Trouble mystery tour (5) byB
「それじゃ、ぼちぼち取りかかろうかしらね」
ヤムチャのギャグの持ち数がだいたいわかったところで、あたしは軽い腰を上げた。今や気分は、落ち着き過ぎるほどに落ち着いていた。20分間耳に入り続けていた、ヤムチャのしょうもない話(中身は知らないけど)のせいで。20分間、それを一度も邪魔しなかった管制官のおかげで。そう、あたしたちが待ち続けている間、無線の向こうからのアクションは一切なかった。航空路管制からもアプローチからも、何も言ってこなかった。アプローチとはまだコンタクト取ってないからわかるとしても、航空路管制はもう少し何か言ってきてもいいはずなのに。危機感のない管制官ね。でも、これはすなわち、順調ってことよ。時間的なことについてはわからないけど、他の面ではきっと問題なく巡航中。そうともなれば、あたしのすることはただ一つ。できることをやるだけ。
そしてそれは、思いのほか集中してやらせてもらえることとなった。
「取っ掛かりは俺がやってやるよ。コンタクト取って現況報告だな」
まだ操縦席にも座らないうちに、ヤムチャがそう言ったから。例によって、軽い笑顔と軽い声音で。
「何あんた、わかるの?」
「飛行機のデータくらい読めるさ。出し方は見ててわかった。このボタンだろ?切り替えの順番はこれから覚えさせてもらう」
あたしは少し驚いたけど、すぐにヤムチャの言葉を受け入れた。すでにヤムチャがディスプレイの切り替えにかかっていたからだ。ふーん。案外ちゃんと見てたのね。そうね、こいつは一般の飛行機なら結構上手に動かせるし。操作ができるんなら、任せてもいいわね。データなんか読み上げるだけだもの。その方があたしも楽できるわ。使えるものは使わなきゃね。
そんなわけで、データ確認をパスしてさっそくMCPのチェックをしていると、早くもヤムチャが無線の向こうに呼びかけ始めた。
「こちらSkyFlyer327。管制、応答せよ。こちらSkyFlyer327――」
『ハロー、SkyFlyer327…』
それにはすぐに返事が返ってきた。あたしは最初のセンテンスを聞いて、ノイズブランカーを切りノイズリダクションに切り替えた。とりあえずはそれだけで、無線のやり取りに関しても、初めは任せてしまうことにした。
『ハロー、SkyFlyer327。よろしく、管制官のハロルドだ。…君が操縦者か?女性だと聞いていたんだが』
「助手ですよ。操縦者の連れです」
『助手』。うん、なかなかいい響きね。
「こちらの状況を伝えます。現在の高度は15000m、残燃料8500kg、外気温はマイナス50℃。機内外とも異常なし」
『乗客の様子はどうだ?…君以外の乗客は。パニックになっていないか?』
さっきの管制官よりはマメね。それともこれが普通かしら。とにかく真面目タイプだわ。そんなことすら考えながら、あたしは自分の仕事を進めていった。次は計器類のチェックよ。今さらだけど、気分を出してね。――PFDとNDは現在使用中、上EICAS、下EICAS、左右FMS、左右CDU、左右EFB、グレアシールド……アナログ水平定針儀、アナログ速度計……アナログ高度計――
……あら?
