Trouble mystery tour Epi.12 (6) byB
トイレへ行ったついでにバドワのボトルを一本抱えてベッドルームへ戻ると、ベッドの上で仰向けになったまま、ヤムチャが買ったばかりの異国の煙草を弄んでいた。
「煙草はやめといた方がいいんじゃない?喉、酷くなるわよ」
やんわりとあたしは諭した。ヤムチャはゆっくり体を起こすと、片眉を下げて呟いた。
「やっぱりそうかな」
「どうせそんなに吸いたいわけでもないんでしょ。だったら、水にしときなさいよ。ほら」
あたしの投げてやったバドワを、ヤムチャは素直に飲み始めた。でもたいして飲まないうちにボトルから口を離して、喉元を片手で撫でつけながら、低く唸るように声を漏らした。
「う゛ーん…」
「その声、ちょっと渋くていいわよ」
自分も一口バドワを口にして、あたしはベッドへ潜り込んだ。横になりながらそう言ってあげると、ヤムチャは今度は眉を上げてあたしを見た。
「おまえ、他人事だと思ってるだろ」
「だって他人事だもん。それに褒めてるのよ」
「こんなことで褒められてもな…」
「ほ〜らね、渋いわぁ」
「茶化すなよ…」
瞬く間に眉の下がったヤムチャを、あたしはおもしろいような気分で見つめた。この期に及んで『ドジね』とかそういうことを言う気はなかった。そんなたいしたことじゃないし。ドジっていうより、異文化だし。
「そのうち自然に治るわよ。風邪とかじゃないんだから。じゃあね、おやすみ」
「ああ…おやすみ」
それに、やっぱり渋いし。
おやすみのキスを受けながらあたしはそう思い、次の瞬間そのまま目を瞑り続けることに決めた。
どこからか心地いい睡魔がやってきたから。すっごく気持ちよく眠れそうだから。
だから、もう言わないでおいてあげるわ。


『美人』っていうのは生まれ持ってのものだけど、それをより輝かせるには秘訣がある。
所謂、美容の秘訣ってやつね。それはストレスを溜め込まないことと睡眠と、いいセックスをすること…
「ん〜、今日はお肌の張りがいいわ〜。夜遊びしたわりに疲れも残ってないし、良好良好。…あら、雨だわ」
フライブレットでの二日目。美容の秘訣をすべて満たしたあたしが一人ドレッサーに向かっていると、雨粒が窓を叩き始めた。やがてそれは霧のようになって、ガラスの外の景色をすっかり曇らせてしまった。さっきまであんなに澄み渡っていた空も、気づけばどんより薄灰色。
うーん、残念。今夜は夜景、見れないかもね。そう思いながら部屋を後にし、エグゼクティブラウンジへ向かった。そこが集合場所だったから。本日の観光――フライブレットフルーツフラワーパーク――に参加するツアー客の。例によって、ヤムチャは先にそこへ行っていた。そしてあたしが行った時には、例によって双子に捕まっていた。しかもよりによって、同じソファに座ってる。
「――これは友達へのお土産にするんだよね〜」
「それが土産か…う゛ーん…」
「あれえ?ヤムチャさん、なんか声が変ですよお」
「う゛ん…昨夜ちょっと喉を痛めてね。喋ると少し辛いんだ」
さらに、その態度ときたら。なーにが『辛い』よ。甘えてんじゃないわよ。
「わー、かっわいそー。のど飴とか舐めた方がいいですよ〜」
「この飴食べますう?」
「いや、遠慮しとくよ」
「貰っとけばー?甘いものは喉にいいわよ〜」
あたしはことさらヤムチャだけに目を向けながら、そう言った。双子たちが図々しいのなんて、今に始まったことじゃないわ。だ・け・ど、いいえだからこそ、ヤムチャはビシッとしなさいよ。他にも空いてるソファあるんだから、そっちに座らせなさい。あたしが来るからって言えば、それで済むことでしょ?
「やっと来たか。まったく支度長いんだからな、待ちくたびれたぞ」
「あらそーお?この子たちと楽しくお話できて、よかったんじゃないのー?」
なのに、そんなことも言えないなんて。そんなんじゃ、こういうこと言われても仕方ないのよ。わかってんの?
