Trouble mystery tour Epi.9 (7) byB
「ん〜〜〜〜〜…」
バスタブに体を沈め、思いきり伸びをした。
窓の外には昇り行く太陽。バスルームに差し込む朝の白光。そして…
薄く曇った窓を指先で拭って、あたしはその景色を眺めた。昨日よりもさらに壮観さを増した山々。まるで古代建築物のような荘厳な岩肌と、ところどころに立っている針葉樹。
それから、何気なく目にした時計の針に急かされて、一日ぶりのバスタイムを終えた。


「ん〜〜〜〜〜…」
バスルームを出てから、また伸びをした。
髪と体にタオルを巻きつけ、簡単なスキンケアを終えた後で。ヘアケアは後。先にコーヒーが飲みたいわ。
部屋に戻ると、ヤムチャが窓際の椅子に座って、片頬杖をつきながら外の景色を眺めていた。あたしが来たのに気がつくと、こちらに視線を寄こして、テーブルの上のコーヒーポットを指で弾いた。
「ブルマ、朝食きてるぞ」
「はーい」
ジャストタイミング。それとも、ちょっと遅かったかしら。
さっそくテーブルへと飛んで行って、ソファと足乗せに体を預けた。頭のタオルをソファの後ろに投げ捨てると、ヤムチャが少し頭を傾げながら言った。
「着替えるのは後でもいいけど、バスローブくらい羽織ったらどうだ」
「うん、そうね」
あたしはそう答えたけど、すでに気持ちは自分のことから遠く離れていた。カップに注がれたコーヒーを一口啜ると、それはさらに顕著になった。
「もうすっかり山の中ね」
おそらく今日はこれまでで一番活動的な一日になる。そう思いながら、あたしは窓の外を見た。
グリーンシーニでもだいぶん活動的に遊んだけど、ああいうのとも違う。遊びは遊びでも、今日のは山遊びだもの。リュスティック海での海遊びみたいに、乗り物が用意されているわけでもない。はっきり言っちゃうと、山登りよ、山登り。
「もうじきパンケーキの崖が見えるはずよ。この森が切れたあたりにね」
「パンケーキの崖?ああ、昨日言ってたやつか。こんなところにあるのか?ここ、あの街から列車で半日の距離だぞ。そんなことでよく名物が成り立つな」
「それだけ田舎だってことでしょ。あの街が実質最後の街なのよ」
そう、ここはもうロキシーマウンテンのど真ん中。街どころか民家すらない、標高2000mの高地。あたしたちは一晩かけて、広大なロキシーマウンテンの約半分を越えてきた。さらにここから二時間ほど列車に揺られて、それから――
「何?」
ふと、自分のコーヒーに砂糖を落としていたヤムチャが、手を止めてあたしの顔を覗き込んできた。そしてあたしがそう訊くと、おもしろそうな顔をして呟いた。
「うん、いや、起きたかな、と思って」
「さっきから起きてるわよ」
「ああ、それは失礼いたしました」
さらに、あたしが答えると、おどけたように笑って頭を下げた。それであたしはカトラリーを手にしながら、ちょっとだけ、外ではなく内の現状に目を向けた。
…のんきなものね。
なんか、いつにも増してのんきだわ。こんな荘厳な風景の中にいて、何も感じないのかしら。あたしは何だかわくわくするけどな。地を這う緑のある大地から、昨日までは見上げていた荘厳な山の上へやってきたんだと思うと、なんだかわくわく…………ああ、初めてじゃないんだものね、ここ。慣れって怖いわね。この様子じゃ、例えロキシーマウンテンのてっぺんで修行したとしても、たいして気は締まらなさそうね。まったく、マイペースな男だわ――…ええと、どこまで話したっけ?