ここで、1つ、いえ2つ、不審な点があることに、あたしは気づいた。
「なに、落ち着いたもんですよ。全員避難用具を着用してます。犯人2人は休憩室の隅に転がしてます」
『あの機長がハイジャックとは…言うべき言葉もない…とにかく災難だった』
丁寧な管制官と、ある意味こういうのにはうってつけとも言えるヤムチャの長い前置き会話を聞きながら、あたしはもう一度チェックしてみた。――アナログ高度計…………アナログ速度計、アナログ水平定針儀…………グレアシールド、左右EFB、左右CDU、左右FMS、上EICAS、下EICAS、ND、PFD――……変ね。これはどういうことかしら。
再びMCPに目をやった。…よかった。オートパイロットには問題ないみたい…
『30分遅れだが、幸い航路は確保できた。現在のレッチェルの天候は晴れ、視界も良好。通常と異なるのは滑走路のみだ。操縦者、いいかな?着陸の説明に入りたいのだが』
ここでいきなり――とはいえ客観的にはごく自然な成り行きで――あたしに水が向けられた。あたしは思わず慌てて、任せていたはずのPFDとNDのボタンへと手を伸ばした。この時すでに、あたしにはわかってしまっていた。
「…ハロー、OK。よろしくどうぞ」
でも、口ではただそう答えた。
かち当たったあたしの手の甲を、ヤムチャが叩いたから。たったの2、3回、本当に軽く叩いたから。それはそれは軽い笑顔で。
そう、もう不安がってる場合じゃないのよ。今さら後戻りはできないのよ。そもそも、そんな選択肢は初めから与えられていないのよ。
『本来ならばパイロットの資格或いは必要飛行経験を確認すべきところなのだが、緊急事態である為急遽オートランドの許可が出た。最低気象条件はCategory3c、既存の設定215を修正して適用する』
「215のLEGを確認。修正値をどうぞ」
『QNH3000インチで3000kmへ降下。オートブレーキ1、スピードブレーキARM。機首方位350°で2000km。30°で1000km。1000kmでILSが動作する』
「QNH3000で3000km、オートブレーキ1、スピードブレーキARM。350°で2000km、30°で1000km。OK」
数値が飛び交い始めた。それであたしは完全に腹を決めた。こちらのことに関しては何も言わずに、ただひたすら相手の言うことに従った。…できる限りは、従うつもりだった。そして、さらにいくつかの修正値を述べた後で管制官がその言葉を口にしたので、あたしはどうにか従いきれたことを知った。
『…以上だ。盲目着陸により外部視界の確認は必要ない。ニアミス時のみ着陸はやり直しだ。その時はオートランドではなく手動ということになる』
とはいえ同時に、明らかに従いきれないことをも管制官は口にした。だからあたしは冗談めかして、本当のことを言ってみた。
「手動は嫌ね。そんなことになったら、爆破炎上させちゃうかもしれないわよ」
管制官からのリアクションはなかった。一瞬の沈黙の後で、謹厳実直な言葉が返ってきた。
『規定の位置まではこちらでレーダー誘導する。滑走路手前でコントロールに降下承認を要求するように。…エアポート関係者一同、君の勇気と腕前に敬意を表する』
どうやら管制官はこのまま交信を終了するつもりらしい。そう思ったあたしは、最後まで姿勢を崩さなかった管制官に、思いっきり軽い口調で言ってやった。
「そんなものはどうでもいいから、ワインを1ダース用意しとけって上の人に言っておいて」
「はは。了解した」
依然として堅苦しい言葉遣いをしながらも、管制官の口調は崩れた。あたしはすっかり満足して、操縦席を立った。


「あぁ〜。終わったぁ〜!」
たった数分の長い交信から解放されて、あたしは完全に肩の荷を下ろした。無線回線は開いたままだったけど、ヘッドホンは即行で外した。大丈夫、また助手が勝手に応答してくれるわ。あたしが出るより、話はずんでるみたいだし。 ヤムチャって、軽いくせに時々妙に丁寧だったりするから。そういう一定しない態度こそが『軽い』って言うんだけど。
とにかくそういう開放的な気分だったので、呆れたように呟いたヤムチャの態度も、全然気にならなかった。
「終わったって…まだ着陸してないぞ」
「あたしにできるのはここまでだもの。後はオートランドが使えない事態にならないことを祈るだけよ。手動で着陸なんて絶ーっ対に無理だからね!」
揚げ足なんて取ることのできないほど、はっきりきっぱり言ってやった。ヤムチャになら言ってもいいわ。なんてったって『助手』だし。それにはっきり言っとかないと、また同じようなことするかもしれないから。そうそう当てにされても困るのよ。世の中にはカテゴリーってものがあってね。天才だからって、何でもできるってわけじゃないのよ。素人ってそこんところを混同しがちなのよね。
「ニアミスなんてそうそう起こらないだろ。機器に異常だってないんだし」
「そうでもないわよ。一番多い原因は故障じゃなくて交信ミスね。指示を聞き間違える人が結構いるのよ。手動の離着陸時って指示が多くって、コクピット内大パニックなんだから。もしそうなったら、あんたが何とかしてね」
「俺が?どうやって?」
「そうねえ。外から飛行機を支えて下ろすっていうのはどう?あんただったらそれくらいできるでしょ」
