Trouble mystery tour Epi.8 (8) byB
葡萄畑を見ながら、ワインを飲む。
なかなか乙なもんよね。シャンパンがこの地区で作られたものであるところが、また洒落てるのよ。
そして、一緒に食べてるキャビアも文句なし。こんなにいっぱい一度に食べるなんて初めてだけど、とってもおいしい。シャンパン、キャビア、シャンパン、キャビア…………ああ、とまらない…
――じゃ、なくってぇ。
あたしは官能を断ち切った。味わいは感じるままに。
美食なんかに浸ってる場合じゃないのよ。かといって、景色を楽しんでいる場合でもない。
もう、王女ったら、いい加減に前を見なさいよ!ヤムチャは一体何をやってるのよ!
ここで、またウェイターがやってきた。残り少なくなったグラスにシャンパンを注ぐために。王女がちらりとそちらへ目をやった。さすがにそろそろ状況が呑み込めてきたのか、王女はウェイターに過度な視線を寄せなかった。だから窓の外の景色からウェイターへと視界が流れたその短い間に、あたしは何とか隣のテーブルにいるヤムチャの姿を盗み見た。
あーーーーーっ!
そして、思いっきり声を上げそうになった。もちろん、これっぽっちも声にはならなかったけど。
ヤムチャのいるテーブルの席が、さらに二つ埋まっていた。ヤムチャの姿を隠すように、双子があたしに背を向けて座り込んでいた。
もう、何よ、ちょっとぉー!
どういうことよ、それは!なんで三人仲よくお茶してんの?この非常時に!ヤムチャの薄情者ーーーーーっ!!
あたしじゃないあたしはもう用済みってわけ?そりゃ中身は誰でもいいっていうよりはマシだけどね!だけど、今ここにはあんたしかいないのに。あたしのことを知ってるのは、ヤムチャしかいないのにーっ!
あんたが手を放したら、この王女、流れに任せてどっか行っちゃうわよ。それこそ、この列車が止まった時、あのウェイターと一緒にどこかへ消えちゃうんじゃない?そんなの嫌ーーー!どこの馬の骨とも知れない男にやらせないでーーーっ!
しかもその後には、C.Cに戻ることもできずに、一介の宿なし女になり下がるのよ。だって、この世界には王女を守る人間はもういないんだから。ぬくぬくお城生活なんてありえないんだから。わああああああああん!
あたしはすっかり妄想たくましくなっていた。だって、もうそれしかすることがないんだから。見たいものは見えない、言いたいことも言えない、挙句に体はちっとも動かせない。となれば、もう考えるしかないのよ。そして、どうすればいいのかは全然わからないんだから、どうすることもできなかった時のことばかりが次々と思い浮かぶというわけよ。
あーん、もう本当に、あたしって不幸――
――はっ。
そこまで思考を推し進めてしまってから、ようやくあたしは気づいた。
…また、そんな風になってる。
あたしいつの間にか王女みたいになってきてる。
そう、この思考なのよ。この思考がすでに王女寄りになってんのよ。あたしは頭のいい人間のはずなのに。考えることを拒否して流されるままに生きてくなんて、絶対嫌なはずなのに。こんなどうしようもないことを延々と想像してる暇があるなら、これからどうするかを考えるべきなのに。どうなるかじゃなくて、どうするか考えるべきなのに。
…なんとかして、この王女に接触できないものかしら。深い深い自省の末に、あたしはどうにか思考をその方向へ持って行った。だって、外に働きかけることができないんだから、内に働きかけるしかないでしょ。
――王女、王女、お願いだからあたしと話をして!
あたしは初めて体を動かそうとはせずに、心を動かそうとしてみた。すると、その途端に王女が動いた。王女ならぬあたしの体が。片手で皿を抑え掻き集めるようにして掬った最後のキャビアを、ゆっくりと口に入れる。もうー!そんなもん食べてる場合じゃないでしょ!そりゃおいしいけどさあ。確かにこのキャビアの後にこのシャンパン飲むと最高だけどさ…
ふー、ごちそうさま。
やがて王女がスプーンとグラスを手放してそっと両手を合わせたので、あたしも小さくそう呟いた。よし、これでもう味覚に惑わされることはなくなったから、じっくりと考えごとをすることができるわ。さて、と。…えっと、何をどこまで考えてたんだっけ。
あ…もうロマンティック・ロードに入ってきたのね。
静かに皿を下げていくウェイターには目もくれずに、王女が窓の方を向いた。さっきまでは完全な自然の風景だった窓の外に、教会の尖塔が見えた。畑の中、低い林越しに覗く教会は、ここがビアリの街外れであることを示していた。少し経つとエアレールに並行して、一本の街道が現れた。
これがロマンティック・ロード。ビアリを始点に数百kmほども続く街道ルート。この列車はしばらくの間その近くを走っていく。道に何かがあるってわけじゃないけど、周りには美しい街や歴史的建築物がいっぱいあって、人気の観光ルートになっている。この列車はそういうのを見るために走っているようなものよ。
と、ふいに王女が立ち上がった。少し俯き加減に慌ただしくテーブルを離れようとしている。ちょっと、何よ。急にどうしたの?
