Trouble mystery tour Epi.4 (5) byB
窓の外に広がる夜の帳。どこからか流れ込んでくる南国の夜風。
「…っくしゅん!」
それに戦いだ自分の髪に鼻をくすぐられて声を上げると、間髪を入れず横からタオルケットが飛んできた。
「大丈夫か?やっぱりさっき冷えたから…」
「平気よ。そういう冷えじゃないもの。きっと汗を掻いたからよ。誰かさんがそりゃあもうしつこく温めてくれたからそのせいでしょ」
タオルケットとその上にある手を除けながら、そう切り返した。ヤムチャは一瞬黙り込んだけど、そのまま引き下がりはしなかった。
「…ま、どっちにしても今夜は暖かくして寝るんだな。昨夜みたいにタオルケットを蹴っ飛ばしたりするんじゃないぞ」
「やだ。暑いもん」
再び飛んできたタオルケットと手を、再び除けた。わかんないやつね。そんな風には、あたしは思っていなかった。
「言っとくけど、昨夜みたいに眠った後でかけないでよ!本当に暑いんだから」
気持ちはわかるわ。でも、わかるだけに困っちゃうっていうか。だって、本当に暑いんだもん。これ以上温めてもらう必要ないもん。そりゃ、嫌じゃないけど。でも…
「じゃあね。…おやすみ!」
結局あたしは最後までお礼を言わないまま、今日を終えることとなった。しょうがないわよね。せっかくこういう雰囲気になったんだもの、お礼なんか言ってさっきまでの雰囲気をぶり返したくないわ。…気持ちはわかるんだけど。すっごく優しいんだけど。うんと雰囲気あるんだけど。んーでもそろそろ…はっきり言っちゃうとあたしは眠い…
ヤムチャに背中を向けてベッドの上に転がると、やっぱりというとなんというか、またもやタオルケットが飛んできた。もう、しつこいんだから。あたしはそう思ったけど、一方ではやっぱりその気持ちがわかったので、何も言わずにさりげなくそれを横に除けた。するとヤムチャも何も言わずにその手を引いた。横になって頭の後ろで腕を組んだらしいことが――どうやら諦めたらしいことが、枕から伝わる振動でわかった。
…サンキュー。おやすみ…
それであたしは目を閉じた。静かに深く、心の中でそう呟きながら。今になってふつふつと湧いてきた『生きる』ということに対する危機感を噛みしめ、生きている実感と余韻に浸りながら。…つくづく『人間の三大欲求』ってのは生の象徴だと思うわ。アクション映画にラブシーンは必須だっていうのもわかる…
――と、半分意識をなくしかけたところで、腕がまわってきた。
胸の上。鎖骨のあたりに。そしてその腕の持ち主が当然のように、あたしの後ろにくっついてきた。あたしはなんとも言えない心地になって溜息を吐いた。
…あん、もう。またぁ…
気持ちはわかるけどさぁ。これじゃ、いつまで経っても眠れないでしょうが。今なんか、それはもうはっきりと『おやすみ』って言ったのに。雰囲気も会話も何もかもそういう感じになってたのに。…あんた、今夜は拒めないってわかっててそういう態度に出てるんじゃないでしょうね?
そりゃまあ、いつもだってたいして拒めてないけどさ…
目を開けると、目の前は漆黒の闇だった。どこかから忍び込んでくる夜の匂い。南国の甘い空気。シルエットを浮かび上がらせる月明かりがそこに加わった時あたしは、今はしみじみとした雰囲気で後ろからただあたしを抱いている、でもやがて正面にやってくるに違いない男を受け入れることに決めた。
…まあ、いいわ。どうせそのうち朝は来るわよ。それだけは絶対なんだから。とはいえ、さっき夜になったばかりだけど。
日が長いっていうのにも困りものね…


朝は、自然と目が覚めた。…一応は。
「おはよう。よく眠れたか?」
「…ええ。おかげさまでね…」
でも、自然な挨拶を返すことはできなかった。昨夜あれだけ引っ張っといてよく言うわね。なんて思ってたからじゃない。昨夜のことは昨夜のこと。あたしだって拒まなかったんだから、もういいのよ。だから、今あたしの声を引きつらせたのは、今のことだ。
目が覚めた時、あたしはヤムチャの腕の中にいた。さらにタオルケットにも包まれていた。もう、暑いって言ったのに。それにしても、一体いつから抱いてたのかしら。よく目が覚めなかったわね、あたし。
っていうか、暑い!
