Trouble mystery tour Epi.2 (3) byY
部屋へ戻った頃には、風邪疑惑は晴れていた。くしゃみがあれきり出なかったからだ。それで俺たちは今日もまた、少し早い夕食を摂りに行くことにした。
ただ、その理由はこれまでとは少々違っていた。その後カジノへ行くためだ。カジノでたっぷり遊ぶため。うん、やっぱりカジノは夜だよな。俺の感覚は正しかった。
小一時間ほど前に脱ぎ捨てたタキシードを再び身につけていると、早くもブルマがベッドルームから出てきた。『早いな』。ごくごく単純なその一言を、俺は瞬時に呑み込んだ。
「またそんな格好して…」
「いちいちうるさいわよ、あんた」
すでにブルマは喧嘩腰だった。俺が言葉を続ける間もなく、居丈高に叫んだ。
「さっきから文句ばっかり言って。女がドレス着たら褒めるもんでしょ!」
そんなこと言われてもな…
ドレス本体はいいとしてもだ。その白のつけ襟とつけ袖はなんなんだ。バニーガールかおまえは!
心の中で叫びつつ、俺は口を噤んだ。…これをどうぼかして言えばいいのかわからない。
旅行ならではのことだな、これは。いつもはこういうの着てないからな。こういう妙なエスプリのあるデザインは。いつもはもっとシンプルで。厄介な気分の出し方だなあ…
今では溜息をも呑み込んで、俺は自分の身支度へと戻った。ブルマはというと、軽くつむじを曲げてペリエを飲んでいた(二日目からブルマはとんとワインに執着しなくなった。大変いいことだ)。と、ふいに部屋のチャイムが鳴った。
「…なんか子どもがあんたのこと様づけしてるけど」
ペリエのボトル片手に無造作にドアコンソールを操作したブルマが、やっぱり無造作にそう言った。
「子ども?」
「プーアルが変身してあんたを追いかけてきたんじゃないの?」
「まさか」
害のないジョークに笑いながら、俺もドアコンソールへ近づいた。モニターの中にどことなく見覚えのある少年が見えた。
「あー、さっきの…」
「誰?」
「さっき海に落ちた子だよ。…やあ。もう動いていいのかい?」
すぐにドアを開けてやると、少年はどこか萎縮したように、でも元気な足取りで数歩エントランスへと入ってきた。
「ヤムチャ様、先ほどはありがとうございました。ぼく本当に全然泳げないものですから、ヤムチャ様が助けてくださらなかったら、きっとあのまま死んじゃってたと思います。本当にありがとうございました。ヤムチャ様はぼくの命の恩人です。ヤムチャ様にはどんなに感謝してもしきれません」
「様はやめてくれ、様は」
少年の真っすぐな目を見ながら、俺はそう釘を刺した。先のブルマのジョークが思い起こされた 。俺のことをそう呼ぶのはプーアルだけで充分なんだ。
「それであの、ぼくヤムチャ様に何かお礼がしたいんです。もしよろしければ、興味がおありでしたらですけど、こちら何かいかがかと思いまして」
すでに少年は萎縮してはいなかった。少し頭を下げてから、非常に手際よく持っていたパイロットケースを開けた。中から象牙と思われる小物が数点出てきた。途端に、これまで黙って俺と少年のやり取りを見ていたブルマが、身を乗り出してきた。
「わ〜、ステキ」
「仕事先で扱ってるものなんですけど。アンティークの象牙細工です。どれも希少価値の高いものばかりです。どれでもお好きなものをどうぞ。仕入れ値の5掛けでお譲りします」
「ちょっと待ってよ。タダでくれるんじゃないの?」
「ごめんなさい。それだとぼくも生活できないものですから。これが精一杯なんです」
「ええ〜」
あからさまに非難の色を見せるブルマと、それでも態度を変えない少年の会話を、俺は少し身を引いて聞いていた。ブルマの気持ちも少年の気持ちも、よくわかる。だから俺は、自然にそれを受け入れた。板挟みにはならなかった。
「そうだなあ。装飾品じゃなくて、日用品がいいな」
