Trouble mystery tour Epi.9 byB
慌ただしい列車内の時を経て、ビアリの町にハイキングに出た。半分は徒歩で、半分は空を飛んで。さっきまでのごたごたで、少し時間を浪費しちゃってたから。
そして、そこに上がりたかったから。名もない山だし、どのガイドブックにもそんなことは書いてなかったけど、きっとそこが一番だという気がしたのだ。列車の窓から、その山の峰を見た時に。
「ん〜、思った通りのいい眺め!爽快ね〜」
あたしの予想は外れなかった。そのまったく人には知られていない山の頂上からは、周りの景色がよく見えた。青い空も、緑の森も、金色の畑も、空を映す湖も、それらの中に点在する古く美しい建物も、何もかもが見渡せた。ほとんど崖のようになった山の端に降り立つと、強い風が髪と服を巻き上げた。
『危ないぞ』。こんな時いつもなら、そんな警告が飛んでくる。でも、あたしをそこに下ろした男は、今は何も言わずに、ただ頬を緩ませてあたしを見ていた。
「何よ、にやにやして。気持ち悪いわね」
あたしが言うと、ヤムチャはさらに瞳を緩めて、言葉を零した。
「うん、本当に戻ったんだなぁって思ってさ。もしほんの少しでもあの王女の気配が残っていたら、そんなとこに立ったりできないはずだもんな」
「…おかげさまでね」
ちょっぴり複雑な思いに駆られながら、あたしは呟いた。この場所が思い浮かんだのは、王女の記憶のせいかもしれない。ふとそう思ったのだ。でも、そうとわかっても、あたしは動揺しなかった。だってそれ以外に思い浮かんだことはないし、特に今は景色を見ても何も思わない。ただきれいだなって感じるだけ。一ヶ所だけ――そう一ヶ所だけ、きれいだけど近寄りたくないって思うところはあるけれど。
ガイドブックにも載っていたあの場所。あそこにだけは行きたくない。あの、昔は王子の城だったというホテルにだけは。
これは王女の記憶じゃない。あたし自身の、女の勘よ。――隣国の王女と王子。そして王女はさっき列車を降りようとしていた――あたしじゃなくても、何かしら感じ取るに違いないわ。
とはいえ、もう王女のことを考えるのはまっぴらだったので、あたしはちょっと声を強めて、ことさらに皮肉っぽく返しておいた。
「おかげさまで、無事、自力で元に戻ることができました!」
「もう言うなよ。俺だって、ちゃんといろいろ考えてたんだからさ」
「そうよね。双子たちと楽し〜くお茶を飲みながら、いろいろ考えてたのよね〜え」
「あれは電話借りただけだって…」
「電話なんか列車の中にだってあるでしょ」
「おまえから目を離したくなかったんだよ」
でも、結局離したじゃない。
そこまでは、あたしは言わなかった。その『目を離した理由』というのを、今では知っていたからだ。そ、もう三回目なのよ、このやり取り。ヤムチャもよく、いつまでも同じ答えを返すものだわ。
と、心の中で突っ込みを入れながら、あたしもまたこれまでと同じように言葉を返した。
「口では何とでも言えるわよね〜」
「だったらどうしろって言うんだよ?」
「さぁねー」
わざとらしくそっぽを向いてやると、またヤムチャはやってきた。そうしてまた黙ったまま、そっとあたしにキスをした。さっきまでと違うのは、キスした場所が唇ではなく額だったことだ。
…なんか、やり取りに慣れてきてるわ。一応、同じことを繰り返してる自覚はあるのね。
さらに、何も言わぬままあたしの肩を引き寄せたので、あたしはその意図を察して、黙って胸の中に収まった。すると今度はあたしが何か言う前に、ヤムチャの方から訊いてきた。
「じゃあ、降りるか。次はどこへ行くんだ?」
「そうねえ。あの湖はどうかしら。あんまり人いなさそうよ」
「了解」
そうして、あたしの言葉を聞くが早いか、あたしを抱えたまま空へと躍り出た。爽快な景色の後には、爽快な飛行。ちょっとスカートが捲れるけど、中を覗く人間はどう考えても数百mは離れた地面の上。
ヤムチャってば、もう今日は完全にあたしの僕ね。運転手兼ボディガードだわ。
