Trouble mystery tour Epi.4 (6) byB
きっと、リフレッシュするってこういうことを言うのね。
「んー…今日は結構風が強いわね〜」
レストランを後にした時、あたしはなかなか満足した気分になっていた。おいしい料理とおいしいお酒。もうすっかりいつも通りのエスコート役。まあ、真昼間からべたつかれるよりはいいんじゃない?海を見ながら伸びをすると、余計にそう思えてきた。波に乗るサーファーたち。大きなパンの木。華やかに咲き誇るブーゲンビリアの花。あたしたちはちょっと遠回りして、一昨日と同じ道を歩いた。一昨日と同じようにちょっぴり離れて。
「何かそういうマリンスポーツやったら?カイトボーディングとか。カイトボーディングって知ってる?大きなカイトで風を受けてボードに乗るの。あれはあんた向きだと思うわよ〜」
「そうだなあ…」
「あっ!あった!ほら、あのお店!」
そして、一昨日と同じ店を見つけた。一昨日とほとんど同じ場所に。あたしがそこへ走って行くとヤムチャもすぐにやってきて、あたしが何も言ってないにも関わらず自分から店内を物色し始めた。
「確かこれだったよな」
「うん、そう。…あ、待って」
振り向いたヤムチャの手の中には、ちゃんと前に買ったのと同じネックレスがあった。それで完全に、あたしの気持ちも一昨日と同じになった。…少し漁ってみようかしら。だってあたしがほしいのは品物そのものじゃなくって、『買ってもらう』っていう行為なんだもの。もう一度最初から味わってみるのも悪くないわよね。
とはいえ二日しか経っていなかったので、店にある品物はたいして変わっていなかった。相変わらずごちゃごちゃと置かれている小物類。デザインの要は椰子の木かモンステラか貝殻。変わっていたのはあたしの気分だった。なんとなく、少し派手な物がほしいな、そう思った。
「やっぱり違うのにするわ。それ、そこにぶら下がってるターコイズとピンク珊瑚のネックレス。そのおっきい貝のついたやつ、それ買って」
ちょうどヤムチャの頭上にあったそのネックレスを指差すと、ヤムチャは一瞬動きを止めた。軽くだけど寄せられた眉に、どことなく疑わしそうな目つき。何も言わなかったけど、言いたいことは一目瞭然だった。
「何よ?」
「…んー、いや別に…」
どうせ『話が違う』とか思ってるんでしょ。『壊れたから買い直しにきたはずなのに』とかってさ。ヤムチャって、そういうこといちいち突っ込んでくるんだから。その鈍過ぎる神経、どうにかならないのかしらね。
それでも一応は何も言わずに、ヤムチャはネックレスを買ってくれた。一昨日と同じように、どことなく惚けたような顔をして。まったく、そんなところまで同じじゃなくていいのに…
「ほら、つけてやるよ」
「…ん。ありがと」
だけどちょっとだけ、学習した形跡は見えた。いえ、ちょっとっていうかだいぶんかもね、ヤムチャにしては。上出来とまでは思わないけど。だって一昨日の今日で、また同じことを言わされちゃたまんない…
……
…………ちょっと。
そのネックレスをつけてもらった瞬間、あたしはネックレスの存在を忘れた。思っていたのとは全然違う形で、ネックレスのことがどうでもよくなった。あたしが驚いたのは、その感触にじゃなかった。行為そのものにだった。
――なぁんでここでキスするのよ!?
