Trouble mystery tour Epi.9 (8) byB
結局、最後まであたしは自分の足で山を登った。
登り切ってやったわ。おんぶもさせずに。手は引っ張らせたけど。それくらい当然よね。あたしはか弱い女なんだから。
「んーっ、気っ持ちいーい!」
重労苦からの解放感。360度すべてを見下ろす山の頂上で、まずはそれをたっぷりと味わった。息を整えるためではなしにゆっくりと味わう、清涼な空気。景色なんか二の次よ。本当はそうじゃなかったはずだけど、今となってはそういう気分だわ。だって、これで景色がよくなかったら、怒るわよ。
それでも眼下に広がる大渓谷へと視線を飛ばしかけた時、ヤムチャが傍らの岩に腰かけながら嘯いた。
「ほらな、がんばってよかっただろう?」
「何よ、偉そうに。別にがんばらなくたって、こういうところに立てば気持ちはいいものよ」
「ああ、そうですか」
あたしが突っ撥ねてやると、ヤムチャは不貞腐れたように腕を組んだ。それを見た瞬間、なぜか急にあたしの気は済んだ。
なんとなく、もういいかなって気がしたのだ。もう、登り終わったし。登り切ってやったし。最後の一歩まで自分の足で。…手は借りたけど。だから、そこのところは認めてやってもいい…
「…ま、『登った』っていう達成感があるぶん、少しは違うかもしれないけどね」
言いながら岩に腰を下ろしかけていたあたしは、次の瞬間ヤムチャに頭を撫でつけられて、そのまま強引に隣に座らされた。予想外のリアクションによって自分のアクションを終えさせられて、あたしは思わず目を瞬いた。それから軽く座り直しながら、もう不貞腐れてはいないヤムチャの顔を覗き見た。
…増長、してるわね。
ちょっとずるい方向に。文句をつけるのもおかしな方向に。言葉じゃなく態度で示すなんて、珍しいじゃない。いえ別に、いつもは言葉で示してくれるってわけじゃないわよ。
ただこんな風に、黙って強引に隣に座らされることなんて、あまりないから。…なんかこの旅行中、いつもより強引にくること多いわよね。あれかしら。修行してないから、そのぶん生活に入り込んできてるのかしら。ヤムチャって、戦ってる時はやたら強気だったりするし、全然覇気がないってわけでもないからね…
あたしは考えていたけれど、しみじみしてるってほどじゃなかった。ヤムチャも、隣に座らせてはきたけれど、それ以上何かをするってわけじゃない。そういう感じじゃないから。あたしたちが、じゃなくて、周りが。山登りをしているのは、あたしたちだけじゃない。山頂に到着したのも。ひんやりとした爽やかな空気を楽しんでいるのも。足を休めて、景色を見ているのも。誰かと隣り合って過ごしているのも…………
だから、あたしたちはしばらく黙って、静かに景色を見続けた。そしてその事実が、あたしに一つの真実を突きつけた。
一人だったら、あたしはきっと今ここにはいなかった。もしくは、最初っからエアバイクでかっ飛ばしてきてたわね。それはそれでありだとは思うけど、その時はこういう気持ちにはならなかったことは、間違いないわ。
「どれ、じゃあそろそろ下りるとするか」
「できれば下りたくないわね。せっかく苦労して登ったんだから」
「なるほど、本当に達成感あったらしいな」
「こんなしんどい思いしたの、ドラゴンボールを探しに行った時以来よ」
目の前に広がる雄大な景色が、美しいというよりも、惜しい。ただ黙って一緒に座っている時間が、心地いい。
見たものではなく感じたことが、思い出に残りそうな気がするわ。


ところで、あたしには山登りの経験がほとんどない。
確かジュニアスクールあたりでそういう機会があったような気はするけど、サボったわ。孫くんちは山の中だけど、山登りってほど高いところにあるわけじゃないし。ドラゴンボール探しの時は、バイクや車に乗ってたし。つまり、何が言いたいのかというと…
「ふー。結構、道が険しいわねえ。下りだから楽かと思ってたんだけどな」
曲がりくねった山道の角、細い木の幹に捕まりながら、あたしはぼやいた。行きの道は足を動かすのが大変だったけど、帰りの道は足を踏み止めるのが大変だわ。もっとこう、ひょいひょいっと下りられるのかと思ってたのに、そうすると転げ落ちそうになるんだもの。
「大丈夫か?ちょっとキツいか?」
一歩先に下りていたヤムチャがあたしに手を伸ばしながら、そんなことを訊いてきた。せいぜい嫌みっぽく、あたしは答えた。
「大丈夫じゃなかったら、どうするって言うのよ?」
『っぽく』じゃなくて、嫌みよ。大丈夫な振りだって、するつもりないわ。だって、全然大丈夫じゃないもの。まったく、そういう無意味な質問しないでほしいわよね。これで『がんばれ』とか言ったら怒るわよ。あたしはもう十分、がんばってるんだっつーの。
それに対するヤムチャの反応は、ちょっと意外なものだった。あたしの嫌みにも気づいていないような軽い笑顔で、軽く言った。
「負ぶってやるよ。周りに人もいないことだしな」
「え?」
「まあ、おまえがどうしても自分の力で地上が見たいって言うなら、やめとくがな」
「そんなわけないでしょ」
「じゃ、ほら」
「…………」
あたしは一瞬、呆けてしまった。だって、さっきまではどんなにしつこく頼んでも、手を引く以上のことはしてくれなかったのよ。それが今は、つまんない注釈つきで、自分から言い出すなんて。
「一体どういう風の吹き回し?」
とはいえ、その申し出を断るつもりは、あたしにはなかった。だから、向けられた背中に手をかけながら、考えた。
