Trouble mystery tour Epi.9 (6) byB
まずはポーンを進ませて、あたしは考えた。
できるだけ遠回りでエイハンを攻めていく方法を。そう、初めから飛ばしていく気はあたしにはなかった。エイハンが本気を出すまで勝負を引っ張る必要があるわ。たいして攻めさせないうちにさっくり勝ったりしちゃダメ。じゃないとこのエセフェミニストのことよ、『女だから手加減してやったんだ』とか言いかねないもの。
しばらくは攻めずに受け流し続けて、あっちが本気で仕掛けてきたところで返り討ちにしてやるの。本当はチェスってそういうゲームじゃないんだけど、ハンデだと思ってやるわ。そのくらいのハンデはつけてやるべきよね。この人とあたしじゃ、レベルが違うんだから。
まあ、それなりにはやるみたいだけど?そうね、確かに下手の横好きじゃないわ。でも、あたしの敵じゃないわよ。っていうかね、あたしの敵になれる人なんかいないのよ。コンピュータと、チェスの世界チャンピオンと、父さん以外にはね。
「あれぇ、リザさん、何占ってるの?」
さらにあたしがポーンを動かした時、あたしの右肩の上でミルがそう言って身を乗り出した。あたしはそれを制止しなかった。
多少邪魔されたって構わない。さほど集中力を必要とするゲームでもないわ。それにあたしも、そのリザの動きは気になっていた。
白地に水色の文様のタロットカードを、3枚横に並べている。テーブルはチェス盤になってしまっているから、自分の膝の上に。そこまでして、一体何を占っているのか。訊きたくないけど、聞いてみたいところではあった。
リザは笑って、もったいぶったように言った。
「このゲームの勝者はどちらか、よ。でも、結果は言わないでおくわ。先にわかっちゃったらつまらないでしょう?」
「リザさんの占い当たるもんね〜」
「ゼンメルさんのことも当たっちゃったしね〜」
…まったく、地獄耳ね。
自分の真後ろでリザを追従し始めた双子に、あたしは呆れを禁じえなかった。
双子たちが何のことを言っているのかはわかっていた。でもだからこそ、呆れたの。だって、ゼンメルさんに宝石を渡したのって、ついさっきのことなのよ。耳年増な上に、地獄耳か。もう将来は占うまでもなく、スピーカー役のおばさんに決定ね。
「あのね、ブルマさんヤムチャさん、すごいんですよ、リザさんの占いもう当たっちゃったの!」
「さっき、ゼンメルさんのこと話しましたよね。奥さんの失くした宝物が戻ってくるってやつ。あれ、宝石だったんだって!」
「ほらぁ、美人泥棒に盗まれたっていう宝石。あれがね、戻ってきたんだって。泥棒から取り返したんだって!」
っていうか、将来を待つまでもなく、すでにスピーカーね。しかも微妙に間違ってるし。こうやって、おかしな噂というものは立っていくものなのね。
「ふふ、ご存じよね?取り戻した当人ですもの。ねえ、ヤ・ム・チャ・く・ん」
「えっ…あ、はあ、まあ…」
意味ありげに瞳を瞬かせながら、リザがヤムチャに水を向けた。しどろもどろになりつつあるヤムチャの代わりに、あたしは言ってやった。
「でも、ヤムチャが取り戻すってことまでは、わからなかったのよねーえ?」
「私が占ったのは、あくまでゼンメルさんご夫妻のことですもの。本人の身に起こらないことはわからなくて当然だわ」
まあ、うまく逃げたわね。
「あーら、そうなの。それじゃ、例え当たっても、あんまり物の役には立ちそうにもないわね」
「無知な人はそう思うでしょうね。でも、私くらいになるとそうでもないのよ。ゼンメルさんの宝石についても、あらかじめ盗まれたことを知らされていたら、具体的に占ってあげられたでしょうね。占いってそんなに単純じゃないのよ」
ふん。よく言うわ。
さすが兄妹よね。兄に似て、ぺらぺらとよく舌が動くこと。
軽く息をつきながらナイトを逃がすと、ヤムチャが片手を口元に当てながら、耳の横で囁いた。
「ブルマ、大丈夫か?なんだか調子が悪いみたいだが」
「だーいじょうぶだって。あたしを信じなさい」
するとそれを見て、今度は兄の方が舌を動かし始めた。
「おいおい、横から口出ししないでくれよ。チェスってのは、ゲームであると同時にスポーツでも芸術でも科学でもあり、それらのセンスを総合する能力を競う『個人の』遊戯なんだ。他人が教えるなんてナンセンスだぞ」
「教えてなんていませんよ。ただ声をかけただけです」
あたしは笑いを噛み殺しながら、ルークを下げた。これは全然バレてないわね。あたしがヤムチャに教わるなんて、あるわけないのにねえ。あたしと何度もやってるヤムチャですら、ちょっとおかしい、くらいにしか思ってないみたいだわ。すごい演技力ね、あたし。やっぱり天才ね。
