Trouble mystery tour Epi.12 (9) byB
翌朝、王侯貴族のような天蓋ベッドの上で、あたしはとってもきれいな風景を見た。
昨日の天気が嘘のように済み渡った空に、朝陽がゆっくりと昇っていくの。暗い街の向こうから差し込んでくる赤い光は、まるで街を照らすスポットライトみたい。夜にはイルミネーションに輝いていたはずの街が、今、自然の光に照らされてオレンジ色に輝いている…
昨夜、夜景が見れなかったぶんの埋め合わせかしら。あたしはそんなことを考えながら、自分の隣に眠っている自分の顔を覗き込んだ。
ヤムチャには全然目を覚ます気配がなかった。あたし、ちょっと早く起き過ぎちゃったみたいね。でも、自然と目が覚めたんだもの。
おまけに、すっごく気分がいいの。朝陽が昇るより前に目が覚めるなんて、それだけでもあまりないことなのに、その上頭もすっきりしてるなんて、ほとんど奇跡じゃない?…なーんてね。そうじゃないのよね。こんなのいつものことよ。この、ヤムチャの体にとってはね。
体に疲れがないんだもの、目覚めがいいのも当然よね。どうりで毎朝毎朝爽やかな顔してると思ったわ。あたしが目を開けた時には、たいていすでに起きててさ。やたら楽しそうにこっちを見てたりすんのよ。癪に思うほど頭起きてなかったから、いつも黙ってスルーしてたけど…
だけど、今朝は反対ね。反対の立場とかじゃなく、中身だけが反対になっちゃってるってところが問題だけど。
でも、とりあえずそれは横に置いておいて、あたしはこの非常に珍しい状況を楽しんだ。ブラインドを下ろし忘れた窓から朝陽が差し込み、陽の光に満たされた部屋の中で、それでも目覚めない自分の姿を、不思議とおもしろさの入り混じった気分で見つめた。
ふ〜ん、あたしって、こんな顔して寝てるのかぁ…
初めて見た。当たり前だけど。かわいいわね。思わず見続けちゃうのもわかるわ。我ながら長い睫毛に、あどけない表情。まるで現代の眠り姫じゃない。こんな寝顔を毎朝見れるなんて、ヤムチャってば役得ね〜。今のヤムチャはあたしだけど。
所謂『彼氏の気分』というやつを、あたしは疑似体験した。でも本当の『彼氏』ではなかったので、キスしたくなったりはしなかった。手を繋いだりエスコートしたりするくらいならいいけど、さすがにそれは『うげっ』だわ。だから、すっきりした頭で、これからのことを考えた。
具体的にはまず、父さんのこと。父さん、ちゃんとレーダー作ってくれてるかしら。あたしで半日くらいだから、父さんならもう少し早く作れると思うんだけど。あの人はやるとなったら徹夜したってやる人だけど――
「ハイ、C.Cデス。オ名前トゴ用件ヲオ伺イ致シマス」
「あ、あたしよ、ブルマ。父さんいる?」
そんなわけで、あたしはうちに電話をかけた。時差があるから、西の都はもう完全に活動時間だ。ずいぶんと待たされた挙句にようやく受話器の向こうから聞こえてきた父さんの声にも、寝惚けた様子はまったくなかった。
「おはようブルマ。待たせてすまんね。ちょうどカトリーヌの餌の時間だったもんでなあ。で、なんだね」
でも、惚けてる様子はあった。そのまったくいつも通りの雰囲気に、あたしの口調は思わず尖った。
「なんだじゃないでしょ。ドラゴンレーダーはどうなってんのよ?」
「ああ、あれかね。これから作るよ」
「これから!?すぐ作ってって言ったじゃない!」
「そんなこと言ったってなあ。げっぷ、うっ。おお、すまんすまん。昨夜は母さんが帰ってくるのが遅かったから、夕飯も遅くてなあ。でも、そのぶんいっぱい食べたよ。一体何を食べたと思うね?」
「知らないわよ、そんなこと」
「トウモロコシをコーンなにいっぱい。なんちゃって」
