Trouble mystery tour Epi.9 (9) byB
生垣を形成している植物は、ロキシーマウンテンにしか生えていない希少な糸杉。だけど刈り込まれてしまえば、その辺の公園や庭にある糸杉となんら変わらないわけで、特に目を引くものじゃない。
おまけにあたしの目に映るそれは、完全に緑の壁だった。ガイドブックに載ってた写真は俯瞰だったから、それはきれいで優雅な庭園に見えたけど、実際迷路の中に入ってみると、2m以上もの高さの生垣はただもう緑の壁よ。この先どうなっているのか、どこに人がいるのか、ちっともわからない。これはもう完全に運と記憶力の勝負ね。ひょっとして、断然あたしが有利なんじゃないかしら。
それじゃ、何を奢らせようかしら。すでにそんなことを考えながら、あたしは迷路を進んだ。奢らせるっていうか、食べさせちゃおうかな。すっごく辛いものはたぶんないだろうから、すっごく甘いものね。今、わりとそういう気分だし。珍しくヤムチャも、そういう気分だったみたいだし。といって、いかにも恋人同士っていう甘い時間を過ごそうなんて夢は見てないわ。ヤムチャがそこまで付き合ってくれるとは思えないもの。だから、ヤムチャの苦手な甘ーいクリームをたーっぷり口に放り込んで、苦虫を噛みたくても噛めないその顔(当然、『にっこり笑って食べる』っていう条件をつけるのよ)をとっくり眺めてやるの。うーん、想像しただけで勝利感満点ね。やる気出てきたわ〜。
やがて、アーチが現れた。その真下には、矢筒と矢を手にした神話の戦士を象った白亜の像。あたしは足を速めた。少し息を切らしながら像の横を通り抜けた。思った通りの光景が、そこにあった。
小さな円形の広場の中央に、こじんまりとした丸い池。深々と湛えられた深緑の水。山を模した噴水。よーし。ここが迷路の真ん中ね。これでちょうど半分。うん、楽勝楽勝。
ヤムチャはどこにいるのかしら。もう先に行ったかしら。あたしは少し背伸びしてみたけれど、やっぱり何も見えなかった。途中で会うかなとも思ってたけど、その気配もなさそうだし。ヤムチャどころか、他の誰にも会わなかったわ。意外と人少ないわよね。タイミングずらして正解ね。
あたしはちょっと池を眺めて、それから広場の出口へ向かった。そこにもアーチがかかっていて、その下には、今度は剣を持った戦士の像が立っていた。それから左へ進んで、戻って、右へ行って、三又の道をまっすぐ行って…
いよいよ出口が近付いてきた。生垣の上から、入り口にあったのと同じアーチが見えたので、それがわかった。あたしはまた足を速めた。そして角を曲がったところで、慌てて足を止めた。
そこに人が立っていたからだ。年は中年、体格は中肉中背、顔のレベルも中くらいの、平均点づくしの男…っていうか。
……エイハン……
あたしは神様を呪った。せっかく昨夜あんなに気を配ってやっつけて、今日はまだ一度も見かけなかったから、ほとんど忘れかけてたのに、何もこんなところで顔付き合わさせることないじゃないの。
「やあ、こんにちは。こんなところで会うとは奇遇だねえ。さては、神様の思し召しかな」
「ただの偶然でしょ」
あたしは思いっきり突っぱねてやった。無視できない状況だから口はきいてやるけど、歓迎してやる義理はないわ。
「冷たいなあ。それにそんな怖い顔して、せっかくの美人が台無しだよ。ほら、笑って笑って」
「あなたがいなくなれば笑うわよ。だからもう行ってちょうだい。あたしに構わないでって言ったでしょ。負けたんだから、言うことききなさいよ」
怒りに呆れが混じってきた。あたしはまさに昨夜と同じ心境で、昨夜とほぼ同じことを言った。…あたし、昨夜はっきり言ったわよね。どうも最後まできっぱり怒り切れなかったけど、はっきりとは言ってやったわ。『あたしに構わないで。おべっか使うのもやめて』…
それは確かに、あたしの思い違いではなかった。だけど、エイハンはけろりとした顔で、その事実を蹴飛ばした。
「確かに負けたが、負けた方が言うことをきくなんて約束をした覚えはないからね」
「ええー!?」
あたしは愕然とした。愕然としつつ、反芻した。…確かに、はっきり言ったわけじゃないわ。でも、だけど、わかるでしょ。普通はそう捉えるでしょ!?