驚いたというよりは呆気に取られた、と言った方がいいかもしれない。行為だけを見れば『なかなかやるわね』とも思うけど、それはやったやつがヤムチャじゃない場合のことよ。あんた、そういうやつじゃないでしょ。『ネックレスをつけながら頬にキス』とか、そんな気の利いた真似、今まで一度だってしたことなかったわよ。…もう手も繋いでこなかったから、熱は冷めたんだと思ってたのに…
そういうことを、あたしはヤムチャの背中を見ながら考えた。すでにヤムチャはゆったりとした足取りで歩き始めていた。そしてそのことによる弊害が一つ起きていることに、あたしは最後の最後に気がついた。
「ちょっと、ヤムチャ…」
すぐさま店先から離れた。店主の視線から逃れると、次には平然とした男の視線に出会った。
「ん?」
「一人で置いてかないでよ。恥ずかしいじゃないの!」
よりにもよって店の真ん前ですることないでしょ。『旅の恥は掻き捨て』にも程があるってもんよ。もうあの店には行けないわ。
「はは。そうだな、それは悪かった」
ヤムチャは軽く笑って、それからあたしの手を掴んだ。文句を言い間違えたことにあたしは気づいたけど、もう遅かった。おまけに、手を振り払うべきなのかどうかも、あたしにはわからなかった。
正しい流れなような気もするし、誤魔化されてるような気もするし。わかるのは、ヤムチャがいつもとは違うっていうことだけ。そして、どうして違っているのかを、あたしはわかっているつもりだった。
だから、結果的に手は振り払わなかった。例え振り払ったとしても、また掴まれてしまうような気もする。そうなったら余計に困る。…ような気がする。
まあ、今日一日くらいは大目に見てやるべき…かしらね。


それから半潜水艇で湾をクルーズ。その後プライベートビーチでひと泳ぎ。
「あーダメ。もう疲れた。あたし上がって肌焼くわ」
そこであたしは音を上げた。時刻は日差しがようやく弱まってきた頃。咽喉も渇いたしお腹もこなれたし、一休みするにはいい頃合い。そうあたしは思ったのだけど、ヤムチャの見解は違った。
「もう?運動不足なんじゃないのか」
「なわけないでしょ!」
もういいだけ運動したっつーの。むしろそのせいで疲れてるっていうのに。まったく、この体力バカは…
女を、っていうか一般人をもう少し気遣ってほしいわね。こんなに毎晩盛り上がったこと今までなかったからわからなかったけど、あんた体力あり過ぎよ。お願いだから、腹上死なんかさせないでちょうだいよ。
「とにかくあたしは上がるわ。砂浜の手前の方にいるから」
「じゃあ俺は適当に遊んでおくよ。さっき言ってたやつ、あれ何だっけ?」
「カイトボーディングね。ここ人少ないから、同じ場所でいろいろやれていいわよね」
そして人が少ないから、あたしも簡単に知ることができる。不審な人間が近づいていないかどうかを。言っとくけど、あたしにじゃないわよ。ここって南の島でリゾート地のくせに、そういうナンパな男全然いないんだから。ナンパどころかフリーっぽい男そのものがいないのよね。いるのはカップルか夫婦か女のグループ。やっぱりプライベートビーチだから…
マリンショップでシートとオイルを、ビーチバーでドリンクを受け取ってから、砂浜に陣取った。砂浜には思いのほか人がいた。だいたいが肌を焼いている人たち。ガイドブックを広げながら横になっている女二人。オイルの塗り合いをしているカップル。…あたしもオイル塗ってもらってから遊びに行かせればよかったかしら。ふとそんなことを考えながら海に目をやると、そこにはすでに立派なカイターが一人でき上がっていた。
ボードがスピードに乗ったと見るや、カイトを動かして空高く舞い上がる。それが舞空術使ってんじゃないのと言いたくなっちゃうほど高い。さらに空中でたっぷりと入れられる、前転、後転、ひねり、もはや10何回転だかわかんないひねり。…マスターするの早過ぎるわ。さすが体力バカね。あれだけやり込んでたらかえって声かけられないわね…
あたしはすっかり気を抜いて、ビキニの紐を解いた。すると途端に大きな欠伸が一つ出てきた。…あー、眠い。昨夜ヤムチャがなかなか寝かせてくれなかったから。朝だって目が覚めたの早かった上に、二度寝もさせてくれなかったし。普通ああいうことのあった後って休ませてくれるんじゃないかと思うんだけどな。ま、気持ちはわかるけどね…
ゆっくりとうつ伏せて目を閉じると、潮騒が少し重々しく耳に響いた。胸の鼓動に重なる、寄せては返す波の音。優しく吹きつける潮風。肌に降り注ぐ温かな日差し。少し手持無沙汰な両腕を落ち着かせてくれる抱き枕――
…………ん?
