Trouble mystery tour Epi.7 byB
フォースペリオル号は再び大地を離れた。少しの故障もスケジュール変更もなく。あんなに大きな地震だったのに。船が地震に強いって本当ね。


「何これ、すっごい人じゃない」
今日はデッキにも設置されているカフェのテーブルは、すでに人でいっぱいだった。さらにその周りも、きっとあたしと同じような気持ちの人でいっぱい。
しくったなあ。チップ渡してテーブル確保しといてもらうんだった。この船にこんなに人がいるとは思わなかったわ。どこへ行っても、ゆったりとしてたから。
場所取りの必要なんて、今まで一度もなかったのにな。昨夜出港する時だって、こんなに人集まってなかったしさ。…時間のせいかしら。さすがじいさんばあさんは朝が早いわ。
レストランのモーニングタイムも始まったばかりの時間から、デッキでワイングラスを傾ける。今朝に限ってみんながそうしているのには、理由があった。このクルーズの目玉の一つである、イルカの棲む海リュスティック。そこへの途中にある、世界遺産の、竜が舞い降りた伝説の地(ひょっとして神龍かもね)マフィン湾。エメラルドグリーンの海面から突き出した2000もの奇岩の連なる、幻想的で迫力のある風景。犬島、ゾウ島、闘鶏島といった動物の形に見立てて名づけられた島々を左右に眺めていると、やがて「天国の宮殿」と言われる世界最大の鍾乳洞が現れる。そんな素敵な景色を食事と共に楽しむはずだったのに…
「ちょっとこれは座れそうにもないわね。う〜ん、立ち見かぁ。でもごはん…食事を取るか景色を取るか、これは悩みどころだわ…」
あたしはすっかり考え込んだ。まるっきり行動をあたしに丸投げしているヤムチャを横目に。もう二日酔いは治ったらしいヤムチャは、文句を言うわけでもなく、また何かを提案してくることもなく、のんびりと周りを見回していた。ま、ある意味いつもの態度ね。だからあたしに打開案をくれたのは、隣に立っている黒髪の男ではなく、やや遠くのテーブルに座っていた赤毛の男だった。
「おはようございます、ブルマさん」
「あら、おはよう、キール」
片手を上げて席を立ち、言葉と笑みを零したキールに、あたしはごくごく普通の態度を返した。ありえなくはない偶然に対する、軽い驚き。彼に向けてわざわざ笑顔を作る必要は、もう感じていなかった。
「どうですか、ご一緒に。隣空いてますよ」
「ええ、そうね…」
あたしはチラと視線を投げた。キールの座っている四人掛けテーブルの三つの空席にではなく、隣にいる男の横顔に。あたしが笑顔を作らない理由の一つに。ヤムチャは黙ったまま、ちょっと目を丸くして、まっすぐとも逸らしているとも言いかねる視線をあたしに寄こした。いまいち険の籠っていない、どことなく困ったような、相変わらずあたしに任せる瞳。少しの間その瞳を覗き込んでから、あたしは答えた。
「じゃあ、お言葉に甘えようかしら。席がなくて困ってたところなの」
なんかよくわかんないけど、もういいらしいわ。怒っていないばかりか、後で文句を言われそうな気配もない。ようやく忘れたのね、きっと。あっさりしてるっていうか、しつこかったって言うべきか、それはちょっとわかんないけど、まあとにかくよかったわ。これくらいのことでいちいち突っかかられてちゃ、たまんないものね。
「どうぞどうぞ。三人だからボトル開けましょう。『ガルダ・メルロー』、どうですか?これは元船乗りのオーナーが海にちなんでラベリングしたものなんですが、甘く香りも良くすばらしい出来ですよ」
再び片手を上げてウェイターを呼びながら、キールが腰を下ろした。続いてテーブルについたヤムチャと、三人前のブランチコースを頼んだキールを同時に視界に入れてから、あたしはすっかり息をついた。これで正真正銘の『お友達』というわけね。席も確保できたし、よかったわ〜。
「本当に海が好きなのね。それともワインが好きなのかしら?」
