Trouble mystery tour Epi.5 byB
ランチさんがその音を発したのは、運ばれてきたばかりのその料理に豪快に齧りついた直後だった。
「っくしゅん!」
…ラムスペアリブ黒胡椒風味。黒胡椒のかなりきいたビールに合うその一品が、ランチさんの髪の色を変えたのだ。
「あら。あらあら、あらあらあら」
一瞬にして青黒髪となったランチさんはそれは慌てた手つきでスペアリブを皿に戻し、きょろきょろと辺りを見回した後で、ゆっくりと口を開いた。
「えーと、ここはどこかしら。あらブルマさんヤムチャさん、おひさしぶりですわね」
ほんの少しの間だけど完全に、あたしは呆けてしまった。ヤムチャも何も言わなかったから、同じような心境だったんだと思う。不意打ちって感じ?うーん、ちょっと違うわね。お酒飲んでてふと気づいたら記憶がなかったみたいな…いえ、それはランチさんの心境か。
「亀仙人さんにお借りした飛行艇に乗っていたはずなのに。あのブルマさん、今日は何日ですかしら」
へー、意外。天津飯さんを捜し始めたのは、こっちのランチさんだったのね。人格は違っても心は一つってわけね。ある意味では当たり前のことを思いながら、あたしはランチさんに教えてあげた。
「今日は29日。ここはグリーンシーニ。あたしとヤムチャは旅行してて、さっき偶然ランチさんに会ったのよ」
わかっている限りのことを。とはいえ、それは決して多くはなかった。だって、これから聞き出そうとしてたんだもの。いつから天津飯さんを追いかけてるの。天津飯さんはランチさんのこと何て呼んでるの。一緒にお酒飲んだりするの――宴もたけなわ、酔いも回ってきたようだし、もう一度はっきり訊いてみようかな。そう思い始めていたところだったの。ランチさんてばガード固くって。しばらくなにげなく探ってみてたんだけど、全然乗ってこないのよね。
でも、どうやらその機会はなくなっちゃったみたい。今は完全に、ランチさんがあたしたちに訊ねる番だった。
「グリーンシーニ?まあ、ずいぶん遠くまで来たのね。あらもうこんな時間。ホテルに戻らなくちゃ。私どこに泊ってるのかしら。お二人ともご存じありません?」
「さあ…」
「困ったわ。そうだわ、飛行艇で休みましょう。オートパイロットにしておけば次の場所にも行けるし、ちょうどいいわ。カプセルはいつもポケットに…やっぱりあったわ」
「ここ飛行禁止区域よ。飛行場設備も飛行艇が離陸できそうな場所もないし、やめといた方がいいと思うわよ」
「まあ。それじゃ私どうやってここまで来たのかしら。お金はあまり持ってなかったはずなんですけど」
「さあ…」
最後の相槌はヤムチャが打った。あたしはというと、すでに決めていた。
「あたしたちの部屋に来ればいいわ。ゲストルームが空いてるから。明後日には次の場所に行くからそれまでに落ち着き先考えてね」
当然よね。ランチさんにはヤムチャがカメハウスにいた頃いろいろお世話になったし。第一本当に困ってるんだもの、嘘か本当かわからないようなことを言いながらひとの部屋を占領したウーロンたちとは違うわよ。
「ねえヤムチャ、いいわよね」
ところがあたしがそう声をかけると、当のヤムチャが僅かながら眉を寄せた。
「…もう一度くしゃみをさせて金髪のランチさんに戻せばいいんじゃないか?」
たいして不満そうではないけれど、耳元でそう囁いた。なんていうか、いつもながらの筋だけは通っているようなこと。だからあたしは少しだけ、本音を溢してやった。
「いいじゃない、このままで。先を急いでるってわけでもないみたいだし。こっちのランチさんとだって、いろいろ話してみたいじゃない」
そう、くしゃみをさせさえすれば、さっきまでのランチさんに戻る。そんなことわかってたけど、わざとそうさせたりするつもりはあたしにはなかった。こっちのランチさんだってランチさんには違いないわ。せっかく何日かぶりに変わったらしいのに、こっちの都合で戻しちゃかわいそうよ。…それに、こっちのランチさんが天津飯さんとどう付き合ってるのかにも興味あるのよね。だって、全然想像つかないんだもん。
