Trouble mystery tour Epi.5 (2) byB
――涼しい…
ふとそう思った。おぼろげな意識の片隅で。それとも夢の中かしら。よくわかんない。ま、どっちでも似たようなものよね。
薄目を開けると、窓の向こうの空が青く明るくなってきているのが見えた。異国の清涼な朝の気配。近づきつつあるそれを無視して、あたしは再び目を閉じた。まだ起きるつもりはなかった。まだまだごろごろするわよ。そうね、瞼を閉じていてもなお朝日が眩しく感じられるその時まで。朝のベッドって気持ちいいんだもん。ぬくぬくしてて。ふわふわで。この感触の中で寝るでもなく起きるでもなくごろごろするのが最高なのよ。
とはいえ前述の通りこの時は少し涼しかったので、あたしは体を潜り込ませた。すぐ近くにある、自分を包み込むべきものの中へと。真っ白な天蓋を戴くベッド。そこに被さる柔らかな肌触りのタオルケット。その中にある温かな男の胸板。最後のものに触れた瞬間、また薄目を開けた。言わば条件反射で。ヤムチャが目を覚ましているのかどうかはわからなかった。だけど、少しだけ腕が動いた。…ような気がした。でもそれだって気のせいかもしれない。気のせいじゃないにしたって、だから起きてるってことにはならない。実のところ、気にしてはいなかった。特に何も考えずに、その頬に手を伸ばした。
そして、キスした。
なんとなく。おはようのキスというわけじゃない。まだ起きる気ないから。そうね、夢の続きかしら。って、どんな夢見てたのかわかんないけど。でもどことなくふわふわしてて…なんだか妙に気分がよくて…体の中があったかいような感じ…
――ん…
ふいに感覚が変わった。押しつける感覚から押しつけられる感覚へ。いつの間にかヤムチャが目を覚ましていて、あたしの頭を抱いていた。それとも、最初から起きてたのかしら。今となってはもうわからない。ともかくも今やキスをされているのは、あたしの方だった。
そしてそれはおはようのキスでは、絶対になかった。
おはようの言葉どころか何も言わずに、ヤムチャはキスを零し続けた。唇から頬へ。頬から耳へ。同時に顎を伝っていく、少し熱を持った指。やがてその唇が首筋へと届いた頃、あたしの意識が変化した。
あん…気持ちいい…
…やだ、どうしよ……あたし、すっごくしたいみたい。どうしてこんなにしたいのかしら。ここんとこ毎日のようにしてるのに。それともそのせいかしら。癖になっちゃったのかな…
ゆっくりと滑っていく指先が焦れったい。触れる感触の向こうに感じる、触れてほしい感触。あたしが望んでいるということは、胸の頂をなぞりあげられた瞬間にバレてしまった。思わず体が熱く疼いて、溢れ出すのを止められなかった。やがてそれを絡め取るように、舌が押し当てられた。
ああんっ…
いつの間に下着が脱がされたのか、あたしにはまったくわからなかった。脱がされたという事実すら、どうでもよかった。ただそこにある熱い唇が…ゆっくりと這っていく濡れた舌が…苛めるように溝をなぞる指先が…
あっ、あっ、…はぁんっ…
あたしは何も言わなかった。ただひたすらに唇を噛み続けた。そうしないと、今にもその言葉が出てしまいそうだったのだ。
あぁ…………早くぅ…!


