Trouble mystery tour Epi.11 (3) byB
部屋を出た直後に、列車は止まった。
窓の外には一時視界から遠ざかっていたエメラルドブルーの河が再び現れ、その向こうには深い緑の針葉樹林。しっとりとした深い緑に流れる水が実に軽やかで、まるで童話に出てくる森みたい。さらにその森にかかる七色の橋。
「わー、虹が出てるわ。大きーい。見てあれ、きれいねえ」
「ああ本当だ、きれいきれい…って、そんなこと言ってる時じゃないだろ。ほら、早く行かないと、ミルちゃんとリルちゃんが待ってるぞ」
「もう何よ、少しくらい遅れてもいいんだってのに…」
ヤムチャに背中を押されながらラウンジへ向かうと、ミルとリルはふくれっ面で、でもしっかりとあたしたちを待っていた。
「ブルマさん、おっそぉーい!」
「もうみんな行っちゃいましたよ。一番乗りしたかったのに〜」
「ごめんごめん、ちょっと支度に手間取っちゃって…」
…どうしてヤムチャが謝るのよ?
この子たちは『あたしに』文句言ってるっていうのに。などと突っ込みを入れるのは心の中でだけにして、あたしはさっそく一線を引かせてもらった。
「誰もいない方がかえっていいじゃない。ぞろぞろと狭い道を列を成して歩かずに済んで。恥ずかしいのよね、ああいうの。いかにも団体客って感じして。街中とかならともかくさ。じゃ、そんなわけで、あたし先に行くから」
そう、行動は付き合っても、気持ちまで付き合ってやるつもりは、あたしにはないわ。ヤムチャがあたしの代わりにこの子たちの相手をしてくれるのは、好都合よ。そもそも、そうなるだろうと思ったからこそ、OKしたんだしね。
「もう、ブルマさんってばぁ〜」
「ミル、あたしたちも行こうよ。うーんしょ、っと」
「そうだね。うーんしょ、よいしょ。あー、重ーい」
だから、やがて双子がそれはわざとらしい声でそう言っても、あたしは後ろを振り向かなかった。そして次にヤムチャがそんなことを言うのが聞こえても、もう心の中でさえ突っ込みは入れなかった。
「ずいぶん大きなバスケットだなあ。それ、二つとも持っていくのかい?」
「そうですよー。もうこの列車も最後だから、いーっぱい頼んだの!」
「この列車のコックさんの作るお菓子、超おいしいもんね。明日もお土産に作ってもらおうか」
「あー、それいい!」
「ははは、女の子って本当に甘いものが好きだよね。ほら、貸してごらん、俺が持つから。さあ、リルちゃんも」
「わぁ、助かりますぅ〜」
「ヤムチャさんてば頼りになる〜ぅ」
「はっはっ、なんのこれしき」
…はっきり言って、予想通りよ。双子がうまいんじゃなくて、ヤムチャがバカなのよ。すぐ安請け合いしちゃうんだから。まったく何も考えずにね。二人の声が演技がかってることにも、『ありがとう』って言ってないことにも、ちっとも気づいてないんだから、もう。
「あっ、虹!ほら見て、あそこ」
「わー本当、大きい〜、きれーい。ねえ、あっちって湖のある方じゃない?」
「あー、そうかも。ジャストタイミングだね…あっ、リスだ!」
「えっ、どこどこ?」
真後ろに、間隔の長い一人の足音。さらにその後ろに、重なる黄色い声。
それらの音を聞きながら、プラットホームしかない駅を離れて、森の中の一本道を進んだ。細い葉が密に重なる緑の森。木々の足元には可憐に咲き誇る小さな花々。どこからか聞こえてくるかわいらしい小鳥の囀り。ただの遊歩道にしておくにはもったいないほど、素敵な森。まるで赤ずきんの森ね。かつてそういう扮装をしていた子たちはうんと後ろで初っ端から道草食ってるし、預かり物のバスケットはごつい男が持ってるけど。
「歩くの早いんだからな、もう」
やがて、その狼ならぬ、うまいこと使われている男が傍にやってきた。籐でできたトランク型の大きなピクニックバスケットを二つ、左手の指先に引っかけて。…まあ、あの子たちがヤムチャに目をつけるのもわかるわね。ツアー客の男の中では一番若いってことを別にしても、この有様じゃまったく気を遣う必要ないもの。お礼すら言わないのはどうかと思うけど。
「普通でしょ。あんたこそそんな大きな荷物持ってるくせに、あの子たち置いてさっさときちゃって」
「おまえ、文脈が変だぞ」
「あら、そーお」
そしてヤムチャも今ではまったくあの子たちに気を遣ってはいないということが、その様子から見て取れた。バスケットを預かったっきり、放っときっぱなしだもん。あの子たちはそんなことこれっぽっちも気にせずに、文字通り遊び歩いてるけどね。だから、ヤムチャがあの子たちの荷物を預かったのは、まるっきりの善意。疑う余地もなく、下心なしの思いつき。どう考えても完全にお人好しの発露。だけど、それはそれでなんていうか…性格を読まれてる感じがして、おもしろくないのよね…