「…………」
あたしは思わず固まった。続く父さんの言葉が虚しく耳に響いた。
「ブルマ?おーいブルマ。ありゃりゃ、ウケんかったか。ひさしぶりに思いついたギャグだったんだけどなあ」
「…………あ゛たしほど不幸な子どもも、そういないと思うわ」
ようやくのことで、あたしは声を出した。ちょっと喉の奥が痛かった。それと、頭も。
娘の頼みより、ギャグだなんて。それでも本当に父親なの?心配の欠片もないじゃないの。
「なんじゃい、藪から棒に。ああ、ドラゴンレーダーか。昼過ぎに2SCチップが届くことになっとるから、そうしたら作るよ。他に何か問題があったかい?」
「…いーえ。なーんにも。父さんのその姿勢以外にはね!」
ったくう。本ッ当に危機感ないわねえ。きっと、あたしたち二人とも元気そうにしてるから、安心してるのね。ま、作ってくれるって言ってるんだから、それはやってくれるでしょうけど…
こうして、不本意な電話を終えたあたしは、再びベッドに潜り込んだ。え?一度起きたのになんでって?
そんなの決まってんでしょ。
もう一度、寝直すのよ。


二度寝って気持ちいいわよね。夢うつつって感じでさ。気持ちよ過ぎて起きたくなくなっちゃうのが欠点だけど。
でも、気分はすっきりしてる。すっきりした上で、気持ちいいから起き上がりたくないのが二度寝よ。
だからあたしはちょっとの間、目を開けたまま横になっていた。そうして、起こした背中を丸めて目を擦っているヤムチャを見ていた。もう一度寝直した結果、ヤムチャと同じ時間に起きる。あんまりないことよ。この体の本来の持ち主じゃないあたしにとっては。
「おっはよ!じゃなくて、おそようかしらね?」
すかさず体を起こしてあたしが言うと、ヤムチャは背中を丸めたまま、ぼんやりとした声で呟いた。
「元気だなあ…おまえ」
「別に、普通よ」
だからあたしはさらっと言ってやった。いつもこういう態度取ってたわよね、ヤムチャのやつ。別に嫌みったらしくはなかったけど、『そんなの当たり前だ』みたいな態度。
「ゆっくり眠れた?」
それから、時々こういうことも訊いてくるわ。今気づいたけど、これって自分がゆっくり眠れてるからこそ言える言葉よね。
「どうだろう…結構眠ったはずなんだが、いまいち頭がすっきりしなくてな…」
「そういう時は熱いコーヒーを飲むといいわよ。それも濃ーいやつをね」
「ああ…」
「ルームサービス頼んであげるわ。ついでに軽食も持ってきてもらって、部屋で朝食にしましょ。そうすればゆっくり支度できるから」
あたしはとても自然な気持ちで、自分の世話を焼いた。あたしの体を使っているヤムチャの気持ちがわかるから。いつもいつもってわけじゃないけど、あたしにはひどく寝起きの気分が悪いことがある。どうやら今朝はそれみたいね。
「その前にシャワー浴びるといいかもね。熱いお湯で頭すっきりさせてきなさいよ。あたしはラバトリーで顔洗うだけにするから、ゆっくり浴びてきていいわよ」
「シャワーか…うーん、どうしようかな…」
「本人の言うことは素直に聞いとくものよ」
「…じゃ、行ってくる」
ふーん、あたしって朝こんななんだ…
っていうか、おもしろーい。見た目はあたしだし様子もあたしなんだけど、態度がどこかヤムチャなんだもの。喋り方もヤムチャだし。やっぱりヤムチャなのね。
なのに、見た目にはあたしがヤムチャ。慣れたようで慣れない、この現実。
のそのそとバスルームへ向かうヤムチャの背中を見送った後で、あたしはそれを確かめに、ラバトリーへ行った。


ラバトリーの鏡に映るヤムチャの顔は、あたしにとって今だ新鮮だった。