小さな疑念と共に、やがてあたしは目を覚ました。なんとなく苦しくなったのだ。首元が。夢の感覚にしては妙にリアル。薄目を開けると、その感覚の正体がわかった。
さっき買ってもらったばかりのネックレス。それが首元でねじれて、軽く首を絞めつける形になっていた。そしてそのねじりを直そうとヘッドの貝を引き寄せようとした瞬間、あたしはもう一つの疑念の正体を知った。
貝を掴む大きな手。その向こうにある厚い胸板。そしてその上にある、サングラスの外れかけた男の寝顔――
…ちょっとぉぉ!!
あたしは慌てて手を引いた。ネックレスへ伸ばしかけていた手ではなく、もう一方の、ヤムチャの背中へとまわっていた手を。…何、当たり前みたいな顔して一緒に寝てんのよ!こんな人のいっぱいいるとこで!パラソルも何もない、視線浴びまくりの場所で!カイトボーディングはどうしたのよ、カイトボーディングは。あんたあれくらいで疲れるような珠じゃないでしょ。
自分の文句がちょっぴり的外れな方向にいっていることに、あたしは気づいていた。でも、もうそういうところから突っ込んでやりたい気分なんだもの。らしくないっていうかなんていうか…昼寝をするのが異常だとまでは言わないわよ。だけどこれは…照れどころか、恥も外聞もなくなっちゃってるんだから、ヤムチャってば…
一体どうしてなのか。そんなこと、わかりきってた。今では目に見えてもいた。だからあたしは文句を全部心の中で言っていた。ヤムチャを起こすこともせず、ただその手を貝から外すだけにとどめた。だけど、やっぱり溜息は出るのだった。自分でも予想していなかった溜息が。
困っちゃうなぁ…
そりゃ、最初はこんな雰囲気で旅行したいなって思ってたけどぉ。でも実際そうなっちゃうと困っちゃう…
そろそろわかってもいいんじゃない?あたしは大丈夫なんだって。あんたが助けたんでしょ?
あたしは延々と呟き続けた。心の中で。ヤムチャの寝顔に向かって。かわいいのよね、こいつの寝顔。眉がすっかり下がっちゃって、口元なんか無防備もいいところ。おまけに物を掴んだまま寝ちゃうなんて、子どもみたいね。…それが自分のおもちゃだったらだけど。
もう目はすっかり醒めていた。だから途中から体を起こしていた。そしてそうしてしまうと、目覚めた時には気になった周囲からの視線はそれほど気にならなくなった。気の抜けた顔で昼寝をしている男と、隣で肌を焼いてる女。すでにあたしたちは、ごくごく普通の一組のカップルになっていた。でも、それで終わらせてしまうつもりは、あたしにはなかった。
さっきがキス。で、今が添い寝でしょ。放っておいたらどこまでやらかすかわかったもんじゃないわ。ここらでしめておかなくちゃね。
あたしは待った。ヤムチャが目を開けるのを。朝、ヤムチャがそうしていたみたいにのんびりと。自分のペースで。水着のずれを直したりしながら。やがてふいに少し強い風が吹いてきて、ヤムチャの眉がぴくりと動いた。その目が開いたと同時に、あたしは言ってやった。ヤムチャがそうだったみたいに、思いっきり明るい声で。
「おはよ。よく眠れた?」
「あー…」
「そう。それはよかったわ」
その声が返事じゃないということはわかっていた。目が開いたといってもまだ半開きだったし、声もくぐもっていた。でも、まさにそうだったからこそ、あたしは続けた。外れかけたサングラスに触れようとするヤムチャの手を押し退けて、キスをした。完全に自分のタイミングだったということは、未だヤムチャが体を起こしていないことからも明らかだった。
「ちょっとブルマ、いきなり何…」
あたしが体を離すと、ヤムチャはようやく体を起こしながら、口を押さえた。みなまで聞かずともわかるその言葉を遮って、あたしはさらに言ってやった。
「何って、あんたがやったのと同じことよ」
あたしがそう言えないのをいいことに、あんたは…もう、ずるいんだから。一瞬そう思ったけど、そこのところは呑み込んだ。