「まあ、ありがとうございます。助かりますわ」
「じゃあ、もう一度乾杯しましょ。あたしたちとランチさんの旅に」
ヤムチャはおとなしく引っ込んだ。ランチさんも素直に笑顔をほころばせた。いいことをした後のビールを一杯味わってから、あたしは話の続きに戻った。
「ところでねえランチさん、それで天津飯さんには会えたのよね?」
…つもりだったのだけど、実際には振り出しに戻った。一口飲んだだけでビールをテーブルに置いたランチさんは、すっかり目を丸くしてあたしを見た。
「まあ、どうして私が天津飯さんを捜してるってわかったんですか?」
「ランチさんが自分で言ったのよ」
「そうだったかしら。覚えてないわ」
そんなわけで、食事だけが続きから始められた。やがて再び黒胡椒のきいた料理に手をつけても、ランチさんはもうくしゃみをしなかった。
「ルート平原に行ったんでしょ。やっぱり岩場で寝泊まりしてた?」
「ブルマさん、何でもご存じなんですね」
「なんとなく、そういうイメージだから。天津飯さんて硬派じゃない。山に篭ったり滝にうたれたりしそうな感じ」
「ええ、本当にそうですわね」
ただただにこやかに、あたしの言葉を肯定した。…肯定しただけだった。否定されないまでも、いま一つわからない真実。こっちのランチさんも意外とガード固いわね。それともボケてるのかしら。
「ねね、天津飯さんはランチさんのこと何て呼んでるの?」
「それはその時によっていろいろですわ」
「いろいろって例えば?」
「そうね、さん付けで呼ばれたり呼び捨てだったり『おまえ』だったり…あと何があったかしら」
「ふーん…」
やっぱりわからない。っていうか、それって答えになってるのかしら。
隣ではヤムチャが片頬杖をつきながら、のんびりと口を動かしていた。ビールを飲んだり料理を食べたり、つまり喋る以外のことに。もうあからさまにあたしたちから一線を引いている気配。
まあいいわ。好都合よ。ヤムチャにはこういう会話術なさそうだし。
女同士、ゆっくり語り合うもんね。


ふとそのことを思い出したのは、ビアホールを出た後、ヤムチャに手を取られた時のことだった。
…そういえば、カクテル奢ってもらうって約束してたんだっけ。
フルーツいっぱいのカクテル。あたしの南国気分。…でも、もうそんなことを言ってる場合じゃないんだってことは、あたし自身にもわかっていた。
「大丈夫ですか、ブルマさん」
「大丈夫〜〜〜」
心配そうな顔をして隣を歩くランチさんにさっくりと答えると、すかさず突っ込みが入った。
「大丈夫じゃないだろ。ったく、飲み過ぎだ」
あたしの手を掴みつつ前を歩く男から。あたしはそれには答えなかった。面倒くさいっていうのが半分と、癪だったっていうのが半分。…何よ、えっらそうに。
さっきまではまるっきり存在感なかったくせに。そう、ビアホールではすっかり路傍の石と化していたヤムチャは、席を立つ段になってようやくその存在感を発揮し始めたのだった。テーブルの会計伝票に手を伸ばし、あたしの手をも取り…………ふぅーんだ。彼氏ぶっちゃってぇ。いま一つ回り切らない頭でも、そのことはわかった。これは昼間みたいな心配からくるいちゃつきとは違う。レッチェルでもクルーズ船でもこんな感じだったもの。ヤムチャのエスコートの仕方って、時々…特にお酒が入ると、妙に保護者的になるのよね。色気がないっていうかさ。…あら?これは『彼氏ぶってる』っていうのと矛盾するかしら?しないわよね。だって、お酒を飲んでる時には全然話に入ってこなかったんだもの。
おかげであたしは一人でランチさんを相手にして、見事に撃沈。はっきり言って高を括っていたあたしは、今や感嘆の目でランチさんを見る羽目になっていた。
「ふう、暑いわね。お酒を飲んだからなおさらですわ」