ずっと見てきた顔でも、自分のものとなると、感覚違うわよね。鏡を見た時に自分のじゃない顔が映ってるっていう事実が、まず新鮮だし。メイクでもなんでもなく、正真正銘他人の顔だもんね。
そしてそれは、やがてさらに新鮮なものになった。特に何かをしなくても、ちょっと気を引き締めてみただけで。
きりっとした眉、涼しい目元。鼻筋の通った鼻に、意志の固そうな口元。
かぁっこいーい…
ヤムチャったら、どうしていつもこういうきりっとした顔をしないのかしら。優しいというのも言いようの、惚けた顔ばっかりしちゃってさ。戦ってる時はこんな感じで格好いいけど…普段とギャップあり過ぎなのよね。
今は自分の、他人の決め顔をじっくり堪能した後で、あたしは水道のコックを捻った。見慣れたはずのヤムチャの顔が違って見える瞬間は、まだあるのよ。こうね、シュシュバンドも何もせずに顔を洗って、その顔を上げると…
ぽたぽたと前髪から滴る水滴が、頬に落ちる。濡れて目にかかった黒の前髪から覗く鋭い眼差し――水も滴るいい男。なんちゃって。
こういうの、普段目にしそうで目にしない表情よね。一瞬の表情ってやつ?或いは、一瞬だって見せてくれない表情。
そう、昨夜お風呂に入ってて思ったの。背中を流してあげるくらいならまだしも、こんなところまで洗ってあげてるんだから、ちょっとくらい遊ばせてもらったっていいわよね。普段見られない顔を見るくらい、体を隅々まで洗うことに比べたら、大したことじゃないわよ。むしろ、お釣りがきちゃうくらいのもんだわ。ヤムチャはあたしの体を洗ってるんだから、余計にね。男と女が入れ替わった場合って、圧倒的に男の方にメリットあるわよね。ヤムチャにはもう何度も見られてるからいいけど、もしそうじゃなかったら、とても平然とはしていられないところだわ。
「…何やってんだ、おまえ」
「あら、おかえり」
そんな風になんだかんだと思いながら二十面相ほどを終えた頃、ヤムチャがバスルームから出てきた。まだあまり機嫌は良さそうじゃなかったけど、目はぱっちり開いていた。きっちりとバスローブを着込む様子を見ているうちに、あたしは思い出した。
「あ!ごめん、ルームサービス頼むの忘れちゃった。今頼むわね。すぐ済ませるから、あんたはドレッサーの前で待ってて。ご飯が来るまでにスキンケアしちゃうから」
…面倒臭いわよねー、今のあたしの立場って。男としての役割も果たさなくちゃいけないし、一方で女としての世話も焼いてやらなきゃいけない。
そうなの、ヤムチャってば、スキンケアの手順とか全然覚えてくれないのよ。それどころか、あからさまに面倒臭そうな顔するんだから。まったく、他人の体だと思ってね。ヤムチャの気の緩みをあたしの体に反映されちゃたまらないわ。そういう意味では、できるだけ早く元に戻りたいと思うわね。
「ご飯、まだ来ないみたいね。じゃ、このまま化粧もしちゃうわね」
でも、今の段階ではあたしにできることは何もない。C.Cに帰ったって、今のあたしじゃドラゴンレーダーを作れない。ドラゴンボール集めはともかく、ドラゴンレーダーを作ることを父さんに頼んだのはそのため。本ッ当、情けないんだけどさー。だから、そういう自分のプライドを誤魔化すべく、わざわざ普段よりも気合いの入った化粧をしてヤムチャで遊んだりなんかしてるわけ。
「んー、我ながら美人ね〜。あ、ちょうどルームサービスも来たみたいね」
そんなわけで、武骨な手でヤムチャならぬ自分を磨いてやった後は、一日の活力を満たす朝ごはん。トーストにスクランブルエッグ、ベーコンと、シンプル・イズ・ベストなプレートに、フレッシュジュース。ヤムチャには濃い目の、あたしにはやや薄目のコーヒーと、個々に合わせた気配りも忘れない。もちろん、あたしの気配りよ。オーダーしたのはあたしなんだからね。