「わかった?そういう気持ちなの!いきなり人前でキスされたりくっついて寝られたり、する方は好き勝手してて楽しいかもしれないけどね、される方はたまったもんじゃないのよ。わかったら、むやみにべたついてこないで!」
「は…」
「ほら、目が覚めたんならさっさと起きる!」
「はい…」
でも、他のことは言ってやった。お礼とイニシアティブの奪還も兼ねて言ってやったわ。これでわからないようだったら、…そうね。今日はもう部屋から一歩も出ないわ。
目を丸くして呟くように返事をしたヤムチャは、頭を掻きながらゆっくりとその場に立ち上がった。久しぶりに見る、困った時のその仕種。不自然に海へと向けられる視線。…別に、どっか行けとまでは言ってないのに。ちょっと強く言い過ぎたかしらね。あたしはそう思ったけど、それは無用な仏心だったということが次の瞬間わかった。
「…たぶん絶対、俺とおまえの味わった気分は違うと思うぞ」
愚痴を溢しているというには、ヤムチャの口調は淡々とし過ぎていた。だいたい本人に向かって愚痴を溢すこと自体、懲りてない証拠よね。
「何それ、何が違うって言うのよ」
「だってなあ…」
「だって、何よ?」
一度目より二度目。仏心に少しずつ咎めを混ぜてやると、ようやくヤムチャは態度を変えた。
「い、いや!何でもないよ…」
それはわざとらしく身を屈めて、やっぱりわざとらしく両手を振った。さらにわざとらしく話題を変えた。
「そんなことより、カイトボーディングやらないか?あれタンデムできるからさ。空を飛んでるみたいで気持ちいいぞ」
ヤムチャの態度は完全に誤魔化しの領域に入っていた。もう明らかに文句を呑み込んでいたし、声も妙に明るかった。それであたしの文句も消えた。
それでいいのよ。あんたは四の五の言わずにあたしに付き合ってくれればいいの。
「いいけど、あんたあれ舞空術使ってない?スポーツする時にそういうのはなしよ」
「使ってないよ。そんなの使わなくても、軽ーく飛べるんだ」
「あら、そうなの」
こうしてあたしたちは、何の危機感もないただのカップルに戻った。いろんな意味で。後はただあのことが起こる前と同じように、ヤムチャは自分の領分を発揮するため海へと向かい、あたしはその後ろを追いかけた。…ん?結果的にあたしが付き合ってる?何言ってんの。そういうことじゃないでしょ。
見た目じゃなくて、実質的なことよ。それが一番大事なのよ。


…付き合うんじゃなかったかも。
とはいえ夕暮れ近くになってあたしはそう思い、自ら立場を危うくした。だってさぁ…
「あーん、喉が痛〜い。すっかり声枯れちゃったわ」
「おまえ、叫びっぱなしだったもんなあ」
「誰のせいだと思ってんのよ?」
部屋へと戻りがてらあたしが水を向けると、ヤムチャは軽くそっぽを向いた。…まるっきりわかってないわけじゃないのね。だけど、そうならなおさら悪いわ。
そう、カイトにじゃなくヤムチャに引っ張られて、あたしはひどい目にあったのだ。やっぱりどう考えても、こいつ飛び過ぎなのよ。
タンデムったって、カイトボーディングの場合は他のスポーツとは違うんだから。ただ後ろにもう一つボードを繋げるっていうだけなんだから。あたしはあくまで自力で動かなきゃいけないんだから…
なのに何なの、あのジャンプの高さは。あんなのどうやって着水するのよ。そりゃ気持ちはよかったけど。確かに『空を飛んでるみたい』だったけど…でも、あれで海の中に落とされでもしていたら、二度だって付き合ってあげてなかったわ。本当に体力バカなんだから。
「まるでフリーフォールにでも乗ってるみたいだったわよ。さんざん付き合ってあげたんだから、何か奢ってよね。そうね、カクテルがいいわ。フルーツいっぱい入った南国っぽいやつ。あ、ブルーハワイじゃないやつね。あれはもう飽きちゃった」
「いいけど…昼から飲み続けだな」
「平気よ。ほとんど汗になっちゃってるもん」
主に冷や汗にね。のんびり酔ってる暇もないんだから。
