Trouble mystery tour Epi.8 byB
フォースペリオル号での最後の朝、あたしはちょっぴり寝坊した。
「あっ、来た来た。ブルマさーん」
「もう、遅いですよ〜」
約束した時間より30分ほど遅れてデッキへ行くと、双子がテーブルから立ち上がって手を振ってきた。昨日よりは密度の薄い人混みを掻きわけてそちらへ向かうと、すかさずリルがあたしの後ろに向かって頭を下げた。
「あ、おはようございます、ヤムチャさん」
「やあ、おはよう」
その差別的な態度に、あたしの起き抜けの頭はちょっとだけカチンときた。まったく気づいた風もなく笑顔で答えたヤムチャにも。
どうしてあたしには文句言って、ヤムチャには言わないのよ?あからさまに態度違い過ぎるでしょ。嫌なとこだけ女くさいわね、この子たち。
「ふぁ…」
その文句は自らの欠伸に呑み込まれた。口を抑えるのもそこそこに思わず欠伸を漏らしてしまったあたしを見て、それまで黙って海を見ていたキールが、軽く笑って口を開いた。
「眠そうですね」
「そうね、ちょっと…昨夜遅かったから。ねー、ヤムチャ」
「ふん」
キールにではなく双子に向かって言ってやったあたしに対し、ヤムチャは誰の方を向くこともなく完全にそっぽを向いて鼻を鳴らした。かっわいくないわねぇ。そこであたしに合わせないから、双子が必要以上に懐くんだっつーの。昨夜あたしが言ったこと、ちっともわかってないんだから。子どもだって何だって、構えば懐くのよ。何とも思ってないんなら、もっと素っ気なくしなさいよ。あたしにじゃなくね!
「はは、かく言う僕も、少し前に起きたばかりでして。みなさん昨日の今日でお疲れなんでしょう、さっきまでデッキガラガラだったんですよ。おかげで席は取れたし、クジラの第一発見者になれました」
「残念。第一発見者はこの俺だ」
相変わらず明後日の方向を向いたままで、ヤムチャがぽつりと呟いた。あたしはちょっぴり呆れながら、その誰にも聞こえなかったらしい呟きを流した。
「相変わらず熱いわねー」
そうする他に、あたしにはリアクションのしようがなかった。
本当の第一発見者はどっちかなんて、あたしにはわからないから(だってあたし、ついさっきまで寝てたんだもん)。っていうか、誰が最初に見つけたかなんて、どうでもいいと思わない?世紀の大発見とかじゃないんだしさ。でもキールに限らず男って、時々そういうどうでもいいことに熱を入れたりするのよね。さらにヤムチャの場合は、もっと理由がはっきりしてる。どっちもどっちよ。バカみたいとまでは言わないけど、子どもみたいだわ。
「それで、潮吹きは見れた?」
あたしはかつてキールと交わした会話を思い出しながら、チェアを引きつつ話を振った。最後だから、リップサービスしてあげる。独擅場でしょ。もう存分に喋るがいいわ。
「それがね、残念ながらまだなんですよ。クジラの潮吹きって、本当に見る機会ないんですよねえ。潮吹き自体はそう珍しいものじゃないはずなんだけどなあ。僕って運悪いのかなぁ。前回ここに来た時も…」
「俺見たぞ、それ」
その時ヤムチャがこっそりとあたしに耳打ちした。その口調の得意気なことといったら。本当に子どもみたいな対抗心燃やすんだから。
「はいはい、わかったから。じゃ、朝食にしましょ」
それであたしは、もう話の歯車となることをやめ、左舷の海へと目をやった。大中合わせて四頭のクジラが、船に寄り添うように泳いでいる――実際には船の方がクジラを追ってるわけだけど。それは一時間ほど、船が寄港するため既定の進路に乗るまで続いた。
「あ、五頭目が来たよ。あれ?あれって潮吹き?ねえそうでしょ、キールさん」
「なんか霧みたいだね〜。ひゃ〜、こっちまで飛んでくる。つめたー」
「見れてよかったですねー、キールさん。ところで、またチョコレートフォンデュ頼んでもいいですか?」
「さんせーい!フルーツ増量でね!」
相変わらずかしましいこと。
あたしの予想に反して、その間、場はキールのではなく双子の独擅場と化した。キールが黙って海を見続け、ヤムチャも黙って食事を続け、あたしは自制して口を噤み続けたことが、その理由だ。キールはともかくヤムチャの態度は評価するわ。ちょっと場の空気が微妙だけど。でも、あたしはぜーったいに取り成さないからね!
