Trouble mystery tour Epi.2 byY
レッチェルでの2日目は、ほとんどピクニックだった。
エクメクとノンアルコールワインを持って、エアカーで南の方へ遠出。運転はすべて俺、ブルマはナビ。
夕方、ホテル近くの南部料理レストランで、少し早い夕食を食べた。時間的にはそれほど早くはないのだが、雰囲気的にはだいぶん早い。ここは陽が長いから。夜の7時でもまだ昼のようだ。
「夜はゆっくりしなくちゃね。それが旅行を楽しむコツよ」
ブルマの言葉には、俺もまったく同感だった。最もこの日は、朝もゆっくりしていたが。昨夜は眠りに入るのがかなり遅かったからな…
なんとはなしに軽く肩を解しながら、ホテルへと足を向けた。すると突然、腕を引っ張られた。
「ねっ、今近くの広場で夜の骨董市やってるんだって。見に行きましょうよ!」
一体どこでいつの間に仕入れたのか、この旅行にあっては非常に『らしい』情報を、ブルマは口にした。ブルマは普段はショッピング目的では、そういうところには行かない。必ずしも高級店ばかりというわけではないが、いずれにしてもショッピングエリアのショップだ。腹ごなしの散歩がてらそのまま腕を引かれていくと、オレンジ色の石畳の上に敷物一つで成り立っている店が連なり始めた。
「これはリモージュのトリンケットボックスです。ハンドペイントの花柄と濃いレッドが古いリモージュの特徴を…」
その一角で、宝石商らしい男が数人の女性客を相手にとうとうと話し続けていた。ブルマはおもむろにその最前へと座り込むと、感心したように言い放った。
「ふーん、よくできた偽物ね〜」
「こらこら」
俺は慌てて袖を引いたが、ブルマは何を気にした風もなく、けろりとして呟いた。
「何よ?」
「何って…」
…営業妨害するんじゃない。
またある一角では、どこぞの街のナイフショップが出張販売していた。
「このツールナイフはカウリYで希少価値も高く…」
「ナイフはいらないわね。マルチツールはないの?」
…骨董にマルチツールはないだろう。
そんな感じで次から次へと、ブルマは店を冷やかし続けた。俺は初めの数軒には隣で付き合い、そのうち後を追うようになり、最後には一人広場の隅へと移動した。だが隅へ行っても、市は市だった。
「おにいさん、煙草いりませんか」
おそらくは12、3歳と思われる少年が、バスケット片手に煙草を差し出してきた。昨日ホテルへ来る途中目にしたスラム街を思い出しながらも、俺は首を横に振った。
「うーん、俺は煙草はほとんど吸わないんだ」
「すごく吸い口いいですよ。レッチェル限定です。たったの50ゼニー」
50ゼニー…
それは…原価割れしてるんじゃないだろうか。そんなので食っていけるのか?
そんなことを考えながら、俺は財布を取り出した。観光客は観光客らしく、街にお金を落としていくべきだ。そう思えた。
「じゃあ1個もらおうかな。…あ、でもライターがないな」
「ライターもありますよ。500ゼニーです」
「うん、じゃあ1つずつ」
少年はとりたててみすぼらしい格好をしていたわけではない。言葉遣いも丁寧だったし、それなりに利発そうに見えた。でも、それでも俺は違いを感じた。言わば、これも一つの旅気分だ。
…異国の情緒って、いろいろだよな。


その煙草を開けたのは、夜ベッドの中で、いったんいなくなったブルマを待っている時だった。そして次に取り出したのは、その翌朝、アンバサダーラウンジでブルマを待っている時だった。
つまるところ退屈凌ぎだ。吸わないとはいっても、吸えないわけではないからな。それと今はもう一つ――
「ヤムチャさんって、煙草吸うんですねー。知りませんでしたぁ」
ふいに背後から声がした。すでに聞き慣れつつある双子の片割れの声が。振り返ってみると、二人揃って斜め後ろのソファに後ろ向きに座り込んで、俺の方へ身を乗り出していた。同じ女でも、このくらいの年の子はそれほど身支度に時間をかけないらしい。それだけを思いながら、俺は答えた。
