Trouble mystery tour Epi.6 (3) byB
ひょっとするとこの旅行始まって以来の、のんびりとした時間をあたしは過ごした。
グリーンシーニでのものとは違うのんびり。昼も夜も、誰にも邪魔されないのんびり。そう、ヤムチャにさえも。この二晩、あたしはヤムチャと同じベッドで、でも一人さっさとたっぷり眠った。ロマンティックな夜なんて、欠片ほども望まなかった。この船で過ごすのも二度目だもん、今さらよ。それともう一つの理由から、昼間の行動も自重した。食事時以外には、ほとんど部屋から出なかった。だらだらとウィンドウショッピングするなんてこともなく、レストランからの帰りすがらちょっとだけ寄ったブックストアで買った高級ファッション誌を読み耽った。
遊び疲れのせいだけじゃない。あたしははっきりとした目的を持って、来るべきその時のために、体を休めた。じっくりと英気を養った。
そうして船旅を続けること三日目、西の都を離れてからならきっかり二週間目に、フォースペリオル号は新たな大地に到着した。


ショッピング天国!
所狭しと立ち並ぶ看板、軒を連ねるショップ、そして人、人、人。
北に山、南に海を眺め、さらにフィセルとヴァランに挟まれたディーブルは、観光が収入源の小さな街。世界に数ある免税地区の中でも、格別に物が低価格で手に入る。ヴァランのブランド品、ショソンの電気製品、ハッラーの煙草、果ては宝くじまで、何もかもがお買い得。
「あっ、半額!しかも今期ものじゃない」
「見たことない色ね。新色かしら。…ああ、免税店限定商品なの」
「このベルト格好いい〜」
あたしは存分にその天国を楽しんだ。隅から隅まで見尽くすつもりで免税地区を練り歩いた。およそ物欲とは無縁の南の楽園の後に訪れたショッピング天国は、休息を挟んだこともあって、実にあたしの購買意欲を刺激した。るるん、まっそのために、あらかじめ気力を養っておいたんだけどね。
「あー、いつ来てもショッピングに燃えるわ〜!」
そう、ディーブルに来たのはこれが初めてじゃなかった。学会とか、研究会とか、学術研究発表会とか、まあ何だかんだで近くまで来た時には、たいてい時間を作って足を延ばしていた。西の都には売ってない物もいっぱいあるから見るだけでもと思って、ウィンドウショッピングだけしたことも少なくなかった。そしてその度に後ろ髪を引かれる思いで、ドアを開けるほどの時間はない店の数々を尻目にしてきたのだ。
でも今日は、ドアを開けることを躊躇する理由はない。だって今日はここに来るべくして来たんだから!…そんな意気満々なあたしとは裏腹に、すっかり意気の下がってしまっている人間もいた。
「つ、疲れた…」
あたしが新たな店のショーウィンドウに駆け寄ると、一歩遅れてついてきていたヤムチャが、ショーウィンドウに凭れるように手をかけてそう呟いた。その手を除けながら、あたしは言ってやった。
「朝っぱらからトレーニングなんかしてるからでしょ。今日はディーブルだって言ったのに」
「ここに来てから疲れたんだよ」
即行で返ってきた言葉は、呟きではなく完全な文句だった。表情も、苦笑いを超えた仏頂面。あたしはちょっと眉を上げてでもそれらを無視することに決め、いくつかのショッピングバッグを持ち替えて今度はウィンドウに背を凭れるヤムチャを尻目にした。あたしが買い物してる時にヤムチャがここまで露骨に文句を言うことも、荷物をそんな風に邪魔くさそうに扱うことも、すごく珍しいことだ。本当に疲れてるみたい…なんて、思わないわよ。
まったく、嫌みなんだから。
ついさっきまでは、あんなに元気そうだったのに。グリーンシーニでさんざん遊んだ後だって、けろっとしてたのに。人がのんびりしてた時には揚々とトレーニングなんかしてたくせに、ちょっとショッピング始めた途端にこれだもんね。
「あっ、このティアラかわいい。この際だから買っちゃおうかな〜」
女が着飾るのは男のためだっていうのに。どうして男はそれを面倒くさがるのかしら。
という理屈を振りかざすのにうってつけの物を、あたしはウィンドウの中に見つけた。よそ行き用のスーツ、それに合ったバッグ、靴にスカーフ、香水に化粧品と、ここまで荷物持ち以外にはまったく必要のなかったヤムチャにもちょっとは関係のある非日常的な装飾品――ダイヤモンドがふんだんに散りばめられた花冠のようなティアラ。まさしく男のために着けるんでなきゃどうして着けるのっていう代物よ。そりゃあきれいになるのは自分のためではあるけれど、鏡に映る自分を愛するような趣味はあたしにはないからね。
「よし、ここ入るわよ、ヤムチャ!」