ランチさんは酒の熱が色を帯びた目で空を見ながら、手の平をひらひらさせて染まった頬に風を送り込んだりしていた。でもその足取りの、意外としっかりしてること。…ランチさん、お酒強いわねえ。あっちのランチさんとこっちのランチさんでお酒の入るところが違うのかしら。そんなわけないと思うんだけどなぁ…
おまけに、あんまり教えてくれなかった。天津飯さんとのこと。何を訊いても肯定するばっかりで。わかったようでわからない。なんて言えばいいかしら、天津飯さんもランチさんもそれぞれそれらしくあるっぽいことはわかったけど、二人の行動が結びつかない。一緒にいるとこ想像できないまんまよ。
「ねえ、部屋に戻ったらカードしない?3人だからジン・ラミーはできないけど、一昨日みたいにまた賭けましょうよ」
そんなわけで、あたしは切り出した。そういえば昨夜果たさなかったヤムチャとの約束を。一昨日負けた時にはもう一戦するって言ってたのに、昨夜はそんなこと言い出しもしなかった。…ま、それどころじゃなかったけど。でも今夜はまさにそれどころな感じよ。ちょっと頭が回らないけど本気を出せばきっと大丈夫、なんだか偉そうなヤムチャをまた挫かせて、ついでにランチさんからも聞き出してやるの。別に何が何でも知りたいってわけじゃないけど、なんとなく収まりがつかないじゃない?
「あら、お二人とも賭けなんかしてるんですか。何を賭けたんですか?どちらが勝ちました?」
ランチさんはやっぱり否定せず、にこやかに話に乗ってきた。だからあたしもさっくりとそれに答えた。
「当然あたしよ、あ・た・し。賭けたのはヤムチャのせな…」
「あー、賭けてない賭けてない、なーんにも賭けてないから!!」
のだけど、ヤムチャがそれを遮った。一瞬にしてあたしの手を放して、それは大げさに両手を振って。その慌てぶりを見て、あたしの軽い憂さは晴れた。…そんなに慌てるのは邪なことをしてるからよ。あたしはただ『背中を流すこと』って言うつもりだったのにさ。だって、本当のことだし。そんなの、ランチさんにとってはきっとなんてことないことよ。そのくらいのことは雰囲気でわかるわ。だからあたしも答えたんじゃないの。
「うふふ」
ランチさんが楽しそうに笑みを溢した。いつもながらの柔らかな、でも意味ありげな笑みを。雰囲気を察してるって感じね。そう、察することができてないのはヤムチャだけよ。そもそも一緒に旅行してるって時点で、だいたいわかるっつーの。
「楽しそうですけど、私今夜は遠慮しますわ。お酒を飲んだせいかしら、なんだか眠くなっちゃって。休ませてもらってもよろしいかしら」
「ええ、もちろんよ。ゆっくり休んでね」
答えながらあたしは一瞬、いろいろなことを考えた。昔、カメハウスでお世話になった時のこと。数日前にここへやってきた闖入者たちのこと。ランチさんとウーロンたちの、カードと一宿の恩、そしてあたしとヤムチャに対する意識の違い。そして、改めて自分のこの旅行への思惑を思い出した。
そう、あたしは何が何でも二人っきりじゃなきゃ嫌ってわけじゃない。もともと一人で来るつもりだったんだもの。要は旅行を邪魔されなきゃいいのよ。
こんな楽しい闖入者ならね、なんら構わないわけよ。


楽しい夜は、でも意外とあっさり更けていった。
「ふんふふんふふんふふ〜ん。ランチさん、お風呂空いたわよ〜」
カードはなし、飲み直すこともなし。部屋に戻るとランチさんは遠慮深く一番風呂をあたしに譲って、あたしがお風呂に入っている間にゲストルームに引っ込んでいた。そして何をしてるのかといえば、持っていたリュックの中身の点検。これが金髪のランチさんだったら、きっと銃の手入れをしていたに違いないわ。性格は違っても基本的な習慣は同じなのよ。
「ありがとうございます。でもヤムチャさんはいいんですか?」
「そんな気は遣わなくていいのよ。こういうことはレディファースト!何か必要なものはあるかしら?」
「いいえ、大丈夫ですわ。じゃあ、お風呂お借りしますわね」