あたしの手を引いて下りるの面倒だから、楽しようとしてる…わけはないわよね。たいして辛くはないにせよ、どうしたっておんぶの方が大変だもの。
ヤムチャは早くも一歩を踏み出しながら、やっぱり軽く言った。
「どういうも何も、これが今日の俺に課せられた役目だろ」
「そうだけど、さっきはしてくれなかったじゃない」
「さっきはさっき、今は今。過去のことは気にするな」
「…まあいいけど。ねえ、じゃあいっそ飛んでっちゃわない?その方が早いし、あんただって楽でしょ」
「それじゃ雰囲気出ないだろ」
「雰囲気?何の?」
「一緒に山登ったっていう…雰囲気というより気分だな」
あたしはまた呆けてしまった。ヤムチャの言葉の意味がわからなかったわけはない。でも、軽く言い過ぎ。うっかり聞き流すところだったわよ。それに、そういうことはてっぺんで言いなさいよ。あたしがそういう気分になりかかっていた、山のてっぺんで。こんな途中の道で、どさくさ紛れにじゃなくてさあ。
そうしたら、きっとすごくそれらしい思い出になったのに。まあ、結構人がいたから何をするってわけでもなかったでしょうけど、気分が…そう、気分が違うわよ。
あたしは顔を振り向けて、今下って来たばかりの山頂を仰ぎ見た。うっすらと雲のかかったその下に、ちらつく人の影。あたしの目は自ずとそのまま、下ってきた道を辿った。山頂の真下にいる何人かを除いて、あたしたちと山頂の間に人影はない。ひょっとすると木の陰なんかにいるのかもしれないけど、とりあえず周りから人の声は聞こえてこない。それにも関わらず、一瞬で済む方法を取りやめて、わざわざ時間のかかるやり方であたしを助ける男の背中。ひんやりとした空気を忘れさせるその温もり。
ヤムチャはゆっくりと、でもまったく危なげなく、山道を下りて行った。だからあたしは必要に駆られてではなく完全に自分の意思で、ぺったりとその背中にしがみついた。
そうね。ヤムチャの言う通り。
なかなか悪くない気分だわ。


結局のところ、ヤムチャがどうして急にそんな風に思ったのかは、わからない。
っていうか、一貫しないわよね。確かに行きは文字通り『一緒に登った』わけだけど、帰りのヤムチャの態度を見てると、おんぶで登っても問題なさそうな……覇気が持たなかったのかしら。
まあ、いいわ。あたしだって覇気はあった方がいいと思うけど、それが自分に向けられるなんて、望んじゃいないからね。半分だけど、楽できたし。
「はーい、到着!」
そんなわけで、登山を終えた時、あたしはとっても元気だった。まさしく、心身共に。
「サンキュー。ご苦労さま!意外とあっという間だったわね。標高4000mって、案外たいしたことないわね〜」
帰りのトレイルを行く足取りも軽かった。自分で想像していた以上に。後半ほとんど歩かなかったものね。行きはよいよい帰りは何とやらの反対ね。終わってみればそれでよかったのかもしれないわねえ。
「現金なやつだな、おまえは」
「えへへ。でも、ヤムチャだって疲れてないわよね。このくらいへっちゃらよね?」
あたしは訊いてはみたけれど、ヤムチャを心配していたわけじゃなかった。ヤムチャなんて、怪獣でも来ない限り、心配する必要はないわ。武道会以外ではね。
「当然。俺は鍛えてるからな」
「よーし!じゃあ、予定変更よ。ホテルでお茶する前に庭園迷路行くわよ」
「庭園迷路?」
「ほら、あそこ。ホテルの庭の一部が迷路になってるの」
だから、いつものように現地へ行くまで(行っても、かしら)何も訊いてこない旅人に、教えてあげた。ホテルの庭にある、自然の芸術の存在を。
「高山植物の生垣で作られた迷路よ。このままホテルに行っても、どうせ人がいっぱいで待たされるに決まってるんだから、あれ先に行ましょ。ゴールまで競争ね!負けた方が奢るのよ」
「…普通、この流れで俺が奢るってありえるかな…」
「何もあんたが奢るって決まってるわけじゃないでしょ。単純な賭けだもの、確率は五分五分よ」
「まあ、そういうことにしておくか」
あたしはちょっと息を切らしながら、思っていた通り登山を終えた人たちで賑わうホテルのカフェテラスを通り過ぎ、庭園迷路へと向かった。
ええ、元気でも、息は切れるのよ。ちょっと足を速めると、すぐに苦しくなるわ。人には慣れられる環境と慣れられない環境とがあってね、空気が薄いっていうのは、慣れられない環境なのよね。…ヤムチャは慣れられるみたいだけど。どういう神経…っていうか体してるのかしら。
でも、そこのところには、もう突っ込まない。これはハンデよ。たぶんあたしよりヤムチャの方がいっぱい迷うでしょうからね。記憶力の点ではあたしが有利、体力的にはヤムチャが有利。それで五分五分よ。
迷路の入口には、美しいレリーフが立っていた。白亜の壁に彫られた男女の立像。女の方が男に、迷宮で迷わないようにと糸の玉を渡している。昔の神話ね。そしてその下には英語で但し書き。『この迷路は単純です。ティセウスがもらった糸玉はいらないでしょう』――
そういう、簡単な遊びよ。時間潰しがてら賭けをして、その後の時間にスパイスを振り撒く。
そう思ってあたしは入り口のアーチを潜り、さっそく二又となった道を左へと進んだ。振り向きがてら、笑って片手を振った。ヤムチャもまた笑って片手を振りながら、あたしとは反対の道へ向かった。
さて、どちらがこの笑顔を勝者の笑顔とすることができるかしら。
本当にそんなことだけを思いながら、あたしはヤムチャと別れたのだった。
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