Trouble mystery tour Epi.6 byB
連綿と続くフィヨルドグリーンの珊瑚礁の海岸線。その向こうに広がるターコイズブルーの海。広いスカイブルーの空。
リムジンのガラス越しに見たグリーンシーニの風景は、まるで絵葉書のように美しかった。何度見ても飽きることのない、南の楽園。…でも、もう終わり。何もかもこれで見納め。
あたしはこれからあの真っ白な船に乗り、まだ見たことのない土地へ行くため、この楽園に別れを告げる…

「あ、また同じ船なんだな」
港に入ってきた船を見ながら、ヤムチャが言った。それであたしは窓から目を離して、正面のシートに座る男を睨みつけた。
「もう、そういうこと言わないの。せっかくの気分に水差さないでよね〜」
せっかくひとが浸ってたのに。締めの気分を味わってたっていうのに…………思ってたよりもずっと素敵に過ごせたわよね。いっぱい遊んだし、いっぱい食べたし、いっぱい…愛も育んだし。えへへ。
「え?いや、俺は別に…」
「しょうがないでしょ。この航路ではこれが一番ランクの高い船なんだから」
そんなわけであたしはすっかりグリーンシーニでの日々に満足していたけれど、今はちょっと不満そうな顔をして、リムジンから降りた。はっきり言っちゃうと、ポーズよポーズ。一週間前ここにやってきた時に考えたことを、あたしは覚えていた。『ヤムチャの不健康な頭の中を清涼にしてやる』――我ながらよくも思ったもんだわ。…でも、そうよね。あたしたちは大人だもん。やっぱりそういうのもなくっちゃね。健康的なのもそうじゃないのも、ぜーんぶ味わい尽くすのよ。
ここでのことを振り返ると同時にこれからのことを考えながら、ヤムチャが下ろしてくれたトランクに腰掛けた。次の行き先はディーブル。そこまでは再び豪華絢爛クルーズ客船の旅。同じ船なのは残念だけど(どうせ乗るなら違う船の方がいいじゃない?)、やり直しできると思えば悪くないわ。前には二度と足を踏み入れることのなかったあのフロア――クラシカルダンスパーティ。今度こそ華麗に踊り切ってやろうじゃないの。
「やあやあ。元気そうでなによりじゃわい。それに仲よくやっとるようじゃし」
ふいに声をかけられた。正確にはあたしじゃなく、隣に立っていたヤムチャが。白髪の混じった髪をオールバックに撫でつけた、これまでも何やかやとヤムチャに絡んできていたこのじいさん…なんていったっけ、この人。
「ペアルックとはこりゃまた若いのう。わしもそのくらい若かったら、奥方に監視などされる羽目にならずに済んだだろうて」
からからとした笑いと共に溢された名前を思い出せないじいさんの言葉は、あたしを少なからず呆れさせた。ペアルックについての感想は否定しないけどさ(ちなみにあたしはムームー、ヤムチャは共布のシャツを着てる。さっきお土産物屋さんで見つけたの)、このじいさんの格好の方がずっと若いわよ。何そのド派手な原色のシャツ。ファンキー過ぎるサングラス――
あたしは亀仙人さんを思い出した。するとヤムチャとそのじいさんが、さらにその感覚を強くするような会話し始めた。
「どうしたんですか、その頬…」
「いや何、街の方に行った時にちょいとごたごたに巻き込まれてな。それが元で奥方にバレちまって。君がボディガードしてくれなかったからじゃぞ」
言いながらじいさんはわざとらしく頬についた手形を擦った。ヤムチャが肩を竦めて黙り込んだ。ここであたしは立った。かつてヤムチャとこのじいさんとの間で交わされかけていた約束と、何よりじいさんの名前を思い出したからだ。
「こんにちは、フレイクさん」
「やあ、こんにちは」
あたしがヤムチャの後ろから顔を出すと、じいさんは悪びれるどころかさらに口元を緩めた。だからあたしは言ってやった。
「後ろで奥さんが睨んでるわよ〜」
「やや、そりゃいかん。では失礼」
すると、まさにそそくさといった感じでじいさんは戻っていった。少し離れたところにいた奥さんのところへ。ここが亀仙人さんとは違うところね。
「あの人もしばらくは大人しくなりそうね」
軽く息をつくと、クルーズ船からタラップが下ろされた。それであたしはちょっとした注意を与えてから、ヤムチャの腕を引っ張った。
「あんたも変なこと考えちゃダメよ。さ、行きましょ」


「よし、じゃ、着替えよっと!」
前に乗船した時のとは違う、でもどことなく見覚えのある船室のバルコニーから遠ざかって行くグリーンシーニを見送って、南国気分にピリオドを打った。そしてリビングへと踵を返すと、ヤムチャが素っ頓狂に呟いた。
「何、また着替えるのか。なんで――」
「なんでって、この格好じゃパーティ出らんないでしょ」