あたしの言葉を代弁したのはヤムチャだった。
「王女、どうしたんですか?どこへ行くんですか」
すかさず隣のテーブルからやってきて、声を潜めてそう言った。それに答える王女の言葉で、あたしはようやく理由を知った。
「部屋で休みます。少し気分が悪いのです」
…変なの。あたしはちっとも具合悪くないのに。そりゃ、確かに気分は悪いけどね。
「では俺も一緒に行きます。それからウェイターに言づけて、冷たいものでも持ってきてもらいましょう」
すでに王女(っていうかあたし?)の腕を取ろうとしていたヤムチャに、王女は小さな、でもはっきりとした声で言った。
「結構です。それよりも、いい加減一人にしておいてくれませんか。あなたは、私が呼んだ時にだけ顔を出していればいいのです」
ちょ…
キッツぅー!冗談抜きでキツいわそれは。淡々と言うところがさらに。それはヤムチャ、絶対に引くわ〜。
気持ち的に引くんじゃなくて、身体的に。そこまで言われて逆らう強さはヤムチャにはないわ。
「…いや、しかし、そういうわけにもいかなくてですね…」
思った通り、ヤムチャはすっごくあたしの知っている態度を取り始めた。困惑。狼狽。右往左往……いえ、かなりショックを受けてはいるみたいだけど、一応は王女の前を退かなかった。ヤムチャはヤムチャなりに何とかしようと思ってるみたいね。こっちを見てないようで見てたことも、出てきたタイミングでわかったわ。
とはいえなんというか、基本的にそういうのが報われないのがヤムチャなので、結局は王女に道を譲った。非常に間の悪いことに――或いはジャストタイミングというべきか、ウェイターが一人やってきて、ヤムチャにこう告げたからだ。
「ヤムチャ様、お電話が入っております。別車両の車内電話へどうぞ」
「えっ。あ、はい。…王女、ひとまず俺は席を外しますが、電話が終わり次第部屋に行きますから――」
残りの言葉は聞こえなかった。ヤムチャが別車両に消えたからではなく、あたしがティールームを出たからだ。
どうか王女、部屋の中から鍵をかけたりしないでよ。
部屋へと向かって切り替わる視界を見ながら、意外としぶとく食い下がっていたヤムチャのために、あたしは祈った。


それから数十分後。あたしはまた景色を見ていた。
ティールームから部屋へと場所を移っても、王女の瞳に映るものは変わらなかった。窓の中の景色。少しばかり変化の出てきた田舎の風景。王女に取っては未来の、今初めて見る世界。
…じゃ、ないのよね。
あたしには、もうすっかりわかっていた。でもだからといって、共感していたわけじゃない。だから、やがて王女が誰もいないテーブルの向こう側へ向かって呟いた時、あたしは思いっきり突っ込みを入れた。
「ジエラ様…」
だーかーら。それ一体誰なの?
