Trouble mystery tour Epi.12 byB
夜――
一日の終わり。やがてくる次の日の始まりを数時間後に控えて、あたしは首に巻いていたストールを外し、ドレスのままベッドに倒れ込んだ。
「あーっ、つっかれた!」
もちろん、ドレスアップが疲れたわけじゃなかった。旅行疲れでもない。そういう意味ではまだまだ元気、ホームシックにだってなってないわ。そろそろうちに電話してみようか、なんて思うどころか、うちのこと自体を思い出さない。依然としてエネルギーは満タン、英気もたっぷり。と、言いたいところなんだけど…
…残念ながら、今は英気ないわ。なんか吸い取られたわ。『蛇に睨まれた蛙』の気持ち、わかっちゃったわ。
あたしは軽く溜め息をついてから、顔を上げて、窓のブラインドを下ろしているヤムチャに声をかけた。
「ねえ、あたしお風呂入ってくるから、ルームサービス頼んどいて。あたし、シャンパンとビールね。つまみはチーズとフルーツ、それとソーセージにキャビア」
「なんだ、酒盛りするのか?」
「飲もうって言ったのはあんたでしょ」
「そんなこと言ったかな」
「言ったわよ。それで愚痴聞いてくれるって言った!」
あたしは即座にベッドを飛び降りた。ヤムチャを追及するためではなく、バスルームへ行くために。
「ヤムチャってば、そういうことすぐ忘れちゃうんだから。でも今夜は、忘れてようが何だろうが、付き合ってもらうわよ。だってそれが彼氏の役目なんだからね!」
ちょっと頭にはきたけど、本当に腹が立ってはいなかった。だって今日、結構ちゃんと彼氏の役目果たしてくれたから。そう、それがあたしにはわかっていた。
ヤムチャがさりげなくあたしをガードしてくれてたの、わかってた。その結果、リザがヤムチャといっぱい話すことになったのは、皮肉なことだけど。でも正直言って、あたしは助かった――そう、嬉しいというより助かった。言い寄ってくる男に対しては『鬱陶しいわね』って思うだけだけど、言い寄ってくる女に対しては――『うげっ』て思う。この違いは大きいわよ。はっきり言うと、相手にしたくないもんね。
「ああ、うん、いいよ。わかったわかった、付き合うよ。えーと…、一時間半後ってところだな?」
「一時間後!」
「…俺も風呂入りたいんだけど」
「入ってもいいけど一時間後!」
「…はいはい…」
だからあたしは、ヤムチャの二つ返事にも文句を言わずに、さっさとバスルームへ行った。愚痴は溜め込まないのが美容の秘訣!男のお風呂なんて短くていいの!もしどうしても時間足りなさそうだったら、勝手に入ってくればいいわよ。二人一緒に入れるくらいにはここのお風呂は広いし、あたしも文句は言わないわよ。
あたしが今夜文句を言うのは、あの女についてだけ。そんなこと、ヤムチャにだってわかってると思うわ。


お酒を飲むと気が緩む。そして、口も軽くなる。
だからこそ人は飲みながら愚痴を溢したりするわけで、あたしも多分に漏れずそうだった。
「あの背が高いところも威圧感ある原因よね。エイハンは小さいくせに、なんであの女はあんなに大きいわけ。兄妹なのにおかしいじゃないの」
「そうか?確かに結構でかいけど、俺はそういう感じの威圧感は受けないけどな」
「ヤムチャはタッパあるからいいわよ。あたしなんか、完全に見下ろされてるんだから」
そしてあたしの飲み相手はというと、愚痴は溢さなかったけれど、口は軽かった。それはもう、いつにも増して。
「俺もブルマのこと見下ろしてるけど」
「あんたはそれ以前に怖さの欠片もないもの」
「ああ、そう」
さらに、態度も軽かった。聞いてくれてるのはわかるんだけど、どうも今ひとつ真剣味に欠ける。でも、とりあえずはそれでもよしとすることにして、あたしは先を続けた。
「おまけにあの目!なーんか目線吸い寄せられちゃうのよね。悪い意味で」