「んー、なんか卵に胡椒振りかけたくなるわ。いつもはかけないのに。おもしろいわね。これきっと、ヤムチャの体のせいよ。あんたもそういうとこある?いつもの自分と違うとこ」
「いや、俺は別に…」
「そう?絶対何かあると思うんだけどな。まあ、まだ気づいてないだけかもしれないわね。あんた鈍いからね〜」
とすると、『鈍さ』っていうのは心の働きなわけね。よく言う『神経が鈍い』っていうのとはどう関係するのかしら。
時々学問的な思考に陥りながらも、深く掘り下げることはせずにあたしは朝食を食べ進めた。考えたってわからないから。本当にさっぱりわかんない。わかり得るだけの脳みそを持った人間は、目の前で塞ぎ込んでるしね。
「ねえヤムチャ、あんたまだ機嫌悪いの?」
「…え?いや、そんなことないけど。どうしてだ?」
「だって、さっきからあんまり喋らないじゃない」
そろそろ朝食も終わろうというところで、あたしはずばり言ってやった。気配りの一環として。だって、ヤムチャらしくないんだもん。見た目はあたしなのにこんなこと言うのもおかしいけど。
「そうかな。じゃあそろそろこの後のこと…」
「あ、今日は一日自由行動なのよ。って言っても、まだ全然行き先決めてないんだけどね〜。観光スポットへはあらかた行っちゃったからなぁ。フライブレットタワーくらいかしらね、行ってないのは」
「いや、そうじゃなくってさ」
「ちょっと!股開いて座んないでよ。昨夜も言ったでしょ!」
「え?ああ、悪い…」
それとも単にボーッとしてるのかしら。そうかもしれないわね。だから、何度も同じこと言わせるのよ。座る時は足閉じてって言ってるのに。まったく、あたしの脳みそ持ってるくせにね。あんまりあたしの株落とさないでほしいわ。
「いやいや、そうじゃないだろ」
ヤムチャは何かを振り払うように頭を振った。そして急に真顔になって、声を落とした。
「まさか今日も帰らないつもりか?ブルマおまえ、一体何を考えてるんだ」
「どうせ今日帰ったって、何もできないわよ。まだドラゴンレーダーできてないからね」
「どうしてそんなことわかるんだ?」
「電話して聞いたからよ」
「電話した?一体いつ?」
「あんたが寝てる間によ」
「そ…」
「だから、今日は一日自由行動なの。あらゆる意味でね」
一連の会話を、あたしは少し不思議に思いながら交わした。なんか妙にうるさいわよね。口調に険があるっていうか。言い方もなんかキツイし。はっきり言って、ヤムチャらしからぬ態度だわ。これも、あたしの体の影響なのかしら。
きっとそうなんでしょうね。何してもイライラする時、たまにあるから。あの日とかね。そういえばそろそろかもね…
ともかくも、そういう時はどうするべきか、あたしはよく知っていた。折しも天候は回復。さらに今日は一日フリー。
「よし!なんか気乗りしないみたいだから、今日はパーッと街でショッピングしましょ!」
「は!?なんでそうなるんだ」
「むしゃくしゃした時はショッピングに限るわよ」
「それはおまえの場合…」
「そうよ。そして、今のあたしはあんたなのよね〜え」
そうして、そう決めてしまうと、すごく楽しくなってきた。もともとは、この街でショッピングしようなんて、欠片ほども思ってなかった。フライブレットって、そういう街じゃないから。ショッピング熱は一昨日すっかり燃やし尽くしたし。でも、今この状況でするとなれば、話は別よ。
あたしがヤムチャとしてショッピングするの。いくら試着を繰り返しても文句言われないんだもの、もう存分に買ってやるわ。今まではしなきゃいけないことばかりに目がいってたけど、そういうメリットもあるのよね。