「そういうわけだから。さあ、行こうか」
「ちょっと!肩抱かないでよ!例えそうだとしたって、あたしはあんたとなんか行かないわよ。あたしにはヤムチャがいる…」
「でも、今はいないだろう?それに、出口はすぐそこだよ。おまけにここからは一本道だ、これは一緒に行くしかないなあ」
ええい!この故意犯がぁー!
「さては待ち伏せしてたわね!一体いつからここにいたのよ。なんてヒマな人なの。他にすることはないの!?」
もうあたしは全部口に出して言ってやった。呑み込む理由は何もないわ。はっきり言っても堪えないくらいなんだもの、何もかも言ってやるわよ。
あたしの想像は当たった。いえ、それ以上だった。エイハンはなおも眉一つ動かさず、飄々と答えた。
「待ち伏せだなんてとんでもない。ただ、少し前に来ただけさ。リザのやつがそうしろって言うんでね。リザはそういう勘がえらく働くんだよ。生まれつき勘や直感が強くてね。占いはその延長さ。我が妹ながらたいしたもんだ」
…リザ?
この時になって、あたしはようやく気がついた。
「…そういえば、リザはどうしたの?」
いけ図々しいこの男が、一人であることに。これまで見た時にはいつも一緒だった妹を、今は連れていないことに。
「さあね。きっとそこらへんにいるだろうよ。私たちは兄妹だ、恋人じゃない。別行動だってするさ」
そして、このエイハンの台詞を聞いた途端、胸騒ぎが走った。あたしには、リザのような特技はない。でも、ピンときたの。女の勘でね。
リザはヤムチャと一緒にいるのよ。エイハンがあたしと一緒にいるように。
…嫌な予感。なんかすっごく嫌な予感がするわ。
「あっ、ちょっと待ちたまえ。私も…」
あたしは走った。エイハンの皮肉はおろか、存在ごと捨て置いて。
まずは迷路を抜け出した。でも、ヤムチャはいなかった。そしてリザもいなかった。どんなに周りを見回しても、どこにもいなかった。
それだけで充分、あたしには理由になった。早くヤムチャを探さなくちゃ。そう思う理由に。
ヤムチャが一人でいるなら、それでいい。遅いから探しに来た、それだけのことで終わる。でも、もしそうじゃなかったら…
もし、ヤムチャがリザと一緒にいたら。ヤムチャはあの女が苦手なのよ。いつもだって女には甘いけど、あの女には甘いを越えて弱いのよ。だから…
あたしは走った。出てきたばかりの出口のアーチを再び潜り、元来た道を戻って、エイハンの前を通り過ぎた。
「あれ、戻ってきたのかい?でも出口は…」
――人の男の弱みを突いて、ちょっかい出さないでよねーーーーー!
そう心の中で叫びながら、手当たり次第にそこらの道を覗いた。片っぱしから。しらみ潰しに。半分も戻らないうちに、本格的に息が切れてきた。あたしは足を緩め、生垣に凭れて両膝に手を置き、息を整えた。そこから2、3歩歩いて角を曲がると、それが見えた。
迷路の中心にある広場の出口の上にかかるアーチ。剣を持った戦士の像。それに凭れる男の後ろ姿…
…いた!
あたしはまた走った。息も絶え絶えに、全速力で。ヤムチャの向こうにちらつくものの正体がわかったからだ。こんな場所には不似合いな、派手なプリントのワンピース。どうしたって山登りには邪魔そうな、紫色の長いストール…
何しに来てるか見え見えだわ。勘と直感は鋭くても、TPOには疎いみたいね!あたしはそう思いながらも、ことさらに言ってやった。
「ちょっと、リザ!あんた、何してんのよ!?」
ヤムチャの体を押し退けながら。リザの手がヤムチャの腕にかかっていたからだ。昔々の記憶が脳裏を過った。あれはまだあたしたちが付き合い始めたばかりの頃、あたしもヤムチャもハイスクールに通っていた頃。急に孫くんがやってきて、成り行きでみんなで遊びに行くことになって。あたしとヤムチャはその時喧嘩していたこともあって、別行動することになって…
…あの、忌わしい空中遊園地での記憶。ヤムチャってば、あの頃とちっとも変わってないんじゃないのよ…………!