ちょっと放っておいた間に諦め顔となっていたヤムチャの服を引っ張って、ドアを潜った。ちなみに、7件目のショップからヤムチャはドアを開けてくれなくなった。まあ、ほとんどの店にはドアマンがいるからいいけど。
「いらっしゃいませ、なんなりとお申しつけください」
「二番目のウィンドウに飾られている花のティアラをもっとよく見たいんだけど」
「かしこまりました」
店内は粛然としていた。あたしたちの他に客は一組しかいない。軽く腰を折ってあたしたちを迎えた男が店員の一人に目配せすると、店員は音もなくウィンドウに近づいて鍵を開け、件のティアラを取り出した。男がテーブルに黒いベルベットの布を広げ、店員がその上にティアラを置く。と、男がとうとうと喋り始めた。
「こちら『レイア』でございます。野原で摘んだ花々で作った花冠をイメージしておりまして、グレスィア神話の山の女神が名前の由来でございます。花弁はメレダイヤ、中央はアイスブルーダイヤモンドで作られておりまして、どんな色のドレスにも合う、女性らしい優しげな雰囲気を醸し出すティアラです」
「なかなか素敵ね。おいくらかしら?」
その流暢な売り文句にあたしが素直に乗ってあげると、男は笑顔のままさらりと言った。
「700万ゼニーでございます」
700万ゼニー!
さすがお安くないわね。っていうか、はっきり言ってすごく大きな買い物だわ。そこまでの金額とは思ってなかった…
「どうぞ手に取ってご覧ください」
あたしの心を見透かしたように、男が一歩踏み込んできた。依然として笑顔は崩さず、それはさりげなく鏡を覆っている布を外した。たぶんこの男は支配人ね。高価な買い物をしそうな客を見極める目ってものを持ってるわ。
そう、あたしは迷っていた。思いの他高額な金額を耳にしても『やーめた』とはならなかった。買えない値段じゃないのよね。ティアラなんて非日常的な物にそんなに払うのかって思うだけで。
あたしがティアラを掲げて鏡に向かうと、支配人は再び口を開いた。
「ダイヤはすべて同一の鉱山から二十年かけて掘り出されたものです。それをネックレスに仕立て上げ、古代の王が結婚相手である王女に贈りました。残念ながら王女は不慮の事故で亡くなられましたが、ダイヤは幾人かの持主の手を経て現代へと受け継がれ、この度ティアラとして生まれ変わったのです」
昔のお姫様の宝石か。でもきっと、あたしの方が似合うわね。お姫様がネックレスだったのに、お姫様でもなんでもないあたしがティアラとしてつけてるなんて、なんだか悪いみたい。
もちろんあたしは、本気でそう思っていたわけではなかった。女の子はみんなお姫様。中でもあたしは、特にそれっぽい人間よ。なんたって、お嬢様だからね。それに美人だから、ダイヤの輝きに負けたりもしない。見てこの、きらめくような笑顔。ティアラをつけると、より一層きれいに見えるわ。
あたしが鏡に向かってにっこり笑うと、支配人も笑って言った。
「よくお似合いです。お嬢様にはダイヤのジュエリーが大変美しく映えますね。本当にこれはありきたりの宝石とは違いまして、私が思うに、この比類のない美しさは唯一無二と申しても過言ではないと…」
歯の浮くような美辞麗句の洪水。あたしはそれを素直に受け止めた。だって、全部本当のことだもの。 本当に、とっても美しいダイヤモンドだわ 。そこらの女じゃ、まず間違いなく宝石負けするわね。その点あたしは美人だし、こういう高価なものにも慣れてるし、なによりとっても似合ってる。あたしがつければ映えるって、支配人も言ってる――
「カットの見事さは言うまでもなく、その出所だけを申し上げても…」
そうね。これだけの物なら700万はするわよね。ティアラっていうのもポイントね。こういうすばらしい物は、おいそれと身に着ける物じゃないのよ。それを身に着けるにふさわしい機会と気品を合わせ持ったレディこそが身に着けるべきだわ。もちろんそれはあたしのことよ。
あたしはすでに考え始めていた。このティアラに合うドレスのことを。そう、ティアラにはドレスよ。そしてダンスパーティ。クラブとかディスコでやるやつじゃなくて、クラシカルなやつ。そんなの普段は行かないけど、今は違う。実はフォースペリオル号のダンスパーティって、いっつもやってるのよね。行けるような雰囲気じゃなかったから行かなかっただけで。
――ほの暗いダンスフロアに光るブルーダイヤモンド。『レチル』のブルーのピアス(レッチェルで買ったやつよ)。まだ一度も袖を通していないゴールドの効いたネイビーブルーのドレス。そして、それらを身に纏って輝くあたし。
うーん、バッチリ。これ以上の組み合わせってないわね!色めき立つ男たちの姿が目に浮かぶわ。
ほーっほっほっほっほっほ…


あー、買った買った!