「それで、今日の予定は?」
あ、そうそう、そのことだったわね。
マイペースな男のいつもながらの質問が、あたしの気分を掘り起こした。もう本当にただなんとなく訊いてみただけって感じだけど、まあいいでしょ。教えてあげるわ。
「今日はハイキングよ。標高4000mのハイキング。あと二時間も経てば、ロキシーマウンテンナショナルパークの入口よ。夕方までそこで自由行動なの」
あたしの言葉で、ヤムチャは昨日の会話を少しだけ思い出したようだった。フライドエッグに胡椒をかけながら、訳知り顔で呟いた。
「ははぁ、それでおんぶか。しかし移動中ならともかく、公園でおんぶっていうのはなぁ」
「失礼ね、ちゃんと歩くわよ」
歩けるところまではね。それと、人の目の届きそうなところでは。
そうあたしは心の中で付け加えた。あたしだって、一応はちゃんとハイキングを楽しむ気でいるのよ。だけど、楽しめなくなったら、その時はしかたないじゃない?確かにピクニックは大好き、ハイキングも悪くない、でもトレッキングや登山となるとちょっとねえ。あたしは都会育ちだからね。何が何でも自力で登り切ってやろうなんて無駄な根性は持ち合わせてないのよ。
「どうだかなぁ。ブルマってそういう時すぐ、疲れた疲れた言うからなぁ」
「そういう態度取るんなら、最初からおんぶしてもらうわ」
「…いや、ちょっと、それは…」
「じゃあ、四の五の言わないでちょうだい」
あんたが機嫌いいのは勝手だけどね。
あたしはまた心の中で付け加えた。ヤムチャって機嫌がいいと、途端に口が軽くなるのよね。もともと軽いけど、それよりさらにね。加えて態度も。こちらももともと軽いけど、やっぱりさらにね。他人から見たらたいして変わらないところなんでしょうけど、あたしにはわかるわ。そして、機嫌がいい理由もね。
「はいはい、わかりましたよ。ところで、何か準備することはあるかな?」
「何にも。動きやすい格好をして、あと少し寒いからジャケットを羽織ることくらいね。たいして身構えなくていいわよ。基本的には自然そのままだけど、入口のあたりにはホテルとかあるからね」
「ふーん。となると、着くまでちょっと暇だな。またラウンジで一戦やるか?」
「…せっかくなくしたハンデをまたつけることになったら悪いから、やめとくわ」
ホットサラダをつつきながら、あたしはまた外ではなく内の現状に目を向けた。内の、過去の現状に。
…昨夜はひさしぶりに、しつこいところを見たわ。
そ、意外としつこいのよ、ヤムチャって。後々まで引き摺るようなところはないけど、その時々では結構ね。まあ、そういうことは滅多にないけど。あったとしても、それでもいつもはそう強引に話を持っていったりはしないんだけど。だけど、昨夜は…。あたし、ちょっと突っつき過ぎちゃったみたい。あんなに食い下がってくるとは思わなかったわ。
おかげで最後のゲームは、自分のポリシーを崩しちゃった。手加減しないって決めてたのに、思わず気を抜いてチェック・メイトなんかさせちゃった。手加減したっていうよりは、うっかりミスね。だって、ちょっと一戦のつもりが、結局は4ゲームもやる羽目になったのよ。それも勝つまでやめない姿勢なんだから、まいったわよ。要するに、ヤムチャの粘り勝ちってところよ。
「ははは」
ヤムチャは食事を取る手を止めて、それは愉快そうに笑った。昨夜、『あと一戦、もう一戦』と食い下がってきたやつとは思えない態度ね。
「ふんだ、いいわよ。いい気になっておきなさい。その代わり、今日はばっちり働いてもらうからね」
「はいはい、わかりました」
やれやれ、しょうがないなあ。
そう言わんばかりの笑顔で、ヤムチャは答えた。…どうしてそんなに余裕なわけ。まだハンデがなくなっただけでしょ?これでようやく五分五分よ。あんた、プライドあるのかないのか、どっちなの?