安堵が油断を招いたというべきか。やがてあたしは、うっかりそう訊いてしまった。途端に、キールの舌が回り始めた。
「残念ながらワインにはそれほど詳しくありません。海との付き合いは長いですが、ワインと付き合い始めたのはごく最近なのでね。僕が一番最初に飲んだワインが、この『ガルダ・メルロー』なんです。成人したその日に祖父がプレゼントしてくれて…」
…しまったわ…
この人、機関銃なんだった。それも、海と自分のことに関しては特に。あー、あたしったら、なんてネタを振っちゃったのかしら。
「…祖父は有名なワイン商なんです。『アンティーク・ワイン・カンパニー』といって、東の都で…」
「あ、拠点は東の都なのね。あなたも普段はそこにいるの?」
「はい、うちはもう四代に渡って東の都です」
すかさず訊ねたあたしの問いに対するキールの答えは、あたしを心から安堵させた。
あー、よかった。
東の都じゃ、この船から降りたらまず会うことないわよね。『アンティーク・ワイン・カンパニー』も彼の父親がやってるっていう『オーガニックリゾート』も大きな会社だし、普通ならいい人脈と思うべきところなんだろうけど……こんな人とこれからずっと近所付き合いするなんてごめんだわ。悪い人じゃないんだけどねえ…
「あ、最初の島が見えてきましたよ」
やがてキールはそう言って、言葉を切った。直後に運ばれてきたブランチコースのサラダに齧りつくため、でもあったには違いない。でも、主な理由は他のところにあるってことが、すでにあたしにはわかっていた。
「きれいですよね。島も海も…あー、この海のどこかにイルカがいると思うと、わくわくするなあ…」
海を見てる時は(わりと)静かなのよね。こないだもそうだったわ。
あつあつのグラタンとあつあつのスープを、あたしはキールに倣って、景色を見ながら静かに食べた。とはいえ、周りのテーブルはそれなりに賑やかだったので、そこから先はあたしもそちらの雰囲気に便乗することにした。
「この島ってね、それぞれに全部名前がついてるのよ。1000くらいあるから、さすがに全部覚えてはいないけどね。どう、当てっこしない?」
あたしが言うと、今やすっかりワイン係になっていたヤムチャ(島が見えてくるまではキールが注いでくれてた)は、軽く目を瞬きながら、注ぎ終えたワインのボトルを置いた。
「覚えてないのに、どうして当たってるってわかるんだ」
「犬に似てるから犬島、とかほとんどがそんなのなの。だから、そういう当てっこよ。ちなみにさっき見たのは犬島とゾウ島ね。じゃあ、次の島から。あっ、ほら、見えてきたわ。あれ、なーんだ!」
「うーん、じゃあ…ウサギ」
「ブッブー。残念。あれは闘鶏島でしたー!」
「なんだそれ。そんなのありか。どうしたらそんな風に見えるんだ」
「あの二つの出っ張りが鶏の頭に見えるんじゃない?」
「いや、あれはどう見たって耳だろ。ウサギのながーい耳!」
なんとなく始めたゲームは、すぐに白熱した。ちょっとバカバカしいくらいに。さすがにキールもあたしたちの方に目を向けた。でも、口を出してはこなかった。冷たくはない雰囲気で、あたしたちの会話を流すキールを見て、あたしは思った。
やっぱり、ヤムチャの方が若く見えるわ。このすぐに熱くなるところとかね。キールも熱いと言えば熱いんだけど、ちょっとついていけない熱さなのよね…
少なくともあたしはこういう、弄り甲斐のある方が好きだわね。さらにそうも思った時、空席だったヤムチャとキールの間の席に、闖入者が割り込んできた。
「ですよねー。あたしもそう思いますぅ」
「っていうか、闘鶏って何って感じですよね〜」
「ちょっと、何よあんたたち。その椅子どこから持ってきたの!」
双子が現れたことにというより、その現れ方にあたしは驚いた。一席しかなかったはずのその場所に、すでに双子が収まってしまっている訳。ミルが座りながら椅子を引っ張ってきたことに。