ここで本当に『自然と目が覚めた』のかどうかが怪しくなってきた。だって、暑いんだもの。ここは南国。爽やかだけど暖かな朝の風。朝早くからそそがれる、太陽の強い日差し。そんな中、腕の中っていうか、すっかり胸の中よ。息が詰まっていないことを除けば、昨日夢から醒めた時とおんなじ。そこにさらにタオルケットでしょ。もうそんながっつり温める必要ないってのに…
とはいえ、一応はあたしは自然と目が覚めた。ヤムチャも、それはわかっているようだった。光ってはいない体を、あたしが何か言う前に離してくれた。そして、今度は頬に手を触れてきた。あたしは反射的に目を閉じかけて、でもすぐにそうすることをやめた。
「熱なんかないったら…」
そういう色合いをヤムチャの瞳が一切湛えていないことに気がついたからだ。ヤムチャがあたしの頬を弄っているのは手段としてではなく、それ自体が目的だったのだ。自分でも上気しているとわかる頬の温度を確かめるため。これは暑かったから!あんたのせいなの!
そしてそれを口にする間もなく、次には額までもが対象になった。それは真面目くさった顔をしてあたしの額に自分の額を当ててくる男を見て、あたしは思わず自分自身を振り返った。…あたしそんなに『いかにも死にそう』だったのかしら。まあ、意識は朦朧としてたけど。っていうか、眠かったけど。確かに『凍えたら眠くなる』っていうのは定説だけど。だけどもう平気なのに。心配症なんだから…
しょうがないわねえ。もう大丈夫なんだってことを教えてやるため、うんと冷たいシャワーでも浴びてやろうかしら。そうね、あの例のやつ。熱いお湯の後に冷水ぶっかけるっていう、マゾみたいなやつ。今朝はまだシャワー浴びてないみたいだし。
呆れながらもあたしにはヤムチャの気持ちがまだ何とかわかったので、そういう仏心を覗かせた。その途端だった。
ヤムチャがあたしの唇に触れた。当然のように唇で。あたしが驚いたのは、その脈絡のなさにじゃなかった。あり過ぎる雰囲気にだった。だって、今の今までものすごく心配そうな顔をしてめちゃくちゃ無駄な心配をしてたのに。その変わり身の早さは何なのよ?
これは疑問ではなく突っ込みだ。その手の早さはともかく、手の動きの意味がわからないわけはなかった。あたしを暑いほどに抱き締める太い腕。比喩表現ではまったくなしに。さらに心を熱くする深いキス。あたしは何も言えない状態になって、心の中で溜息を吐いた。
……ん。あん、ちょっとぉ…
…朝になってもこれなわけ?