…………
……
…アルコールのせいかしら。
そうね。涼しいのに変に暑かったし…きっと昨夜のアルコールがまだ残っていたに違いないわ。
そう結論を出した。事の後、タオルケットの中で。だけど、だからといってその思いが消え去ったわけじゃなかった。
はあーぁ…
不覚だわ…すっごく不覚。なんかよくわかんないけど、とにかく不覚……ううん、本当はわかってる。――ここんとこずっと気になってた男の事情が、今は全然気にならなかった。それどころか――…もう、嫌んなっちゃう。
「あっ、おい、ブルマ…」
タオルケットを撥ね上げると、ようやくヤムチャが口を開いた。そ、ようやく。ここまで何も、ただの一言も言わなかったの。何か言ってくれればいいのに。…言われたら、それはそれで困っちゃうけど。だけど、最後にキスくらいしてくれたっていいじゃない?…まあ、その前にあたしがタオルケットに潜り込んじゃったんだけどさ…
…はあーぁ。さっさとシャワー浴びて目ぇ醒まそ…
気分転換のための場面転換。それを図るべくドアを開けた。その途端だった。
「おはようございます、ブルマさん」
にこやかな声ににこやかな笑顔。朝日を受けて眩いばかりにランチさんの姿が目に飛び込んできた。一瞬あたしは完全に呆然として、その場に立ちつくした。
「…おはよう、ランチさん。…あたしちょっと忘れ物…」
それでもどうにか言葉を返した。それからゆっくりと踵を返して、ゆっくりとドアを閉めた。シャワーを浴びるまでもなく、あたしの目は醒めてきていた。
「そうだった。ランチさんがいたんだっけ…」
ネグリジェ着たままでよかった。裸だったら何の誤魔化しも効かないところだったわ。
ドアに背を向けると、危うくあたしに大恥を掻かせるところだった男の姿が見え…なかった。ヤムチャは数分前のあたしと同じように、すっぽりとタオルケットに潜り込んでいた。…文句を言わないところを見ると、間一髪ってとこかしら。ヤムチャはあたしとは違ってすっ裸だからね。
「ねえ、あたしのパンティどこ?」
タオルケット越しにでも聞こえるよう口調をはっきりさせながら、あたしは訊いた。面倒くさいからとりあえず放っておいてあげるけど、これだけは教えてもらうわよ。ランチさんがいるとなれば、穿かないわけにはいかないわ。別に新しいの出したっていいんだけど、脱いだのは回収しておかないと。後で拾われたりしたら困っちゃうからね。
タオルケットが捲れ上がった。同時にヤムチャががばりと体を起こして、焦ったように叫んだ。
「もっと小さな声で喋れ!」
「あんたの声の方が大きいわよ。ねえどこよ?」
「ベッドの下だよ…」
何その俗物的思考。もっと変わったところに隠せないわけ?
あたしは思わずそんなことを考えた。あまりにも雰囲気がなかったから。ヤムチャってば、もうまるっきり苦虫を噛み潰したみたいな顔しちゃってさ。さっきまでの雰囲気は一体どこいっちゃったのよ。
少しだけさっきのことを思い出しながら(いっぱいは思い出さないわよ。理由は訊かないで)、ベッドの横に屈み込んだ。その下に手を伸ばしても、ヤムチャは表情を変えなかった。それはともかくさっぱり動こうとしないので、あたしは単純に訊いてみた。
「起きないの?」
ヤムチャの答えもまた単純だった。
「俺は寝てるんだ」
「寝てないじゃない」
でも事実には反していて、おまけにあたしが突っ込むと黙り込んだ。わざとらしい片頬杖。そっぽを向いた視線。見事なふくれっ面の一丁上がり。…不貞腐れてベッドに篭るなんて、子どもみたい。そんなに恥ずかしかったのかしら。
「いつまでもぐずぐずしないの。大丈夫、ランチさんは何も気にしないわよ」
それであたしは傍に座って、してはもらえなかったキスを一つしてあげた。すでに気分は晴れていた。これで互角ね。まあ、恥ずかしさの質は違うけど。ううん、似たようなものよ。確かにあたしちょっと露骨だったかもしれないけど、そうさせたのはヤムチャだもの。エッチっていうのは一人じゃできないんだからね。
「言っとくけど、これはおはようのキスだからね」
ことさらそう断りを入れてから、あたしはベッドを降りた。キスを返してもらうつもりはなかった。少なくとも、今はお断り。まだアルコール残ってるから。
「じゃ、あたしシャワー浴びてくるわね」
気分転換を伴わない場面転換。それを図るべく再びドアに向かうと、ヤムチャがまた焦ったように叫び立てた。
「おい、下着!」
「あ、忘れてた」
「ったく…」