「それはあるなあ。でも考えてみれば、ブルマだって似たようなところあるぞ」
「はあ?何言ってんのよ」
「まっすぐ見られると逸らせないっていうか、こう、ドキドキしちゃうんだよな。釘づけにされるような感じ。あ、ブルマの場合は悪い意味じゃないけど」
「…………あんたそういうこと言ってて、恥ずかしくならない?」
「は?」
「…それは違うでしょ。あたしが言ってるのはそういうことじゃなくってぇ…」
ヤムチャがそういうつもりで言ったわけではないことを確認して、あたしはまた先を続けた。
旅先での本格的な部屋飲みは、いつもと全然変わらなかった。ソファから床の上へいつの間にか居場所を移し、トレイに乗り切らない皿から食べ物を摘む。ビールピッチャーすらも床の上。…むしろいつもよりラフかしらね。ここまで腰を据えて部屋飲みすることってあまりないから。
外で飲んできてからうちで飲み直すなんてこと、まずないし。お風呂上がりの数杯以上を飲むこともほとんどない。だから、違うと言えば全然違う。でも、新鮮味はまったくなかった。
ヤムチャの態度が同じだから。ヤムチャって、酔っても全然ちっともまったく変わらないのよ。うん、確かに酔ってるってことはわかるの。軽くなるから。口の軽さとか、物腰の軽さとか、気の軽さとか、そういうのが総じて増すから。あ、これは文句じゃないわよ。ただ本当のことを言ってるだけ。飲んでて軽くなるのは当然でしょ。あたしだって、あんまり重々しく聞き入るようなやつに愚痴吐く気にはなれないわよ。
でもこんなだから、あたしたちはお酒を飲んでもあまり色気のあることにはならない。むしろ、それほど飲んでない時の方がまだそういう感じになるくらいだ。
「…そういう『見つめられると困る』じゃなくて、『見つめられること自体が困る』って言ってんのよ、あたしは」
「それのどこが違うんだよ?」
「も〜、お酒入ったバカって、本当に理解力低いんだから…」
というより、引かなくなってるのよね。気が軽く大きくなってるから。気が大きくなったがために偏狭になるなんて、不思議よねえ。
もちろん、これも文句じゃない。お酒飲んでて遠慮がなくなることを詰るほど、あたしは心が狭くはないわ。そもそもヤムチャは、されてないからそんなことが言えるのよ。
ビールで口を濯ぎながら、あたしはヤムチャの顔を見た。同じようにビールを口にしていたヤムチャは次の瞬間それに気づき、視線を上げた。そのままじっと見ているとやがてジョッキを床に置いたので、あたしもジョッキを置いてヤムチャに近づき、その唇にキスをした。
したくなったからじゃなく、確かめさせるため。あたしとあの女が同じだなんて、あっていいはずがないじゃない。
「ね?違うでしょ?…それにしても、あんた酒臭いわねえ」
「そりゃあ酒飲んでるんだからな。っていうか、おまえだって酒臭いぞ」
「そういうことは思っても言わないの!」
「否定しないってことは、自覚はあるんだな。そろそろお開きにするか?」
「何言ってんの、まだまだ飲むわよ」
有耶無耶のうちに流れた話題を引き戻すつもりは、あたしにはなかった。そこまで固執するようなことでもないわ。腹が立つってほどでもないし、さっさと次の愚痴に移りましょ。
そう思い、つまみに手を伸ばす一方で、あたしは決めた。
最後の日は部屋で飲むのはやめよっと。今の話の流れ方、色気がないにも程があるわ…




ストレスを溜め込まないことと睡眠と、いいセックスをすることが美容の秘訣。そう言ってる人がいた。
最後の二つを同時に満たすのは難しいような気がするけど、基本的にはあたしも同意。前二つを満たしている今日は特に。
「ん〜、目元すっきり、お肌も良好。お酒も残ってないし、調子いいわ〜」
「思いっきり寝坊したけどな」
「あら、いいのよ今日は。どこに行くわけでもないんだから」