ヤムチャは何も言わなかった。いつもだってほとんど何も言わないから、それはいい。問題はその態度だ。
確かに優しい。雰囲気だってすごくある。でもそれ以上に熱いっていうか。はっきり言っちゃうと男の事情出しまくり…
そんな風に思いながらも、あたしはヤムチャに抱かれ続けた。気持ちだけは、やっぱりわかるつもりだった。きっとこれは『確認したい』ってやつなんだと思う。だからっていちいちしなくてもって思うかもしれないけど、しょうがないわよ。あたしたちは大人なんだもの。
ま、お礼代わりってところね。ずいぶん高くついてるような気はするけど。


そんな感じで非常にラブラブな一夜が、昼近くになってようやく明けた。
ちょっと棒読みで言ってやりたい気持ちではあるけど、そうであることに違いはないわ。特にヤムチャの態度がね…
なんか、照れの欠片もないんだから。あからさまに甘い言葉を囁いたりはしないけど、あからさまに甘ったるくはなってるわ。男がロマンチストだっていうの、今なら信じられる。すごく男性的なロマンだけど。
別にそういうことをされるのが嫌ってわけじゃない。嫌なわけないわよ。そういうことされて嫌な男と一緒に旅行するわけないでしょ。ただなんていうか…
少しだけ落ち着かない体と心にドレスを着せた。といってもカジュアルなサンドレスで、下は水着。もう昼だから。
「オッケー、おまたせ」
「よし、じゃあメシ食いに行くか」
リビングに行くとヤムチャが単純にそう言って、軽く腰を上げた。その口調も雰囲気もカラッとしてて、あたしはまた孫くんを思い出した。でも今は、そのことでからかってやるつもりはなかった。
このね、一見妙にさっぱりとしているところが曲者なのよね。そんな風になんてことない素振り見せてて、急にそうなっちゃうんだから。あたしは雰囲気的にはそれほど乗ってないはずなのに、構わず進めちゃうんだから。マイペースっていうか、暖簾に腕押しっていうか…
つまり、あたしはちょっぴり警戒していたのだった。ヤムチャのすることにではなく、その醸す雰囲気に。だって、なんだか慣れられないから。でも、嫌なわけでは決してなかった。
だから、部屋を出てヤムチャがあたしの手を掴んできた時、あたしは素直にそれを握り返した。気持ちはわかるとかそういうことを考えることもなかった。うん、こういうやり方なら素敵。単純にそう思った。手を繋ぐのなんて何でもないことのように思うかもしれないけど、あたしたちにとっては珍しいことよ。この旅行中はともかく、普段はほとんどしないわね。それが今はものすごく自然な感じで繋いでくれてる。そう、こういうラブラブなら、あたしも大歓迎なのよ。
「どこに行く?またあそこか?ダンスやってる、椰子の木の…」
「うん、お昼はもうずっとあの店でいいんじゃない。あそこメニュー豊富だし、ビーチにも近いしね」
「いかにも南国って雰囲気だしな」
「そうそう、そういうのが旅行には大事よ〜」
なんてことのない言葉を繋ぎながら、あたしたちはビーチを歩いた。とりたててゆっくりというわけでも、すごくはしゃぐというわけでもなく。ただ普通にのんびりと。青い空、青い海、白い砂浜。温められ過ぎて渇いた咽喉。運動もしたからお腹もペコペコ。これは結果的にビールと食事がおいしそうね。三大欲求の二つ目も満たせるっていうわけね。
やがて件の店に着いた時、あたしはそういう心境だった。だから、そこで双子と顔を合わせても、今さら気分は壊れなかった。いいんじゃない?この子たちは、食事の邪魔だけはしないから。この店、なかなか人気みたいだし。この子たちだけ(っていうかこの子たちに限って)来ないなんて、ありえない話よ。
そんなわけで、眉を寄せたのはヤムチャの方だった…
「ブルマさんヤムチャさん。こんにちはー」
「よかったー、お二人ともなんともなさそうで。あの後森が爆発したって聞いて、ちょっぴり心配してたんですよぉ」
…いえ、あたしも眉は寄せた。『ちょっぴり』?あんた、言うに事欠いてそういうこと言うわけ?あたしを落としたのはあんたでしょうが!