やがて今朝もまた運ばれてきたチョコレートフォンデュに、あたしは一応口をつけた。…甘い。美味しくないわけじゃないんだけど、甘過ぎるわ。あたしは決して甘いものが嫌いじゃないけど、そう感じる。きっとこの空気のせいよ。
こういう甘いものは、もう少しそれっぽい雰囲気の中で食べるものよ。この子たちはそんなものには無縁だってことはわかってるけどさ、どうして船の上でチョコフォンデュなのよ?しかも南の海の。暑苦しいなんてもんじゃないわよね。そういうところが、本ッ当、子どもなんだから。
でももう、それも終わり。いくらこの子たちが懐いてこようと何だろうと、キールがいなくなったらきっぱりと距離を置かせてもらうわ。許すのはグループ交際までよ。それにこの船は広いから食いつかれても四六時中べったりって感じにはならなかったけど、この後からはそうじゃないんだから。
あー、長い三日間だったわ…


汽笛が鳴る。港が近づく。
「キールはこのままブール海を抜けるんでしょ?長い船旅になるわね」
すっかり下船準備を終えたあたしたちは、入港しつつあるパヴァの港に船が接岸するのを、デッキに凭れて待っていた。
「ええ。僕のスケジュールはまだ半分を消化したばかりです。この後ロワ湾を通ってブール海を抜けて…ロワ湾が次のウォッチングポイントなんですよ。あそこにはクジラだけじゃなくサメもいて…」
「サメ!?すっごーい、見てみたーい!!」
当たり前のように傍にいた双子が、嬉々として声をシンクロさせた。キールが我が意を得たりといった顔で、双子に答えた。
「機会があったら来てみるといいよ。この西周りの航海コースはお勧めだよ。海が荒れることもまずないしね。ウォッチングクルーズとしては一番だね」
「何なら今そっちに行ってもいいのよ。あんたたちも楽しいし、あたしたちもすっきりするわ」
そこであたしも、ここぞとばかりに言ってやった。はっきり言って、半分以上本気だった。
「あ〜、ブルマさんてばいっじわる〜!」
「あら、ようやく気づいてくれたのね。嬉しいわ」
「化けの皮…」
「ん、何か言った、ヤムチャ?」
「別に」
相変わらずヤムチャは明後日の方向を向いていたけども。まあ、このパヴァの港は大きいけどたいして特徴はなくて、おまけにちょっと古くて煤けた感じだから。…だけじゃ、ないと思うわ。
「じゃあ、キール、さようなら」
「キールさん、バイバーイ」
「さようなら。今度は社交界でお会いしましょう」
やがて船がタラップを下ろし、あたしたちはさっくり別れた。軽やかに手を振るキールの最後の言葉に、あたしは笑顔だけで応えた。正直、あんまり会う気はしないわね。気分的にも、現実的にも。東の都の社交界に顔を出すことなんて、あたしはないからなぁ。
「と、いうわけで、ジ・エンドね」
「何が」
「またまたー、しらばっくれちゃって〜」
少し早足で珍しく先を行く荷物持ちに追いついた時には、あたしたちはタラップを降り切っていて、あたしの中でもキールは過去の人になっていた。もちろんすぐに忘れちゃうわけはないけれど、もはやヤムチャをからかうための新鮮なネタでしかない。黙り込むヤムチャを肘で突いてやると、またもや明後日の方向を向きかけた視線をあたしに戻して、不貞腐れたように呟いた。
「何だよ、それ」
「何だよってことはないでしょ〜。あからさまにキールのこと無視してたくせに〜」
「それはだな、ただ見てられなかっただけだ。あいつじゃなくおまえの、目も当てられない態度がだな…」
「…何言ってるのか全然わかんないんだけど」
だってあたし何にもしてないわよ。まさに今日は、もう本ッ当にただ話してただけ。それもこの上なく当たり障りのないことをね。一体どこにやきもち焼くところがあったのか、教えてほしいわ。そんな迂遠な言い方してないでさ。
そうあたしは思ったけど、実際に口に出すことはなかった。遠慮したわけじゃない。さっきも言った通り、すでに切り替わっていたからだ。
「まあいいわ。これ以上は言わないでおいてあげるわよ。あ、あのバスに乗るわよ。ここから先は陸路!それもあんたの好きそうなところよ」
過去のことは過去のこと。もうキールのことでぐだぐだするのはおしまい。場所も乗り物も変わったんだから、気分も変えなくっちゃね。
心なしか煤けたように見える空の下、港の片隅に停まっているリムジンバスをあたしは目指した。ヤムチャは半歩後を歩きながら、例によって首を傾げた。
「リムジンバスで街を越えていくのか?どこまで行くのか知らないが、かなり時間がかかりそうだな」
ひさしぶりの恒例会話の始まりだ。いつもは食事をとりながら話したりしてたんだけど、ここんとこそういう感じじゃなかったからね。
「バスで行くのは駅までよ。そこからはエアレールで、7日間かけてロズを抜けるの。途中いくつか寄り道はするけど、ロズって基本的に田舎だから、まあ荒野を旅するみたいなもんね。あんた好きでしょ、そういうの」
「別に俺、田舎が好きってわけじゃないんだけど…」
「そうなの?でも、いつも辺鄙なところにばっかり行くじゃない」
「あれは修行しやすそうな場所ってだけで…」
すでにいつもの雰囲気になりながら、あたしたちはリムジンバスに乗り込んだ。それでも、さりげにここまでの流れにはっきりと反していることがあることに、あたしは気づいていた。
ヤムチャもだんだんこの旅行の日程を気にするようになってきてたと思ってたのに、今回は直前までそういうことに触れようともしなかった。
…そういうこと、考える余裕もなかったらしいわ。
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