おまけに、乗り物も兼ねてるし。便利な男ね。


そこは、思いのほか美しいところだった。
瑞々しい森の緑に囲まれて、ひっそりと横たわる小さな湖。透き通った水が、鏡のように周りの風景を映し出す。湖の畔、木漏れ日の零れる木々の下には、ベルベットのような黄緑色の丈の短い草。至る所に咲き誇るかわいらしい白い花。
「素敵ね〜。失敗したなぁ。こんなにいいところなら、お弁当作ってもらえばよかった!」
ちょっと歩いて終わりにするには、勿体なさ過ぎる景観のよさ。ボートや釣り人なども見えない、まったくの静かな自然。
「あっ!見て見て、あそこ。リスがいるわ。かわい〜」
ふと木の陰に、ちょろちょろと動く小動物を見つけた。赤毛っぽい赤褐色をしたその野生のリスは、どうやら他にも何匹かいるようで、時々周りの草や木の葉がかさかさ揺れた。柔らかな草の上に腰を下ろして、ところどころにちらつくその赤毛を見ていると、やがて鳥たちも姿を現した。緑色の湖面に広がるカモ。そこここの枝葉にとまる色鮮やかな小鳥たち。時折聞こえるしなやかな葉ずれの音に、耳に届く美しいさえずり。と、それまで黙ってその辺の木の枝に手をかけて立っていたヤムチャが、急に真顔になって寄ってきて、あたしの片耳を引っ張った。
「いたっ。ちょっと、いきなり何するのよ」
当然あたしは抗議した。するとヤムチャはほっとしたように寄せた眉を緩めて、笑顔さえ見せながら言った。
「よかった、ブルマだった」
「何言って……あっ、あんたまだそんなこと気にしてるの」
あたしは少なからず驚いた。そりゃあ時々ネタにしてはいたけどさ、それはあくまで苛め……もとい遊びの一環だったのに。ヤムチャだってこの上なく軽い態度だったし。…態度は軽くても、実は尾を引いてたってわけか。ふんふんなるほど、じゃあこれでもう本当に、あたしの大切さがわかったわね。なんかこないだグリーンシーニでもそんな風になってたような気がするけど、いつの間にか忘れられてたみたいだからなぁ。
今度は鬱陶しがらずに相手してあげよ。あたしはそうも思った。ヤムチャはあたしの隣に座り込んで片胡坐を掻きながら、あたしの予想とはちょっと違った態度を取った。
「いや、気にしてるっていうか……今、あまりにも構図が似てたからさ。あの、列車の隣部屋にある絵に…。王女がおまえに見えたことは一度もなかったけど、おまえは時々、本当に時々だけど、それっぽく見えることがあるんだよなあ…」
「何それ。どういう意味よ?」
そのまったりした態度も予想外だったけど、言葉の意味はそれよりもっとわからなかった。王女はあたしに似てないのに、あたしは王女に似てる?意味わかんない。だいたい、さっきの王女は、体はあたしだったのに。そりゃ、どっちでも同じって言われるよりはずっとマシだけど――
「要するに、おとなしくしてればおまえもお姫様に見えるってことさ。あくまでおとなしくしていれば、な。…あたっ」
とはいえ、ヤムチャはマシどころかとんでもないことを言ってくれたので、あたしは思いきり指でその眉間を割ってやった。ヤムチャはわざとらしく仰け反った上にそこを指で擦りながら、再び眉を寄せて言った。
「この乱暴者」
「どっちがよ。だいたい、どうせ痛くも痒くもないくせに大げさよ」
「何だと。デコピンは結構痛いんだぞ」
「あらそう。それはいいことを教えてくれてありがとう」
おまけに、本人は威圧のつもりだろうけど、顔をこちらに突き出してもくれたので、あたしは第二撃を加えてやった。ヤムチャはまたもやわざとらしく後ろに仰け反って、次の瞬間それはかわいくない顔で叫んだ。
「鬼!」
「鍛えてあげてんのよ。感謝しなさい」
ここで話を切り上げて、あたしは森林浴に戻った。不毛な会話よ。雰囲気がないにも程があるわ。それにやっぱり、たいして痛くないことが判明したし。だって、もう指で抑えてないもん。