「ま、本人の言うことはお聞きなさい」
今度はあたしは、あたし自身のためにその台詞を使った。
なかなか隙のない台詞だわ。そう思いながら。


ショッピングに行く時は気合いを入れる。店員に甞められないように。
どうもそこんところがヤムチャにはわからないようだけど、今日は文句を言わせないわ。だって、今日のヤムチャはあたしだからね。
まだ一度も着てるところを見たことのないダブル襟のチェックフェイクタイシャツにチノパンを合わせて、ジャケットを羽織った。最後に革のブーツを履いたら、戦闘準備は完了。
「さ、行くわよ。パンツルックだからって、行儀悪くしないでね」
「ああ…なあ、こっちの低い靴履いていっていいか?」
「いいわよ。……ん」
とはいえ、本物の方のヤムチャには、ラフなスタイルを許した。ヒールのある靴とスカートを穿かせられないことは、昨夜よくわかったから。ほら、ドレスアップしてスカイラウンジに行ったでしょ。あの時にね、もうすっかり露呈したのよ。足癖の悪さと、足元のおぼつかなさがね。だから、それはいいんだけど…
「どうかしたか?」
「…う゛うん、別に」
それから派生して目についた一つの事実に、あたしは気を取られた。とっくにわかっていたそのことが、改めて目にしてみるとちょっと癪に感じられた。そう、今のあたしのこの視界。
なんか、視点が高いわよね。それ自体はいいんだけど、ヤムチャのやつ、いつもこんな風にあたしのこと見下ろしてるわけ?なっまいき〜。
ま、それにしては下手に出てるものだと、この際は褒めてあげるわ。どんな時でも見下されたことだけはないと断言できるもんね。
あたしより目線が高いにも関わらずいつもそうは感じさせない、腰の低い男。それは、今は実際にも腰の位置が低いこともあって、なおさら弱腰に見えた。っていうか、はっきり言ってぐずぐずしてた。
「何いつまでも突っ立ってんの。早く腕組みなさいよ」
わざわざこっちからそう言ってやらなきゃいけないほどだった。ホテルを出てすぐにぶち当った人通りの多いメインストリートで、組みやすいよう腕を差し出しながら、あたしは思った――無粋にも程がある、と。あんた、あたしと何年付き合ってんの?あたしはあんた本人でさえもやりこなせないワインを注ぐタイミングとかまでマスターしてやってんのに、あんたはいつもされてることすら読めないわけ?要するに呆れたわけだけど、あたしの直言に対するヤムチャの返事を聞いて、それはさらに深くなった。
「…いや、それはちょっと」
「どうしてよ。まさか恥ずかしいの?人にはいつもさせてるくせに」
「そういうわけじゃないけど…」
「じゃあ何よ?」
ここでヤムチャは黙った。なお且つ手を出す素振りも見せなかったので、あたしは軽く息を吐いて、その手を取った。
「まあいいわ。なら、手ね。どっか掴んでないとあんたすぐ視界からいなくなるんだから」
そう。ショッピングの時に腕を組むのは、必然なのよ。別に誰かに見せつけたいとかじゃないのよ。苦手なんだかやる気ないんだか知らないけど、ヤムチャってばうっかりするとすぐに見当たらなくなっちゃうんだから。そして、ヤムチャの方からは手を出してこないから、あたしが掴む。ただそれだけのことなのよ。
確かに、そういう意味ではいつもと同じね。見た目には反対だけど。そう思えば、腹は立たない。だからあたしはすぐに気を取り直して、ショッピングを開始した。
今日は何の予備知識もないから、まるっきり店員頼みね。うまいこと乗せられて買わされたりしないように気をつけなくっちゃ――
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