あんたの恋人?でもあんた、何百年も昔の人なんじゃなかった?だったら、もうその人も生きてないんじゃないの?もういない人に操捧げてんの?そんな無駄なことしてないで、ヤムチャで手を打っておいたら?この世界にはもう王子様はいないのよ。
キングキャッスルにいる国王だって、世襲制じゃないし。王も王子も元庶民よ。肩書きはあったって、見た目は全然王子じゃないわよ。ちゃんとした格好をさせればヤムチャの方が何倍もそれっぽいこと間違いなしよ。
あーあ、せめてこの王女と話ができたらなあ。多重人格の人なんかは頭の中で話ができるっていうけど、そういうのないのかしら。っていうか、あたし朝からいっぱい喋ってるんだけど、本当にあたしの声聞こえてないのかしら。実は聞こえてるのに無視してるんじゃないの?だってあたしには王女の声が聞こえるのに。ヤムチャの声も、何もかも聞こえるのに…
ねえ王女、あなたはいつまで現実から目を背けているつもりなの?そんなんなら、あたしに体返してよ。
静かに静かに、あたしは語りかけてみた。言葉は聞こえてなくとも感覚は伝わる。そんな気がしていた。
ここはあなたの生きていた時代じゃない、あたしの時代。それをわかるつもりがないなら、もう帰りなさい。そのままのあなたじゃ、ここでは幸せになれないわ。
流されてるわけじゃない、動くつもりがないのよ。あたしにはようやく、本当に本当の王女の姿が見えてきた。王女のメランコリックな心情があたしにも伝わってくる。体は同じなんだもの、わからないわけがないわ。それがあたしを王女へと近づけてしまっているわけでもあるけど。
ふと、王女が手を伸ばして、テーブルの上に活けられていた花に触れた。ビロードのような深い紅色の、開きかけた一輪を鼻に当てた。するとその香りが体の中いっぱいに広がって、あたしは思わず言葉を失いかけた。
…何、この花の匂い。
くらくらと脳髄を刺激する、強く濃い香り。たっぷりと甘い、くぐもったような、どこかうっとりしてしまう香りは、まるでストロベリーチョコレートのよう…ああ、なんていい香りなの。なんかすっごく甘いものが食べたくなってきた。さっきデザートパスしちゃったから余計に。こんなにお腹の空く花の香りって初めてだわ。
――あっ、こらぁ。
そしてその隙に、王女が席を立った。絶対そうとしか思えない。今のタイミング、間違いなくわざとでしょ。あんた、あたしの声聞こえてるんでしょ。だからわざとヤムチャから離れたり、そうやって気を逸らそうとするんでしょ。卑怯者!真っ正面から話し合いなさいよ!
あたしの声を無視して、王女は部屋を出た。きっとヤムチャが後から来るって言ってたからよ。あたしさっき、王女が答える言葉の中にあたしが出ていくヒントがあるって言ったけど、あれ違ったわ。王女が言わないことの中にこそヒントがある。何かあるのよ、ヤムチャと会ってちゃよくないわけが。ひょっとすると、あたしをこの体の中に留めるものの一つなのかもしれない。恋人とか、家族とか、友達とかが。逆に言うと、だから王女も恋人を探している――
部屋を出た王女は、レストランやティールームがあるのとは反対の車両に向かって歩き始めた。といっても、あたしたちの部屋のある車両の隣には、二両しかない。隣の一両は例の絵の飾ってあるスーパーデラックススイート。さらにその隣の、端の一両は展望車で、窓が大きく手摺り付きで、場合によっては全開されるようになっている。そして、その窓は今全開されていた。
いつの間にか列車が停まっていたのだ。きっと前何両かの車両以外は駅のホームには接さずに、何もないレールの上に停まっていた。わずかに吹くそよ風の中、王女が手摺りに凭れて辺りを見回した。レールの横には、自然のままの木々と茂み。足元に鮮やかな群性のスミレ。ここからは見えないけど、きっと今頃他の乗客たちは列車を降りてビアリを散策し始めているに違いない。あたしだって、こんなことにならなければ、そうするはずだったのに。そう思った時、王女が手摺りから体を乗り出した。
――ちょっと、やめてよ。何する気よ!あんたには無理よ。やめときなさい!
あたしの言葉は届いた――というより、実際王女には無理だった。言い忘れてたけど、あたし今ロングドレス着てんのよ。フレアだからそんなに動きにくいってことはないけど、手摺りを乗り越えるには不向きだわ。そうじゃなくても、この人あんまり運動神経よくないみたい。体はあたしのなんだから、おかしな話だけどね。
あたしが息を抜いたのもつかの間。王女はすぐさま身を翻し、展望車のドアに手をかけた。その瞬間、あたしには王女の考えていることが、すっかりわかってしまった。
ヤッバーい。
どこかへ行く気だわ。今のうちに、列車が止まってる隙に。ヤムチャがいない隙に。どうしよう。あたしには止められないんだってのに。
どっか行かれたら終わりだってのに。あーん、ヤムチャー、早く来てよーーー!