――……えっ!!!???――
でも、次の瞬間、あたしの頭の中は疑問符と感嘆符だらけになった。
声も出なかった。口をすっかり塞がれてしまっていた。身動き一つできなかった。体が完全に硬直してしまっていた。咄嗟に押し返すことはおろか、抵抗することさえできずに、あたしはただただ心の中で現実を反芻した。
ちょっ…………ちょちょちょちょちょっと!何これ?何これ!?
きっ…………気っ持ち悪ぅーーーーー!!!!!
それは、非常に長く感じられる一瞬だった。そしてその一瞬が終わっても、あたしの呪縛は解けなかった。リザがあたしから離れても、何をすることもできなかった。呆然と立ち尽くすあたしの耳に、この上なく軽いヤムチャの声が流れ込んできた。
「あ、えっと…………それじゃリザさん、俺はこれで!」
同時に腕を掴まれた。ほとんど引き摺られる形で、あたしはヤムチャによって広場から連れ去られた。角を二つ曲がったところでヤムチャがあたしをおんぶしようとしたので、あたしは無理矢理意識を引っ張り上げて、当然の抗議をした。
「何やってんのよ、あんた!!」
いつもながらの台詞。もう用意せずとも、勝手に口から出てくる台詞。
「何なのあれ!ええ、一体何なのよ、あれは!!」
「いや…何って言われてもなぁ…」
でも、今日のは少し違った。いえ、断然違ったわ。
「何でよ。何であたしが女とキ…キ…あんなことしなくちゃならないのよ!?」
用意したにも関わらず、口に出せなかった。それどころか、認めることすら厳しかった。
そう。あたし、キスしたの。…リザと。女と。それも濃厚なやつよ!もうトリプルで気持ち悪いわ。これまでで最低の経験よ。っていうか!あの女は一体何を考えていたの!?
「その怒りはもっともだ」
そして、この男は何を考えているの!
ゆっくりと歩きながら両腕を組んでしれっと頷くヤムチャの様子に触発されたことは確かだ。でも、実のところはあたしは半ば以上意識的に、怒りの矛先をヤムチャへと向けた。だって…今はあの女のことなんか、考えたくない…
「何を落ち着いてるのよ、あんたは!元はと言えば、あんたが悪いんでしょ!どうしてあんな女一人あしらえないのよ!あたしが来なかったらどうなってたと思うのよ!?」
「ちゃんとかわしたよ」
「かわすんじゃなくって、びしっと断りなさいよ!」
「断ったって」
「だったら、どうしてあんなことになったのよ!?」
あたしの脳裏に、ついさっき見た光景が蘇った。たいした抵抗もせずにリザに抱きつかせているヤムチャの姿。でもそれはすぐに、その後の映像に取って代わられた。映像っていうか、感触。いつもとは全然違う感触…………あー、思い出すだけで嫌になる。どうしてこんなことになったのよ?こんな…こんな、あた…あたしが女とキ…
思考と口の両方を、あたしは閉じた。この話はしたくない。しなきゃダメなんだけど、したくない。それは激しいジレンマにあたしが陥った時、ヤムチャがふいにキスしてきた。
「…何してんの?」
事実を完全に認識しながらも、思わず呆然としてあたしは訊ねた。ヤムチャは頭を掻きながら、笑って答えた。
「えっ、いや、その…………口直し。なんちゃって、はは…」
「あっ、あんたがそういう軽い態度だからぁっ…!」
あたしの怒りは沸騰した。誤魔化して済むことだと思ってるの?それくらいで誤魔化せることだと思ってるの!?だいたいそれって間接キ…
…いえ。やめよ、そういうこと考えるの…
やがて迷路を抜けた頃には、あたしの心は深い深い溜め息で満たされていた。なんだか疲れたわ。走って息も切れたし。どこかで休みたい。少しでいいから、腰を下ろして心と体を共に休めて…
「ブルマ、大丈夫か?…お説教はもう終わりか?」
「…なんか甘いものが食べたい」
「は?」
相変わらず軽い態度を取り続けるヤムチャを、咎める気力は今のあたしにはなかった。だからその腕を取りながら、我ながら夢みたいなことを口走った。
