Trouble mystery tour Epi.11 (2) byB
バーのドアを潜る前から、その声は聞こえていた。
舌足らずなキンキン声。子どものくせして生意気に品なんか作っちゃって、癪に障るのよ――疲れた心の片隅でそう思いながら、あたしはドアを開けた。
バーカウンターに背を凭れて腕組みしているヤムチャの姿があった。そしてそのすぐ前に、ダーツ片手にわざとらしい笑顔を振りまいている双子の片割れ。少し離れたところから、やっぱり同じ笑顔を振りまいているもう一方の片割れ。
「ヤムチャさん、あたしの代わりにやって〜」
「ダメッ、リルは勝ってるでしょ。こういう時は負けてる方と代わるものなの。ねー、ヤムチャさん」
「そしたらあたしが負けちゃうじゃん。そんなのダメ〜。ずるいするーい。あたしと代わるの〜」
「はは…そうだなあ、じゃあ、ジャンケンして勝った方と…」
決して予想はしていなかった、でもあらかじめわかってしまっていたその光景を見ても、あたしはイラついたりはしなかった。むしろ心洗われたような気分にさえなって、目の前にある現実を受け止めた。
――健全だわ…
年上の男に甘える、年下の女の子たち。見た目には格好いい兄貴分と、見た目には子どもっぽくってかわいい双子の妹分。なんて健全な世界なの。思わずほのぼのしちゃうわよね。…ことさら他人として見てみれば、だけど。あっ、ちょっと、触んないでよ。それはあたしのなんだから。
複雑に絡み合った思いを胸に、あたしはドアを潜り、とりあえずヤムチャの隣に落ち着いた。怒鳴りつける気力は、まだ湧いてこなかった。
「どうかしたのか、ブルマ?」
「…セクハラされたの」
溜め息を呑み込みながらあたしが言うと、ヤムチャは眉を寄せてこう言った。
「何だって?あの男、本当にしつこいな。どこで会ったんだ?エイハン一人だったのか?」
「…女の方よ…」
それは苦々しい気持ちになって、あたしは言葉を追加した。そうよね。そう思うわよね、普通は。
あたしだって、自分が女に対してこんな風に警戒しなきゃいけない日がくるなんて、考えたこともなかったわ。追い払ったり見せつけてやったり、今までいろいろなやり方でいろいろな女を相手にしてきたものだけど――あたし自身が女の相手になるなんて…
結構本気で鬱になってきたあたしの気持ちは、やがて示されたヤムチャの反応に、完全に逆撫でされた。
「女って……あっ、あー…ああ…」
「あーあーじゃないでしょ、もう。すっごく気持ち悪かったんだから。こう、指で首筋をなぞったりなんかして…あんたがキスマークなんかつけるから」
「あー…」
「もうっ!」
なんなのよ、その気のなさは。リザの方だってわかった途端に、態度変わり過ぎじゃないのよ。女だから安心とでも思ってるわけ?全ッ然、安心じゃないわよ。あの女はプラトニックな人間じゃ、まったくないんだから。…海とか温泉とかがコースに入ってなくてよかったわ。もしもそんなところで顔合わせてたら…考えるだに怖ろしいわ。
「他人事みたいな顔してんじゃないわよ。こんなことになったのは、あんたのせいなんだからね。あたしは女に好かれたことなんて、これまで一度だってないのよ。あの時あんたの代わりにキスされてなければきっと…」
「待った、待ったブルマ。あんまりそういうことは…人前では…」
「そんなこと言って誤魔化す気!?」
慌てて振られた両手を無視して、あたしは一睨みしてやった。一瞬にして固まる空気。でも次の瞬間、当の本人ではなく関係のない他人から、場の空気を動かす言葉が飛んできた。
「あっ、気にしないでください、ヤムチャさん。あたしたち、そういう話全然平気ですからぁ」
「そうそう、お二人のキスシーンは前にも一回見てるしぃ。またしちゃってもいいですよ」
「あ、いや、そういうことじゃなくってね…」
「何を考えてるのよ、あんたたちは!」
一時は大目に見ていた存在により、あたしたちの会話は完全に中断させられた。…やっぱり邪魔だわ、この子たち。子どもが大人の会話に聞き耳立ててるんじゃないわよ!