そのうちヤムチャは、まるで何もなかったかのように、草の上に横になった。あたしはそれを横目に、自分の周りに手を伸ばした。緑の絨毯の上に散らばる白い花を摘み取って、茎と茎を結びつける。最初はなんとなくだったその花輪作りに、あたしは途中から夢中になった。夢中というより気合いを入れた。かなり丁寧に花を編み込みきれいな真ん丸にしたところで、頭に乗せた。そして最後にもう一度チャンスをあげたのだけど、それが間違いだった。
「ほ〜ら、かわいいでしょ。どう、お姫様に見える?」
あたしは思いっきりにこやかに笑ってみせた。ヤムチャは横になって片頬杖をついたまま、頬を緩ませてあたしに答えた。
「そういうこと言わなければな。自分で自分のことかわいいなんて言うやつがあるか」
「ふんっだ」
まったく、口の減らないやつね。そう、喋らない方がそれらしいのは、あたしだけじゃないわよ。
あたしは立ち上がって花輪を投げた。湖に向かって。波紋が岸に届いた頃ヤムチャもすっくと立ち上がって、数分前に花輪のあったところを撫でた。
「そろそろ行くか?」
「そうね、ぶらぶらしながらお茶飲めるとこでも探しましょ」
「どこまで飛んで行く?」
「いいわ、もうここからは歩いて行くわ」
「腹ごなしのためだな」
「ま、そんなところよ」
あたしが歩き出すと、ヤムチャはちょっと笑って、あたしの手を取った。そのまま横に並んで歩きながら、小さな起伏や沼地があるたび、手を引いてさりげなく誘導する。それ自体は珍しくもないことだったので、あたしは感心するというよりは、ただただその事実を噛み締めた。
…そうね。態度はかわいいのよね…


そんな感じで飛んだり歩いたりのんびりしたりして、あたしたちは列車へ戻った。
ある意味では、ここまでで一番のんびりしたわ。だって、この町、なーんにもないんだもの。景色だけはすっごくきれいだったけど。あとそうね、雰囲気もあったわね。
だから、つまらなくはなかった。いい感じにリラックスできたわ。ほど良く歩いて、お腹も空いた。今夜は食事がおいしそう。なんて、この列車の食事はいつだっておいしいけど。
ハイキングの疲れと汗、それと埃をシャワーで流し、シックなドレスに着替えてレストラン・カーへ行くと、まるで待ち構えていたかのように双子がやってきた。そしてまったく辺りを憚ることなく言ってくれた。
「あはっ、ブルマさん、ヤムチャさん、お二人とも仲直りしたんですね〜」
「ヤムチャさん、よかったですねー」
「うん、おかげさまでね」
もう…
あたしは思わず目を伏せた。ここまでくると、怒りの峠を通り越して、呆れの境地に入ってくる。もちろん、双子にではなく、それに応えたヤムチャに対して。
なぁにが『おかげさま』よ、ヤムチャのやつぅ。すっかり丸め込まれてるんじゃないの。一体この子たちに何をしてもらったっつーのよ?どうせ遊ばれただけでしょ。この子たちが、あたしたちのことを本当に心配してるわけないんだから。っていうか、仮に心配してるとしたって、もう完全にヤムチャの肩持ってるんじゃないのよ…
この、女ったらし。
思わず心に呟いた言葉は、でもすぐに撤回することとなった。
「ほら、早く自分たちのテーブルにつきなさい。いつまでもそんなところに立ってられちゃ、他の人も迷惑よ」
「大丈夫ですよ、もうみんな席に座ってますから〜」
「だったらなおさら、あんたたちも座りなさい」
「ブルマさーん、なんかこの列車に乗ってから、あたしたちに冷たいですよぉ」
「そんなことないわよ。ずっと同じ扱いでしょ」
そう言って双子を追い払った直後に、本物の女ったらしがやってきたからだ。つい半日前、あたしを手込めにしようとした男。白いタキシードに真っ赤なシャツ、白いタイ。確かキールが似たような格好をしていたような気がするけど、キールに抱いた印象とはまるで違う。はっきり言って、ガラ悪過ぎ。し・か・も。この男、あたしにあんなことしたくせに、女連れなのよ。真っ赤なドレスの、派手〜な女。場違いなほどに肉感的で、化粧けばけば。30代ね、どう見ても。あたしがこれまで見た中で、一番趣味の悪い夫婦だわ。
