Trouble mystery tour Epi.8 (7) byB
この日のことは、どこから話せばいいのかしら。
そうなった瞬間から話すことができれば一番いいんだろうけど、あいにくあたしには、いつからそうなってしまったのかわからない。とにかく、本当のあたしは、自分の声で目を覚ました。
「さ…触らないでください…!」
小さな声だったけど、はっきり聞こえた。でも、自分では喋ったつもりがなかったから、不思議に思ったってわけ。
「…………何だって?」
ヤムチャが不思議そうな顔をして、あたしを見ていた。まだベッドに横になってるし半分寝惚け眼だから、きっと起きたばかりね。
「それ以上近づくと許しませんよ。それから、お間違えにならないで。私の名はブルーナです」
「は?」
は?
ヤムチャに続いてあたしも素っ頓狂な声を上げた。…はずだった。でも声にならなかった。それどころか、思わず開けてしまったはずの口は、まったく動いていなかった。でも、聞こえてきたのは確かにあたしの声……あたしはそんなこと言ってないのに……
混乱しているあたしに向かって、ヤムチャが体を起こしながら笑いかけた。
「なんだブルマ、ブルーナ王女のこと気に入ったのか?一昨日は嫌がってたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?でもびっくりするから、出し抜けになりきるのはやめてくれよな」
…あんたは何を言っているの。
そして、あたしは何を言っているの?一体どうしちゃったの、あたし。
「二度も名を間違えるとは無礼な。あなたは他国の方ですか?ならば、覚えておきなさい。私はブルーナ・ウェルシュ、この国の第一王女です」
はぁぁぁぁ?
「あなたは誰ですか。ここで何をしているのです。なぜ私のベッドに入っているのです」
…あたし、何言ってんの?
ヤムチャでしょ?あたしが連れてきたんでしょ?ずーっと一緒のベッドでしょ?
何これ。どうなってるの?どうしてあたし勝手に喋ってるの?…いえ違う、どうしてあたし喋れないの?
どうして思ってもいないことを喋っているの。どうして思った通りに喋れないの。あたしの体よ、これ。
――あたしの体…?
その瞬間、あたしの心にぞくりと冷たい悪寒が走った。
何この感覚。あたし、今自然に思った。『あたしの体を誰かが勝手に使ってる』。一体どういうこと、これ。
ブルーナ・ウェルシュ――ブルーナ王女。もう何百年も昔に亡くなった過去の人――まさかとは思うけど…、昨日の降霊のせい?あれであたしのところに来ちゃったの?
でも、どうして今頃…昨日は全然何ともなかったわよ。どこにもおかしなところはなかったわ。昨日の夜、ベッドに入るまでは――眠りに落ちる前までは。ヤムチャに腕枕をしてもらった時にも、あたしだった…………その後?
その後、寝てる間に乗っ取られたの?意識がなくなったから…?
あたしは悶々と考えていた。わかったような、わからないような。ブルーナ王女があたしの前世の人なの?何百年も前だから、その一人ってことなのかしら。でもなんか、すっごく違和感あるのよね。ちっとも同じ人間って感じがしないわ。だって、この人さっきから――
「…………ブルーナ王女?」
それでも、おそるおそるといった感じでヤムチャがそう言った時、あたしはありったけの力を込めて叫んだ。
そうなのよーーーーー!!
あまり信じたくないけどそうなのよ!自称だけど。本人がそう言ってるだけだけど…
でも、とにかくこれはあたしであってあたしじゃないのよ。あたしはいるけど、出ていけないの。お願いヤムチャ、気づいて!
あたしの思いは声にならなかった。やがてあたしの口から出たのは、その違和感のあり過ぎる女の声だった。
「ですから、先ほどからそう言っています」
――あんたはどうしてそう偉そうなの!
やっぱり違うわ。この人、あたしの前世の人じゃないわよ。あたし、こんなに偉そうじゃないもん。ただの他人の空似よ。その辺を飛んでた霊に捕まっただけよ!
「質問に答えなさい。あなたは誰なのです」
鼻をつんと上に向けて、それは偉そうにブルーナ王女は言った。あたしには王女の姿は見えないけど、そういうことはわかる。なんか中途半端に、自分の体の感覚があるわ。距離感は少しおかしいんだけど、視界は確かにいつもと同じ。ヤムチャが呆然としたように、ベッドの横に立ち尽くしている。相変わらずおずおずと、王女に答えている。
「俺は…あなたの恋人で――」
「わたしの恋人はジエラ様ただ一人です」
――誰それ!!
