Trouble mystery tour Epi.12 (3) byB
それから数十分後。あたしたちは二度目の飛行機に乗り込んだ。
数ヶ月前に就航したばかりの新機材AirbusA365-777(念の為コールサイン覚えたわ)。席は『個室スィート』と銘打たれた、12席しかないツインのファーストクラス。パーテーションがあるだけの従来のファーストクラスとは違って、前後が壁で仕切られていて、横のスライドドアとブラインドを閉めればほぼ完全な個室となる。幅の広いフルフラットベッドシート。二人向かい合って食事することのできる大型テーブル。サイドテーブルにはミニバー。――人の目を一切気にすることなく、プライベート空間でくつろげる快適な空の旅。そして窓から見える空はこの上ない晴れ模様。
だけど、そこにいるあたしの心は晴れなかった。
「…ぁーーー、もうっ!」
晴れるわけないでしょ。おまけにそんな気分のせいか、喉が渇いたわ。さっきアイスクリーム食べたばかりなのに。
「まったく、あの田舎者!無礼にも程があるわ!」
個室に落ち着くと同時に振舞われたシャンパンを飲み干して、あたしはベッドに飛び込んだ。あー、むしゃくしゃする。すっごーくすっきりしない。
どうしてあそこで何か言い返してやれなかったのかしら。っていうか、なんであたしたちが捨て台詞投げつけられなきゃいけないわけ。おかしいじゃないの!
…やっぱり、ヤムチャに振ったのが失敗よね。だって、こいつは…
「自分でもそう言ってたな」
「あんた、あいつの言ったこと鵜呑みにしてんの!?」
「まさか。でも、ああ言われちゃしょうがないだろ」
…こんなこと言うやつなんだから。しかも、ベッドでごろごろしながら。あたしはもう体を起こしたのに。一体どういう態度よ、それ。
「何がしょうがないのよ。人の胸触っといて!」
「胸は隠しとけ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「そんなこと言われたってさあ…」
もー、なんなのよ、そのやる気のなさは!?
今ではあたしの不満の矛先は、エイハンからヤムチャに変わっていた。もちろん、エイハンは許せないわ。そんなの当たり前よ。でもさあ…エイハンは最初っからそんなやつだってわかってたけどさ、ヤムチャはなんなのよ?
どうして怒らないの!?挙句にこんなこと言うんだから…
「俺たちが喧嘩してどうする。それとだな、もう少し声のボリューム落としとけ。聞こえるぞ」
…何よ。妙に賢しげなこと言っちゃって。いつになくクールに構えちゃって……なんて、思わないわよ。
あたしは非常に苦々しい気持ちになりながら、数十分前に聞かされた言葉を思い出した。
さっきリザがエイハンのこと『武骨』とか言ってたけど、あれ違うわ。武骨っていうのは、今のヤムチャみたいなやつのことを言うの。彼女がセクハラされたのに慰めもしない、ひどい男のことを言うの!
「なあ、そんなに拗ねるなよ」
――ええい、遅いわ!
やがてようやく出てきたヤムチャの宥めるような声に、あたしは思いっきり逆撫でされた。ほんっと遅いわ。遅過ぎるわよ。それに何よ、『拗ねる』って。違うでしょ!もっと他に言い方があるでしょ。
「うるさいわね。放っときなさいよ!」
「放っとけるわけないだろうが」
「じゃあ、もっと言い方変えなさい!」
っていうか、言う姿勢を変えなさい。なんでまだベッドでごろついてるのよ。どういう態度なのよ、それは!
あたしの心の声が聞こえたのかしら。ここでヤムチャは起き上った。起き上って、あたしの隣にやってきた。でもまだやっぱり、こんなことを言っていた。
「なんかよくわかんないけど。じゃあ、とりあえず、もう少し声を小さくしてくれ」
「だから何なの、その態度は!!」
「いや、だから、声大きいって…」
いつしかあたしの怒りは、教育的指導染みてきていた。まったく、ヤムチャってば、しょうもなさ過ぎ。いつにも増してしょうもないわ。しょうがなく宥めてる感ありありじゃないの。
列車で部屋に連れ込まれそうになった時は、ヤムチャは見てなかったししょうがないかなとも思ったけど、さっきは目の当たりにしてたのよ。ヤムチャって、昔っからそうよね。あたしが何かされても、あんまり怒らないのよ。亀仙人さんとかにさあ…っていうか、きっと亀仙人さんのせいよ。絶対そうに違いないわ。
あのエロじじいのせいで、ヤムチャはあたしが何かされてもしょうがない、みたいに思うようになっちゃったのよ。あの師匠は本当に万年痴漢老人だからね。まったく、しょうもない…何もかもしょうもないわ!