その汗をシャワーですっかり流してから、街外れへと向かった。行き先は一昨日にも行ったビアホール『サンセット』。あそこだと気楽だから。今夜はうんと飲んでやりたい気分だし、第一今から正装してちゃんとしたレストランへ行くのは面倒くさいわ。もう10日目だもの、そういう気合いも入らなくなるわよね。
夕暮れ時のビアホールは、なかなか盛況だった。人の姿こそジャングルのような植物に隠れて見えないけど、賑やかな声が店中に溢れている。この前のように席を選んでいる余地どころか、その席すらなさそう。
「今日はどこも混んでるな。どうする?他行くか」
「そうねえ。相席は嫌だし…」
この辺りには他によさそうなお店はないから、行くとしたら海岸沿いのエリアね。これはちょっとした散歩になりそうだわ…
軽く溜息をつきながら踵を返しかけた時、視界の端で茂みが動いた。大きな葉っぱの向こうから、それとよく似た形の赤いスカーフが覗いた。
「よう。おまえら、狭くてもいいならここへこいよ」
「あれっ、ランチさん」
ぐるりと緑に囲まれた中央のテーブルに、ランチさんが一人陣取っていた。片手にストレートグラス、ウィスキーが一瓶あるだけで料理が一皿も乗っていないテーブルはどう見ても10人は座れる代物で、ランチさんの言葉とは裏腹に実に広々としていた。
「どうしてこんなところにいるの?天津飯さんを探しにルートビアに行ったんじゃなかったの?」
ともかくもそのスペースに入り込みながらそう訊くと、ランチさんはグラスを置いて、テーブルに乗せていた足をゆっくりと組みかえた。
「ああ、行ったぜ。たった今戻ってきたところだ」
「えぇ?だけど、あれからまだ二日しか経ってないわよ。二日で往復なんてとても――」
ここからルートビアまでは高速艇でも一日以上かかる。一昨日の夜に運よく船に乗れてたとしたって、計算が合わない。当然首を捻ったあたしに対し、ランチさんは顔色も変えずに嘯いた。
「あんなところ、飛行艇ならほんの数時間で行けらあ」
「飛行艇?でもここ飛行禁止区域よ。飛行場設備だってないし」
「表向きはな」
…なるほど。
ランチさんらしい行動力だわ。まあ、船に密航するよりはマシ…なのかしらね。
ここで、いかにもおそるおそるといった感じで、ウェイターがやってきた。一昨日のランチさんの去り際の様子、それと今この混雑している店の中で大テーブルを一人で占領している事実から、考えるまでもなくその態度の理由はわかった。…でもオーダー取りにきてるってことは、一応客扱いされてるのよね。少しだけ考え込んだあたしの隣では、ヤムチャがスツールを引きつつメニューに手を伸ばしていた。それであたしは遠慮なく、そのランチさんの行動力に便乗することにした。
「じゃ、せっかくだから座らせてもらうわ。お酒はヤムチャの奢り、料理はあたしの奢りね」
同時に、あたしたちに声をかけてくれたランチさんの機嫌にも乗っかることにした。簡単にオーダーを済ませてから、あたしはあたしと同じように武道をする男を好きになったランチさんと、あたしの相手とは違ってクールに徹しているらしい天津飯さんの、実際のところについて訊ねてみた。
「ねえ、ランチさんは天津飯さんとどこまでいってんの?もうエッチした?」
「バカ!おまえ、何てこと訊くんだ」
即行で言葉を発したのはヤムチャだった。ランチさんは一瞬グラスを持つ手をとめたけど予想に反して中身を口から噴き出したりすることはなく、ただ黙ってテーブルから足を下ろした。それであたしは正面のランチさんではなく隣のヤムチャを相手にすることとなった。
「えー?いいじゃない、このくらい」
「何が『このくらい』だ。そりゃあ想像つかないぶん気になるのはわかるがな…」
でもヤムチャが思いっきり失言をかましたので、それもすぐに終わった。失言っていうか、ちょっとはっきり言い過ぎよ。相変わらず口軽いんだから。
あたしはちょっぴり身を引いてランチさんの様子を窺った。ランチさんは声を荒げることはなく、わりあい淡々と会話を引き取った。