でも本人はそういうこと、さっぱり気にしてないようで、何やら偉そうに説教し始めた。
「ブルマ、おまえさ、そういう態度取るんなら、最初から誘いを受けなきゃいいじゃないか。あの子たちは気にしてないみたいだからいいけどさ」
「なら、いいじゃない」
「いや、いいってそういう意味じゃなくてだな…」
あんたが今説教すべきは、あたしじゃなくてあの子たちでしょ。
あたしはそう思いながら、ヤムチャの態度を流した。わざわざ説教返ししてやるほどのことはないわ。またケンカしてると思われるのも癪だしね。ちょっと苦言を呈するとすぐケンカと見るんだから、あの子たち。まったく、お子ちゃまよね〜。
あたしが黙っていると、ヤムチャもなんとなく口を噤んだ。これ幸いと、あたしはさらに足を速めた。ヤムチャからというよりは、双子からより距離を取るために。一本道なんだから、はぐれるわけもないでしょ。もしはぐれたって、終点の湖でバスケットを引き渡してやればそれで満足なのよ、あの子たちは。本ッ当、利用されてるわよね。少し苦い気分にあたしはなりかけたけど、やがてしばらくすると、当初の思惑通りあたしが利用するべき時がやってきた。決してやってきてほしかったわけじゃないんだけど、やってきた。曲線となった道の途中にあった、視界を遮るこんもりとした木々を通り過ぎ、再び視界が開けた後に。
あたしはすぐさま足を止めた。それからちょっと後退りして、ヤムチャのところへ戻った。正直言って、自分一人で相手をする気にはなれなかった。
「どうしたんだ、急に?」
「うん、ちょっとね」
首を傾げるヤムチャを笑顔で誤魔化し、腕を掴んでさりげなく足止めする。そうしていると、ようやくミルとリルが追いついてきた。
「あれえ、ブルマさんたち、そんなところで立ち止まっちゃって、どうかしたんですか?」
「あー、えーと…」
「何でもないのよ。ほほほ、どうぞお先に」
「あーっ、ブルマさん、腕なんか組んじゃって。さてはまた仲直りのキスですね!」
「あたしたち邪魔しませんから、ごゆっくりー」
…んもう、何かというとすぐ、ケンカに持っていくんだから。
でもこの際は、その間違ったイメージに乗っかることにして、あたしは何の反論もせずに双子を見送った。盛んにこちらをちらちらと振り返るその顔を睨まずに笑顔を保つのは、なかなか大変だった。やがて双子の姿が例の木々の向こうに消えた頃には、あたしはすっかり笑顔を作ることに疲れてしまっていたので、即座にヤムチャへの体面を捨てた。
「まったく、ちょっと言い合ってるとケンカ、くっついててもケンカ。一体人を何だと思ってるのかしらね」
「そう思うなら、どうして否定しなかったんだ」
「そ、それは……そんなことに目くじら立てるなんて、大人気ないと思ったからよ。あたしたちはケンカなんかしてないんだから、堂々としてればいいのよ」
あたしはそう言ったけど、そう言う自分自身の態度の矛盾には気づいていた。
堂々としてないわよね。我ながら。そればかりか、ヤムチャをも誤魔化している有様よ。…別に、どうしてもヤムチャに知られたくないっていうわけじゃないのよ。だけど、ちょっと面目ないっていうか…ヤムチャにはあんなこと言った手前…『もっとはっきり断ってやれ』なんて言った手前――
「…………まあなんだな。なかなか賢明な判断だ。大人の思考法だな」
「でしょでしょ!やっぱりそう思うわよね!」
そんなもやもやした気持ちも、やがて出てきたヤムチャの言葉でなくなった。まあいいわ。ヤムチャは何も気づいてないみたいだから。っていうか、結局誤魔化されてくれるんなら、変な間を置いて気を揉ませたりしないでほしいわ。
「じゃあ、ちょっと急ぐか。あんまり遅くなってしまうのも、大人としてはなんだからな」
「あら、いいじゃない。そんなにあくせくすることないわよ。せっかくだから、のんびり行きましょ。こういう道中もピクニックの大切な要素よ」
「…さっきまであんなに早く歩いてたくせに」
「気が変わったのよ」
自分の意思によらず、ね。
いつもながらの現実だけに目を向けた突っ込みを軽くあしらって、あたしはできる限りゆっくりと道を歩いた。前を行く同行者たちに追いついてしまわないように。…どうにも消極的な方法よね。その場凌ぎっていうか。でも仕方ないじゃない、一本道なんだもの。引き返して最後の一日を列車に篭って過ごすつもりがない以上、こうするしか――