でもとりあえず、表立って反応したのはヤムチャだった。たぶん無意識にあたしの手を放しながら、もう絶対無意識に失言をかました。
「爆発って…二人とも、どうしてそのこと知ってるんだ?」
ま、別にいいけどね。口をすべらせたところで、証拠があるわけじゃないんだし。それどころか、当事者であるあたしにすら、何がどうだったのかわかんないもんね。
とはいえ、そんなことを考える必要すらなかった。どうやら木は森に隠れてしまったみたい。我ながら嫌な言い方だと思うけど、まさにそうだということを、双子はあたしたちに教えてくれた。
「あれ、知らないんですか?昨夜からTVでいっぱいやってますよぉ。地元のチャンネルなんか、もうそれしかやってませんよー」
「そうそう、森も古代の木も全部消えちゃって観光スポットがなくなったって偉い人がずーっと言ってて。そんなのでドラマ潰さないでほしい〜。海外ドラマ見るの楽しみにしてたのに〜」
「でも、あたしたち昨日見に行っておいてよかったねー!これでもう本当に二度と見れなくなっちゃったもんね」
「そうだね、写真も撮ったし。超レアだよねー!」
「あちゃー…」
ヤムチャは頭を抱えてたようだけど、あたしはそうでもなかった。どちらかというと双子の態度に呆れた。…さすが俗物ね。旅行中にドラマなんか見ててどうすんのよ。
「うーん、結構大ごとになっちまってるなあ…」
だからやがて双子が自分たちのテーブルへと戻っていってヤムチャがそう言った時、あたしはその困惑を取っ払ってあげた。
「いいわよ、あんな森どうだって。だいたい森とあたし、どっちが大切?」
「んー、そりゃまあ…」
椰子の木陰の席に腰を沈めながら、ヤムチャは言葉を濁した。視線を宙に泳がせて、無意味にそれっぽく腕を組んだ。いつもながらのその態度に、あたしはすっかり呆れてしまった。
中途半端ねー。
どうせ甘くなってるんならベッドの中でだけじゃなくて、今こういう時にも何か言えばいいのに。ここで何か言うのなんてすっごく簡単だと思うけど?ほーんと自分本位なロマン覗かせてるんだから。
それでも、不快というわけじゃなかった。だって、ほとんど言ってるようなものだもの。そもそも言わせたいってわけでもない。言葉の綾みたいなものね。
この時にはあたしも席についていたけれど、ウェイターもウェイトレスもやってはこなかった。『なかなか人気』の弊害よ。商売繁盛で結構なことだわ。
「まあいいわ。ねえ、そんなことよりネックレス買ってよ」
そんな感じであたしはすべてを大目に見てやることにして、一つ時間潰しの話題を出した。ヤムチャは途端に視線を戻して、小首を傾げた。
「ネックレス?」
「一昨日買ってくれたでしょ。でも、昨日ので壊れちゃったの。あれ気に入ってたのよね」
あたしは堂々と言っておいた。だって、あたしが壊したんじゃないもの。不可抗力だもの。たった一日でダメにするなんてさすがに早いなとは思うけど、あたしが悪いんじゃないもの。そんなことヤムチャだってわかってるはずよね。
でも、ヤムチャはそれはそれはわざとらしく眉を寄せた。その声も言い方も、本当にわざとらしかった。
「ちょっと待てよ。まさか同じのをか?同じネックレスをまた買うのか?」
「そうよ。いいでしょ別に。二個目だけどスペアってわけじゃないわよ。だってなくなっちゃったんだもん」
ちょっぴりだけ、あたしはイライラし始めた。わっかんないやつね。そんなに畳みかけることないでしょ。あたしは被害者なのに。
「…まあ、絶対同じじゃなきゃダメってわけじゃないけど。でも、ああいうのがいいの。だから買ってね」
だけど、そこはそれ、ぐっと我慢しておいた。別に助けてもらったから頭が上がらないとか、そんなんじゃないわよ。それとこれとは話が別でしょ。単に買ってもらう立場としてのことよ。そう、あたしはあくまで『買ってもらい』たいの。そうじゃなきゃ意味がないもん。それくらいわかるでしょ。
でも、ヤムチャにはわからないらしかった。としか思えないほど投げやりに話を締めくくった。
「ああ、はいはい」
「ちょっと、なーにその返事!」
「二つ返事ってやつだよ。で、オーダーは?」
「今決めるわよ!」
それともわかっててやってるのか。とにもかくにも非常にかわいくない態度だった。何が二つ返事よ。それならもっとそれらしくしろっつーの!
「これ!この小皿料理5品のCコース!それとビールね!」
すっかり開き直ったヤムチャの態度に対抗して、あたしもうんと傲慢にオーダーを決めてやった。一瞬腹は立ったけど、話を蒸し返す必要までは感じなかった。どうせこんな態度取ってても結局は買ってくれるのよ(口ではそう言ってるし)。それならそれでいいわよ。無駄な雰囲気出せなんて、もう今さら言わないわ。
それにしても、雰囲気なくなるの早いわね。外に出たら即行か。さすが男のロマンだわ。
inserted by FC2 system