知らないわよ、そんなやつ!初耳もいいところよ。知らないやつの名前勝手に出すのやめてよ。誤解されたらどうすんのよ!
あたしの思いはまたもや声にはならず、ただ少し潜めたヤムチャの声が耳に入ってきただけだった。
「…じゃあ、付き人みたいなものです」
ちょっとぉぉーーーーー!
ヤムチャもなんでそこで引き下がんのよ!付き人じゃないでしょ!付き人が同じベッドで寝たりするか!こんの大嘘つきーーーーー!!
は、あたしもか。だって、さっきから知らないことばかり口走ってる。
「ここは王城ではありませんね。私はどうしてこんなところにいるのです」
「あなたは今旅行中で…」
「旅行?一体どこへ行くというのです」
「それはちょっとわからないんですが…」
そんなことどうでもいいから!
早くあたしをここから出してーーーーー!
『ここ』がどこかもわからないままに、あたしは叫んでいた。…つもりだった。でも、声が出ない。体も動かない。あたしの思いとは裏腹に沈黙の落ちかかった部屋の中に、やがて控えめなノックの音が響いた。
「ブルマ様、ヤムチャ様、おはようございます。ご機嫌いかがですか。朝食をお持ちしました」
「あっ、はい。ちょっと待ってください」
ヤムチャがハッとしたように、ドアへと目をやった。バトラーに答えてから、あたし(っていうか王女)に向かって言った。
「とにかく服を着てください。あなたの服はそこのクロゼットに入っています」
うぅ〜〜〜〜〜…
あたしが思わず唸り声を上げると、王女がシャツをひっかぶるヤムチャから目を逸らした。
そして体をシーツでぐるぐる巻きにしたまま、ベッドから立ち上がった。


着替えも終わり、バトラーもいなくなって、朝食の時間が始まった。
沈黙が支配する部屋の中での朝食。あたしとヤムチャは窓際に置かれたテーブルに向かい合って、静かにカトラリーを動かしていた。
「あの…ブルーナ王女」
やがてヤムチャが顔を上げ、王女を呼んだ。王女はゆっくりと口の中の物を呑み込んでから、済ましきった声で答えた。
「何です」
「あなたに訊きたいことがあるんです。その…ブルマはどこへ行ったんですか?」
「ブルマとは誰ですか」
「昨日まであなただった人なんですが」
あたしはここだってば!
あたしは大声で答えた。ようやく救出劇が始まった。そう思った。ヤムチャってばのんびりし過ぎ!ごはんなんて食べてないで、先にやるべきでしょ、そういうことは!
でも、一方では耳を澄ませていた。王女が何て答えるのか、聞きたかった。それは確実に、あたしが出ていくヒントになるはずだもの。
「あなたの話は、わからないことばかりです」
だけど王女は、答えなかった。ヤムチャの話に関しては、興味も湧かないようだった。
「ですが、私も訊きたいことがあります。ジエラ様は今何をしておいでなのでしょう」
「そのジエラ様というのは、あなたとはどういう関係なんですか?」
「ジエラ様は私の最愛の人。永遠の契りを交わした方です」
げっ。
ちょっとあんた!そういうこと言わないでよ!これはあたしの体なのよ。あんたは交わしてても、あたしは交わしてないっつーの!
だいたいさぁ…朝、ヤムチャと一緒にいたんだけど。
二人して、裸で寝てたはずなんだけど。
見なかったことにしてるわけ?あんた、そんなんでいいの?無視したって事実は消えないわよ?
朝か…………
ここで再び部屋に沈黙が舞い降りたので、あたしは自分の思考の世界に入り込んだ。
朝、目を覚ましてからよね。王女があたしに成り変わったのは。ヤムチャだって、朝起きて気がついたみたいだったし。じゃあ、やっぱり寝てるところを乗っ取られたのか。と、いうことはよ。今度眠りについた時、あたしが先に目を覚ますことができれば…………
なんか、二重人格みたいねえ。霊ってこういうものだったの?