「もう、ブルマさんてば怖いんだからぁ〜」
「あっそうだ、それで思い出した。ねえブルマさん、今日一緒に出かけませんか?」
…一体何が『それで』なわけ。
その上、あっという間に話題をすり替えられた。あたしが眉を寄せている隙に、双子は嬉々として話を進めていった。
「そうそう、午後からのシルビー湖、一緒に行こうって言ってたんだ。あのねブルマさん、あたしたちバスケットにお菓子いっぱい持ってくの。だからみんなで行って、ピクニックにしましょ!」
「湖の畔でピクニックなんて素敵でしょ?ヤムチャさんはOKしてくれましたよ!」
あたしが思わずヤムチャの顔を見直すと、ヤムチャはまた両手を振った。今度は首をも横に振りながら。その慌てぶりに大体の見当はついたけど、だからといって納得できるわけもなかった。簡単に丸め込まれちゃうのもなんだけど、丸め込まれてもいないのに話を進められちゃうっていうのもね。なっさけないわよねー。舐められてるの極致だわ。そもそも慌ててないで怒るべきでしょ。そんなだから、舐められちゃうのよね。
だいたい、魂胆が見え見えなのよ。どうして今になってわざわざ誘ってきたりするわけ?昨日の山登りの時には、何も言ってこなかったくせにさ。『お菓子のいっぱい入ったバスケットを持ってピクニック』する時にだけ、声をかけてくるなんてねえ。わかりやすいったらないわね。本ッ当、自分たちの得になる時にしか、ヤムチャに寄りつかないんだから。
「…そうね、一緒に行ってもいいわよ。どうせみんな目的地は同じなんでしょうからね」
「わーい、やったぁ!」
「みんなでピクニックだ〜!」
あたしはわかっていた。わかっていて、その話に乗ってあげた。双子は諸手と歓声を同時に上げて喜んだ。一方、話をOKしていたはずのヤムチャは、怪訝そうな顔をしてあたしに耳打ちしてきた。
「おいブルマ、本当にいいのか?」
「いいわよ、あたしはね。だから嫌なら、あんたが自分で断るのね」
「いや、俺は別に…ブルマがいいならそれでいいんだけど」
「ならいいじゃない」
その態度と言葉の両方を、あたしは切り捨てた。実のところの目論見は伏せたままで。
そ、いいの。いいわよ。使われるのはあたしじゃないし。っていうか、あたしが使う側よ。ヤムチャも、この子たちも。言わば逆転の発想よ。
どうせみんな目的地は同じなんだから。乗客こぞってシルビー湖に足を運ぶに決まってるんだから。自由行動とはいえ出発地も目的地も同じなんだもの、どこかでかち合っちゃうのはほぼ確実よね。いっそかち合うなら、他にも人がいた方がいいわよ。そしてこの子たちはこーんなにうるさくって邪魔なんだもの、その時もきっといい感じに邪魔してくれるに違いないわ。エイハンとリザにも懐いてるみたいだったしね。もしあの二人と会ったらこの双子を宛がってあたしたちは消えればいいし、会わなくてもやっぱり適当に消えればいいのよ。この子たちは移動中にヤムチャがいさえすれば、きっと文句はないんだから。
「じゃ、話も終わったようだし、そろそろお昼食べに行きましょ。食前酒を頼む必要もなさそうだしね。あんた、ここんとこ着実に酒量増えてってるわよね。ダーツやるって言ってたくせにね、まったく」
「あー…」
他には客のいないバーの中で、唯一お酒を飲める人間。その周りに漂う酒気を捉えると、ヤムチャはまたそういう声を出した。今度のは図星と面目なさの表れね。一体何杯飲んだのよ?あたしがそう訊こうとした時、双子たちが早くもその個性を発揮し始めた。
「わっ、本当、もうすぐお昼ごはんの時間だ。ミル、あたしたちも行こ。ダーツはあたしの勝ちだから、デザートあたしにちょうだいね!」
「ちぇ〜っ。違うもの賭けとけばよかったなぁ。あっ、ブルマさん待って、せっかくだから、お昼も一緒に食べましょうよ〜」
つーか、早過ぎるわね。諸刃の剣ってやつかしら。
あたしは軽く息を吐いてから、今はまだ必要のないその個性を切り捨てた。
「嫌ぁよ。あんたたちうるさいんだもの。あんまり調子に乗らないでね。ピクニックに付き合ってあげるだけでも充分だと思いなさい」
「はぁーい」
はい、いい返事ね。とっても素直。『とりあえず目的は果たしたからいいか』っていう、心の声がはっきりと聞こえるわ。
「じゃあ、みんなごはん食べたらラウンジに集合ー!」
「わざわざ集合なんかしなくても、列車から降りたところで落ち合えばいいでしょ」
「えーっ、でもぉ〜…」
「バスケット持って降りるの大変だしぃ…」
「あー、はいはい、じゃあ到着5分前に集合ね。さ、もう行くわよ、ヤムチャ」
「あっ、ブルマさん!それまでヤムチャさんとケンカしちゃダメですよぉ〜」
「ちゃんと一緒に来てくださいね〜」
「うるっさいわね、本当に!」
あんまりうるさいと、今すぐ約束取りやめるわよ!