「あっ…やばっ」
とはいえ、あたしのそんな地道な努力は報われなかった。湖へと着く前に――前へ進む以外の選択肢が現れないうちに、あたしたちは追いついてしまった。バカなことを言ってる子どもと、バカなことをしてくる大人たちに。
「…世界中を見て回る旅ってわけね。素敵ね」
「はい、パパとママは心配してたんですけど、おじいちゃんが説得してくれて」
「そうなの、『聞いた百文よりびた一文まからない』とか言って…」
「『聞いた百文より見た一文』だね、それは。それでも何か違うような気はするがね」
「あれっ、そうだっけ?」
「んー、どうだったかなぁ」
『百聞は一見にしかず』でしょ、そこは。どう考えたって。
口に出すつもりのない突っ込みを心の中で吐きながら、あたしは苦虫を噛み潰した。…目いっぱいゆっくり歩いてきたはずなのに、これでもまだ早かったなんて…
「あっ、きたきた。ブルマさん、ヤムチャさーん」
「んもう、遅いですよう。あのね、今そこでエイハンさんとリザさんに会っちゃって〜」
そんなの見りゃわかるわよ。わざわざ大声で言わなくたってね。
いるってわかってたから、あんたたちを先に行かせたんだってのに。いつものように意気投合して、さっさと一緒に行ってくれればよかったのに。まったく、使えないわね。
「やあ、こんにちは。ふーん、きみたち、結構仲いいんだね」
「ほーんと。当てられちゃうわ」
「あら、ほほほ。恥ずかしいわ」
嫌みなんだか皮肉なんだかよくわからない、でも囃し立ててるんじゃないことだけはよくわかるエイハンとリザの言葉を、あたしはことさら笑顔で受け流した。ヤムチャの腕は掴んだままで。…手を離しちゃダメ。ここはヤムチャの存在をアピールする一手よ。もっとも今までだって、隠してたってわけじゃ全然ないはずだけど。まあとにかく、いくらなんでも、ここまではっきり男付きとわかる女に触ってきたりはしないでしょうよ。
「なんでも、かなり付き合いが長いそうだね」
「ちょっとあんたたち、何、人のこと勝手に喋ってんのよ!?」
「えー、本当のことなんだし、いいじゃないですかぁ」
「あたしたち、そこだけはすごいなって思ってるんですからぁ」
「…あらそう。それはありがとう」
ひくつく笑顔で、あたしは答えた。まったく、これがひきつらずにいられるもんですか。ヤムチャってば、口軽過ぎ(そう、この子たちがそんなことを知ってるのは絶対にヤムチャのせいよ)。そして双子たちも口軽過ぎ!挙句にこの兄妹は何なのよ!そういうこと知ってて、そんな風に接してくるわけ!?
そう、エイハンとリザの態度は、これまでと何にも変わらなかった。一見フレンドリーなように見えて不躾なエイハンの物腰に、まるで獲物を狙うかのようにあたしたちを見つめるリザの笑顔。そもそも、いい歳して兄妹でつるんでるところからしておかしいわよね、この二人は。
ますます警戒心を強めたあたしに、そういう意味では健全と言える双子が、無邪気に言った。
「ねー、ブルマさん。シルビー湖に着いたら、まず最初にボート乗りましょうよ。エイハンさんたちもそうするって言ってるし。それでお花畑でお茶するの!」
「あのね、岸の向こう側にお花畑があるんだって。それがすっごくきれいなんだって。エイハンさんが詳しい場所知ってるって」
「そこはちょっとした穴場でね。周りが茨に囲まれていて、水辺からじゃないと行けないところなんだ」
すかさずエイハンが言い添えた。了解も何も取らない、なし崩し的なそのやり方。それに心の中では憤りながらも、あたしはあくまで笑顔で答えた。
「まあ、そうなの。そういうことなら、あたしたちは遠慮しておくわ。ボートなら少人数の方がいいでしょうし、とーっても残念だけど、あたしたちの分のお茶菓子はお二人にお譲りするわ。ね、ヤムチャ」
「…ああ、そうだな、それがいい…」
当初の予定通りよ。後はあたしたちが流されなきゃいいだけの話。図々しい双子とこの兄妹、お似合いの取り合わせで勝手にどこか行ってもらえばいいだけのこと…
「いやいや、遠慮には及ばないよ。というより、来てくれた方がありがたいね。ボートと言っても、実際はオープンデッキのカヤックなんだ。それも3人乗りの。男が二人いた方がいい」
「でも、一人くらい多く乗せたって…」
「大丈夫ですよ、ブルマさん。お菓子、いっぱいあるって言ったでしょ!飲み物だってたっくさん!」