とりあえず、目についたメンズショップに入った。気合いを隠して、言葉遣いに注意しながら、すかさず寄ってきた女店員と戦闘開始。
「特に目当てがあるわけじゃないんだ。西の都から来たんだが、何かおもしろいアイテムがあったらと思ってね」
「それでしたら、こちらはいかがでしょう。地元デザイナーの今季の新作です。シンプルでありながら遊び心溢れるデザインで、今とっても人気なんですよ。特にこのジャケットはお勧めです」
「ふーん。ボタンが二つしかないのか。そして七分袖…仕立てはいいみたいだけど、ちょっと着こなしが難しそうかな」
まずは、さりげなく否定した。本当は、なかなかいいなって思ってたんだけどね。それでもそういう気持ちを押し隠すのが基本よ。見抜かれると負けちゃうからね。
「大丈夫ですよ。お客様はお洒落でいらっしゃいますから。身長もおありですし、絶対にお似合いですわ」
「はっはっは、やっぱりそうかなぁ」
「今お召しになっているシャツにもぴったり。確かに着こなしの難しいアイテムですけど、だからこそすごくセンスがよく見えますわ。ほら、袖を少しロールアップして5分袖として着こなすと、もっと格好よく決まりますよ」
「いやあ、確かにそうだな。じゃあ、これをもらおう」
でも、やがてすぐに負けてしまった。
我ながら弱過ぎ。しかも、試着もせずに軽く当てただけで決めちゃうなんて、ありえない。それがわかってて、負けちゃった。
店員の真摯さに負けた…わけじゃない。確かにこの店員はヤムチャへの色目をまったく感じさせない態度だけど、そんなの当たり前よ。それが店員本来の姿でしょ。背が高いっていう褒め言葉だって、ちっとも珍しくない。っていうか、ただの事実だし。じゃあ、何が理由かと言うと…
『お洒落』『センスがいい』――この二つの言葉にやられたの。
ヤムチャは言えばそれなりに着飾ってくれるけど、ショップの店員みたいなお洒落な人種にお洒落って言わせるほどのお洒落はしてくれないのよ。今のこの格好だって、あたしが初めてしたんだし。はっきり言って、してやった気分よ。『格好いい』って言葉だって、いつもみたいなおべっかじゃないって思えるわ。
「さて、色はどうするかな。黒はシック、グレーはカジュアルって感じだけど…」
あたしはすっかりいい気分になって、今さら色のことなんか考え始めた。二色あるんだけど、それぞれで全然雰囲気が違うの。こんな両極端なアイテムの色を、買うって決めてから選んでるなんて、それこそが衝動買いの証だわ。
あたしが少し冷静になってそう考えたところで、店員がさらに言った。
「どちらの色もお似合いですよ。両方揃えられたらいかがですか?中に着るものでかなり雰囲気の変わるアイテムですし、彼女の装いにも合わせられますよ」
「はっはっは。なるほど、そうだね。まったくあなたの言う通りだ。じゃあ、両方もらおうかな」
それで、あたしは完全に陥落させられた。
だって『彼女の装い』よ?こんなこと言われたの初めてだわ。いつもは女であるあたしが直接見立ててるからっていうのもあるんでしょうけど、それにしても…
言っとくけど、彼女扱いされるのが嬉しいって話じゃないわよ。今さらそんなこと思うような付き合いじゃないわ。でもさぁ…何ていうかさ…あたしにヤムチャの話を振ってくる女はいても、ヤムチャにあたしの話を振る女はいなかったんだもん。
「こちら、一本向こうの通りにありますレディスブランドの姉妹店のご案内です。ぜひ彼女と一緒に覗いてみてくださいね」
会計を済ませると、ショッピングバッグにチラシを一枚忍ばせながら、店員がにこやかにそう言った。その何てことない一言がダメ押しだった。
ヤッバイ。この買い物、楽し過ぎ!