今にも口から出てきそうな言葉を留めるため、あたしはさっさとバーを後にした。まったく、わかりやす過ぎて呆れるわ。もう甘えん坊を通り越してまるっきり子どもみたい……子どもか。正真正銘の子どもよね。そう考えるとほのぼの…しないわね、やっぱり。
せめてヤムチャがもう少しきっぱりあしらうことができたらなあ。放っとくと、利用されてばっかりなんだもの、こいつ。昔っからそうよね。なんでもほいほい引き受けちゃってさ。いい格好しいで…
「…なんだ?」
レストラン・カーのドアが見えたあたりで、ヤムチャがそう訊いてきた。口調は質問でも、実のところはあたしの視線を咎めるニュアンス。あたしはそれに、指折り数えて答えてやった。
「いつもながらモテるわねーって思ってね!ダーツに昼食にピクニックの誘い…」
「…言っとくけど、おまえがOKしたんだぞ?」
「ええ、そうよね」
わかってる。わかってるわよ。
あたしがOKしたの。あの子たちの目論見を見抜いた上で。その打算的な甘え方に辟易しながらね。これまでなら絶対に怒っていたでしょうけど、今なら少しは大目に見てあげられる。理由はただ一つ。
…あの女よりは、ずぅっとマシだからよ。


…もう一つ、理由があったわ。
今日で最後だからよ。旅行そのものがじゃなくて、この列車での旅行が。そう、この『ロイヤル・ガレット』号での旅行も明日の朝まで。昼には飛行機に乗って、ロズからはおさらばよ。つまり、あの女ともおさらばってわけ。あの兄妹はツアー仲間じゃなくて、単なる同乗者だからね。
だから、今日一日をやり過ごせばいいのよ。これが旅行の最後の日なら、双子と一緒に過ごすのだってごめんだけど。最後はやっぱり二人っきりで締めくくりたいじゃない?でも、今日はまだそういう日じゃないから、双子に付き合ってあげてもいい。それでリザにバックを取られることがなくなるならば。
本当に厄介よねえ、あの女。何が一番厄介かって、周りに助けを求められないってことよ。女に言い寄られて困ってるなんて、とてもじゃないけど言えないわ。そんなの格好の噂の種よ。こんな狭い列車の中で噂の種になるなんて、冗談じゃないわ。
「ほーんと、美しいって罪よねえ」
ドレッサーの鏡の向こうにいる姿を見ながら、あたしは溜め息をついた。すると、さらにその向こうにいた男が、目を丸くして呟いた。
「は?」
「それから、あんたも罪よ。普通、男がいる女は狙わないわよ」
「…ああ、リザのことか」
「決まってるでしょ。相変わらず鈍いんだから」
一体どうしたら、そんなにすっぱり忘れることができるのかしら。自分の彼女がちょっかい出されてるんだっていうのに。そのせいで、昼食も部屋で摂らなきゃいけなくなったっていうのに…
そう、今は部屋で昼食を摂った後、スパでピカピカになった肌に薄ーくメイクを施しているところ。…レストラン・カーまでは行ったのよ。でも、ドアの向こうにリザの姿を見た途端に、テーブルに着く気なくなっちゃったの。なくなるに決まってるわよね。あんな女の顔見ながらおいしくごはんが食べられると思う?
「いくらあたしが美人だからって、あそこまであからさまに迫ってくるのはおかしいわよ。その気ないって言ってんのに」
「だったら化粧とかしなきゃいいのに…」
だけど、ヤムチャはそういうこと、全然わかってないらしかった。おまけに、今あたしが言ったことの意味もわかってないらしかった。
「どうしてあたしが地味にしなくちゃいけないのよ?迷惑かけられてる方がこそこそしなきゃいけないなんて、おかしいでしょ。それともまた触られる方が悪いとでも言うわけ?」
だいたい、そういうことじゃないっつの。彼氏がいる女に堂々と迫ってくることがおかしいって言ってんの。舐められてんのよ、あんたが!男同士で取り合うならまだわかるけどさ、男から女を女が取ろうとするって何よ?普通はどうしたって分がないって思うでしょ。なのにまるっきり気にされてもいなくてさ。
「そんなことは言ってないだろう。…でも、それなら、部屋じゃなくレストランで食事すればよかったんじゃないか?」
「それとこれとは話が別なのっ」
それもこれも、ヤムチャが何も言わないから。リザに言わせるままにしてたから。あたしにばっかり、そんな突っ込み入れてるから…
とはいえ、ある意味ではあたしもヤムチャと同じだった。心の中ではいろいろと思いながらも、実際にはそのことについて何も言わなかった。
「まあいいや。それより、そろそろ行った方がいいんじゃないのか?5分前集合だろう」
「いいのよ、列車が止まってからで」
「あ、そう」
言うわけないでしょ、『女からあたしを守って』なんて。そんなポジション、あたしはごめんよ。…まったくもって、ごめんだわ。
軽く話題を変え軽く相槌を打って鏡の中から姿を消したヤムチャとの会話を切り上げて、あたしはいつもより慎重にリップグロスを塗った。ヤムチャに言われたことなんて、気にしない。ベッドでごろごろしてるだけのやつに、云々されたくないわ。
気の滅入った時こそ、華やかに。化粧は、自分に気合を入れるための儀式なのよ。
inserted by FC2 system