ここであたしは思考を打ち切って、今のところいつもと同じように感じられている自分の感覚に集中した。王女がゆっくりと口に運ぶ朝食に反応する感覚――味覚に。
お腹空いてるから。朝から考えごとしっぱなしだったから。こんな状況でも、お腹って空くものなのね。ちっとも嬉しくない発見だわ。
焼きたてのクロワッサン。今日の卵料理はオムレツ。王女はコーヒーにクリームをいっぱい入れるのが好きみたい。あんまりクリームっぽくしちゃうとデザートと合わなくなるとあたしは思うんだけど、しかたないわね。イチゴのチーズケーキに免じて、大目に見てあげるわ。
あー、やっぱりおいしい…
一瞬、本当に一瞬だけ、あたしは現在の状況を忘れて、心の底から舌鼓を打った。でもすぐに我に返った。そんな場合じゃないってことくらいわかっていたし、実際にも王女の手が止まったからだ。
「あれ、食べないんですか?」
コーヒーを置きながら言ったヤムチャの言葉に、王女は済ましきった声で答えた。
「もう充分に食べました。それに、甘いものはお茶の時間だけと決めております」
えええ!?
何言ってんの?デザートは別腹でしょ?あっちょっと、勝手に下げさせないでよ。うわーん!あたしのイチゴーーーーー!
ヤムチャが食べ終えてたこともあって、皿はさっさと下げられてしまった。慇懃に部屋を出ていくバトラーを視界の隅に認めながら、あたしは思った。
――絶対にこの人は、あたしの前世の人なんかじゃないわ!


それから小一時間後、あたしとヤムチャはティールームのテーブルに、向かい合って座っていた。
ヤムチャが王女をそこへ誘ったからだ。のんきなものよね。こんな時にお茶!?まあここサービスは行き届いてるし、部屋に籠ってるよりはいいけど。
でも、問題はこの席の取り方よ。
どうして二つのテーブルのあっちとこっちなのよ?って、それはあたし(っていうか王女)が言い出したんだけどさ。
『付き人と一緒のテーブルにつくことはできません』なんて、偉そうに言っちゃって。なんかこの王女、だんだん態度でかくなってきてるわよね。朝起きたばかりの時には、まだいくらかヤムチャに怯えてたのに。
ふいに、そのヤムチャの姿が視界から消えた。代わりに、のどかな田園風景が目に飛び込んできた。王女が窓の方を向いたのだ。窓の外はいい天気だった。この地区としては珍しく埃っぽさの感じられない、青い空。薄くたなびく白い雲。遠くには緑に萌える山々。近くには風になびく葡萄畑。どこまでいってもこの風景の繰り返し。この上なく単調な景色だけど、でもなんだかとても落ち着く。何もないのもここまでくると、いっそ美しく見えるわ。いつまでたっても変わらない景色を見ながら列車に揺られ続けるっていうのも、いいものね…
…はっ。
あたしは景色を見るのをやめた。ほとんど同時に、窓の中にウェイターの姿が映り込んだ。急に王女が華やいだ声を上げて、ウェイターを振り返った。
「まあ…ジエラ様、ごきげんよう」
は?
あたしは思わず素っ頓狂な声を上げた。でもそれはやっぱり声にはならなかった。その一方、例によってテーブルの横に跪いていたウェイターは、そういう声を出しかけたところをよく踏み止まって、慇懃に王女に答えた。
「は。私の名前はジュラートです、ブルマ様。ですが顔を覚えていただけて光栄です。お飲み物はいかがなさいますか」
「ジエラ様じゃありませんの…」
「ジュラートが本名です。でも、今からジエラを通称にいたします」
それでも王女は食い下がった。さっきまでとはまるで違う猫撫で声で。それにあくまで笑顔で対応するウェイターを見て、あたしは非常に感心し、同時に頭を抱えた。
ちょっとぉー。
やめてよ、もう。恥ずかしいわね。あんたが今何を考えてたのか、わかったわよ。
ここはあんたの住んでた世界じゃないの!だからジエラ様とやらはいないの!似てる人はいるかもしれないけど、完全に赤の他人よ。あたしとあんたがそうであるようにね!だから、下手なこと言わないでよ。あたしが変に思われちゃうじゃないの。もういいから、さっさとオーダーしなさいよ!