「それで甘い気分に浸るの。今のことなんか忘れちゃうくらい、うんと甘い気分に浸るの」
「それが賭けの報酬か?」
「賭けなんてどうでもいいの。花に囲まれたテラスで、甘いデザートを二人でつつくの。スプーンは二つで、お互いにあーんってしあうの」
…あたし、本格的に疲れてるわ。いくら何でも、こんなクッサイことを夢見るなんて。でも、それだけショックが大きかったってことよ。だって、リザのキス、めちゃくちゃ気合い入ってたんだもの。そりゃヤムチャにされなくてよかったとも言えるけど、とてもそうは言い切れない心境なんだもの。ちょっとやそっとのことじゃ、忘れられそうにないんだもの。…おえ。
ヤムチャは少し考え込む素振りを見せたけど、意外に早く、それも軽く答えた。
「そうだな。たまにはそういうのもいいかもな」
「あら、本当」
あたしはといえば、今ひとつ気のない素振りでそれに答えた。別にポーズを取ったわけじゃない。本当に気力が湧かないのよ。
でもまあ、お言葉はありがたく頂戴するわ。瓢箪から駒みたいな流れだけど、悪くはない話よね。どこまで本気かわからないけど、言ったからには付き合ってもらうわよ。といって、最後まで甘く過ごすつもりはないけど。
そうよ、それで元気になったら、お望み通りお説教してあげるわ。言いたいこと、たっくさんあるんだから。
…………は〜ぁ。


鮮やかな赤い花に囲まれたカフェのテラスで、白いテーブルを前に白いチェアに腰を下ろすと、ちょっと気分がよくなった。
さらにそのデザートが運ばれてきた頃には、まずまず平常心に近い気持ちになっていた。まだ飛びつこうと思えるほどではないにせよ、おいしく味わえそうではある…
「えーと、それじゃ…………あ〜ん、っと…」
「別に無理して言わなくたっていいわよ」
だから、それはぎこちなくパフェスプーンを差し出したヤムチャに、あたしはそう言ってあげた。努力は認めるわ。そうしてくれようとしたってだけで、あんたの場合はいいわよ。そう思える心境になっていた。なんかいまいち似合ってないっていうのも、理由の一つであったには違いない。
そう、『花に囲まれたテラスで、甘いデザートをつつくヤムチャの図』自体が、どうもしっくりこないのよ。見慣れないからってだけじゃないと思うわ。確かにヤムチャは顔立ちはいいんだけど、ちょっと線が太いからね。いつの間にか太くなっちゃったっていうべきかしら。山で手を差し伸べたりするのは似合ってるんだけど、カフェでパフェをあーんってするには、たくまし過ぎるのよ。かといって、愛嬌のあるゴツいタイプでもないし。要するに中途半端なのよね。中身がこんなんじゃなかったら、また違って見えるのかもしれないけど。
「いーや、やるぞ。ほら、あ〜ん…」
それなのに、なぜかヤムチャは引かなかった。それは雰囲気のない声と表情で、あくまでスプーンを向けてきた。ぎこちなさが強引さに取って変わった。あたしはちょっと呆れながら、優しく諭してあげた。
「何、意固地になってんの。それは例え話っていうか、そういう雰囲気ってことを伝えたかっただけなのよ。ま、ダメってわけじゃないけど……あ、クリームだけじゃなくて、イチゴも乗っけてちょうだい」
「おま…普通、そういう注文つけるかぁ?」
「あんたの気が利かないのがいけないのよ。あたしがイチゴ好きって知ってるんだから、当然それをくれるべきでしょ」
やる気があるのはわかったけどさ。ヤムチャも詰めが甘いわよね。ストロベリーパフェをチョイスすることはできたんだから、その先まで考えればいいのに。うちでイチゴのお菓子を食べたりする時は、ちゃんとくれるのに。一つ頑張ると一つは疎かになるの、困った癖ね。
「あーん」
そんなやり取りの末に、あたしはその一匙を口にした。義理ながらの一言つきで。途端に口の中に広がる幸せ。イチゴとクリームの絶妙なハーモニー。