多分に教育的指導の意味合いから、あたしはヤムチャに嫌みを言った。すると、すぐには言葉を返せないらしい男の代わりに、無視していた双子の方があたしに声をかけてきた。
「おはようございます、ブルマさーん」
「おっはようございまーす」
「…はい、おはよう」
その明る過ぎる態度に応えながら、あたしは思った。怒らなくてよかったと。絶対わからなさそうよね、この子たち。少しでもわかってたら、さっさと席除けてるに決まってるもん。前にそれで恥掻きかけたことあったし、怒り損はもうこりごりよ。
さて、どうやって追っ払おうかしら。当然のように行き着いたあたしの思考は、やがて180度転換した。まさにすかさず、男が一人やってきたためだ。
「やあおはよう、ブルマさん。今日もきれいだね。まるでお姫様のようだ」
「あら、あなたいたの」
目敏いわね。それに、一体どこに隠れてたのかしら。あたしがわりあいのんびりとそんな風に考えることができたのは、現れたのはエイハン一人で、リザの姿は見当たらなかったからだ。そう、リザがいなければエイハンは単にしたたかな中年って感じで、どうにかあしらえるのよ。昨日触られちゃったのは、なんとなくリザの存在に毒気を抜かれていたからなのよ。…そうなの、あたしやっぱり、あの女苦手なのよね。きっと深層心理が嫌がってるんでしょうねえ…
「酷いなあ。ずっといたよ。ずっと君のことを見ていたのに」
「あなた、朝っぱらからよくそんな歯の浮くような台詞が言えるわね」
だけどエイハンについては、嫌だけど悪寒が走るってほどじゃない。走ったこともあったけど、リザに比べればまだマシだわ。そして今日のあたしはもともと気分がよかったので、いつぞや考えていた計画をほぼ無意識のうちに発動することができた。
「だーって、エイハンさんはロズの人だもんねーっ」
「ロズの人って、そういうこと言うのが礼儀なんだよね。ガイドブックにそう書いてあったよ〜」
「ああ、そう言えば。ってことは、あんたたちも何か言われたわけ?」
「えっとねー、あたしたちは双子の天使だって。心優しい女神の卵なんだって。ねー、エイハンさん」
「ステキでしょ?詩人だよねー、エイハンさんて」
「ちょっとちょっと、みんなして苛めないでくれよ…」
こうるさい双子を巻き込んでの、エイハンの性格を逆手に取った会話。うーん、気分いいわあ。エイハンのやつ、結構本気で困ってるわよ。顔は笑ってるけど、目が笑ってないもんね。やっぱり無神経には無神経ね。あたしの考えは間違ってなかったわ。
そんなこんなで、エイハンを軽ーくやっつけてやったところで、リザが来た。でもその時のあたしは、身構えることすらしなかった。
トラベルコーディネーターの女性も一緒だったから。そうしてすぐに出発の意を告げたから。本日の観光参加者全員が、自分たちの連れと一緒に、ホテルの前に待機するリムジンバスへと乗り込むべく動き出したから。
もちろん、あたしもヤムチャと一緒にリムジンバスへ向かった。あの兄妹と距離を取ることに、少しだけ気を配りながら。


「も〜、あんたも笑ってばかりいないで、ああいう時はなんか言ってやりなさいよね!」
「いやあ、ちょっと無理だろ、あれは…」
「何が無理なのよ?なっさけないんだから、ほんっと!」
もっとも、満足したからといって、まったく文句がないじゃなかった。一階のロビーを歩きながら、あたしはヤムチャが何もしなかったことを非難した。
あそこでヤムチャが何か言ってやってれば、いいとどめになったと思うのよね。ここぞってところでダメなんだから、ヤムチャのやつう。
「いや、そういう意味じゃなくってさ……あれっ」
まあ、それだってすぐに終わったけど。それからホテルの外へ出てリムジンバスを目にするとあたしの気分は自ずと切り替わり、ヤムチャがこんなことを言い出したので実際に会話の内容も切り替わった。
「雨か。さっきまでは晴れてたのに、いつの間に…どうする?行くのやめるか?」
「え?ああ、大丈夫よ。フルーツフラワーパークは透明ドーム式だから」
「ドーム式?」
例によって、いつもの会話。行く直前になっての、行き先のご説明。
「そ。ほら、西の都に空中遊園地あるでしょ。あれをモデルにしてんのよ。さしずめ空中植物園ってところね」
っていうか、行き先も知らないくせに、よく行く気になるわよね。感心しちゃうわ。嫌みだけど。
「じゃあ、傘もいらないわけか。なんだ、田舎都市っていうけど、結構進んだ街なんだな」
「所詮二番煎じだけどね」
「だけど、行くんだろ?」
「もっちろん!」
微かに湧いた呆れは心の中だけに留めて、あたしは笑顔で言い切った。ヤムチャが笑顔で訊いてきたから。質問じゃなく確認だってこともわかっていたから。例えなんであろうとヤムチャはあたしに付き合うつもりなんだってこと、とっくにわかっていたから。
さあ、本日の観光ならぬデートに出発よ!