すっごく買い物した気がするわ。お金のことだけじゃなく、気分的にも。こういう格式の高い高級店で買い物したのって初めて。セレブって感じするわ〜。
店から外へ一歩出ると、それは大きな満足感があたしを包んだ。うふふ。手持ちのドレスにもぴったりの、お姫様のティアラ。一見衝動買いのようでいて、その実とっても計画的な買い物ね。さっき買ったスーツみたいに、バッグから何から揃える必要もないし。さて、それじゃここらでちょっと足休めしようかしらね。長話したら喉渇いたわ。それにお腹も空いた。そろそろランチ…あっ、なんだもうお昼過ぎてるんじゃない。全然気づかなかったわ。そうね、じゃあオープンしたばっかりで一つ星に選ばれたって雑誌に乗ってたレストラン――
あたしが頭の中でページを捲り始めた時、背後からそれはだるそうな声がした。
「そろそろメシ食おうぜ。…腹減った」
「あら…」
…ヤムチャ、あんたいたの。
あたしは思わず心の中でそう呟いた。口に出して言わなかったのは、一応はわかっていたからだ。ティアラだってヤムチャに持ってもらってるんだからね。でも、ほとんど忘れてた。だって、ヤムチャってばただの一言も喋らなかったんだもん。一言どころか一音も、あの店の中では。いえ、店の外であたしがティアラを見始めてからか。本当にこいつって、あたしから訊かないとなーんにも言わないんだから。
「一区画向こうにおいしいって評判のカフェレストランがあるから、そこ行きましょ」
あたしはちょっぴり眉を寄せながら、でもヤムチャのその不躾な提案を受け入れた。ま、店の中で言い出さなかっただけマシだわ。それにあたしもお腹空いた。それもそのはず、もうすぐ3時よ。よく今まで言わずにいたわねって褒めてやりたい時間だわ。タイミングはともかく態度が悪いからそんなことしないけど。
「本当はランチの時間に行きたかったんだけど…しょうがないわね」
もっと早くに言ってくれてもよかったのに。あたしはそう思ったけど、それは一瞬どころか心のほんの片隅でのことだった。もっと早くに言われていたら、絶対に却下してたわね。その時間にしか食べられない食べ物と、今すぐ買わないとなくなっちゃう買い物、どちらを取るかと言われたら、後者を取るわ。それが文化人ってものじゃない?
あたしが自らの価値観に則ってレストランへと足を向けると、ヤムチャは隣に並びながら、微妙に見透かしたようなことを言った。
「食欲を凌ぐ買物欲ってすごいよな。絶対に進化の方向間違ってるぞ」
「どうせ男にはわからないのよ」
あたしはそれをさっくりと往なしておいた。いいわ、もう。欲しかった物はだいたい買っちゃったから。最後に大きな買い物もしたし。何か思いついたら、また明日来ればいいわ。船は明日の夕方まで停泊するから、そうするだけの余裕はある…
やがてレストランが見えてくると、あたしの満たされた買物欲は脇へ押しやられた。さ、ごはんごはん。後はもう船に戻るだけだから、ワイン、ボトルで開けちゃおっかな〜…
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