まあぁ。おいしいじゃない。ここ一軒しかないカフェだからてっきりボッてるのかと思ったけど、結構真面目に作ってんじゃないの。イチゴのおいしさもさることながら、このクリーム、濃厚なのにさわやかで、いくらでも食べられそうよ。
一口、また一口と、あたしはパフェを食べ進めていった。両頬杖をつきながら。自分の手は一切動かさずに。自分のではなく、ヤムチャのペースで。当初の話とは違うけど、これはこれで楽でいいわ。なるほど、パフェスプーンってこのために長くできてるのね。なんて、くだらないことを考えていると、唐突にヤムチャが叫んだ。
「ええい。『お互いに』あーんってするんだろ。俺だけがやってたら意味ないだろうが!」
声と眉の両方を上げて。言葉と口調そして態度、それらすべてにあたしは驚かされた。
「あら、あんた食べたいの?珍しいこともあるものね」
こういうのは苦手だって、今までさんざん言ってたのに。あたしが言うと、ヤムチャはさらに声を荒げた。
「食べたいとか食べたくないとか、そういうことじゃないだろ。こういうのは互いにそうし合うっていうのが大事なんだから…」
「あらら」
あたしは思わず目を瞠った。…なんか、わかってるようなこと言ってんじゃないの。
「どういう風の吹き回し?熱でもあるのかしら」
「どういうも何も、おまえがそうしたいって言ったんだろ」
「そうだけど、いつもはそういう話、全然乗ってこないじゃない」
「いつものことは忘れろ。とにかく、今はそうすべきなんだ」
「『すべき』?」
そしてここで、瞠っていた目を瞬いた。一体何のためにそうすべきなのよ?そう思って当然よね。
ヤムチャは途端に顔を緩めて、ほとんど煽てるようなことを言った。
「あー…いや、そうしたいんだよ。俺が。な、たまにはいいじゃないか、そういうのも。どうせ旅先だし…」
「…ああ、『旅の恥は掻き捨て』ってやつね?」
「そうそう、それそれ!」
「『それそれ』じゃないでしょ」
あたしはすかさずヤムチャの頭にげんこつを落としてやった。恥ってどういうことよ?口説くにしても、もう少しまともなこと言いなさいよ。
ヤムチャはわざとらしく肩を落として、それは情けない声を出した。
「いてぇ…」
「大げさね。ちょっと叩いただけでしょ。ま、いいわ。恥掻かせてあげるわよ。だけど後で文句言わないでよ。恥ずかしくてもいいって、あんたが言ったんだからね」
「…ああ…」
それでも結局は、その主張を認めてやった。反対する理由がないから。正直なところ、そんなことするほど甘い気分じゃないけど、そんなことしたくないって突っぱねるほどの気分でもないわ。それほど甘い感じにはなれないにしても、楽しめそうではある。ヤムチャがこんなこと言ってくるなんて、本当に珍しいもの。そのくせ、照れがまったくないってわけじゃなさそうだし。
あたしはスプーンを取った。それから、パフェの下部に入っているスポンジケーキのできるだけクリームのついていないところを掬って、ちょっと雰囲気を出して言ってやった。
「じゃ、せっかくだから同時にね」
どうせなら、雰囲気はないよりある方がいいでしょ。甘い気分に浸るにしても、からかって遊ぶにしても、どちらにしてもね。…さて、どちらになるかしら。
「じゃあ…、あーん…」
再びぎこちなくなってきたヤムチャの呟きを聞きながら、あたしは新たな一匙を口に含んだ。頬杖を解き、自分の持ったスプーンはヤムチャの口へと向けながら。口いっぱいに広がるイチゴの爽やかな甘さを味わいながら、あたしは思った。
…不思議なものね。
思った通り、それほど雰囲気があるってわけじゃない。ヤムチャってば、やっぱり照れてる。あたしがスプーンを向けた途端に、さっきまでのやる気が飛んでいったわ。それにこれまたやっぱり、あんまりパフェ好きじゃなさそうだし。とてもじゃないけど、おいしいって思ってるようには見えないわ。
それなのになんとなく、前者でもいいかなって気分に、なってきてるわ。
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