ドアが開いた。次の瞬間、そこにいた一人の男が、王女の足を止めた。それはヤムチャではなかった。王女と一緒に相手の顔を凝視しながら、あたしは動かせない首を捻った。
誰?この人。知らない顔だわ。
「おやおや、これはこれは」
ずんぐりむっくりした、センスの悪い中年オヤジ。ブラックグレーのスーツに黄色いシャツ、赤いネクタイ。禿げてるくせに若ぶってて、間違ったちょいワルオヤジみたいな人。あたしがこんなに厳しいチェックをしたのは、相手があたしに絡んできたから。じゃなけりゃ、一瞬で黙殺してたわよ。
「先客さんかな?いやぁそれにしても、きれいなお嬢さんだ」
ぞわわわわ。
そう言われただけで、背筋に怖気が走った。そう、背筋に。あたしだけじゃなく王女も感じていた。この見知らぬ男の、いやらしさと粗忽さを。
「おまけにとっても似ているね。部屋にあった絵そっくりだよ。モデルさんかな?きみ、一人?ちょっとおじさんと部屋でお話しようよ、ねえ」
なのに、王女は身を引きもしなかった。前を塞がれているとはいえ、それすらもしなかったのだ。おまけに、いとも簡単に手首を掴まれた。そしていとも簡単に体を引っ張られて、よろけるように隣の車両――スーパーデラックススイート――へと続くドアを潜りかけた。男がすかさずほぼ同じ高さにある顔を寄せてきて、舌なめずりするように囁いた。
「悪いようにはしないからさ。ね、早くおいでよ」
――ちょっとぉ!何してんのよ!さっさと振り解きなさいよ!!
あたしはありったけの力を込めてそう叫んだ。男ではなく、王女に向けて。
よもや何が起こってるのかわからないなんてことはないでしょ!?悪寒したでしょ!?なら早く逃げなさいよ!
まさか本当に『悪いようにはされない』なんて思ってるんじゃないでしょうね!この男はヤムチャとは違うのよ。話だけで終わるわけないわよ。ちゃんと抵抗しないと本当にやられるわよ!あんたのこの態度じゃ、和姦って言われちゃうわよ。冗談じゃないわよ!!
王女は何も答えなかった。でも、気持ちは伝わってきた。焦り。混乱。思考停止――あーもう!振り解けないなら、せめて助けを呼んで!
「ジエラ様…お助けください…」
ええい!もっと大きな声で!
その時、男が頬に手を触れてきた。それであたしもほとんど王女と同じ気持ちになって、大声で叫んだ。
「ぎゃーーーーー!嫌ーーーーー!!ヤムチャーーーーー!!!!!」
――バッシーーーン!
ドアが開いた。それは、男が離れるのと同時だった。あたしはというと、男の顔を引っ叩いた反動で、少し後ろに傾いた。足に力を入れ思わず瞑っていた目を開けると、待ち焦がれていた顔が、視界に飛び込んできた。
「なんだ、どうした、ブルマ!?」
「あっ、ヤムチャ!このオヤジが無理矢理あたしを部屋に連れ込もうと」
「ご、誤解だ誤解!私は何も」
「嘘!おじさんとお話しようなんて、ベッタベタな台詞使ったくせに!」
「そ、それは言葉の綾で……」
「何が言葉の綾よ。この女の敵!」
叩かれた勢いで後ろの壁に倒れ込んでいた男は、しらじらしく釈明し続けた。じりじりと壁際を移動しながら。その男と、男の前にいるにも関わらずちっとも動こうとしないもう一人の男の態度に、あたしの苛立ちは募る一方だった。
「…ブルマ?」
「何よ!何ボーッとしてんのよ!!さっさと蹴りの一発でも入れなさいよ!!!!!」
あたしが叫んだ数秒後、ようやくヤムチャは固まっていた表情を崩して、棒立ちになっていた体をも動かした。でもその拳は男へ向かうことはなく、緩められてあたしの背中へ回ってきた。
「…ちょっと!あんたは一体何して…」
息も苦しくなるほどの強い力で抱きしめられて、あたしは何が起こっているのかしばらくの間理解できなかった。でもやがて、耳元でまったく何の距離感もなしにその声が聞こえたので、あたしはようやく気がついた。
「…よかった…」
――あたし、今喋れた。
「痛いよ」
――ヤムチャのほっぺも抓めてる。
あたし、元に戻れたの?表に出てこられたの?王女は?王女はどうしたの?