「ブルマさん。ヤムチャっさ〜ん」
「一緒にお茶飲みませんかぁ?ほら見て見て、あの列車から持ってきたお菓子」
「飲まないわよ!!」
ここでふいにドアの向こうから邪魔が入って、あたしをさらにしょうもない気分にさせた。所詮は飛行機の限界かしらね、このプライベート空間には、無視できない二つの穴があったのだ。一つは、それはおもしろそうな顔をしてこちらを見ている双子の顔が覗く、スライドドアの小窓。もう一つは、まったく遠慮なしに双子の声が入り込んでくる、壁と天井との間に僅かに開いた隙間…
「え〜、なんで〜?ブルマさんだって、このお菓子おいしいって言ってたじゃないですかあ」
「せっかくフリードリンクなんだから、一緒にお茶会しましょうよー。アテンダントの人はいいって言いましたよ」
「もうすぐお昼ごはんでしょ!おとなしく席についてなさい!」
そのしょうもない誘いを、あたしはすっぱり切り捨てた。当たり前でしょ。なんだって飛行機の中でまで、この子たちのピクニックに付き合わなくちゃならないのよ。調子に乗らないで欲しいわよね。昨日は特別!一日限りのことだと思ったから、ああいう手を使おうと思ったのよ。だけどもう…
「じゃあ、エイハンさんたちのとこ行こっか。エイハンさんもこのお菓子好きだって言ってたもんね」
「そうそうブルマさん、エイハンさんたちにはもう会いましたか?あのね、この飛行機に乗ってるんですよ。あたしたちと一緒に行くんだって!」
「途中からだから全部一緒ってわけにはいかないかもしれないけど、しばらくは同じホテルに泊れるんだって」
開いた天井から流れてくる双子のその言葉を聞いて、あたしは思わず苦虫を噛み潰した。でも本当に癇に障ったのは、その直後、隣で漏れたヤムチャの呟きだった。
「ああ、その話は今は…あんまりブルマを刺激しないで…」
…………ちょっと、何よそれは?
何よ。何なのよ。その腫れものに触るような扱いは?それは違うでしょ。うまく言えないけど、なんか絶対違うでしょ!!
「ごめんね。ブルマちょっと今機嫌…いや、気分が悪いから。また後でね。お菓子は他の人と食べてね」
あんたが今そんな風に慰めるべきは、その子たちじゃなくてあたしでしょ!!
やがてドアを開け双子に陳謝し始めたヤムチャの背中を睨みつけながら、あたしはその結論に辿り着いた。…………『拗ねてる』?ええ、結構よ。拗ねてて結構!
「そぉなんですかぁ」
「大丈夫ですか、ブルマさーん」
「たーいへーん。今ハイジャックに遭っちゃったらどうしよう?なーんてね〜」
――絶対助けてやんないわよ!
あたしにはもう、双子を相手にするつもりはなかった。それはヤムチャがやってくれてるみたいだからね!だから一切声は出さずに、ただただ強くヤムチャの背中を睨み続けた。
「と、とにかく、また後でね。悪いけどしばらく放っておいてね」
「はーい」
まったく、返事だけはいいんだから…
そんなことを思いながら、あたしはあくまで、双子を見送るヤムチャの様子を見ていた。双子がいなくなると、ヤムチャは静かにドアを閉めて、小窓のブラインドも閉めた。よしよし。一応は邪魔されたくないと思ってるわけね。心の中ではそう頷きながらも、あたしはやがて振り向いたヤムチャに、めいっぱいつっけんどんに言ってやった。
「機嫌悪くて悪かったわね」
そうよ、どうせ拗ねてるって思われてるなら、うんと拗ねてやるわ。もう存分に拗ねてやるわ。
それで思いっきり苛めてやるの。あたしがすっきりするまで。むしゃくしゃする気持ちが消えるまで。何より…
…………ヤムチャが本当にわかるまで。


…さ・て・と、一体どこまでわかったもんかしらね?
