Trouble mystery tour Epi.7 (4) byB
「ふう…」
地面に足をつきがてら漏らしたヤムチャの吐息を耳の横に聞きながら、あたしもまた息を吐いた。安堵の息。それと、単純に浅くなっていた呼吸を深める息。空を飛ぶのは好きだけど、こんな風に荷物みたいに運ばれるのは好きじゃないわ。ま、助かったからこそ言えることだけどね。
そんなことを考えながら、目を開けた。見覚えのある分岐点。行きには十分以上も歩き、帰りには一分とかからず飛び戻ってきた下り小道の、奥からやってくるものは何もなかった。水も蒸気も、高低差のある順路までは届かない。ヤムチャの襟を掴んでいた手を緩め、体重を下へ移そうとしたその時、いち早く地面に降りた双子が、あたしの背後――ヤムチャの前に群がって歓声を上げ始めた。
「すっごーい!今、あたしたち飛んでましたよ!」
「何なんですか、今の?」
「手品だ」
あたしは思わずずっこけた。心の中で。ヤムチャの声があまりにも堂々としていたから。そして、依然として体の自由が利かなかったからだ。
担がれたままのあたしとプーリをまったく無視して、会話は続いた。
「へー、感激〜!そういう手品って見たことはあるけど、体験したのは初めてです〜!」
「どういう仕掛けなんですか?」
「それは内緒。それに今のは特別だからね。ってことで、ここで一時解散!」
「えー、何でですかぁ」
「最後まで一緒に行きましょうよ〜」
なんてわざとらしい振り切り方。っていうか、全然振り切れてないし。
あたしはうっかり笑いそうになったけど、ヤムチャが何を考えてそんなことを言っているのかはわかっていた。
「じゃあさっさと先に行って。この通路狭いんだから。あんたたちがいつまでも纏わりついてるから、あたしが下りられないじゃないの」
「あ、はーい」
「カンテラなくなっちゃったから暗いね。肝だめしみたーい」
だからその意思に則って双子を追い払ってやると、一石二鳥とも言うべきことにキールがエスコート役を買って出た。
「待って。今度は僕が前を歩くよ。ねえプーリくん、君確か懐中電灯を持ってたよね。あれ、貸してくれないかな」
「あ、はい…」
まっ、お優しいこと。
ほんっと感心しちゃうわ。あんな子どもたちを女性扱いできるなんて。あの子たちがそれに応えてくれるような女性だといいわね。
ともかくも、キールと双子は鍾乳洞に入った時と同じような雰囲気を取り戻して、入った時とは違うことに三把一絡げに先へ行ってくれたので、あたしは今度こそ体を下ろして、ヤムチャの意を確かめた。
「舞空術くらい、教えてあげればいいじゃない。隠すようなことでもないんだし」
「面倒くさいじゃないか。説明するの」
「っていうか、できないんでしょ」
「…まあ、そんなとこかな」
「ほんっと、武道バカよね〜」
今ではあたしの頭の中も切り替わっていた。専門じゃないとはいえ一通りは説明できるさっきの自然現象から、原理がわからないにも関わらず実行することだけはできているヤムチャの舞空術に。本当にねえ。自分のやってることが説明できないって、どういうことよ。
そんな中、一人だけ、さっきの出来事を引きずっている人間がいた。――プーリだ。
「あの…」
おずおずと言うのかもじもじと言えばいいのか、とにかくプーリは元から小さな体をさらに小さくして、俯きがちに呟いた。
「助けてくださってありがとうございます。それから、ごめんなさい…ぼくのせいでみなさんにご迷惑を…」
「そんな風に思ってないよ。あそこが爆発したのはきみのせいじゃないさ。なくなる前に見れてよかったよ。俺たちは、もう二度とは見れない景色を最後に見た人間ってわけだ。な?」
なんか、どこかで聞いたようなこと言ってるわね。それに、爆発したわけじゃないんだけど。
そんな突っ込みを入れるのは心の中でだけにしておいて、あたしはヤムチャに調子を合わせた。
「そうね。すごくきれいだったわ」
なんか、この子かわいいから。年下は年下でもね、ここまで下だと(たぶん12、3才くらいだと思うわ)素直にかわいいって思えるのよ。孫くんに対してはそんな風に思わなかったけど、この子になら…………ひょっとして、あたし年取ったのかしら。
「ただね、あそこにブルースモーカーがあったってことは、誰かに報告しといて。あのままだと危ないし、もしかしたら新しい観光スポットになるかもしれないわよ。あれはね、熱水噴出孔って言ってそれ自体は珍しいものじゃないんだけど、青いのはすっごく珍しいのよ。あ、それともう一つ」