「そっちこそ、占い頼みはなしですよ」
「何だい、占い頼みって」
「いやあ、一緒に旅行するほど仲のいい兄妹だ、きっと以心伝心することもあるんだろうなあと思ってね。その気になれば、リザさんは具体的に占えるんでしょう?それともサインか何かありますか?」
「バカ言っちゃいかんよ、きみ、何てこと言うんだ。チェスクラブ会長たるこの私がイカサマなど。だいたい、リザはチェスはてんでわからないよ」
「そうですか。それは失礼しました。でも、そういう心配をするのは、ボディガードとしては当然のことですからね」
「なかなか言うね、きみ」
まったくだわ。
あたしは軽く目を瞬いて、ビショップを進めた。
なんか知らないけど、ヤムチャのやつ不愉快そうね。露骨に喧嘩売ってるわ。――エイハンにだけ。リザはてんで相手にできないみたいだけど。そりゃあ、あたしだって愉快なはずはないけどね。ん〜…………しょうがないわねえ。少し勝負を速めてやるとするか。エイハンをやっつけたいのは当然だけど、それであたしたちが不愉快になってちゃ元も子もないものね。
と、このように、あたしは大変余裕な気分でゲームを進めていた。それを誰にも悟られずに。最初の数手はよくある手。当然それに対し仕掛けてくるエイハンの手も、予想外とは言えない手。敢えて間二髪くらいのところで逃げ続けて、意外とやるなと思わせる。でも実際には、意外どころか相当やるっていう寸法よ。
「参った。…リザインするよ」
やがてあたしがクイーンを動かすと、エイハンが文字通り諸手を上げて、ゲームを投げ出した。それで、あたしはにっこり笑って言ってあげた。
「あら、いいの?まだ手は残ってると思うけど」
「ああ、もうお手上げだ。こうなってしまったら、どう転んでも私の負けだ。遅かれ早かれチェック・メイトされる運命さ。粘るだけ時間の無駄だよ」
「あ〜ら、それがわかるなんて、さすがね〜。アマチュアクラブの会長なだけはあるわ〜」
もちろん嫌みよ。それと、勝利者の寛大心ね。本当はびしっとチェック・メイトを決めてやりたかったけど、本人に自覚があるならいいわ。
するとエイハンは頭を垂れて、でも笑顔は崩さずにこう答えた。
「はは…どうせ田舎者の道楽だよ。やっぱり都の人間には敵わないね」
…あら、そうくるわけ。
再び怒りが首を擡げた。まったく、いい根性してるわ。そっちがそういう態度なら、あたしだって傷口に塩を塗り込んであげるわよ。
「言っとくけど、あたしは道楽ですらないわよ。時々暇潰しにやるだけだもの。ね、ヤムチャ」
「そうだな。おまけに、まだまだ本気出してないしな」
「そういうこと。こんなことに田舎も都も関係ないわよ。だいたい、チェスはいろんなセンスを総合した能力を競う『個人の』遊戯なんでしょ」
「やれやれ。あんまりおじさんを苛めないでほしいなあ」
「何言ってんの。先に絡んできたのはそっちじゃない」
この時点で、あたしの怒りには呆れが混じってきていた。だから、やがて突きつけた勝者の権利を主張する言葉は、我ながらいまいちびしっとしないものだった。
「…とにかく。これからはもうあたしに構わないでもらいたいわ。サービスマンに言づけたりもしないで。あたしが勝ったんだから、言うこと聞いてもらうわよ」
「かしこまりました、お嬢様。すべて仰せのままに致します」
「……そういうのもやめてちょうだい」
この列車に乗り込んでから何度も見てきたその傅くような仕種に、あたしはこの時初めてうんざりした。こんな誠実さの欠片もないおっさんに跪かれても、嬉しくないわ。リザもいつまでも笑って見てないで、早いとこ引き取ってくれればいいのに…
その時、途中から口出しどころか顔も見せずに自分たちのテーブルに引っ込んでいた双子が(飽きたんでしょ、要するに)おもむろにソファの上から顔を覗かせて、エイハンに絡み始めた。
「あー、エイハンさん、負けちゃったんだ。残念だったねえ」
「もうやらないの?じゃあこっちに来て、あたしたちとお茶飲もうよ」
「おお、ありがとう。きみたちは本当にいい子だねえ。まるで天使のようじゃないか」
「ねえ、エイハンさんが持ち込んだキャンベルジュースって、まだあるかなぁ?」
「あれおいしいよね。今までに飲んだフレッシュジュースの中で一番好き!」
…………逆ナンしてるわ…
それもジュースほしさに。ふてぶてしいわねえ。かつて庇ってあげたあたしがバカみたいじゃないの。
「ふふっ…それじゃ、私も失礼するわ。またね、ヤムチャくん。今夜はとても楽しかったわ」
「はぁ…」
あんたたちは何もしてないでしょうが!