「いや、普段は吸わないんだけどね。ちょっと眠気覚ましに。少し寝足りなくってね」
…昨夜も眠るの遅かった。だって、なんとなく気分がさ。…情緒っていろいろだよな。
俺が深く息を吐くと、双子の片割れが少しだけ眉を下げて、代わりに声を上げた。
「あ!ひょっとしてうるさかったですかぁ!?夜のお喋り。隣には聞こえないと思ったんですけどー」
「ん?ああいや、何も聞こえなかったよ。ベッドルームは離れてるしね。ただ俺たちが眠りにつくのが遅くって――」
「あんた、何バカなこと言ってんの!!」
今度は頭の上で声がした。俺が待っていた人間の声が。ブルマは俺の隣に座り込むなり、声を潜めつつ荒げるという、器用なことをやってのけた。
「そういうこと、ひとに言わないでよ。恥ずかしいわね!」
俺は一瞬呆気に取られたが、すぐに気を取り直した。と同時に恥ずかしくもなった。ブルマの言葉の意味がわかったからだ。
「あのな。相手は子どもだぞ。そんなこと思うわけ」
「ないわけないでしょ、バカッ!」
ブルマに鋭く言い切られて、俺は瞬時に口を噤んだ。だが、心の中ではこう思っていた。
そうかなあ…
俺があのくらいの時って、そんなこと考えなかったよなあ。女の子に興味はあったけど、男女間のそういうことに関してはあんまり…想像つかなかった、というのが本当のところだけどさ。
「おはようございます、ブルマさーん」
「おっはようございまーす」
「はい、おはよう」
とはいえ、俺は口を噤み続けた。ブルマが双子の明るい声に、わりあい穏やかに答えたから。そして、トラベルコーディネーターが、おそらくは出発の意を告げるためやってきたからだった。


2本のファンネルに描かれた帆船と船のイラスト。濃紺の船体に白い上部構造物。
レッチェルの古風な港の風景にそぐわないスタイリッシュな旅客船は、だが中に入った途端イメージが一変した。明るい色使いのフロントの先に広がる、夜の街のような世界。高い天井、ライトアップ溢れるエレベーターホール。落ち着きつつもきらびやかなロビーの向こうにちらりと見える、赤い絨毯に黒と金の意匠の、非日常的な派手なフロア。
最初に腰を落ち着けたスィートのリビングは白と茶を基調とした上品なインテリアではあったが、俺の気分を殺ぎはしなかった。
「いやー、雰囲気あるなあ」
「あら、珍しいこと言うじゃない。こういうの好きなの?」
「わりとな。俺、カジノ行きたいな」
俺は特に賭け事が好きというわけではない。でも、この時はそう思った。
そこが最もそういう雰囲気を味わえる場所だと思ったからだ。都の夜の街とは対照的な、その雰囲気。いや、都にだってそういうところはあるのかもしれないが、俺は目にしたことがない。いつだってブルマの行くところは表通りだからな。荒野にいた頃、時折カプセルを換金しに行った、うらぶれた町。豪華さに誤魔化されてはいるが、ここにはあの町と同じ空気がある。あの町にあった、闇屋に酒場(バーではなく『酒場』だ)。あの頃俺はそういうところに入ることができなかった(年齢的に)。そして、いつか入りたいと思っていた。
「いいわよ。じゃあ、ウェルカムパーティの後でね。黒のタキシード着てね」
「正装するのか」
「当然。カジノだってそうよ」
それは何か違うような気がするが…
俺はかなり気を殺がれたが、やる気がなくなるほどではなかった。華美なカジノもまた良し。要は雰囲気なんだ。そういう世界の雰囲気。パーティについてはどうでもよかった。どうでもいい気分で、ブルマに付き合うつもりだった。船上パーティ。いかにもありそうな展開だ。結局のところ、この旅行は金持ちの道楽なんだから。
当然のようにブルマがベッドルームで着替えを始めたので、俺はそのままリビングでトランクを開けた。まさか黒のタキシードまでが山ほど用意されていたりはしないだろう。そしてその予想は外れなかったので、俺はさっさとタイ以外の(タイは行く直前に着ける。窮屈だから)ものを身につけた。アスコットスカーフをポケットに忍ばせていると、ブルマが顔を覗かせた。