翌朝、昇り切った朝陽の中でドレッサーに向かったあたしは、我ながら上機嫌だった。鏡越しに向けられたヤムチャの水を差すような言葉にも、笑顔で答えることができた。
否定すべくもなく、ヤムチャの言ってることは本当。あたしもヤムチャも、今朝はバトラーが朝食を運んできて、それでようやく起きたの。正確には、バトラーのノックで目が覚めたヤムチャに、あたしが起こされたんだけど。あたしは、ノックにも声にも朝食のテーブルセッティングの音にさえもちっとも気がつかなくって、それはもう深い眠りについていた……まあとにかく、朝食の時間には起きたのよ。だから、寝坊ったってたいした寝坊じゃないわ。お酒を飲んだ次の日のことともなれば、なおさらね。ヤムチャってば、本当に元気よね。普段の生活に比べればだいぶんのらくらしてるけど、それでもまだまだ健康的な生活リズムだわ。
「降車まではまだいくらか時間があるしね。…あ、ほら、街が見えてきたわ」
「郊外型ショッピングモールか。今までと雰囲気違うな。列車に乗ってこの方、こういう街って見かけなかったよなあ」
「そりゃね、エアポートのある街だもの、今までみたいな田舎じゃないわよ」
ふと目をやった窓の外には、濃い緑の木々と煉瓦造りの大きな建物があった。いかにも古そうな建物なのに、どうしてヤムチャにまでも今風のショッピングモールとわかったかっていうと、上に大きなバルーンが浮かんでいたからだ。セールを知らせるのぼりも、ちぎれそうにはためいている。
「『Colorful life!グリーンバザール』…なんかいまいち意味のわからないコピーね。それにこんな時期にバーゲンやってるなんて、やっぱり田舎なのねえ。でもバーゲン自体はいいわね。ひさしぶりにバカ買いしたいわ〜」
正直言って、あたしはものすごーく購買欲を掻き立てられた。ここしばらく、そういうところに行ってないから。田舎って、景色はいいし空気はおいしいしいるとのんびりできるけど、積極的に行きたいと思うかっていうと、そうじゃないのよね。無意識に体が疼いちゃうのは、どうしたってああいうところ。やっぱりあたしは、都会の女なのよねえ。
あたしの気分は、自ずと切り換えられた。のんびりと田舎を旅する昨日までの日々には、満足したし未練もない。男にではなく女に言い寄られるという、欠片ほども望んでいない旅先のアバンチュールも、もうすぐ完全に終わりを迎える。うーん、こうしちゃいられないわ。二重の意味で、まさにそういう気持ちになった。まだ時間はあるっていうのは、重々わかっていたけれど。
「ところでヤムチャ、あんたずいぶんのんびりしてるけど、荷物纏めたの?クロゼットちゃんと空にした?」
「ああ、トランクに移すよ、今な」
「じゃ、あたしのもやっといて。適当に入れちゃっていいから。トランクはクロゼットの横にあるわ」
「OK」
ヤムチャからは、なかなかいい返事が返ってきた。さらにすぐにクロゼットへと向かったので、あたしは本腰を据えて、今日これからやってくる新しい一日のことを考えた。
あのショッピングモールには行けないけど、エアポートの隣にショッピングセンターがあるわ。この辺りでは初めて空港施設をリユースしたショッピングセンターってことで、できた時には結構な話題になってた。こんなところまず来ることないし、どうせ田舎のショップでしょって、その時には思ったものだけど。
だけど、旅行土産を買うんなら、そういうところでいいのよね。むしろ、そういうところがいいのよ。現地のショップとかアイテムの方がね。
この瞬間、今日の口紅の色が決まった。今日は、オレンジ色が微かに入った元気なピンク。体調もいいし、思いっきり買っちゃおう。
荷物持ちも元気なようだしね。
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