ちなみにあたしたちが話している間、ヤムチャはリビングでミネラルウォーターを飲んだり体を解したりしていた。まったくいつも通り。あたしが席を外していた間にもそうしてたんだろうってことは容易に想像がつく。少しくらいランチさんの相手してあげればいいのに。気の利かないやつよね。
とはいえ、あたしはそれほどランチさんに申し訳なく思っていたわけじゃなかった。ヤムチャがどんなやつかなんて、ランチさんはとっくに知ってるわよ。だから天津飯さんを好きになったんでしょ。
「あたしあっちのベッドルームにいるから。何かあったら呼んでね」
「ええ、おやすみなさい、ブルマさん」
「おやすみ、ランチさん」
ひとまずの挨拶を交して、あたしもベッドルームに引っ込んだ。髪のブローに、お肌のお手入れ。シャワー浴びたら少し酔いが薄れたから、いつも通りにきっちりやるわ。それからいつも通りにベッドに入る。ランチさんから声がかからない限りは。気心の知れた女同士って楽でいいわね。加えてランチさんは遠慮ってものを知ってるから、もう何の問題もないわ。
強い日差しに焼けた髪と肌に念入りなケア。仕上げにトロピカルフルーツの香りのするパフューム。最後にネグリジェへと着替えたところで、ベッドルームのドアが開いた。ノックも言葉もなしに入ってきた人間は、マナーと遠慮を知っているランチさんではなかった。
例によってきっと冷水を、髪から滴らせた男。頭にタオルを乗せたままやってきたヤムチャを見て、あたしは本当に一日が終わったことを知った。どうやらランチさんは何事もなく寝ちゃったみたいね。おまけにヤムチャの手にはミネラルウォーターのボトルがあったので、もはやベッドルームを出て行く必要をまったく感じずに、あたしはベッドにダイブした。するとヤムチャが目をぱちくりさせて、あたしを見下ろすように立ちつくした。
「なんだ、今日は一緒に寝るのか?」
「ランチさんなら構わないわよ。あんただって、さっき手繋いでたじゃない」
数日前の出来事を思い出しながら、あたしは言った。ヤムチャもまたそうであったに違いないからだ。ウーロンたちに会った時、ヤムチャってば即行で手を離したのよね。まあ、気持ちはわかるけどさ。あたしも夜には思いっきり突き放しちゃったからね。当然でしょ?あいつらの前で何かしたって、からかいの種以外になりえないもの。実際、そうなったし。
だけど、今日はそういうことをする必要はない。ランチさんが眠そうじゃなかったら、女同士一緒のベッドでお喋り、っていうのもありだったかもしれないけど。んーでも、ちょっとしつこいわよね。それに朝起きたら金髪のランチさんになってて、条件反射的に銃を向けられたりするっていうのもごめんだわ。
そんなわけで、あたしはいつも通りベッドに潜り込んだ。ヤムチャはちょっぴり気の抜けたような顔をして、それでもいつものようにベッドに入ってきた。取り立てて何を言うこともなく、いつもながらの雰囲気で。でもやっぱりいつもとは違ったので、あたしはストレートに訊いてみた。
「どうする?する?」
ヤムチャは怒るでも驚くでも茶化すでも考え込む風でもなくただ当たり前のような顔をして、柔らかな笑みを口の端に浮かべながら言った。
「ブルマの好きにしていいよ」
「やる気のない返事ねぇ」
昼間の一喝が効いたのかな。それともランチさんがいるせいかしらね。
理由はいろいろ考えられたけど、それを追及するつもりはあたしにはなかった。心の中でさえも。あたしもヤムチャと同じような心境だったのだ。
「そうね。じゃあ寝ましょ。たまには健全にね。おやすみ」
「おやすみ」
あたしがさっくり言うと、ヤムチャもさっくり返してきた。直後に軽いおやすみのキス。そして、言葉もキスもそれきり続かなかった。さらに瞳を閉じると、あたしにはあっという間に睡魔が襲ってきた。
こうして、あたしたちはさっぱりと眠りについた。身も心もさっぱり。強調したくなるほど珍しいことながら。
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