人の好意は素直に受けておかなきゃな。少年の言い方は多少営業トーク染みてはいるが、そうではないということは、この目を見ればすぐわかる。それにブルマだって、そんな顔してるわりにそれ以上のいちゃもんはつけてこないんだからな。ただ単に偽物じゃないからだけかもしれんが。
つまるところ俺は少年の言葉とブルマの言わぬ口を信用して、その細工物に目をやった。
「じゃあこちらはいかがですか。ツールナイフ、シガレットパイプにピルケース…」
「ナイフは不要だな。うん、じゃあピルケースと……それと、パイプ」
「何あんた、煙管吸うことにしたの?」
「いや、これは武天老師様に」
老師様のために選んだというよりは、見てたら老師様を思い出したという感じだが。まあ、たいして違いはあるまい。
「気に入っていただけてよかった。ぼくロイヤル・プロムナードで商品配達やってるんです。もしまた何かご入り用でしたら声をかけてください。本当にありがとうございました」
俺が小物を受け取ると、少年は非常に嬉しそうな顔をしてそう言った。そしてそれが、俺をも嬉しい気持ちにさせた。
こういう笑顔を見ると、『助けてよかった』って思えるよ。きっとエゴなんだろうけど、やっぱりそう思えるよ。
「じゃあ、失礼します」
てきぱきとパイロットケースを片づけ、伏し目がちに深く頭を下げて、後ろ歩きで少年は部屋を出て行った。それはかなり板についた態度だったが、俺の気分を殺ぎはしなかった。俺は非常にいい気分で、再びペリエを飲み始めたブルマにピルケースを差し出した。
「ほら、やるよ」
「えっ、あたし?」
「そりゃそうだろ。こんなもの俺は使わんぞ」
「わー、ありがとう」
俺は別にブルマの機嫌を取ろうと思ったわけではない。そういうことをする理由はない(と、思う)。ただ、嫌いじゃなさそうだったから。少年の気持ちを受けることもできるし、ブルマを喜ばせることもできる。一石二鳥じゃないか。
ブルマはペリエのボトルを手放すと、さっきまでの喧嘩腰と非難の色もどこへやら、にこにことピルケースの蓋を開けた。そう言えば中までは確認していなかった。不覚を覚えた俺の耳に、続くブルマの言葉が入った。
「うん、ステキ。それに状態もすっごくいいわ」
俺はすっかり安堵して、自分の身支度へと戻った。今では俺は、考えを切り替えつつあった。
この上は、少し早い夕食をできるだけ早く摂りにいくことにしよう。ブルマのこの格好はカジノではまあありかもしれないが、レストランでは絶対に浮くだろうからな。浮くというか、人目を集めるだろうこと請け合いだ。できる限りそういう視線には晒したくない。ぜひとも夕食の時間を外したい。
本当に厄介な気分の出し方するんだから…


カジノでもちょっと浮いてるな…
レストランでの食事の後、予定通りカジノに一歩を踏み入れて、俺は思った。
初めにタイをつけた時に薄々気づいた。例のダンスパーティはともかくとしても、その他船内を歩いて、完全にわかった。ここは金持ちの大人の世界だと。だから、カジノに入った時にも、意外感はなかった。これはこれでいいな、と思った。…俺自身に関しては。
そう、ブルマがな。浮いてるんだよ。やっぱり雰囲気出し過ぎだ。どうも腑に落ちないことだが女のドレスコードは男に比べてだいぶん甘いようだから、なおさらだ。そもそもドレスアップしてる女がほとんどいないんだよ。男はみんな準正装以上なのに。…納得いかないよな。どうして男にはそんなに厳しいんだ。
そんなことを考えながら、俺はブルマとビリヤードをやった。賭け球ではない。ブルマと賭けなんかやったってしょうがない。
「何あんた、上手過ぎ!」
「弾の軌道を読むことならな」