あたしは王女を探した。どこからか声が聞こえてこないかと、耳をそばだてた。でもやがて感じられたのは、王女の気配ではなく、ヤムチャの息吹だった。
「ちょ、ちょっとヤムチャ…」
今度は息が苦しくなるほどのキスをされて、あたしの五感は塞がれた。やがてうっすらと開けたあたしの目に、一つの事実が飛び込んできた。
あ、いつの間にかあの男いなくなってる。
逃げたわね。もう〜ヤムチャったら、こんなことしてるから…
ま、いいか。あれたぶん、今日乗るって言ってたスーパーデラックススイートの客だし。どうせ逃げられないんだから、またなんか変なことしてきた時に、がっちりふん縛ってやるわ。部屋は向こうの方が上でも、世の中での格はあたしの方が上なんだから。まったく、成金って恥ずかしげもなくああいうことするから嫌ぁね。
まあ、恥ずかしげもなくってことでは、あたしの男もたいして変わんないけど。ヤムチャってば、なんかめちゃくちゃ緩んでるわ。喧嘩して許してあげた朝みたいなテンション。たった半日…いえ、半日にも満たないわね…おかしくなってただけなのに。何もこんな大っぴらに抱きしめてキスまですることないじゃない?今は誰もいないからさせといてあげるけど…
そう、誰も。あたしたちの他には誰も。あたしの他には誰も。ヤムチャから離れようとするもう一人のあたしは、もうどこにもいなかった。どこかへ行ったのか消えたのか、それはわからない。でも、どっちでも同じようなもんでしょ。あの人はもともとこの時代の人じゃないんだから。深くは考えない。ここはあたしの時代よ。
よかったぁ…………


…………よくなかった。
それから数十分後。あたしはまたティールームにいた。
お腹空いたから。え?さっきまで食べてたでしょって?…別腹が空いたのよ。あれだけお預けさせられちゃあね。それにもうすぐお昼だし。お昼ごはんはビアリの街で食べるとしても、そこまで行くだけのエネルギーは蓄えておかなくっちゃ。
頼んだのは、イレブンジーズ。ビスケットと小さなデザートのセット。デザートはミニトライフル、何種類ものベリーがたくさん入ったかわいいやつ。ヤムチャもあたしと同じものを頼んだ。
甘いものは食傷気味、そう言ってたのにね。だけどまあ、あたしはそこには突っ込まなかった。そういう気分なんでしょ。あたしと一緒に甘いもの食べたいのよ。かわいいもんじゃない。それにヤムチャはそういうの、全然似合わないってことはないから、構わないわ。
でも…
でもなぜか、ヤムチャはそれらが運ばれてくるなり、それらを放棄したのだった。ただ一言の言葉のもとに。
「やるよ」
やるよ、って…
あたしはその行為そのものに突っ込みを入れたのではなかった。ヤムチャの好意の表し方に突っ込みを入れたのだ。
くれるのは嬉しいけどさぁ。それなら器ごとちょうだいよ。どうして一口ずつ、それも口に運んでくるのよ。
「うまいか?」
「…………うん」
「それはよかった」
あたしはその匙を受けた。思っていることは一切口に出さずに。――癖よ。さっきまで声にならない声を出してばかりいたから、そういうのが癖になっちゃったのよ。
「じゃあ、次はこれ。おまえのだーい好きなイチゴな」
「…………」
あたしは今こそ誰かの陰に隠れたい気持ちになりながら、また匙を受けた。口に広がる甘みを忘れさせるほどの甘い雰囲気が、ヤムチャから漂っていた。『あーん』とこそ言わないけど、こっちが恥ずかしくなっちゃうくらいの満面の笑み。
…本当に緩んでる。緩みまくってるわ。
そんなに堪えたのかしら。王女の態度が。…あたしに冷たくされたことが。それともあたしがいなくなってたことが?
だけど……あたしたちの他には誰もいないから、黙っててやるけど……こういうのって、普通は女が男に対してやるもんでしょ?そりゃ喜んでるのはすっごくわかるし、だからあたしもおとなしく食べてやってるんだけど…
あんなにあたしの顔色を窺っていたウェイターが、今はまったくやってこない。だけど無視されてるわけじゃない。それどころか、めちゃくちゃ視線を感じる。
…本当に、恥ずかしいんだから、もう。
あたしは心の中で突っ込みを入れながら、また匙を受けた。
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