笑顔で横目を流しながらラウンジを出ていくリザと、呆然とそれを見送るヤムチャの両方に心の中でそう突っ込みを入れると、すでに隣のテーブルに引っ張り込まれつつあるエイハンが、振り向きがてらウィンクしてきた。
「ではお嬢様、またの機会に。今夜はこの子たちと楽しむことにするよ。グッナイ!」
「…………」
あたしは何も言わなかった。もう嫌みを言う気にもなれない。あたしの気持ちは完全に怒りの峠を通り越して、呆れの境地へ入っていた。それだけじゃない。…なんだか急に疲れてきたわ。こんなに疲れる勝ち戦は初めて。ヤムチャの言ったように、まだまだ本気出してなかったはずなのに…
「は〜ぁ。本当に言うこと聞いてくれるのか、怪しいものね。…ねえ、最後に一戦やらない?」
エイハンとのゲームと時間をさっさと過去のものにしてしまいたくて、あたしはそう切り出した。あたしが本気でプレイしてないって、いつ気づいたの?そんなことを訊く気ももうなくなっていた。もう終わったことよ。しかも何だか虚しい終わり方だったから、ほじくり返したくないわ。まったく、やっつけ甲斐のない男よねえ。あれが本当に、チェスクラブの会長やってる大地主の男なの?全然プライドないじゃないの。
「あんないいゲームしといてまだ物足りないのか。だいたい俺とじゃたいしたゲームにはならんぞ」
ヤムチャはあたしの心境にはこれっぽっちも気づいていないらしく、元いた席へと移りながらやんわりと断りを入れてきた。しかも何やら自分を卑下するようなことまで言ったので(あんたが腰を低くしてどうするの)、あたしはことさらに声を強めて言ってやった。
「あたしはあんたとやりたいのよ。チェスがしたいんじゃなくて、『あんたとチェスをする』っていう遊びよ」
「…なるほど…………?」
「要するにね、あたしはマニアじゃないから、レベルの高いゲームじゃなくて、楽しいゲームがしたいわけ」
「楽しいのか…」
「あら、あんたは楽しくないの?」
「いえいえ、大変楽しませてもらってますよ」
「でしょー?じゃあやりましょ」
初めは懐疑的だったヤムチャの言葉を、あたしは押し切った。さらに本当のところを言うならば、あたしは『ヤムチャとチェスがしたい』わけでもなかった。でも、そこまで言う必要はないわ。さすがにそれは嫌みってもんよ。
…まあ、結局は言う羽目になったけど。
「ふんふんふーん、じゃ、あたしは昼間の約束通り、ルークとビショップ落とすからね」
「…おまえ、本当にそれで楽しいのか?」
手は駒を並べながらも、ヤムチャがまたそんなことを言ったからだ。そして、あたしはそこでわざわざ取り繕ってやる必要を感じなかった。
「楽しいわよ〜。あんた反応いいもん。負けたらすっごく悔しがってくれるじゃない?そういうやつを負かすのって楽しいのよ。例え弱くってもね」
「…ああ、そうですか」
「その点、エイハンはダメね。変に駆け引き上手であしらい慣れてて、つまんないったらないわ」
「危機感のないやつだなあ。そりゃまあ、たいしたもの賭けてなかったけどさ」
「あんたはなんでそんなに危機感持ってんの?さっきエイハンに喧嘩売ってたわよね。昨日までは全然そんな感じじゃなかったのに」
「えっ。いや、あいつが絡んでくるから…」
「単なる対抗意識か。…ま、そんなもんでしょうね」
またやきもち焼いてたのかしら。ふと湧いたほのかな疑問を、あたしは呑み込んだ。そういう感じじゃなかったわ。何て言うのかしら、単純にいけすかない相手をやっつけたい、みたいな…ヤムチャって、粋がる男を嫌うようなとこあるわよね。まあ、気持ちはわかるけど。…粋がる女も嫌えれば、もっといいのにね。
「さ、じゃあ、その対抗意識を燃やしてもらいましょうか。弱いくせにそういう根性はあるのが、あんたの唯一の取り柄だもんね。そしてまたうんと悔しがってね〜」
身振りで第一手を促しながらあたしが言うと、早くもヤムチャは乗ってきた。
「こいつ、言ったな」
「言うわよ。このハンデが縮まらない限りはね」
「よーし。見てろよ。そこまで見くびったことを後悔させてやるからな。さすがに4枚落ちで勝てないほど、俺は弱くはないんだ」
…まったく。情けない台詞を偉そうに言わないでよね〜。
ヤムチャがポーンを進めたのを見て、あたしも同位置のポーンを動かした。手加減?しないわよ、そんなの。何のためにハンデをつけてると思ってるの。
だいたい手加減されて勝ったって、こいつは喜ばないわよ。そういうプライドだけはあるんだから。自分は手加減することあるくせに、されることは嫌がるのよ。それも粋がってるからじゃなくて、単純にプライドからよ。
そしてあたしはそういうの、嫌いじゃなかった。エイハンみたいに自分も他人もあしらえるようになっちゃうより、ずっといいわ。
…できることなら、これからもそうであってほしいわね。
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