「あー、これですか?チップあげたらあのおばさんがくれました」
ケロリとした顔でミルは言った。昇降口近くにいる、掃除婦らしき女を指差して。あたしは曰く言い難い気持ちを味わいながら、マッシュルームのサラダにフォークを突き刺した。
…あんたたち庶民のくせに、ずいぶん手慣れてんじゃないのよ。
「キールさん、昨夜はありがとうございました。ステップ、だいぶん踏めるようになりましたよ」
「今度はターン教えてくださいね〜」
まー、付き合いのいいこと。
どうやらすっかり捕まってしまったらしいキールと、相変わらずうまいことやってる双子。双方に呆れを抱きながらも、あたしは何も言わなかった。ま、こっちに来られるよりいいわ。もとい、来てはいるけど執着されないからいいわ。考えてみれば、キールは気が利くし一人身だしあたしたちよりは年が近いし、そのくせ自己主張とか自己満足も強いから、この子たちの相手にはうってつけよね。
「じゃ、次の島。言い忘れてたけど、一つ間違えるごとにしっぺだからね」
そんなわけで、あたしはあたしたちの会話を再開した。すると、途端にヤムチャが文句を言い始めた。
「なんだその不公平なルールは」
「別に不公平じゃないでしょ。当たったらあたしがしっぺよ」
「そんなこと、俺がお前にできると思うのか」
何その変な怒り方。
どうして自分が弱いってことをそんな偉そうに言うわけ。あたしがそう思っている間にも、ヤムチャの文句は続いた。
「だいたい、海を見ながらワイン傾けてて、なんでしっぺなんだ。色気がないにも程があるってもんだろ」
「まー、言ってくれるじゃない。鈍いくせしてえっらそうに!」
「お前だって、言うほど鋭くないぞ」
「なーんですってえぇー!」
それは、ヤムチャにしてはなかなか厳しい文句だった。いえ、厳しいというより、口軽過ぎ。何もみんなの前で言わなくたっていいじゃないの。
「あの、島の名前なら僕だいたいわかりますから、どうか喧嘩なさらずに…」
…ほーらね。やっぱりそう思われちゃった。
心底心配しているようなキールの声を耳にして、あたしは心の中で舌打ちした。キールにだけは、そういう心配されたくなかった。わかるでしょ、あたしの気持ち。あたしもヤムチャも、キールにはばっちり啖呵を切ったんだもの、少しは格好つけたいわよね。
「あ、大丈夫ですよ、キールさん。ヤムチャさんとブルマさんは喧嘩しても、あんまり大変なことにはならないですから。わりとしょっちゅうしてるし、してもちゃんと仲直りするんだから」
「そうそう、あたしたちもう何回も見ましたよ。結構すぐ終わっちゃうんだよね」
といって、あんたたちにそんなフォローをされたくもないわ!
あたしは思わず、空になった皿にフォークを突き立てた。さらにあたしが何を言う間もなく、リルは続けた。
「それよりデザート頼みましょうよ。チョコレートフォンデュ。あれ三人前からなんだけど、五人もいるんだからいいですよね?」
まったく、何よそれは。空気を読まないにも程があるわよ。あんたたち、本当にこんな空気の中でそんなものを仲よくつつけると思ってるの?
「あのー、すいませーん」
どうやら双子はそう思っているらしく、すぐに近くを通りかかったウェイターを呼び止めた。すっかり傍観者然としているキールのみならず、完全な傍観者が場に加わった今、あたしにできることと言えば、嫌みを言ってやることくらいだった。
「あんたたち、朝っぱらからよくそんなもの食べられるわね。さすがお酒も飲めない子どもだわ」
それだってね、本当には怒ってなかったからこそよ。本当の本当に喧嘩してたら、人前だろうと何だろうとこんな茶々許さなかったわ!
屈折した怒りと共に、あたしはワインを飲み干した。双子は何も言わなかった。
ヤムチャはというと、苦笑いしながら、ワインボトルを傾けた。
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