そんなわけで、あたしは途中からは半ば自主的に、慰め役を買って出た。具体的に言ってやった方が納得もするってもんよ。そして最後に、心配半分オチをつける気半分で言ってやった。
「あんた、水難の相が出てるんじゃないの?船にいた時、海に落ちてたでしょ。気をつけた方がいいわよ」
「それはおまえもだろ」
途端に、突っ込みが入った。あたしがさんざん意を汲んでやった相手から。
「ちょっと、なんでここでそういうこと言うのよ!?」
「だって、本当のことだろ」
ヤムチャはけろりと言ったばかりか、さらにはわざとらしく両手を上げておどけてみせた。
「その他にも一度海で溺れたし、わけのわからん植物にも襲われたし。飛行機まで落としたし。そんなすごいトラブルメーカーが一緒にいるんじゃ、事故が起こらないわけないよな」
「それ、なんか違うのも混じってるわよ」
怒りというよりは呆れが心の中に湧いた。あたしの頭の中はさらに切り替わっていた。限りなくいつもに近い状態に。
「あんた、ずいぶん調子いいじゃないのよ。確かにあんたのおかげでみんな助かったんだけどさ〜」
「え、そんなつもりないけど」
「まったく、お調子者なんだから。ほら、早く先行って。暗いんだから、ちゃんと誘導してよね」
「あ、それならぼくが…」
「大丈夫。こいつはこういう荒れた場所得意なんだから。ここは大人に任せときなさい」
一通り言ってやってから、あたしはヤムチャの背中を押した。ヤムチャは一見いかにも押し負けたように前へ出たけれど、その調子の良さは変わらなかった。
「ま、そんなわけだから気にすんな」
歩き始める直前、ついでのように振り向いてウインクした。するとウインクを投げつけられた男の子が、それはかわいい笑顔を浮かべてそれに応えた。
「はい」
子どもであることを差し引いても、とっても素直な態度。ううん、むしろ本当に子どもらしい、緩やかな笑顔。
それを見て、あたしは半ば本気で感心した。
…ヤムチャって、こういう軽い、恩を着せない言い方だけは一流よね。


「あー、のびのびするー!」
長い洞穴を抜けると、そこは岬だった。先回りしてその突端に着岸しているクルーズ船を挟んで、右がさっき通ってきたマフィン湾、左がこれから行くリュスティック海。過去と未来を同時に視界に収めて、あたしは伸びをした。
「やっぱり外の方が空気はおいしいわね。鍾乳洞って涼しいのはいいんだけどね〜」
狭いし。暗いし。太陽の下で遊ぶ方が、あたしにはあってるみたいだわ。
「あの、いろいろとありがとうございました。ぼく仕事がありますので、ここで失礼します」
「そうか。じゃあな」
「がんばってね〜」
駆けていくプーリを視界に入れながら、接岸設備の他には何もない岬を、あたしたちも船へと向かって歩いた。船尾に備わるウオーター・プラットフォームからは、ボートやディンギーが次々と海へ出てきていた。今から半日間船はここへ留まって、その間乗客たちは海遊びを楽しむのだ。ボートで島巡りをするもよし、カヌーなんかのウォータースポーツをするもよし。ということになってはいるけど、乗客の大半はこの水域に多く生息している野生のイルカを見るのが目当て。もちろん、あたしたちもそう。あたしが少し足を速めると、パワーボートが二艘、一艘は牽引されて、こちらへやってきた。
「プーリー、バイバーイ。ブルマさん、ヤムチャさーん、やーーーっほーーー」
前のボートにはキールが、後ろのボートには双子が早くも水着姿になって乗っていた。後ろのボートを上手に横抱きして接岸させたキールの意外なボート操縦の腕前に感心しながら(だって、ダンス以外には何もできなさそうなイメージだったから)、あたしは双子に言葉を返した。
「あんたたち、遊びに関しては素早いのね。ほら早くロープ解きなさい。前のボートが留められないでしょ」
「はーい、よいしょっ」
「きゃ〜、やだー、揺らさないでよ〜」
そんなことをしている間にも、キールは自分のボートを止め双子のボートに飛び乗った。それがまたもや意外に身軽だったので、思わずあたしは言ってしまった。
「操縦上手ね〜。すっかり手慣れたものじゃない」
「そりゃあ、三回目ですからね。あ、ボートがじゃなくて、この海がですよ。この辺りは波が弱くて風も読みやすいんですよ。水も温かいし。だからイルカも好んで棲みつくんですよね。だからこそ僕は三回も…」
あらら、始まっちゃった。一瞬、男らしいところもあるのねって思ったけど、どうやら間違いだったみたいね。
あたしが受け流そうとしたキールのお喋りを遮ってくれたのは、双子だった。