うるさく試着を迫る必要はないわ、ヤムチャが煽てられても笑顔で流せるわ、お洒落で主体性のある男だと思わせることができるわ、いいことだらけだわ。そう、やっぱり主体性あるように見えるってところが、ポイント高いのよね。いつもはあたしが引っ張り回してる感じだから(事実その通りなんだけど)。
強いて言えば、買ったものを自分で持たなきゃならないってところが、欠点かな。疲れはしないけど、邪魔よね。まあいいわ、とにかくここは終わり。次の店…
用なしとなった店内を、あたしは見回した。例によって存在感を消しているあたしの恋人を探して。そう、見た目にはともかく、実のところはいつもとちっとも変わらない。ショッピングを楽しむあたしと、それをよそにどこかその辺でぼんやりとしているヤムチャ…
「何やってんの?」
…では、なかった。ひょっとすると途中まではそうだったのかもしれないけど。とにかくも、この時あたしが見つけたのは、ぼんやりとではなく明らかに意識して店の全身鏡を覗き込んでいるヤムチャの姿だった。声をかけながら、あたしは、答えのわかりきった自分の質問ではなく、ヤムチャのやってることの理由について考えた。ほったらかしにされて暇だったから…
「う…あ…ち、違う、これは…」
ではないと、あたしは踏んだ。っていうか、踏んだも何も、見ちゃった。ヤムチャが鏡に向かってにっこり笑いかけてるとこ。それから、当然映し出されたあたしの笑顔に頬を赤らめてるとこ…
「何あんた、朝からずいぶんおとなしいと思ったら、あたしを意識してたんだ。そうやってずーっとあたしの姿にドキドキしてたんだ〜。やっらし〜い」
「違う!俺はどうしようもなく違和感を感じて、それで――」
「こ・と・ば・づ・か・い!」
すっかり取り乱したヤムチャの声を、あたしはすかさず遮った。ま、取り乱すこと自体は構わないんだけどね、『俺』はやめてほしいわ。確かに、世の中には『オレ』って言う女もいるけどさ…ランチさんみたいに。でもあたしは違うし、さらに今あんたに釣られて自動的に株が上がったところなんだから――
そう、『お洒落な男とその彼女』。今までこんな見られ方したこと、一度だってなかったわ。たぶんこの先だってないでしょうね。そんな風に見られたいなんて考えたこともなかったけど、見られてみるとかなり気分いいわ〜。ヤムチャがあたしを買い物に付き合わせてる、そう見られてるところがまたいいのよ。
そんなわけで、あたしは自分のその気持ちを優先した。たちまち口を噤んだヤムチャを連れて、さっさと店を出た。今のヤムチャの反応も、かなりおもしろかったけどね。思いっきりからかい倒してやりたい気にもなったけど、絶対不貞腐れるでしょうからね。今はヤムチャならぬあたしには、かわいい彼女でいてほしいのよ。さっき鏡に向かって見せてたようなかわいい笑顔の彼女で。
「さて、次はどこに入ろうかな〜。なんか姉妹店のレディスショップがあるらしいんだけど、行ってみる?今なら、彼氏が見立ててるように見えるのよね。…でも、その仏頂面じゃ無理かしら」
とはいえ、ヤムチャはすでにちょっぴり不貞腐れてしまっていた。きっと恥ずかしかったんでしょうよ。あたしに見惚れてるところを見られたのが。
別に気にすることないのにね。あたしも同じようなことしてたし。この状況でいろいろ考えるなっていう方が無理なのよ。むしろ、ああいうことするの遅過ぎるくらいよ。
そういう一連のフォローの言葉を、あたしは口にはしなかった。新たに目をつけたショップの入口に近づきつつある今、一度は終結した出来事をわざわざ掘り返そうという気は起きなかった。
今日は一日フリーだからね。そういうことは、あとあと!
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