「んなこたぁどうだっていいじゃねえか。そんなことより問題はあいつの目がよ過ぎるってことだ。おまえら、世界旅行してんだろ?またどこかであいつを見かけたら教えてくれよ。オレはそれを言いに戻ってきたんだ」
「あら、また逃げられちゃったの?」
「…まあな」
「ふーん、そっか」
なにげなく始めた酒飲み話が、すでに予想を完全に逸脱していることに、あたしは気づいていた。さらにピンときてもいた。数時間でいける場所に丸二日。逃げられたのにそれほど怒っていないランチさん。天津飯さんの硬派さと奥手っぽさは、かつてのヤムチャとは違って本物。あたしはそう思っていたんだけど、ちょっと違うみたい。そうよね。いくら固そうに見えたって、ヤムチャと付き合えるくらいなんだものね…
もちろん、それは全然悪いことじゃない。だけど、ある程度の硬派さは残しておいてほしいわね。その気持ちが今日のあたしには特に強かったので、一つアドバイスをしてみた。
「ね、ランチさんも天津飯さんの前で危ない目にあってみたら?そしたら逃げずに助けにきてくれるんじゃない?」
…と思わせて、嫌みを言ってみた。とはいえ、それはすぐには通じなかった。返ってきたのは、ランチさんの呆れたような声だった。
「なんだそりゃあ」
「ずっと傍にいないと心配、みたいな気持ちにさせるのよ。天津飯さんて騙されやすそうだもの、きっと簡単に引っかかるわよ。うんと心配させてやったら、その後ウザいくらい纏わりついてくるようになるわよ〜」
「おまえ、何てこと言うんだ…」
さらに言葉を続けると、ようやくヤムチャが表情を崩した。まったく、遅いんだから。いつまでも蚊帳の外みたいな態度取ってんじゃないわよ。それにしても、ランチさんがいてよかった。あたしはそう思いながら、その苦虫を噛み潰したような顔に向かって、思いきり嫌みっぽく言ってやった。
「あ〜ら、事実に基づくアドバイスよ。所謂『経験者は語る』っていうやつよね〜」
きっとね、二人きりだったらこうはいかないわ。今日のヤムチャってば、妙に堪えないんだから。神経太いっていうかさ。わざとなんだかいつものボケなんだか知らないけど、全然他人の目気にしてくれないんだから。それが、さっきカイトボーディングをした時にはっきりわかったのよ。
「おまえというやつは〜…」
「そんなわけだから。一度やってみたら、ランチさん」
あたしはことさらランチさんに話を振った。あたしの相手と時々接触しているらしい武道をする男を追いかけているランチさんに。そう、ランチさんは他人じゃない。おまけに友人兼ライバルの彼女よ。少しはその目が気になるでしょうよ。…ランチさんがそういうこと、よりによって天津飯さんに話すなんて、想像もつかないけどね。
「やめろ。そんな知恵つけたことがバレたら俺が天津飯に怒られる」
「どうしてあんたが怒られんのよ?あっやし〜い」
「何があやしいんだよ?」
「えー、だってぇ、ランチさんやあたしが怒られるんならわかるけど〜。あんたたち一体どういう付き合い方してるわけぇ?ただの修行仲間にしては仲良過ぎなんじゃないの?やーらし〜」
「わっ、わけのわからないことを言うな!」
「じゃあ、あたしと天津飯さん、どっちが大切?」
「いきなりどうしてそういう話になるんだ…」
「ふぅーん、答えられないってわけね〜」
だから、今のうちに苛めておくわ。少しは気晴らしさせてもらうわよ。夜になっちゃう前に。ランチさんと別れたら、きっと夜になっちゃうに違いないんだから…
「まったく、幸せなやつらだぜ…」
やりあうあたしとヤムチャを見るランチさんの目は、それほど厳しくなかった。意外なほど穏やかに呆れる声。それを聞いて、やっぱり想像はつかないながらも、あたしは思った。
…お互い、大変よね。
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