フライブレットの郊外、フライブレットタワーよりさらに向こう。そこにフライブレットフルーツフラワーパークはあった。
「あら、この辺は晴れてるのね。ラッキー。日頃の行いかしら」
風向きの関係なのか、パーク付近の空は青く晴れていた。そのせいもあってか、パークはなかなか盛況だった。集合時間の確認の後に一時解散の声がかかると、同行のツアー客はあっという間に人混みの中へと姿を消した。
「結構人がいるなあ」
「そうね。あっ、見て見て、観覧車のゴンドラが果物の形だわ」
「ふーん、そういうのもあるのか」
「パークの中は五つのエリアに分かれてるのよ」
四季折々の花が楽しめるフラワーガーデン、果物狩りのできるフルーツガーデン、観覧車やジェットコースターのあるアミューズメントガーデン、羊やポニー、ウサギなどが放し飼いにされているズーロジカルガーデン、プールと温泉のリラクゼーションガーデン。『いろんな遊びを摘み食い』がコンセプトのフライブレットフルーツフラワーパークには、わざわざホテルを取ってまでやってくる人は少ないけれど、近隣の人々はよく集まる――ガイドブックに書かれていたそのことを踏まえてのあたしのお目当ては、主に前二つ、フラワーガーデンとフルーツガーデンだった。取ってつけたような小規模の遊園地で、地元の人にもみくちゃにされるつもりはないわ。どこにでもあるようなプールにわざわざ時間を割く気もしない。ここは色とりどりの花が咲いている花畑をゆっくりと散歩して、のんびりと果物狩りを楽しんで、時間があったら羊の頭でも撫でてあげて、それでも時間があったら観覧車で〆ってところね。
そんなわけで、あたしたちはさっそくゲートを潜って、正面に広がるフラワーガーデンへと足を踏み入れた。煉瓦作りの歩道の左右に、遅咲きのチューリップと今が旬のサルビアが、華やかさを競うように咲き誇っている。さらに歩くと次にはアジサイとラベンダーが、その先にはペンタスと向日葵が、その他覚え切れないほどの花々が、一面の花畑となって輝いていた。
「きれいね〜。定番だけど、やっぱりチューリップ畑が一番きれい。あら、池だわ。あっ、ボートがある!ねえヤムチャ、あのボート乗りましょ」
腕を組んで花畑の中を歩き、新鮮な花の香りを胸に吸い込んで、『睡蓮の池』と名づけられたかわいらしい池でボートに乗る。紛うことなきデートね、これは。それも、あんまりしたことないタイプのね。いつもは遊園地とか映画とかいかにも遊びに行くって感じのデートだけど、こういうのも結構いいわね。雰囲気あって。ロズで行った山とか湖にも似たような雰囲気はあったはずだけど、あんまり味わえなかったからね。今、取り返してるってところかしら。
あたしがそんなことを考えていると、ヤムチャが言った。
「ボートか。ひさしぶりだなあ」
それはボケじゃなく、つまんない冗談だった。しかも、ヤムチャらしくもなく迂遠な。たまたまちょうどあたしもそれを考えていたところだったので、わかったのだ。
「んもう、茶化さないでよ。だいたい一昨日のは無しでしょ。雰囲気ないなんてもんじゃなかったわよ」
「じゃあ、今日は雰囲気出して漕いでやるよ」
まー、えっらそうに。
そんな偉そうなこと言う前に、その前のつまんない冗談引っ込めるべきって、わかんないのかしら?
