Trouble mystery tour Epi.8 (4) byB
スタンダードコントロールは貫録漂う壮年の女性。少し縮れた黒髪の、若い頃は美人だったんだろうなと思わせる、きびきびとした人だ。
「絵が飾られているのはリビングルームです。それ以外の部屋に立ち入るのはご遠慮ください。明日ご予約が入っておりますので」
嫌みのない口調でそう言うと、あたしたちをバトラーに任せた。バトラーっていうのは、各客室に1人ずつついている世話人のこと。こちらは若い男性。やっぱりそれなりに格好いい。
でも今はそんなことはどうでもよかった。あたしが気にしているのはただ一つ、絵の中にいるという、もう一人のあたしの顔だ。ま、そうは言っても、得てしてこういうものはそれほど似てないものと相場が決まってるけどね。芸能人の誰誰に似てる、とかいう人がまったく似てないのと同じよ。思い込みとか光の加減とかで、そう見えることもあるってだけの話なのよ。だいいち、今まで一度もそういうこと言われたことないもの。いくら田舎の話ったって、こんな美人が二人もいたら少しは話題になるってもんでしょ。
スーパーデラックススイートはあたしたちの部屋の隣にあった。隣っていっても前方の別車両だけど。初めて歩くほんの数十メートルほどのロビーを進んで、あたしたちはその部屋に通された。
「どうぞお入りください。絵は入って左手の壁に飾られています」
バトラーの声に従ってリビングルームへ一歩を踏み入れた後で、あたしは見た。
あたしたちツアー客に与えられた一室とほぼ同じ広さのリビングルームの壁に燦然と輝く金色の額縁。その狭い絵画の世界の中で、緑の森と樹に手をやって佇む白いドレスを着た女性――
「こちらがブルーナ王女です」
「名前も似てるな…」
遠回しにヤムチャが認めた。そう、『も』って言ったの。そして、あたしはその迂遠さを咎めることができなかった。
――もうすっかり、絵に見入っていたから。
こんな美人が二人もいるものなのね。そう茶化すこともできないほどに、絵の中の女性はあたしに酷似していた。髪の色。瞳の色。そりゃこれは写真じゃなくて絵だから、描き手の主観が入ってはいるだろうけど、少なくとも絵の中にいたのは、あたしだった。髪の長さと時代が違わなければ、誰だってそう思ったに違いない。
もうめちゃくちゃ妙な気分。さっきまで嬉しい偶然だって思ってたけど、これはちょっと…………正直言って、あまり気分のいいものじゃないわ。この人を知っている人にとってはきっと、あたしはあたしじゃなくて『ブルーナ王女』なのよね。少なくとも、『ブルーナ王女にすっごく似てる人』。やだなあ、そういう先入観。そういう特別扱いって、嬉しくもなんともない…
あたしの中で『昔の彼』が急速にただのバーテンダーへと戻っていった。一方隣にいる今の彼はといえば、ちらりとあたしを一瞥して、こんなことを言った。
「似て非なるお姫様か…俺、その時代に生まれていればよかったなあ…いてっ!」
あたしは思いっきりその足を踏んづけてやった。…もう、なんて失礼なやつなの!
「何よその言い草は!ええ、ええ、どうせあたしはお姫様っぽくないですよーだ!」
「なんだ、わかってたのか。…てぇっ!」
なおもヤムチャは口を滑らせた。…おまけに、なんて口の軽いやつなの。人前でそういう態度取るなっつーの!
あんたも男なら、女を立てなさい!ポーズでいいから、大事にしてるってとこ見せなさい!それが上流階級のマナーってもんなの!あたしの立場も考えてよ。見なさい、バトラーが呆れてるじゃないの。ブルーナ王女のことも相まって、きっと呆れも二倍よ!
さすがにそれらを口にするのは躊躇われた(恥ずかし過ぎるわよ!)あたしに対し、ヤムチャは偉そうに呆れてみせた。
「いくらなんでも蹴るなよ。ドレス着てるんだからさ。跳ねっ返りなんだからな、もう」
蹴らせたのは誰よ!