一通りの説教を終え、軽く息をついてから、あたしはグラスを取り上げた。一本目のワインは白。あたしが決めたわけじゃない。選んだメニューに対するお勧めが、そうなってたの。
スモークサーモンの前菜って定番よね。次に、そんな感想を抱きながらもぐもぐやっていると、ヤムチャが心持ち声のトーンを和らげて訊いてきた。
「…………で、今日この後は何をする予定なんだ?」
いえ、『心持ち』じゃないわ。字面からじゃいまいちわからないかもしれないけど、明らかにあたしの顔色を窺っている声音。所謂、猫撫で声ってやつね。正直言って気に障らないでもなかったけど、あたしはすぐにそういう気持ちを引っ込めた。
まあね、他の女に使うよりはね、間違ってないと思うのよ。
「ツアーの方の予定としては、何もないわ。ホテルに着いたら、後はずっと自由行動よ」
ポテトとチェダーチーズのチャウダーを口に運ぶ傍ら、ちょっとそっけなくあたしは答えた。残念ながら楽しく計画を練るような気分じゃあね、まだないのよ。それに本当のことだしね。
「だからって、何もしないでホテルにいるわけじゃないんだろ?時間もあるみたいだし…」
「そうね〜。じゃあ、ストレス解消にドライブでもしようかしらね。ブルーゲートブリッジをオープンカーでぶっ飛ばすの。制限速度ギリギリまで。すっきりするわよ〜、きっと」
それにも関わらず食い下がってきたヤムチャに、嫌み半分であたしは言ってやった。もう半分の気持ちは、やがて手をつけた料理に持って行かれた。…このマッシュルームとゴートチーズのシュトウルーデル、おいしいけどスープと味が被ってるわね。
「…ブルーゲートブリッジって?」
「ブルーゲート湾に架かった吊り橋よ。できた当時は世界一高い吊り橋だったらしいわ。今じゃ世界8位くらいのものだけど、眺めはいいって。後はそうね、やっぱりできた当時は世界一だったフライブレットタワーとか。フライブレットの名所って、そういう『過去の遺物』ばっかりなのよね」
「相変わらず詳しいな」
「まあね。この街に関しては、調べるのちょっと手間だったわ。言わば流行りの終わった街だから、ガイドブックがほとんど出てないのよ。わざわざ地元の雑誌取り寄せたんだから。昔は西の都よりも大きかったらしいけど、今じゃすっかり田舎の都市になり下がっちゃってるのよね」
「それはそれは…………でもまあ、そういうところもいいじゃないか。穴場って感じして。古いから楽しめないってわけじゃないし。っていうか、おまえだって『わりと遊べる』って言ってただろ」
「まあね〜。見どころ自体はあるのよね。明日行くフラワーテーマパークとか。それと夜景とネオ屋台村って屋台街…」
「ふんふん、それから?」
いつしか会話は完全に、食事時の恒例会話になっていた。おいしいワインにおいしい食事、そして楽しい会話。一応は、そう言えないこともない。
…そうね。実は会話のテンポはだいぶん遅めなんだけど、流れとしては悪くないように感じるわね。ヤムチャも、時々口籠るんだけど、ちゃんと話についてくるし。っていうか、やっぱりそういう話してくるようになってるわ。わかってるかどうかはともかく、旅行に付き合う態度ってものはできたみたいね。
だから、あたしは気が済んだことにしてあげた。というほど単純なわけはないけど、とりあえずシーザーサラダに差しかかった頃には、そっけなくするのもやめてあげた。
あたしだってわかってるの。本当の本当に悪いのは、ヤムチャじゃないってこと。イライラしちゃうのはヤムチャにだけど、そもそもあの男があんなことしなければ、イライラするはずもなかったんだってこと。あたしはヤムチャと言い合いしたかったわけじゃなく、こんな風にゆっくりご飯を食べたり計画を練ったりしたかったんだってこと…
…ま、そうは言っても、あくまでとりあえずのところは、だけどね。