「こんばんは、かわいいお嬢さん。私たちのテーブルはそこの後ろなんだけど、座らせてくれるかな?それとも一緒に座るかい?」
そう男が言った時、あたしたちはすでに自分たちのテーブルに座っていた。だから、男の声を受け止めたのは、双子たちだ。
「こんばんは、おじさん。すいません、今どけまーす」
「奥さんもこんばんはー。それと、初めまして、ですよね。お二人ともビアリから来たんですか?」
あたしは聞き耳を立てていたわけじゃない。車両の真ん中での立ち話だもの、嫌でも聞こえてくるのよ。
「ええそうよ、こんばんは。かわいらしい方たちね。でもね、一つだけ。あたしたち、夫婦じゃないのよ。ね、エイハン」
「ああ、私たちは兄妹だよ。こいつはリザ。きみたちは何て名なのかな?」
「あっ、リルとミルでーす。双子なんです〜」
「よろしくお願いしま〜す」
「まあ、元気なお嬢さんたちねえ」
「元気な子は大好きだよ。それで、ご両親はどちらにおられるのかな?」
「あ、パパとママはここにはいません。あたしたち二人だけです」
「あたしたち二人で旅行してるんです〜」
「…へえ、それはそれは」
その開いた一拍を境に、男が態度を変えたのがわかった。なぜって?口調が、あたしに声をかけてきた時のものとそっくりになったからよ。
「じゃあ、おじさんたちと一緒に食事しようよ。ワインを何本か預けてあるんだ。お話しながらみんなで飲もう」
そうじゃなくても、バレバレだけど。恥ずかしいくらい直截的よ。なのに、なんで誰も注意しないわけ!?いくら老境の域に達してたって、わかるでしょ!
「ちょっと、おっさん!そんな子ども口説くのやめなさいよ。通報されるわよ」
あたしはすかさず席を立って言ってやった。こういうのはトラベルコーディネーターの仕事だと思うわ!なんて、いない人に向かって文句を垂れながら。
「その子たちは未成年!未成年にお酒を飲ませるのは、それだけでもう犯罪よ」
本当に糾弾してやりたいのは別のことだったけど、とりあえずあたしはそこを突いた。こんな衆目の的の中で、下品なやり取りしたくないわ。
男はわざとらしく両手を上げると、次にはしれっとした顔であたしに言った。
「おや、お嬢さん。またお会いしましたね」
「同じ列車で会うも会わないもないでしょ」
「ははは、こりゃまたはっきり物を言うお嬢さんだ。私はエイハン、ここらのワインの元締めだ。よろしく」
「…あたしはブルマ。C.Cの一人娘よ」
普段はあまりしない自己紹介の仕方を、あたしはした。エイハンの思考が読めたからだ。そうやって、まずは立場で相手を呑もうっていうわけね。田舎の名士の考えそうなことだわ。舐められてたまるもんですか!
「C.C?西の都の?どうりで洗練されていると思ったよ。それに改めて見てみると、絵の彼女よりもずっときれいだ。さっきは失礼なことをしたね。お詫びにワインを一杯どうだい?」
あたしの言葉にエイハンは少しだけ驚いた様子を見せたけど、引く素振りはまったく見せなかった。それであたしは、ここにきてようやく席を立ったヤムチャの腕を素早く取って、これまでほとんどやったことがないことに、男に対してその存在を見せびらかした。
「せっかくだけどご遠慮するわ。連れがいるから。こっちは恋人のヤムチャ!武道やってて、すっごく強いんだから!」
「なるほど、きみのボディガードというわけだ。覚えておくよ」
「まあ、素敵な彼氏だこと。あたしもよろしくね、ヤ・ム・チャ・く・ん」
「は…」
あんたはよろしくしない!
唐突にウィンクなんかをしてきたリザと、それを流せないヤムチャの両方に耐えかねて、あたしは睨みを飛ばした。もうどこからどう見ても喧嘩。どうしたって誤魔化せない、衆目の前でのぶつかりあい。ちょっと注意しとこうと思っただけなのに、あっという間に泥沼ね。でも、こいつら嫌い。男も嫌いだし、女も嫌い。露骨だし、だいいち下品よ。しかも兄妹だなんて、最低!夫婦だったら、勝手にやってろって言えるのに!
