完全に、ヤムチャじゃなくたって男なら誰でもいいんじゃないの!
この時にはヤムチャが隣へやってきていた。本人が目の前にいるにも関わらず、双子は飄々として言ってのけた。
「やだなー、ブルマさん。まだなーんにも言ってないじゃないですかぁ」
「でも、ブルマさんがそう言うんならヤムチャさんに頼むのは止めときます」
「俺に何を頼むって?」
「何でもないから!さ、行くわよ!」
図々しい双子と、何より鈍い当の本人に話を蒸し返されないうちにと、あたしは再び砂浜を歩き出した。はっきり言ってさりげなくでもなんでもなくそっぽを向いてやったあたしを見ても、双子は何とも思っていないようだった。それどころか、なんとなく後ろを振り向きがちにあたしの言葉に従っているヤムチャに、笑って手を振っている有様だった。完全に甞められてるわね。特にヤムチャが。だから、一応はカップルであるあたしたちに向かってああいうこと言うのよね…
…はぁー。
真ん中に砂浜を挟んで左右が海。開放感溢れるはずのその地点を目前にしながら、あたしは深い溜息をついた。
ここにきて一気に湧き起こる日常感。…日常感とはちょっと違うか。でも、なんていうの?ツアーの同伴者って他人じゃないのよね。正確に言うと、他人顔させてくれないのよね。おまけにこのツアーのメンバーはみんなそれなりの金持ちで、金持ちって図太い人ばっかり。嫌でも人となりを知ることになるんだから。
「へー。おもしろいなあ。ほぼ周りが全部海か。中州…じゃあないしなあ」
「正真正銘の陸地よ。世界で一番幅の狭い砂浜ね。二つの海が同時に見える珍しい海岸でもあるわ。右がカフィ海で、左がルース海」
「ふーん」
陸地の幅はたったの3m。1kmほども続く細く長い砂浜。左右に広がる二つの海。西の海は波が高く、東の海は穏やか。そういう希少価値かつ非日常感溢れるロケーションの中で、あたしたちはまったくいつも通りに会話をしていた。でもあたしはそれについては、もう何とも思わなくなっていた。いいとも、悪いとも。もういいわよ。どうせこれが現実よ。現実は受け入れなくっちゃね!
そんなわけですっかり潔くなっていたあたしだけど、それでも見逃せないものはあった。
「ちょっと!こんなとこでそういうことやらないでよ!」
きっと傍目にはカメラを構える振りなんかをしているようにも見える、ヤムチャの手の動きだ。海に向かって腕を伸ばすその体を慌てて後ろへ引っ張ると、ヤムチャはこともなげに笑って言った。
「何、構えてみただけだよ」
「なぁんでこんなとこで構える必要があんのよ!」
「だからちょっとやってみただけだって」
「普通はそういうことちょっとやってみたりしないの!」
一体どういう感覚してるわけ?さっきのディンギーの走らせ方といい、なんていうか完全に頭がそっちにいっちゃってるわ。
「ほんっと体力バカなんだから!」
ついにあたしはその台詞を口にした。直後にトラベルコーディネーターがやってきて口を開いたけど、遅かった。
「はい、みなさんお揃いですね。ではこれから古代の森へと参ります」
今やあたしは完全に、日常感に包まれていた。恋人代わりに使うんじゃなければヤムチャを貸してやってもいい、そのくらいの気持ちにはなっていた。


こんもりとした森の奥に、太古の糸杉の幹が16本。
直径約5m、高さ10mほどのかなり大きなもの。どういった現象によるものかは全然わからないけれど、800万年経った今でも植物として生きている。発見されたのはごく最近。よって研究もまだこれから。
「でかいな。岩じゃないのか、これ」
「正真正銘、生きてる木よ。約800万年前のね」
そんな『古代の森』の一部分を、あたしはヤムチャとちょっぴり離れて歩いた。あたしがなんとなく無言で(説明すること何もないから)一般に公開されている3本の糸杉の幹をためつすがめつしている隙に、例のエロじいさんがヤムチャに話しかけていたからだ。それも奥さんなしで。あんな年寄りが一体ヤムチャに何の用があるんだか。またしょうもない遊びの相談かしら。そんな風に思いながらも、あたしは二人を遠目に見続けた。割って入ろうという気は起こらなかった。
話をするのは自由よ。あのじいさんがどんな不謹慎な遊びをしようが、それでどれだけ後で奥さんと揉めようが、あたしには関係のないことだわ。…だけど、引き受けたりしたらただじゃおかないわよ。そりゃ恋人代わりにされてはいないけど、恋人のいる人間がいくところじゃないでしょ。
今やあたしの目は悠久の時の流れを感じるはずの大木にではなく、自分の周りの矮小な人々に向けられていた。あの双子然り、じいさん然り。なんだってヤムチャはああも無駄に人好きされるのかしらね。そりゃ扱いやすいやつだけど、あんまり大っぴらに利用しようとしないでほしいわ。…やっぱり奥さんに言いつけてやろうかしら。
少しだけ気を変えて辺りを見回したあたしの目についたのは、奥さんではなかった。トラベルコーディネーターと数人の同行者が目を向けているのとは別の方向、立ち入り禁止のロープの向こう、森の奥へと続く整備されていない獣道に、消えかける双子の後ろ姿が見えた。