「カクテルになさいますか?それともお茶になさるのでしたら、イレブンジーズもご用意できます」
「困ったわ。私はそのようなことはいつも侍従に任せていて…」
「お迷いのようですね。この街道ではみなさまシャンパンから始められる方が多いようです。ブルマ様もそうなさいますか?」
「ええ…」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
うっとりとするような声音で囁かれた王女の言葉を、ウェイターはあくまでただの返事と捉えてくれたようだった。わかってるんだかわかってないんだか、それすらもわからないような態度を取り続けていた王女は、ウェイターがいなくなるとまた窓の外へと視線を転じた。済まし切った表情(窓に映ってるからわかるの)で水を飲む。あたしは景色に気を取られないよう気をつけながら、ひたすら王女を観察した。
まったく、何考えてんのかしら、この王女。
今のやり取りではっきりしたわ。一見毅然としてるようにも見えるけど、実際はただただ流されてるだけだわ。目下の者には偉そうにしておいて、自分の飲みたいものも選べない。おまけに、なーんにも訊かないでさ。この世界のこととか。自分の世界はどうなったのかとか。まさか気づいてないとでも言うわけ?そんなんでよく生きてられたわね(もう死んじゃってるけど)。どうせ男にすがって生きてたんでしょ。
その、ジエラとかいう男にすがって。だって、気にしてるのはその人のことだけみたいなんだもの。ヤムチャに訊いたのもその人のことだけ。それもあんな状況で訊くなんて、頭が働いてないにも程があるわ。あたしの明晰な頭脳の持ち腐れよ。
それから、そのヤムチャも――
あたしは視線をそちらへ飛ばそうとしたけど、ダメだった。やっぱり体は動かせない。あたしの体は、あくまで窓の外を見ようとする王女の意思に従っていた。深い深い溜め息すらも零せない。そしてそのことがさらにあたしを憂鬱にさせた。
もう、何考えてんのよ、ヤムチャのやつぅ…
どうしてあたしのこと放置してるの?どうにかしようという気はないの?どうにかできなくても、せめてちゃんと傍にいてよ。女に一人でお酒なんか飲ませないで。こういう時だからこそ傍にいてほしいのよ。そりゃ、王女は拒否してたけどさぁ…
「あれー?ヤムチャさんとブルマさん、まーた喧嘩したんですかぁ?」
あたしがまたつけそうでつけない溜め息に悩んだ時、とどめとも言える言葉が飛んできた。この時ばかりは、王女もちらりとそちらを見た。見なくたって、あたしにはもうわかっていたけど。
あの双子よ。双子が向かいのテーブルの横(つまりヤムチャの横)に立っていて、まったく悪びれない笑顔でヤムチャとあたしの顔を見比べていた。さらに飛び出したわざとらしい忠言に、あたしの怒りは沸騰した。
「もうすぐビアリに着きますよ。早いとこ仲直りした方がいいですよー」
ええい!聞こえるように言ってんじゃないわよ。ヤムチャも、違うって言いなさいよ!
そりゃこの状況じゃ説得力ないかもしれないけど。でも、そんな悠長な話じゃないんだから。あたしの人生がかかった一大事よ!あんた一人じゃどうにもできないのはわかってるけど…でも、それならそれで誰かに知恵を――貸してくれるような人はいないか…だけどこのままじゃ…
そう。このままじゃヤバい。あたしは今ひしひしとそれを感じていた。
だって、なんか変なのよ。だんだん違和感がなくなってきてるの。ちょっと気を抜くと普通に景色を見たりごはんを食べちゃったりしてるの。王女のすることを、いつの間にか自然に受け止めちゃってるの。絶対ヤバいわよ、これ。明日の朝、先に目覚めればってさっきまでは思ってたけど、そういうことじゃないような気がしてきたわ。
あたし、このままじゃ本当に乗っ取られちゃうんじゃない?体だけじゃなく、心までも。その方が楽だなんて、絶対に思わないわ。だってこれはあたしの体なんだもの!だから、早くなんとかしてよ!
あたしは自分の思いのすべてを込めて、ヤムチャに眼を飛ばした。でもその途端に、視界が切り替わった。
「ブルマ様、シャンパンをお持ちしました。まずはお味見をどうぞ」
「まあ…素敵な香りですこと。これを頂くわ」
ウェイターは出てくるなーーーーー!!
っていうか、王女、そうやって凝視するのやめて。絶対に誤解されちゃうわ!
「ご一緒にキャビアはいかがですか。この風味の強いシャンパンによく合うと思いますが」
「すべてあなたにお任せしますわ」
「ではお持ちいたします」
やがて恭しくウェイターは去って行った。そしてすぐにキャビアを持って現れたけど、その時にはあたしは、ウェイターにも王女にもなんの突っ込みも入れなかった。
…もう、なんか疲れてきた。
叫んでも叫んでも、ぜんっぜん伝わらないし。
相変わらず王女は済ましきった顔して、キャビアなんか食べてるし。確かにこのキャビア、シャンパンと相性抜群だし…
あ〜〜〜〜〜、本当にどうしよ…………
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