「ねー、ブルマさんたちはどの辺で遊ぶんですか?あたしたち、キールさんにうんと沖の方まで連れてってもらうんですけど〜」
「あ、そうなんですよ。シュノーケル借りてきましたから、珊瑚礁も楽しめますよ。ブルマさんたちもどうですか?ご一緒に」
「そうね〜…」
話題は変わっても視線の向きは変わらないキールの言葉に、あたしはちょっぴり考え込んだ。どうしようか、ということではない。キールと双子の言葉の意味するところについてだ。
どうやら双子たちは、彼のフェミニズム心には応えなかったみたいね。うまいこと三人で纏まってくれれば、ちょっかい出されなくていいって思ってたのにな。…ま、キールも押しが強いんだか弱いんだかよくわかんないからなぁ。どう考えても押しが強い双子とは、釣り合いが取れてるとは言いかねるか。
その時、考えるまでもなく押しの弱い男が、おもむろに前へ出てきた。
「はい、いってらっしゃい」
そして言うなり、無造作に片足で三人の乗ったボートを蹴った。それは一見軽〜く蹴ったように見えたけど、なにせヤムチャのことなので、あっという間にボートは沖へと流れていった。
「いってきま〜す」
遠ざかっていくボートの上で、たいして驚いた様子もなく双子たちが両手を振った。キールがよろけながら操縦席に収まった。それを鼻息荒く見送るヤムチャの横顔を見て、あたしは思いっきり吹き出してしまった。
「何笑ってんだよ?」
「だって、あんた、わかりやす過ぎ!」
眉を顰めたその表情が、一層笑いを拡大させた。すでにまったく警戒していなかったあたしにとっては、もはやその事実はただ楽しいだけだった。
「まだやきもち焼いてんの?もう終わったのかと思ってたのに。地味にしつこいわね。しかもあんな子ども相手に」
「子ども!?何言ってんだ、ミルちゃんたちくらいならまだしも、一つ二つ違うくらいで子どもだなんて――」
「まあ、子どもって言うのは言い過ぎかもしれないけど。でも、五つも下なら完全に対象外よ。だいたい学生である時点で相手にする気になれないわね」
「学生?」
「あれ、言わなかったっけ?キールは大学生よ。卒業旅行なんだって」
途中から拳をさえ握っていたヤムチャは、ここで完全に動きを止めた。やがて目をくりくりさせたかと思うと、その目を、もはや豆粒にしか見えない三人の乗るボートへとやって、呆れたように呟いた。
「うーむ。とても見えん。てっきり同じくらいだと思ってた」
「老けてるわよね〜」
片手でぽりぽりと後ろ頭を掻くヤムチャを、これ以上いじめたりからかったりする気には、あたしはならなかった。あたしも最初騙されたもん。見た目に騙されたって意味では、ヤムチャだって同じだけど。騙され続けたヤムチャと、すぐに醒めたキールとでは何が違うかって言ったら、本当は年齢じゃない。…顔よ。
という本音を漏らすつもりも、もちろんなかった。今いる環境のせいもあって、あたしの気持ちはすぐに切り替わった。
「じゃ、すっきりしたところで、ベーグ島へ行こっか。イルカと泳ぎに。そのためにここに来たんだから」
でも、海面に浮いていたボートのロープを手にしながらあたしが言っても、ヤムチャの態度は変わらなかった。
「うーむ…」
「何よ、まだすっきりしないの?」
マジでしつこいわね。しつこい男は嫌われるわよ。
そんなことを言う気にも、あたしはならなかった。依然不本意そうな声を出しているヤムチャが、怒っているわけではないことがわかっていたからだ。
現実。認識。それでもどうしようもない心の動き。…これで本当におあいこになったってわけね。
「じゃ、キスしよ」
あたしが言うとヤムチャはゆっくりこちらを向いて、半ば呆然としたように呟いた。
「……なぜ」
「キスすればそういう気分は追い払えるからよ」
あたしの言葉に、ヤムチャはまた目をくりくりさせた。でも、その後に閃かせた表情は、さっきとはまるで違っていた。
「すごい論法だな」
薄く笑って言ったヤムチャに、あたしも笑って答えた。
「でも、本当よ」
「じゃあ確かめてみるよ」
そこでヤムチャは言葉を切った。そして、チュッと軽く音を立ててキスをした。唇を離れた後も何も言わなかった。
でも、それでよかった。ここでうだうだお喋りする方が興醒めだわ。
「よーし出発!西に向かって全速力ー!」
だからあたしはそう言って、ボートに乗り込んだ。それから服を脱ぎ水着となって、気分だけでなく身なりも切り替えた。
探検気分だけを引きずって。無人島へ行くために。
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