その言葉もやっぱり同じ理由で呑み込んだ(ええ、蹴ったわよ。それについては後悔してるわ。せめてバトラーに気づかれない方法で怒ればよかったって…だけど無意識に足が出ちゃったんだもの)あたしの肩を抱くようにして、歩き出すヤムチャだった。
「さ、もう行こうぜ。ここは予約入ってんだろ。何か壊しでもしたら大変だ。あ、お手間取らせて申し訳ありませんでした」
「もうっ!」
鈍感にも程があるわね。こいつ、生きるの楽そうね…
そんなわけで、あたしはもうバトラーもあの絵も二度とは見ずに、スーパーデラックススイートを後にした。ご覧の有様だったので、余韻がないどころか、あの妙な気分さえ消し飛んでいたことは言うまでもない。


…とはいえ、消し飛んではいたけれど、忘れたわけではなかった。
忘れられるわけないわ。きっと、この列車にいる限りは。
事実を知った今ではわかる。あたし、ちょっと特別扱いされてる。あからさまに特別なサービスをされたりはしてないけど、なんていうか…サービスがきめ細かいのよ。っていうか、細か過ぎるわよ。いちいち顔色窺わなくていいってのに。
ま、正確には、顔色を窺ってるんじゃなくて、顔を見に来てるんでしょうけどね。
「まあ確かに、似過ぎよね」
でもまあ、耐えられないことはなかった。王侯気分が王族気分になっただけのことよ。だからあくまで雑談として口に出した。レストラン・カーで、夕食が始まるのを待つ間。食前の、酒の肴としてだけ。
ちょっと気になったから…ヤムチャの態度が。
「うん?ああ、さっきの絵のことか?」
それ以外に何があるっていうのよねえ。
あたしが言うと、やっとヤムチャは視線を戻した。横にある灯り一つない真っ暗な窓の外から、正面にいるあたしの方に。
「世の中には自分と同じ顔の人が3人いるって言うけどねえ。はっきり言って驚いたわ」
「世の中ったって、時代が違うだろ。あっちはもういないだろ」
「そっか。じゃあ、同じ人ってことになるのかしら」
「同じ人?」
「生まれ変わりは同じ人でしょ。同一人物」
「ああ、そういう話か…」
そうして、ここにきてようやく、話に身を入れ始めた。本当にようやく、飲んでいた食前酒のグラスを口から離して、テーブルに置いた。
「ブルマが生まれ変わりを信じてるなんて意外だな。科学的にはありなのか?」
「ありも何も、こうして起こってるじゃない」
「確かに顔は似てたけどな。中身が違っても生まれ変わりって言うのかな?」
「なんで中身が違うって言い切れるのよ?」
それはすごく意外な意見だった。中身のことなんて、考えてもいなかったわ。だって、普通は同一人物だと思うでしょ?どう見たって同じ人間じゃない。
そして、その問いに対するヤムチャの答えは、さらに意外なものだった。
「なんでって…だって見た感じ違ったし」
あたしは思わず絶句してしまった。畳みかけるようにヤムチャは言った。
「だいいち、おまえみたいなのが二人もいるわけないだろ」
「…あっそう」
その余計な一言に文句をつける気には、あたしは(それほどは)なれなかった。とにかくヤムチャには、あたしとあの絵の中の女性とが違って見えるのね。…それだけで充分よ。
「こんばんは、ブルマさん、ヤムチャさーん」
あたしが残りの食前酒に口をつけると、非常に場違いな格好をした二人組が現れた。例によって揃いのドレスもどきを着た双子は、空気も読まずに声を上げた。
「そんなに広い列車じゃないのに、意外と会いませんねー。何してたんですか?」
「あのね、あたしたちはね〜…」
「今大事な話してるから、あっち行ってて」
「は〜い」
「じゃあ、また後で〜」
後でもないわよ。
あたしはさっくりと双子を追い返した。これ以上何かを聞きたかったわけじゃない。だけど、今は邪魔されたくなかった。いつもそう思ってるけど、今は特に。ヤムチャはあたしのオオカミであって、あの子たちのオオカミじゃないんだから。
まるで赤ずきんちゃんのようなエプロンドレスを着た双子の後ろ姿に心の中でそう言葉を投げつけると、ヤムチャもまた同じような感想を抱いていたらしく、呆れたように呟いた。
「仮装パーティみたいだな…」
「大人になった時、絶対後悔すると思うわ。あの衣装は黒歴史確定よ」
「かもしれん…」
「あたしなんか、ただ正装してるだけで仮装できちゃってるみたいだけどね」