二対二――いえ、二対一かしら。とにかくその均衡を破ったのは、今やすでに忘れていたきっかけともなった人間だった。突然ミルがからからと笑って、それはもう満面の笑みで言ったのだ。
「みなさん、ダメですよ、ケンカしちゃ〜。まっ、あたしたちがかわい過ぎるのが問題なのかもしれないけど〜。なんなら、一人ずつお相手しましょうかぁ?あはっ」
「ダメだよ、ミル。絶対別行動するなってパパに言われたでしょ」
「あっ、そっか。じゃあ、食事の後ラウンジでトランプなんかどうですかぁ?それならみんなでできるし。ねっ」
…………空気が読めないにも程があるわ。あたしの気持ちは怒りの峠を通り越して、呆れの境地へ入っていった。この子たち、本ッ当に子どもね。自分たちがどんな立場にいるのかわからないの?そりゃ、あたしだって忘れてたけどさ。
「…そうしなさい。あたしたちは遠慮するけど。ほら、ヤムチャ、早く座って。食前酒頼むわよ」
「えーっ、何でですかぁ。みんなで一緒に遊びましょうよ〜。ブルマさんてば、クールダウン早過ぎ!今の今まであたしたちを取り合ってたくせに〜」
「お酒飲むなって言っただけよ。親のお金で旅行してるんだから、親がいないからって羽目外すんじゃないわよ」
「親じゃなくて、おじいちゃんですよ」
「おじいちゃんが誕生日プレゼントにー…」
「はいはい、わかったから。ほら、あんたたちも早く席につきなさい。ウェイターが困ってるわよ」
あたしは場を切り上げた。いまいち勝ったような気はしない。でもとりあえず犯罪は阻止したから、よしとするわ。っていうか、リザとは話をしたくない。エイハンもそうだけど、天敵の匂いがぷんぷんするわ。
「あー、やだやだ。遊び慣れた中年ってあれだから。ヤムチャ、あんたはあんな男になっちゃダメよ!」
双子のマイペースぶりなんて、もう今さら。天敵のことは話したくない。だから、料理が運ばれてくるまでの間、あたしは目の前にいる男のことだけを話題にした。ヤムチャは食前酒のグラスに口をつけながら、それは不本意そうに上目遣いで瞳を流した。
「…何でそういう話になるんだよ?」
「あんた、素質がありそうだからよ」
「何の素質だよ…」
「遊び人のに決まってるでしょ。あんたさっき、あの女に見とれてたでしょ。信じらんない。何考えてんの?っていうか、どういう趣味してんの!あんな年増の化粧お化けのどこがいいの!」
「…目が怖かったんだよ…」
「目?」
苦々しげに呟くヤムチャの態度は、かなり意外なものだった。いつもみたいに、しゃにむに否定したりしない。それどころかなぜか偉そうに、こんなことを言ってきた。
「あの目は怖過ぎだ。いいか、おまえは絶対何があっても、あんな化粧はするなよ」
「…あんたこそ、いきなりどうしてそんな話になるのよ?」
「とにかく、さっきのは怖いもの見たさみたいなもんだ」
「何よ、やっぱり見たいんじゃないの」
「違う。見たくなくても逸らせないんだ。蛇に睨まれた蛙みたいなもんだ」
「…ま、蛇ってわかってるならいいわ」
何の罪もないそこらへんにいる猫だ、みたいに思ってるよりはね。あの女、ぜーったい狙ってくるわよ。好きとか嫌いとかそういう以前に、狙うために狙ってくるわ。いかにもそういうことしそうな感じだもん。いるでしょ、人の物を盗るのが楽しい、みたいなやつ。盗る価値のありそうなやつって、ここにはあたしたちの他にはいないし。
「そう、蛇女だあれは。うん」
さらに偉そうにヤムチャは腕組みをし、深々と頭を下げた。その、なんともわざとらしく重々しい顔つきに、思わず怒りの残り火が消えたところで、ウェイターがやってきた。上座に座っていたあたしが、いち早くそのことに気づいた。
「思い詰めてるところ何だけど、料理がきたわよ。とりあえず向こうは見ないようにして、ごはん食べましょ」
「うーん、賛成」
で、しょうがないから、宥めてやった。正直、立場が逆のような気はするけれど。でも、そうなのよねえ。ヤムチャがわかってさえいれば、あたしはそんなにイライラせずにすむのよ。
ヤムチャの場合、信用できないとかいう以前の問題だから。端からわかってないことが多過ぎるから、ヤムチャは。今回は、見た目でわかったってとこか。それにしても、蛇女か…
あたしは前言を撤回して、ちらりとリザの方を見た。…ちょっと縦長だけど、それなりに整った顔立ち。ファンデの塗り過ぎた肌に、真っ赤な唇。大きな目にくっきり黒のアイライン。
…うまいこと言うわねえ。
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