そんなんだったら、またあたしが勝っちゃうからね。だって、あたしの方が頭いいんだから。余裕かまして油断してるヤムチャの隙を突くのなんて、子どもを相手にするより簡単なんだから。…今はやらないけどね。
あんたにはこれから一働きしてもらうんだから、今へこたれさせるわけにはいかないわ。ここからは、へこたれていいのはあたしだけ。
あんたは何があっても、へこたれちゃダメなんだからね。


ジーンズにTシャツ、ジャケットにブーツ。
いくら高級旅行とは言っても標高4000mのハイキングともなれば、カジュアルにならざるを得ない。身支度の簡単さも相まって持て余してしまった到着までの時間を、あたしたちはちょっぴり肌寒い展望車から景色を眺めて過ごした。
頂上に近づくにつれ、だんだんと背の高い木がなくなって、しまいには草も生えない荒野になった。吹きつける風に削られて、片側にしか枝葉のなくなったへんてこな形の木。すぐ近くに見える雲。
ふと視界の端にエルクを見つけた時、列車が止まった。間もなく、ドアの開く音が聞こえてきた。汽笛の鳴らないこの列車の、それが一日の開始の合図だ。それであたしは見つけたばかりのエルクに背を向け、ヤムチャの腕を引いて外へ出た。
ロキシーマウンテンナショナルパークの入口前にあるこの停車駅は、標高3700mの、世界で三番目に標高が高い駅。どこか古風な造りの駅を出て、目の前を走る世界で最も標高の高いところにある舗装道路トレイルリッジロードを横切ると、そこがパークのゲート。ログハウス風のウッディーなゲートの向こうには、綺麗に整備された広大な庭園が広がっていた。奥には、別荘風の3階建てホテル。白い壁に赤い屋根、小高い山を背面に抱えて、いかにも絵になる感じ。
「山頂へのハイキングが終わったら、あのホテルのテラスでお茶しましょ。じゃ、さっそく行きましょうか。上りのトレイルはこっちよ」
少し息苦しさを感じながら、あたしは言った。さすが標高3700m、酸素が薄いわ。見晴らしがいいからって、迂闊に走ると倒れそうね。
あたしがトレイルの手前に立ち止まって息を整えていると、それまであたりをきょろきょろしていたヤムチャはぴたりと動きを止めて、それは無造作に言い放った。
「おまえ、息が上がってるぞ。まだ来たばかりだってのに。いくら何でも鈍り過ぎなんじゃないのか」
「しかたないでしょ、空気が薄いんだから。あんたはどうして平気なのよ?」
「それはやっぱり、鍛え方の違いだろうな」
「あっそ。それじゃ、あたしの手引っ張ってよ」
あたしは早速一働きしてもらうことに決めた。鍛えれば空気が薄くても平気なわけ?そんなの聞いたことないけど、本人が言うんなら、そういうことにしといてもいいわ。あたしは楽ができれば、それでいいのよ。
「おんぶじゃなかったのか?」
「いきなり入口からおんぶしてもらうわけいかないでしょ」
「ふうん。一応そういう感覚はあるんだな」
「それってすっごい嫌み!」
ところどころに段差のある緩やかなトレイルを、見知らぬ観光客たちの後になって、ゆっくりと歩いた。人はそんなに多くないけど、上りのトレイルは一つしかないから、まるで行列を作ってるみたいになってる。やっぱり思ってた通り、空を飛んで行けそうにはないわね。それどころか、おんぶもお預けかも。なんて思いながら、手を引かれてヤムチャの後ろを歩いていると、さらに後ろから賑やかな足音が近づいてきた。
「あーっ、ブルマさんとヤムチャさん、おんなじジャケット着てる!」
「ペアルックだー。素敵!かっわい〜!なっかま〜!」
それはすぐに激しい息切れへと変わった。あたしたちのところに走り寄ってくるや否や、息も絶え絶えにへたり込んだ双子たちを、あたしは二重の呆れを持って眺めた。
全力で走ればそうなることくらい、わかるでしょうに。息を切らしてまで言わなきゃならないことでもないでしょ。だいたい、『も』って何よ、『も』って。あんたたちのペアルックとあたしたちのペアルックは、違うでしょ。
あんたたちのは、お揃いならそれだけでかわいく見えるっていう、双子のお約束に則った手抜きとしてのペアでしょ。あたしたちのは、大人のさり気ない遊び心としてのペアなの。全身まったく同じ服を着込んでるあんたたちと、同じアイテムをそれぞれのセンスで着こなしてるあたしたちとを、一緒にしないでほしいわね。