「あたしたちがそういうこと考えないで声かけると思いますぅ?」
…ええ、そうね。確かにあんたたちがそういう打算を考えないわけないわよね。
あたしは思わず納得した。そして、それがいけなかった。なんとなく落ちた短い沈黙を縫うように、しばらくおとなしくしていたリザが口を開いた。
「ところでブルマさん、そんなにヤムチャくんにべったりひっついてて、歩きにくくないの?」
「え?あ、えーと、その…あたしちょっと疲れちゃって…」
あたしは咄嗟に、なぜかわからないけど言い訳した。
本当に、なぜか。長い付き合いの彼の腕を組んでいる、そう見えているに違いないんだから、ただ一言言ってやるだけでよかったのに。『全然』って。なのに、そうできなかった。
「あら、でもヤムチャくんは荷物を二つも持って大変そうよ。代わりに私が手を引いてあげましょうか?」
「い、いえ、それは結構…」
「そうだね。どれ、私も荷物を一つ持とう」
おまけに、またもやなぜかうろたえた。思わず口籠ってしまったところで、ヤムチャが会話に割り込んできた。
「ああ、どちらも結構ですよ。これくらい、俺どうってことありませんから」
ヤムチャを連れてきててよかった。この時あたしは、おそらくこの旅行始まって以来初めて、心の底からそう思った。だって、ヤムチャってば、ここまでなーんにも言ってくれなかったんだもの。双子にはもちろん、エイハンにさえもね。それなのに、リザが絡んできた途端言ってくれたってことは、少しはわかってくれてると思っていいのかしら…
「まあ、あなた意外とたくましいのね。素敵だわ」
「…………そ、それはどうも…」
とはいえ、だからといって、事態が急好転するわけはなかった。唐突に色目を使う相手を変えたリザに、ヤムチャは相変わらずの反応を示していた。流せないのと流されるのと、両方の状況に同時に陥っているヤムチャを見て、あたしは改めて事態の異常さを噛み締めた。
…そうなのよ。リザはあたしだけに目をつけてるわけじゃないのよ。っていうか、あたしとヤムチャ両方同時に狙うのやめなさいよ。節操ないとか、そういうレベルじゃないでしょ、それ。
三角関係とも違うし…………三角関係の方がまだマシだわ。
すでにあたしは、エイハンのことは問題にはしていなかった。この人はね、ある意味安全よ。男だし、ヤムチャより弱いから。もっとも、すっかり安心できるわけじゃないけどね。かなり図太いし、第一リザを容認しているようなやつなんだから…
「あ、リザさんたちは知らないんですね。ヤムチャさんはすっごく強いんですよ!ハイジャックの人を一発でやっつけちゃったんだから〜!」
「それに力持ちだしね。もっといっぱいの荷物持ってるとこ見たことあるもん!」
「あらあら。いろいろ大変な目に遭ってらっしゃるのね」
「あんたたち、人のこと何でもぺらぺら喋るのやめなさいよ」
再び予想通りの言動を取り始めた双子を、あたしは窘めた。この微妙な雰囲気をぶち壊すテンションの高さは歓迎すべきなんでしょうけど。確かに、リザに朝みたいな態度を取られるよりはマシ…だけど。
「えー、いいじゃないですかぁ。本当のことなんだしー」
「ツアーの人はみんな知ってますよ。今さら隠したって無駄ですよ〜」
「隠してるわけじゃないわよ。あんたたちが自慢するようなことじゃないって言ってんの」
だけど、なんか癪に障るのよねえ。いえ、なんかもクソもないわよね。ヤムチャかあたしが言うならともかく、どうしてこの子たちが自慢するのよ。あんたたちは赤の他人でしょ。ちょっと面識があるってだけの。ヤムチャの好物も知らないくせに。
なんてあたしが思っていると、双子はいけしゃあしゃあとこんなことを言った。
「だーって、ブルマさんが言わないからぁ」
「そうですよ。じゃあ、ブルマさんが自慢してくださいよぉ」
「…だから、何で、自慢しなきゃいけないのよ」
読み間違えたわけじゃない。この子たちがどこまでもうるさいだろうということは、予想がついていた。リザとエイハンにも懐いてるけどヤムチャにも懐いてるってことを、忘れていたわけじゃない。それどころか、もうすっかり慣れたと思ってたんだけど。
やがて、南側の木々の間に青い湖面が覗いた。その向こう遠くにそびえる、ロキシーマウンテンの一部である、クロワ山。
…いつの間にか着いちゃった。結局一緒に来ちゃった…
あたしは溜め息を一つついて、その現実を受け入れた。
…………疲れる一日になりそうね。
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