「用意できた?行くわよ」
そして当然のように(というか当然だな)そう言ったわけだが、俺は当然のように歩き出すことはできなかった。
…首の後ろで結ばれたホルターネックの細い紐。大きく開いた背中と――
「あのさ、それ…そのドレス、少し雰囲気あり過ぎなんじゃないか?前スリットとか…」
「平気よ。前ったって膝上までだし。かわいいでしょ」
「胸元がちょっと開き過ぎ…」
「そんなことないわよ。色とデザインのせいでそう思えるだけよ」
反射的に口にした言葉は、すべてブルマに否定された。いつもならなんとなくここで許してしまうのだが、この時の俺にはそうすることができなかった。
丸め込まれているという気は、あまりしなかった。ブルマの言っていることは、間違ってはいない。縁にフリルがついているせいか前スリットのわりに足はほとんど見えないし、胸元だっていつもより露出しているというわけではない。でも、なんていうか雰囲気がな…
――Vラインの胸元にちらつくピンクのフリル。谷間の下にぶら下がる薔薇のついたリボン。背中の真ん中辺りをわざとらしく少しだけ隠している大きなリボン。普通ならかわいく見えるはずのものが、…ブルマが着るとやらしくなる。まるで着崩れたお嬢様みたいな…
要するに、ブルマにはこういうかわいい服は似合わないのだ。今みたいにばっちり化粧している時は特に。
「うぅーん…」
でもまさかそう言うわけにもいかないので、俺はただ一言呻いた。するとブルマが意外な方向から俺の態度を崩しにかかった。
「あのね。そういうことは買う前に言いなさいよ。これ買った時、あんたいたでしょ」
「えっ、そうだっけ?」
「そうよ。その時あんた、かわいいって言ったわよ」
ええ…!?
そんなこと言ったか?覚えてないぞ。そもそもこのドレスを買うのに付き合ったことすら覚えていない。
でもそう言うわけには絶対にいかないので、俺はすっかり崩された態度をどうにか繕った。
「ああ、いや、かわいいことはかわいいよ。だけどその…少し強調され過ぎるんだよ、胸とか足が。ほら、ブルマはスタイルいいから…」
そう、なんかさ。色っぽい服を着ている時より色っぽいんだよ。困った資質を持っているな、こいつ。
「エッチ」
「エッチじゃないだろ。俺はおまえのことを心配して」
「だから、そういうことは先に言えって言ってんの!」
うぅ…
俺は今度は心の中で呻いた。そこを突かれては反論できない。それに、一部言い当てられた。
「心配ならずっとついてればいいでしょ。今日は絶対これ着るからね。まだ一回も着てないんだから!」
ああ、そうですか…
先日までとはまったく違った心境で、俺は心に呟いた。すでに止められないことはわかっている。こんなドレスを買わせたかつての俺を恨むよ。
俺は溜息をつきながら、ポケットに片手を突っ込んだ。ブルマがこの格好なら、俺もタイではなくスカーフでいい。そう思いタイを手放しかけたところ、ブルマにそれを奪われた。
「ほら、早くタイつけなさいよ。さっさと行くわよ!」
そしてすぐさまそれで首を絞められた。落とされるほどではないが、確かに絞められた。それで俺は慌ててポケットから手を出した。…どうやらドレスコードを外すことは、ブルマには許されても俺には許されないらしい。理不尽なやつだな。いやまあ、本人は気づいてないんだろうけどな…
「自分でやる、自分でやるから…!!」
「さっさとしてね!」
息巻きながら、ブルマはリビングを出て行った。俺はその後姿を見ながら、すぐさまタイをつけた。
「まったく乱暴なんだから…」
「どっちがよ」
ブルマはすっかりそっぽを向いていた。それでも、ロビーへ出ると、俺の腕に手を絡ませてきた。俺は単純に安心して、その態度を受け入れた。
手間が省けた。俺も手を引くなりなんなり、しようと思っていた。
だって、俺が買わせたんだから、俺が責任取らなきゃな。
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