「ちょっとあんたたち、どこ行くの。そっちは立ち入り禁止でしょ」
確かにあたしはそれほど厳しく言ってやったわけではない。でもそれにしたって、双子の返事は呑気に過ぎた。
「あ、ブルマさんも一緒に来ます?大丈夫、誰にもバレてませんよ」
「もう二度と来ないかもしれないんだから、ちゃんと見ておかなくちゃね!ケチケチしないで全部見せてくれればいいのに、えらい人ってずるいですよね〜」
「そうだよねー。たった3本ぽっちじゃ、『森を見た』なんて言えないじゃんね〜」
そのあまりの悪びれなさに、あたしはすっかり呆れてしまった。とはいえ、開いた口が塞がらないほどじゃなかった。…一理あるわ。特に最後のところ。確かに幹は迫力あった。でも3本じゃ『森』とは言えないわよね。それにガイドブックの写真で見た古代の森は、すごく神秘的な雰囲気が漂ってた。あたしはそれを見たかったのに…
立ち入り禁止区域と言ったって、今までいたところとたいして変わるわけじゃない。ここには野生動物はほとんどいないらしいし、だいいちほんのちょっと見てみるだけなんだから。もちろん触ったりなんかはしない。この子たちに触らせたりもしないわ。そう、言わばあたしは監督よ。この子たちは素人で学術的価値ってものがわからないんだから、変なことしないように見張っててやらなくちゃ。
そんなわけで、あたしは双子に続いて立ち入り禁止のロープを潜った。そしてそうしてよかったと、数分の後に思うこととなった。
どことなく緑の少ない森閑とした場所にそびえ立つ13本の糸杉。深い色の幹と、まるで山に積もった雪のようにところどころ真っ白になった樹肌。すっかり踏み固められた獣道の先にあったものは、まさに『古代』を感じさせるモノトーンの世界だった。あたしの見た写真にそっくり。どうやらこれこそが本当の『古代の森』のようね。まったく、上の人ってすぐこういういいもの隠すんだから。
「わー、すごーい。まるでファンタジー映画みた〜い」
「映画だと、こういう木の穴の向こうに別の世界があったりするんだよね〜」
「そうそう、それとか木の根元に泉があってさ、その中に妖精が――」
「ちょっと、樹皮を剥がしちゃダメよ!その根っこも持ち上げない!」
とはいえ、たいして目を楽しませることもなく、予想していた通りの声を張り上げることとなった。ああもう、なんて空気の読めない子たちなの。この荘厳な雰囲気の中でなんでそんなバカなことが言えるわけ。おまけにやっぱり価値わかってないんだから。どうしてこんなのの面倒を、あたしが見なきゃいけないのかしら。ヤムチャも連れてくればよかったわね。
今から呼びに行こうかしら。あたしはそう思って、ふと獣道を振り返った。同時に双子に背を向けた。それがいけなかった――
「あっ、リル危ない」
「わっ!ブルマさん!」
「えっ?」
ふいに腕が引っ張られた。声が聞こえるとほぼ同時に、真後ろから。当然バランスを崩したあたしは、直後遠心力でそのまま後ろに吹っ飛ばされた。
「…いったぁーーー!!」
「あっ、すいませんブルマさん。つい…」
「何が『つい』よ。何が!!」
――なんてこと、絶っっ対に思わない。ええ、思うもんですか!
僅かに光の差す竪穴の底で、あたしは断固として双子を責めた。なぁんで『つい』で人を落とすのよ。落ちそうになったのはあんたなのに、落ちてるのはあたしってどういうことよ!
高さあたしの身長の倍ほどのその穴は、残念ながらどこにも繋がっていなかった。双子の期待していたような異世界にも、あたしの望む上の地面にも。お尻を擦りながら立ち上がると、双子が揃って穴の端から顔を覗かせて光を遮った。
「ブルマさーん、大丈夫ですかぁー」
「大丈夫じゃないわよ!呑気な声出してないで、早く引っ張り上げなさいよ」
「えー、無理ですよぉ。ここ深いし、手も届かないし。何か登れそうなものないですか?豆の蔓とか」
「それは童話でしょ!バカなこと言ってないで、さっさとヤムチャを呼んできて」
「はぁーい」
「わっかりましたぁ〜」
それはいい返事を、双子はした。でもその後揃って顔を引っ込めたので、あたしは慌てて指示をつけ足した。
「あっ、ちょっと!二人して行っちゃわないでよ!一人はここに残りなさい!!」
「えー、そんなぁ」
「そんなの無理ですよぉ。あの道一人じゃ怖いもん」
「こんなところに残されるあたしの方がもっと怖いわ!!」
今度は返事はすぐには返ってこなかった。さらに次の瞬間、足音が遠ざかり始めた。
「じゃ、行ってきま〜す」
「こらぁ!!」
あたしは思いきり怒鳴ったけど、それきり返事は返ってこなかった。やがて聞こえてきたがさがさという草の葉音が、あたしに浅く長い溜息をつかせた。
「もう〜…」
自分が落とした相手を置き去りにするなんて、いい根性してるじゃないの。…後で覚えてなさいよ。
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