あたしは呆れの息を吐きながら、やがてヤムチャに差し出された手を取って、ボートに乗った。言葉じゃなく息だけを吐くに止めたのは、なんだか雰囲気があったからだ。ヤムチャに。ヤムチャの笑顔に。所謂、『口を開かなければ』みたいな感じかしらね。どことなく瞳が優しくて、なんとなく態度がゆったりしてて、ゆっくりとボートを漕ぐ様もそれっぽく見える。…気のせいかしら。この場の雰囲気のせいかなあ…
「わー、すごーい。こんなにいっぱいの睡蓮見るの、あたし初めて。結構きれいよね、睡蓮って。清楚で可憐で見てると気が落ちつくっていうか」
「なんかそれっぽいこと言ってるなあ」
「茶化さないでってば。っていうかあんた、それのどこが雰囲気出してんのよ?」
…そうかもしんない。
やがて交わした、池の真ん中に咲くいっぱいの睡蓮を前にしてのその会話の後で、あたしは再び息を吐いた。またもや呆れの息を。するとその直後ヤムチャが優しく目元を緩めたので、薄れかけていたあたしの感覚は、一転して確信に変わった。
…やっぱり、口を開かなければいいみたい。
時々他人に対して思う、『見た目の格好よさに騙されてるのよ』というのとは違った意味で。なんていうか、今のヤムチャはちょっぴりわかってるように見えた。字面じゃわかりにくいかもしれないけど…いえ、わかんないわよね、この物言いじゃ。でも…
「漕いでみるか?」
「うーん、そうね〜。あたし、そういうのは男の仕事だと思うのよね〜。別に漕ぎたくないってわけじゃないけど、漕ぎたいわけでもないっていうか〜」
でも、なんかすごくデートっぽいの。いつものデートじゃなくって、理想のデートの雰囲気に近いっていうか。はっきり言っちゃうと『いい雰囲気』ってやつよ。ちょっと爽やかで、ほんのりロマンティックで、なんかそういう雰囲気漂ってるのよ。いかにも、花に囲まれた池でボートに乗ってるっていう雰囲気。
「ははは、そんなところだろうと思ったよ。俺とリルちゃんが一緒に漕ぐのを邪魔しなかった時点でな」
…た・だ・し。口を開かなければね…
ったくう。あたしは三度呆れの息を吐いて、言うつもりのなかった言葉を引っ張り出した。そう、ほとんど忘れかけていたあたしの記憶を、ヤムチャは刺激したのだ。
「あのね、この際だから言っとくけど、あたしだけじゃなくて、世の中の女はみんなそう思ってるわよ。『漕いでみたい』なんて嘘。そんなの、ただの口実なのよ。相手の男に近づくためのね。いい機会だから覚えておくのね」
ヤムチャだって何も知らないウブな子どもじゃないはずなのに、なんだってこういうことはわかんないのかしら。あたしの溜め息混じりの教育的指導に、ヤムチャは軽く笑ってこう答えた。
「はいはい、わかりましたよ。でも、リルちゃんは違ったみたいだけどな。すごく楽しそうに漕いでたじゃないか」
「あの子はまだ子どもだからよ」
わかってるんだか、わかってないんだか。あたしには本気でわからなくなってきた。でも、そこのところをはっきりさせようという気はなかった。どっちでもいいわ、そんなの。ヤムチャに言うべきことははっきりしてる。わかってようがわかっていまいが、ヤムチャの悪いところははっきりしてるもん。
「だけどね、あんまり甘く見ちゃだめよ。子どもは子どもだけど、なかなか抜け目ないんだから、あの子たち。もっともそれ以前にね、あんたのその態度が問題よ。彼女と一緒にいる時に、他の女の話するってどうなのよ?」
「ごめん、ちょっと思い出しただけだよ」
「思い出すのもダメ!デート中はデート相手のことだけ考えるものでしょ!」
おかげであたしまで思い出して、しなくてもいい説教をする羽目になったじゃないの。せっかくいい感じだったのに。っていうかね、今だっていい感じなのよ。『ごめん』って言う態度が、いつもと違って悠々としてるのよ。何なのよ、その落ち着きぶりは?何だってそこまで落ちついてるくせに、口は滑らせるわけ?しょうもないんだから、まったく!
「そうだな、ごめん。でも本当にふっと思い出しただけで…その時以外はずっとブルマのこと考えてたよ」
「あんた、そういうこと…」
おまけに、そういうこと突然言うし。 あまりにも唐突にヤムチャが正面切って言い切ったので、あたしは思わず呆気に取られた。でも、本当の本当に呆気に取られたのは、その後だった。
「恥ずかしくないよ、別に。本当のことだからな。それよりブルマも、漕ぎたくなくても漕ぎたい振りしておくべきだと思うな」
「はあ?何言ってんのいきなり?」
「口実がないと近づけないんだからさ、こういうところでは」
強引じゃなかった。むしろひどく自然に感じられた。ちょっと不自然なほど自然だった。ふいに近づいてきてあまりにもさりげなく重ねられた唇の感触にあたしはまったく反応できずに、結局のところキスされるがままに終わった。
「だろ?」
「も〜…あんた何もこんなところで…」
あたしが口元を隠してそう非難しかけると、ヤムチャは軽く周りを見回しながら、平然とした様子で笑いかけた。
「大丈夫、誰もいないよ。…………あれっ?」
そして途中で動きを止めた。直後、あたしはあまり聞きたくない呟きを聞いた。
「いた…」
あたしは何も言わなかった。続いて聞こえてきたそのいつもながらの惚けた声が、ある意味ではあたしの心をとっても落ち着かせてくれた。
「あちゃ〜…さっきまでは誰もいなかったんだけどなあ。…じゃ、行こうか」
「ふぅ〜〜〜…」
だからただ、今度はヤムチャにも聞えるように、大きく四度目の息を吐いた。それから、心の中でいつもの台詞を呟いた。
…バカ。
inserted by FC2 system