あたしは溜め息と言葉を同時に吐いた。そうなのよねえ。あんな奇抜な格好をした子たちより、至極上品なドレスを着ているあたしの方がじろじろ見られてるって、どういうことよ。まあ、あたしの場合はきれいだから見てるんでしょうけどね。まったく、芸能人や有名人が好奇の視線に晒される気分がわかったわ。意外に得意になれないものね。うざったいっていうかさぁ…
今ではあたしは、あの絵の中の女性ではなく、その女性をあたしの中に重ねて見ているギャラリーの方が気になっていた。知らない方がいい事実だったわね。何も知らなかったら、ひたすら小まめなサービスに感動していられたのに。一晩経てば忘れられるってものでもなさそうだしなぁ…
実のところ、あたしはこの現実に少々辟易していた。一方、あらゆる意味で何とも思っていないらしいヤムチャは、相変わらずカラッとした態度で、唐突に笑って言った。
「もう言うなよ。おまえはおまえ、それでいいじゃないか。誰にも代われやしないよ」
その、意外でありながら意外じゃない台詞回しに、あたしはまた一瞬絶句した。
「…………あんたって、時々いきなり恥ずかしいこと言うわよね」
時々、本当に時々だけど、ドラマや映画のステレオタイプみたいなこと言うわ。ステレオタイプな台詞って、実際耳にすると結構恥ずかしいわよ。ヤムチャの場合真顔で言うから余計に。おまけに――
「え、何が?俺、何か恥ずかしいこと言ったか?」
「わかってないところが、また恥ずかしいのよね」
「は?」
ヤムチャが素っ頓狂な声を上げた時、ウェイターがやってきた。深く頭を下げた後に響かせる、食事開始を告げるテノール。
「お待たせいたしました。こちら前菜の、鴨胸肉のタルタル・グリーンペッパーのアイスクリームとベルガモット風味のキャロットピューレでございます」
――そう、そして、これから夜が始まる。
…なかなか隙のない鈍感さだわ。


「なあ、今停まってないか?この列車」
すっかり夜も更けた頃。バスタイムを終えてリビングルームへ戻ると、先にベッドに転がっていたヤムチャが天井を見ながら訊いてきた。
「どこかの駅に停車したんでしょ。確かエピとか言ったような…。夜のうちに点検とかするのよ、きっと」
「ブラインド上げたら何か見えるかな」
「どうせ何もないわよ。田舎の駅だもん。ねえ、それよりワイン開けて」
「ああ、はいはい」
ナイトキャップは『貴族のワイン』と呼ばれるアイスワインのミニボトル。遥か北の土地で作られたヴィンテージ物。とことんゴージャスな列車ね、ここは。
「うん、うまい」
「ほーんと。ここって何から何までレベル高いわね〜」
「まったくだ」
非常に生産量の少ない希少価値の高いそのワインを、あたしたちはベッドでごろごろしながら飲んだ。こういうのって最高よね。お洒落なお店で畏まって飲むのもいいけど、こんな風に気負いなく楽しむことこそ、本当の贅沢だと思うわ。
ゆったりと体を包み込むリネンのベッドもふわふわ。優しくサラリとした肌触りで、すっごく心地いい。ここまでいくつもいい部屋を使ってきたけど、ここのが一番快適だわ。…もう少し広さがあれば、ね。
そう。寝心地は最高なんだけど、ちょおっと狭いのよね。ダブルのロングかなあ。すごく窮屈ってわけじゃないけど、今までのと比べるとねえ。せめてクイーンサイズは欲しいわよね。列車だから幅に制限があるんだろうけど…これじゃ、寝返り打ったらぶつかっちゃう。ベッドがゆったりしてないなんてやだやだやだ!肝心なところでお姫様気分が味わえな〜い!
と、駄々を捏ねてみても始まらない。ベッドがあたしの言うことを聞いて広くなってくれるわけもない。サービスマンならあたしの言うこと聞いてくれるかもしれないけど…………だけど、もっと広い部屋――あの部屋に移るのは、嫌だわ。そんなことしたら、きっと余計にあたしに王女を重ねちゃうわよ。運命的過ぎるもの。
そんなわけで、やがて列車が動き始めた頃、ワインを飲み終えたあたしは、自分のスペースを確保するべく、なーんも考えていないらしい同伴者の体を押しにかかった――
「…なあ。俺、狭いんだけど…」
「あら、あたしだって狭いわよ」
――わけじゃなかった。自分が、どう見ても一人分以上のスペースを背中の後ろに取ってるってこと、わかってた。わかってて、わざとヤムチャに体を押しつけていた。
だって、ヤムチャってば、相変わらずマイペースなんだもん。さっきはあんなこと言ってたくせにさ。あたしは唯一無二の存在みたいなこと言ってたくせに、いつまでものんびりとワイン飲んでるって、どういうことよ?