「まあな。…たぶんだけど」
ヤムチャの態度はものすごくあやふやだったけど、あたしはそれも全然気にならなかった。確かに人並み外れてるけど、こいつはスーパーマンなんかじゃない。そんなこと、もうよく知ってるもの。それにあたしも似たようなものだしね。
「それで十分よ。あたしだって、ほとんど当てずっぽうでやったんだから」
正確に言うと当てずっぽうというよりは、見て見ぬ振りって感じだけど。とにかくあたしが事実の一端を漏らすと、ヘッドホン片手に立ちあがったヤムチャは、そのままそこに立ちつくした。
「はっ?…でもさっき、何とかはわかるって…」
「EVSね。それは本当よ。だけど触ったことがあるのは実験段階の物だし、それだってもう何年も前の話だもの。…要するにね、知ってるのとちょっと違うのよ、このコクピットのEVS。特にこれ、このユニット、何に使うのかまるっきりわからないのよね。そっちに話振られたらどうしようかと思っちゃった」
「えぇぇぇぇ!?…」
「こっちの計器もさっぱりわかんないし。アナログなのに予備計器じゃないなんて、わけわかんない。そもそもEVSなのに視界がカバーされてないっていうのが不思議なのよね。今はちゃんとディスプレイ見えるからいいけどさ。Category3の可能なエアポートでよかったわ。できるエアポートって、すごく少ないのよ。おまけに3cなんて大ラッキーよ」
自分でもお喋りだなって思う。でもヤムチャにまで内緒にしておく気はなかった。だいたい、内緒にしなくちゃならない理由がないし。これが自分のやってる研究だったなら恥にも思うけどさ、そうじゃないんだから。専門外の、しかも押し付けで、さらにぶっつけ本番でここまでやれたんだから、むしろ称賛に値するわよ。
「そんなわけで、オートがダメだったら次はあんたの出番だからね」
ヤムチャはすっかり黙り込んでしまった。話の途中からそうなってたけど、今では口を開く気配さえなかった。でもあたしはやっぱりそれも、全然気にならなかった。
だって、あたしだってそうなっちゃったもんね。ほんっと、あの時はどうしようかと思ったわ。
だから、今度はあたしがヤムチャの肩を叩いてやった。言うまでもなく、お返しよ。こうして仕事の引き継ぎを済ませたところで、あたしはいったん一乗客に戻ることにした。壁のインターカムのコールボタンを押すと、すぐにアテンダントがそれに応えた。
『はい。もしもし。状況は…』
「もう少ししたら着陸準備に入るから、携帯電話切ってもらって。それからランチいただくわ。あまり時間ないから急いでね」
おいしいワインにおいしい食事、そして楽しい会話。すでに2つはダメになっちゃったけど、まだこれが残ってるわ。せっかく2つ星シェフの特別メニューなんだもの、きっちりサービスしてもらうわよ。それがファーストクラスの特権だもん。っていうか、気がついてみればもうお昼じゃない。どうりでお腹が空いてると思ったわ。気が利かないわね、ここのアテンダント。
「ヤムチャ、あんたは?ランチ食べる?」
何やらヘッドホンを弄り始めたヤムチャにそう声をかけると、すぐに返事が返ってきた。
「どっちでもいいかな…」
曖昧な態度に、曖昧な返事。あたしはちょっとだけ考えて、勝手に事を進めることにした。
「じゃあ2人分。コースは別で。ワインは『シャソルナード・ピンク』、ボトルでね」
もう一度同じものを頼むなんて、無粋なことはしない。幸せの青いワインはまた今度よ。今はこっち。幸せのピンクのワイン。チャーミングな果実の香りに、ちょっぴりドライな口当たり。南部へ来たっていう感じがすごくするじゃない。
「ワインはやめておいた方がいいんじゃないか」
ここでヤムチャが態度を表明し始めた。あたしは二重の意味で呆れながら、やっぱり勝手に事を進めた。
「何言ってんの。ワインなしのフレンチなんてありえないわよ。…じゃあお願いね」
突っ込みどころはそこじゃないでしょ。普通はここは絶対に『そんな場合じゃないだろ』でしょ。例えそう言われたって押し切るけど。本当に旅行向きね、こいつ。多少のアクシデントには関係なく、何だって楽しみそうだわ。
アペタイザーは「野菜のアスピック」オードブルに「マスタードシード入り鱈のフレーク」。メインは「茄子のヴァリエーション」。さすがに乾杯はしなかったけど、あたしたちはそれらを楽しんだ。3杯目のワインに口をつけかけた時、ブザーの音が鳴り響いた。
「助手。コントロールに降下承認くれないか訊いてみて。120.500MHzね」
この頃にはヤムチャはすっかりいつもの態度になっていたので、あたしもすっかりリラックスして事に当たった。
「こちらSkyFlyer327。管制、応答せよ。こちらSkyFlyer327……降下承認をいただきたい」
『こちら管制。SkyFlyer327、滑走路01Rへの進入を許可する。降下して4000kmを維持せよ』
「ほら臨時機長、出番だぞ」
『臨時機長』。悪くない響きね。
こうしてあたしは臨時機長としての、最後の仕事をした。コントロールの指示に従った後、オートランドに切り替え。着陸?そんなもの、当然うまくいったわよ。
こういうのはね、そうなることに決まってるんだから。
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