なーによ。あんたが脱がせたくせに。
かわいくない声にかわいくない表情。それに見送られてベッドルームを後にしたあたしを、のんびりとした朝の空気が待っていた。リビングに差し込む明るい日差し。朝日に輝くパティオの緑。あたしに向けられるランチさんの明るい言葉。
「ラバトリー使わせていただきましたわ。まあ、かわいいですわね、そのパジャマ」
「でっしょ〜。ルートビアで買ったのよ。ランチさんもこういうの好き?お店教えてあげよっか」
『ランチさんなら構わない』。昨夜そう言ったことを、あたしは思い出した。そしてその他のことをも思い出すべく、バスルームへと向かった。


夜ごはん奢ってもらって、手繋いでホテル戻って、何はなくとも一緒に眠る。
上出来上出来。どこから見ても立派なカップル旅行だわ。
昨夜のことをすっかり思い出したあたしは、まずまずの気分で朝食の席に着いた。別にこんなこと自慢する気ないけど、だからといってあんまり情けないのもちょっとね。あたしとヤムチャの付き合いは今になって始まったわけじゃないから、余計にね…
さて今日の朝食は、これで三度目となる『スペシャルブレックファスト』。数日前とは違って、あたしの自主的な奢り。ウーロンたちがいた時とも、その翌日二人だけで食べた時のものとも違うメニューのラインナップ。とろけるような優しい食感のスクランブルエッグ。ふわふわのリコッタチーズパンケーキ。アボカドソースの効いたスイートコーンのフリッター。ほんのり甘いブルーベリーソースが添えられた、甘くジューシーなフルーツとたっぷりのヨーグルト。…お酒飲んだ翌日にこんなにお腹に入っちゃうなんて、驚きだわ。料理がおいしいのはもちろんだけど、ここに来てからアルコールの入り方がなんか違うのよね。どんなに飲んでも二日酔いにならないし、今朝みたいな残り方も初めてだった。南国の空気のせいかしら。
「ランチさん、あたしたちこの後ビーチに行くつもりなんだけど、ランチさんはどうする?」
窓の外の景色から目を離すと、意識は自然と目の前のランチさんへと向いた。ランチさんはパンケーキのシロップをヤムチャの方へと押しやりながらあたしに答えた。
「私はホテルを探しますわ。もうじきチェックアウトの時間だから空きも多いと思いますし」
「そう。しばらくグリーンシーニにいるつもりなの?」
金髪のランチさんを脳裏に思い描きながら、あたしは青黒髪のランチさんにそう訊ねた。あっちとこっちのランチさんで、ずいぶん姿勢が違うわよね。目的は同じはずなのに。こんなにのんびりしちゃって、金髪のランチさんは怒らないのかしら。まあ、どんなに怒っても自分に返ってくるだけで、しかもその自分はいないんだけど。そっか、それでお店の人なんかに当たるのね。…金髪に戻った時、周りに誰もいないことを祈るわ。
「そうですわねえ。ブルマさんたちは明日までなんですわよね。じゃあ、私はその後の船に乗ることにしますわ」
「どうして後なの?一緒に乗ればいいじゃない」
あたしは軽く首を捻った。ランチさんからの返事は、あたしをちょっぴり喜ばせるものだった。
「そこまでお邪魔はできませんもの」
「あら〜、邪魔だなんて、そんなことないわよ〜」
わかるかしら。この言葉のニュアンス。例えばウーロンなんかが似たようなこと言う時と、まあ意味の全然違うこと。ウーロンなんか『おまえらの邪魔はしねえよ。どうせ何もしねえんだろうけどな』だもんね。それとか『喧嘩に巻き込まれるのはごめんだ』とかさ。そんでもって、図々しくついてくんのよ。
「でもそうね。じゃあ、お昼ごはんは一緒に食べましょ。ビーチのすぐ傍にいいお店あるのよ。あたしたちきっと海で遊んでると思うから、適当に声かけてね」
「ええ、そうさせていただきますわ」
今日は何をしようかしら。一日いっぱいここにいるのも今日までだから、めいっぱい遊んでおかなくっちゃね。何かおもしろそうなマリンスポーツあったかしら。それとも遠出する?ラバーズポイントの『ラブゴールベル』…ん〜、あんまりそういう気分じゃないわね。だいたい鐘なんかに願うくらいなら、ドラゴンボール集めて神龍に頼んだ方がよっぽど確実ってもんよ。
いつもなら口に出す一日の計画を、あたしは心の中で練った。口はごはんを食べるのに忙しかったから。…ではない。
ヤムチャがまた存在感を消してしまっていたから。それと、ランチさんが気を遣ってくれてるから、そのお返しよ。
inserted by FC2 system