そう、あたしとヤムチャは確かに同じジャケットを着ていた。もちろん、偶然被ったわけじゃない。わざとよ、わざと。決まってんでしょ。全身ペアルックなんて、とてもじゃないけど恥ずかしくて外歩けないけど、ジャケットくらいならお洒落の範疇よね。知り合いもいない山の中だし、アイテムとしてもおかしくないし、第一、すっごく似合ってる。だから――
ペアなんて、若くなきゃできないことよ。それと恋人同士でなくっちゃね!ありとあらゆる意味であんたにはできないっていうわけ。ほっほっほ…
――っていう顔をしてやろうと思ったのよ。リザのやつにさ。なのに、こんな時に限って、会わないんだもの。昨日まではウザいくらい視線寄こしてきてたのに、今日は遠目にすら顔を見せない。バツが悪くて顔出せないのかしら。そんな珠じゃないような気はするけど……ま、それならそれで、あたしは全然構わないけどね。
「違うよぉ。ペアルックじゃなくて『カップルック』!ペアルックなんて言い方、もうダサいんだからー」
「いっけなーい、そうだった。お二人とも、知ってます?今、東の都でペアルックのことカップルックって呼んで、すっごい流行ってるんだってー」
「新婚旅行はペアでっていうのがセオリーなんだって!それも、あたしたちみたいにぜーんぶ同じにしちゃうのが、最高にお洒落なんですよぉ」
「あたしたちは流行る前からやってたもんね〜。イェーイ、流行先取りぃ!」
…ウザい。
備えていた女ではなく、だいぶん慣れているはずの子どもがウザい。そう思うまでに、時間はかからなかった。それだけ話できるなら、もう休む必要ないでしょ。さっさとどっか行っちゃいなさいよ。喉まで出かかったそれらの言葉を実際に口にしなかったのは、偏にヤムチャに先手を打たれたからだった。
「あっ!ミルちゃんリルちゃん、あそこにきれいな花が咲いてるよ。ほら、人があーんなに集まってる。うん、あれはきっとこの山にしか生えていない珍しい花に違いない」
「えっ、本当?わー、見に行こうー!」
「あっ、待ってよ、ミル〜!」
ヤムチャが言葉と共に前方を指差すと、双子はすぐさま全速力でトレイルを駆けて行った。あれじゃすぐにまた息切れるわね。ま、あたしたちのところに来なけりゃそれでいいけどさ。双子に対するそんな呆れと共に、ヤムチャに対する呆れもが、あたしの中に湧き起こった。
「何だ、ブルマ?」
「べっつにー。何でもないわよ」
軽く頭を振ったヤムチャから、あたしはことさらわざとらしく目を逸らしてやった。まったく、すっかりあしらい慣れちゃって。…本当はそれでいいはずなんだけど、なんか腹立つわね。
ヤムチャはちょっと片眉を上げてから、再びあたしの手を引っ張った。
「さ、行くぞ」
その手を振り解くような心境では、あたしはなかった。でも素直に頷く気分でもなかったので、すでに双子たちを心の中から追い出していたにも関わらず、言ってやった。
「あの子たちに追いつかないよう、ゆっくりとね」
「そこまで毛嫌いすることもないだろう」
「あんただって、今追い払ったじゃない」
「あれは…、だってなぁ…」
「…本ッ当にいい格好しいよね、あんたって」
邪魔なら邪魔ってはっきり言いなさいよ。いつまでも笑ってかわしてないでさ。ああいうタイプははっきり言わなきゃわからないわよ。
そう、あたしは気づいていた。どうやらヤムチャが双子のことを、持て余し始めているらしいということに。少なくとも、あたしが邪魔って思ってる時には、ヤムチャもそう思ってる――ここ最近はね。問題は、それがあたしにはわかっても、双子には全然伝わっていないということよ。だから、結局は相手する羽目になっちゃうのよ。
そういうことを、あたしは口には出さなかった。そのくらい、自分で気づいてどうにかするべきだわ。それでも気分は伝わったらしく、ヤムチャは少しむくれたような顔をして、なんだか見当違いなことを言った。
「何言ってんだ。いい格好しいだったら、こんな格好しておまえとこんなことしてるもんか」
「…ちょっと、それどういう意味よ?」
「さあな。ほら、行くぞ」
そういうかわいくない態度を、どうして双子には取れないのよ?