まさか、口だけってことはないわよね。普通、ああいうこと言った後って何かするわよね?あたしはそういうつもりなんだけど。あたしは嬉しかったから、そういう気持ちに……今日はヤムチャの方からしてほしいなあって思ってるんだけど。すでにそうじゃなくなってる気はするけど、でもまだ…
なんか、こういうのってひさしぶり。それとも、ひょっとして初めてかしら。イライラすることなく、待つのって。
別にきてくれなくても怒んない。けど、がっかりはするだろうな…なんて考えながらも、冷静に待てるの。冷静といいつつ、ちょっとドキドキしてるけど。
「ん…」
――あたしは驚かなかった。
なんとなく、そんな気がしてたの。
ヤムチャがあたしの体の上に乗る前から。
あたしの額に触れる前から。
だから、目を閉じてた。
だから、感触だけが伝わってきた。
あたしに触れる感触。
あたしと繋がる感触。
あたしを…大事にしてくれてる感触。
ただのキスだけど、それを感じたの。
あたしはそっとヤムチャの背中に手を回した。もうちょっとキスをしていてほしかったから。もっとキスをしてほしかったから。
応えてもらえるのって、幸せ。だからあたしも応えるから、もう少しだけ、あたしに与えられる感触を味わわせて…………
あたしはちょっと…ううん、かなり浸っていた。結果的には、それがよかったのかもしれない。ともかくもドアが開いた時には、あたしもヤムチャもまだ服をちゃんと着ていて、対外的にはキスをしているだけだった。
「手を上げろ!さもないとこのS&Wが火を噴くぞ!」
いきなり飛んできたその声に、あたしたちは従わなかった。ただ唇を離して、あたしは思わず目を丸く、ヤムチャは視線をそちらへ飛ばしただけだった。それでも、撃たれることはなかった。
なぜなら、その強盗ならぬ闖入者は、あたしたちの友人だったからだ。
「…何だ、おまえらか。こないだからよく会うな」
「ラ、ランチさん!?」
ヤムチャが構えを解いた。今にも殴りかかりそうになっていた右の手は、ちょっと前の元通り、あたしが擦り寄る前の位置に振り下ろされた。ベッドサイドテーブルに置かれていた空のグラスが転がり落ちる音を聞きながら、あたしは訊いた。
「ちょ、ちょっと、こんなところで何やってるの、ランチさん!?」
「何って、旅費を賄ってるに決まってるじゃねえか」
「旅費を…」
あたしはそれ以上言葉を続けられなかった。…ものは言いようね。ランチさんが言うとなんだか自然に聞こえるわ。
「邪魔したな。おっと悪い、ここの鍵壊しちまった。ま、外から閉じといてやるよ。グッドラック!」
さっくりと言い放つと、ランチさんは部屋を出て行った。荒っぽくドアを閉めて。直後、ドアの外からガチャガチャやる音が聞こえた。そして、それが止んだと思ったら、またランチさんの声が聞こえた。
「おらおら!てめえら、さっさと金出しやがれ!!」
一体何をしているのかは、考えずともわかった。でもあたしより頭のネジが緩んでいるヤムチャは言った。
「何やってんだ、あの人…」
「天津飯さんを追っかけてるんでしょ…」
それきり、しばらく沈黙が降りた。その後ようやく、ここまでずっとランチさんとランチさんの閉めていったドアを凝視していたあたしたちは目を合わせることとなった。
「どうする?」
「どうするって…」
あたしの問いに、ヤムチャはゆっくりと答えた。
「…警察に捕まりそうになったら助ければいいんじゃないか?」
「まるで共犯ね」
あたしは呆れたけど、他に手立てがないことはわかっていた。いくら強盗だからって、友人を警察に突き出すわけにはいかないわ。…あたし、間違ってないわよね?
幸い、ここには警察はいなかった。そしてランチさんがどうにかなっちゃったら、きっと誰かが知らせにくると思う。まあ確かにそうなればまた中断させられちゃうけど…
「つ・づ・き!」
けど、あたしはヤムチャを促した。だって、すっごくいい感じだったんだもん。もうすっかりその気だったんだもん…。ここでやめるなんてなしだもん。そんなの絶対許さないもん。
「え…あ、うん…」
ハッとしたように口を開いたヤムチャに、今さっきまでの雰囲気はなかった。もうすっかり元通り。あたしが擦り寄る前のヤムチャに。マイペースだった時のヤムチャに。いつものヤムチャに。
でも、あたしの心は変わらなかった。浸る気持ちは消えたけど、それ以外の気持ちは消えなかった。例え雰囲気がなくてもいいの。
だってあたし、ヤムチャのこと好きだもん。
ヤムチャ自身が、好きなんだもん。
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