またさっきみたいな態度取ったら、その時は当然怒るわよ。

…そう言えば、ニューブレットって元は酪農の町だったんだっけ。
ステーキに添えられたベークトチェダーチーズポテトを食べながら、あたしは数時間前に離れた土地に思いを馳せた。…そう、メインの付け合わせもチーズだったの。
そして、食事の最後を締めくくるデザート。フライトアテンダントがワゴンに載せて持ってきたのは、三種のチーズにクラコット、フルーツ、アイスクリームにサンデートッピング…
「あたし、デザートはパスするわ。それで、ちょっと休ませてもらうわね」
「なんだ、珍しいな」
「胃がもたれたのよ。いくら何でもチーズが多過ぎだわ、このメニュー」
いくらおいしくっても、バランスってものがね。確かに、酪農の町の料理って感じはするけど、あいにくあたしは都会の女なのよ。…こういうの気分バテっていうのかしら、前回飛行機に乗った時とは違って、何もかもを無条件に楽しめるような気分じゃないわ。
「ああ、すいません。食事終わりましたんで、下げてください」
あたしがベッドに腰を下ろすとほぼ同時に、ヤムチャがアテンダントを呼び出した。手のつけられなかったデザート類が片付けられていく様を、あたしはどことなくぼんやりとした気分で見送った。
「別に付き合ってくれなくてもいいのに」
「俺はもともとデザートなくてもいいんだよ」
「あっそ」
ヤムチャは笑いながら、あたしの横に仰向けになった。果たして付き合いがいいのか、だらけてるのか。ともかくも、それであたしは一応の気遣い(食事中に横になるの行儀悪いかなってちょっとだけ思ってたの)をするのをやめ、自分もベッドの上に乗っかった。
「やっぱり田舎路線よね。豪華は豪華なんだけど、なんとなく全体的に垢抜けない感じ」
「あんまり大きな声で言うなよ。ここ天井開いてるんだからさ」
「だってさ〜。っていうか、否定しないってことは、あんただってそう思ってるんじゃない」
「俺は別に…。だいたい、世界一周旅行なんだから、田舎にだって行くだろ。むしろ田舎っぽかったりするのがいいんじゃないか」
「そりゃそうだけど。しっかし、あんたもマメにフォロー入れるわよね。マメ過ぎて嘘っぽく聞こえるわよ。軽いっていうかさ」
「失礼なやつだな。…でも確か、『そういう姿勢の方が旅行は楽しめる』んだったよなあ」
「は?何それ?」
「何それって、おまえが言ったんじゃないか」
「あたしが?いつよ?」
「一番初めの日。西の都のエアポートで。ほら、パフェ食べながらさ」
「よく覚えてるわね、そんなこと」
「言われた方は覚えてるもんだ」
偉そうにね。言ったことはすぐ忘れちゃうくせに。
その文句を、あたしは口にはしなかった。横になったあたしの頭をいつしか撫で始めていた、優しい手に免じて。それに正直なところだんだんと、口を開くのが面倒になってきていた。何もかもを無条件に楽しめるような気分じゃない、その理由がはっきりしてきた。もちろん一番の理由は、あの兄妹の存在なんだろうけど…………だけど、それにしても、なんか眠いの。時差ボケかしら。
やがて、天井でもヤムチャの顔でもなくその胸元しか視界に入らなくなった頃には、あたしは眠気を堪え切れなくなっていた。ついに重い瞼を閉じながら、あたしは思った。
ご飯は食べたし話もしたし、ちょっとくらい寝てもいっか…
っていうか、ヤムチャってば、本当にマメにフォロー入れてくるわね。ヤムチャが頭を撫でてこなければ、きっとここまで眠くはならなかった。普段はこんなことしないのに、怒った後だけこんなことするなんて、やらしいわよね。
…ま、嘘っぽくはないけど…………
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