「…ひょっとしてまたウェルカムパーティがあるのか?」
「とーおぜんっ!」
なんか前の時にも似たようなやり取りをしたような気がするわ。そんなところからやり直ししなくてもいいのに。
ふと思ったそのことを口には出さずに、さらに不満そうとは言い切れないけど乗り気でもなさそうな微妙なヤムチャの態度にも目を瞑って、あたしはトランクに手をかけた。前の時だってこんなだったし、今さら言い含める気はないわ。…いえ、一つだけあったわ。
「今度は前みたいな恥ずかしい思いはさせないでね!」
二度目ならではの経験則。それをきっちり言い置いて、あたしはリビングを後にした。ベッドルームの鏡を前に、トランクからドレスと気分を取り出す。こういう正装の場ってひさしぶり。気合い入れていくわよ〜。ここんとこ明るい色の服ばかりだったから、シックに決めるわ。そうね、最初はスタンダードな黒のロングドレス。胸下が総レースの切り替えになってて、シンプルでありながらなかなかゴージャス。それにお揃いのレースグローブ。アクセサリーはダイヤのティアドロップピアス。足元は華奢なピンヒール――
頭のてっぺんから足の先まで、コーディネートは完璧に決まった。あたしは一点の曇りもなく磨き上げられた鏡を見ながら、じっくりと自分を飾り立てた。けれど指がその箇所にかかった時、最初の躓きが訪れた。
「うぅ〜〜〜…むむむ…」
「おーい、何してるんだ?」
ちょうど鏡に背中を向けたその時、ヤムチャが部屋に入ってきた。『急かさないでよ』、そう言わずに済む珍しいタイミングだった。
「この首の後ろのところのボタンが留められないの!」
「あー、はいはい」
かわいくない声と共に吐き出された息がうなじにかかって、問題のボタンが留められた。それであたしは横髪を後ろへ流しながら、身を翻した。最後にもう一度鏡を見て最終チェック。うん、素敵♪ゴージャスな大人の雰囲気バッチリ。本当にあたしって何を着てもよく似合う…
「…何よ?」
ここで二つ目の躓きが訪れた。鏡に向かうあたしの後ろに立っていた男が、妙にかしこまった顔つきで鏡の中のあたしを見ていることに気づいたのだ。ふと鏡の中で交錯したヤムチャの視線は、その前にはそれはもうあからさまに、さっき港にいた時にじいさんが見ていたところと同じところを見ていた。本人も、ある意味ではそれを隠そうとしなかった。
「いや、珍しく首の回りがあったかそうだなと思って…」
あたしのドレスのハイネックのホルターネック。露骨にそれを見ながらもそんな遠回しな言い方をするヤムチャに、あたしははっきりした表現で返してやった。
「水着の跡が残っちゃったから、胸元出したくないのよ」
するとヤムチャは不自然に目を泳がせて、でも悪びれはせずに呟いた。
「…それはよかった」
「ふんっだ」
何とも言えない悔しさを、あたしは噛み締めた。同時に思い出してもいた――そうだった、前の時もこんな感じだったのよね。足がどうの胸がどうのってうるさくって。だけど今は何の問題もないドレスで、おまけにボタン留めてくれたりもしたくせに。そりゃ今さら『きれいだよ』なんて言えとは言わないけどさ。それにしたってかっわいくないんだから!
「あんたは用意できたの!?何よこのシャツ、襟元開け過ぎ!だっらしないわね!」
だけどあたしはそれは言わずに、目に見える問題だけを指摘した。こんな豪華客船で白のタキシードをラフに着こなさないでほしいわね!だいたいジゴロ風ってあたしの趣味じゃないのよ。
あたしがシャツに手をかけると、ヤムチャはわざとらしく両手を上げて降参のポーズを取りながら、取りなすように言った。
「わかったわかった、悪かった。ちゃんと後でボタン留めるから…」
「今留めなさいよ!」
あたしは引かなかった。当然でしょ?連れの男がジゴロ風だなんて冗談じゃないわよ。女の品位が損なわれるわ。ヤムチャもひとに文句つけるなら、自分のこともそれ相応にやってくれなくちゃ。
憤りながらもやがて、あたしはシャツから手を離した。ヤムチャがのろのろとシャツのボタンに手をかけたからだ。いかにも渋々といった感じで。こんな台詞つきで。
「まったく怖いんだから…」
「なんか言った?」
「いいや。何にも」
しらばっくれるくらいなら言わないでよね!
あたしがそう思った時、ヤムチャがエントランスのドアを開けた。そして自分はそれを潜らず脇に除けたので、あたしはまた何とも言えない気持ちを味わいながら、ロビーへと出た。
文句のつけようのないレディファースト。まったく、こんなことだけできるようになっちゃって。
エスコート役としては合格なだけに、癪な気持ちにさせられるわ。
inserted by FC2 system