あたしはそんな捻くれた文句を抱きながら、今度は無言でヤムチャの言葉に従った。ハイキングはまだ始まったばかり。しかもそれなりに整備されたトレイルは数百mで終わり、その先には紛うことなき山道が続いている。ただ歩いているだけでも息が上がる状態でそんなとこ、一人で行く気なんてないわ。
そもそもヤムチャはこういう時のために連れてきたと言っても、過言じゃないんだから。あんたが話を流すのならこれ幸い、あたしも流して扱き使ってやるもんね。


間近に見る、数億年前の岩盤。ふいに現れるアスペンの林。そこここに咲いている、絶滅危惧植物図鑑に載っていた花々。
一人で来なくてよかった。ここまでの20日間の中で一番強くそう思いながら、あたしはかろうじてそれらの景色を楽しんだ。気持ちのほとんどは、あたしを引く手と足元に持っていかれてしまっていた。
「そこ、足元滑るから気をつけろよ」
「さっきからもうずーっと気をつけてるわよ」
登ったり下ったりの忙しい山道。立ちはだかる岩の壁。露出した木の根。滑りやすい急坂。足場のない急な山道脇の木々は、すっかり手摺り代わりとして握られ続けているらしく、木肌がツルツルに光っている。…こりゃあ、ハイキングじゃなくてトレッキングだわ。あ、一応山頂を目指してるから、登山になるのか。ともかくも、一人だったら絶対にパスしてたわね、このイベントは。
体はキツいし埃っぽいし、どうしたって若い女向きじゃないわよ。その証拠に、あたしたちのツアー以外からの登山者は、年配の人ばっかりよ。まあ、それもどうかと思うけど。例えばあのやたら張り切ってるおじいちゃんとか、うっかり足を滑らせてぽっくりいっちゃったりしないのかしら。ちょっと心配になっちゃうわよね。
「そこ、坂が急になってるから気をつけろよ」
「急じゃないところなんてないわよ」
「あ、蛇がいる」
「ぎゃあぁっ!」
もっとも、人のことを心配している暇は、あたしにはなかった。言葉と共に足元を指し示されて、思わずヤムチャの体に飛びついてしまったあたしは、もうそのままそうしてしまいたくなった。
「あーもー、やだぁ。空飛んでいきたーいっ!」
「みんながんばってるんだから、おまえも少しはがんばれ」
「えぇ〜」
…一昨日は飛んでくれたくせに。何も言わなくても飛んでくれたくせに。標高なんて計られてもいない低い山に登るだけで、飛んでくれたくせにーーー!
もう喉元過ぎちゃったってわけ?いくら何でも早過ぎじゃない?グリーンシーニの時より早いわよ。いえ、あの時もこんなものだったかしら。どっちにしても、ひどい話だわ。
「この薄情者!」
「は?」
ふいに頭を過った、もうほとんど忘れかけていた一昨日の一件が、あたしにその言葉を吐き出させた。もう完全に忘れているらしいヤムチャが、頭と眉の両方をぴくりと動かした。
「薄情って何だよ?ちゃんと手を引いてやってるだろ」
「『やってる』ですって!?えっらそうに!薄情な上に傲慢だなんて最低ね!」
「…もういいからとっとと歩け」
「ぎゃーっ、何その言い方、ひっどぉーい!」
今までこんな言い方したことなかったのに。ここんとこやたら嫌みも言うし、ちょっと増長してるんじゃないの!?
「わかったわかった、悪かったよ。それで登るのか、登らないのか、どっちなんだ」
くぅーっ…
そのおざなりな謝り方には、もちろん納得できなかった。それでもあたしは言葉を呑んで、一時的に拳を下げた。
登るしかないこと、わかってるでしょ。何のためにここに来たと思ってるのよ。
…まったく、もう。
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