俺は偉そうに言ってみたが、根拠はまったくなかった。ビリヤードなんか、ここ数年やっていない。数年どころか、ほとんどやっていない。いつか西の都に帰った時に数回付き合わされた程度だ。だけど、結構当たるんだよな。前述の通り、球を撞く以外のことを考えながらプレイしていたわけだが、それでも当たる。きっと無意識に球の動きを読んでるんだろう。繰気弾を編み出した時にかなり特訓したからな。弾を動かす、ってことを。地に潜り込ませた弾の動きを把握する、なんてことも。
「力まかせじゃなくて、もっと頭を使いなさいよ。ビリヤードってそういうものじゃないでしょ!」
2ゲームを終えた頃、ブルマが大声でそう図星をついてきた。それで俺はおとなしくその言葉に従うことにした。これは闘いじゃなく、ゲームだから。それにこれ以上一方的に勝っていると、ブルマの機嫌が悪くなる。
そんなわけで3ゲーム目からは、球そのものを見ながらゲームを進めた。完全に五分五分となった5ゲーム目、先攻のブルマが最後の球を落とそうとしていた時、あの双子が現れた。
「ブルマさーん!調子はどうですかぁ!?」
よりによって、ブルマの左と右に一人ずつ。揃いのドレスを着て同時に飛び出してきた様は、まるでコントのようだった。
「あーーーっ!」
そしてブルマも、お約束通りに球を外した。俺は笑い出したい思いを堪えて、保身を図った。
「あー…今のはなし、うん、なしでいこう」
ここで笑ったら絶対に怒られる。そしてこの後俺がゲームに勝ったらもっと怒られる。
「あんたたち、カジノ行くって、ちゃんと親に言ってあるの?」
とはいえ、ブルマはすでに怒っていた。俺はというと、今では呆気に取られて、双子の姿を見ていた。
この子たちも結構浮いているな…
ブラウン管の中でしかお目にかからないような、ボリュームのある数段フリルのミニの真っ赤なドレス。金魚みたいでかわいいと言えばかわいいけど。ブルマと3人並ぶと別世界だ。ここは何屋だ、と言いたくなる。
「はい!賭けにお金使わなきゃいいって言ってました!」
「だから見学でーす!それからビリヤードやろっかなって!初めてなんですぅ」
…いや、そういう色気はないか。幼稚園のお遊戯会かな、この子たちの場合は。
大人の世界にこんな子たちがいていいのだろうか。そう俺が思った時、ブルマが台にキューを置いた。そしてあからさまに双子から遠ざかり始めた。
「あれ、やめるのか」
「ルーレットやってくるわ。あんた、その子たちにビリヤードのマナー教えてやんなさい」
「ええ?ちょっと待てよ。……だいたい3人じゃゲームができない――」
一応は双子の面子を立てて、俺は言葉を繕った。それが失敗だった。
「3人だとダメなんですかぁ?」
「絶対ダメってことはないけど。普通は2人でやるものなんだよ」
「そうなんですかぁ。じゃあ、あたしたち代わりばんこにやりまーす!」
すでにブルマは後ろ手を振っていた。ひらつく手と背中が、雄弁に物語っていた。『あたしに構うな』と。俺ではなく、双子に対して。…まったく、しょうがないなあ…
まあ、目の前でピリピリされるよりはいいか。それにどうせ、この子たちが傍にいてはまともにプレイできないだろうし。早いとこ教え込んで手放すか。
「それは今だけにしておいてね。普通はダメだからね。あと、プレイ中に声をかけるのもダメだよ」
「はぁーい!」
「わっかりましたぁ!」
「食べ物や飲み物をテーブルの上に置くのも禁止だよ」
こりゃあ、本当に幼稚園の先生だな。
そう思った時、俺の中で一つの感覚が覆った。似ている。初めに話した時にはそう感じたものだが、どうやらあれは間違いだったようだ。
ブルマはこんなに子どもじゃなかったもんな。あらゆる意味で。

双子たちにビリヤードのルールとマナー(主にこっち)を教え込んでいる間、俺の腕は全然疼かなかった。
カジノを楽しみたいと思ってはいたがそれは雰囲気のことであって、別に一攫千金を狙っていたわけではなかったからだ。そして、それはどうやら双子も同様であったらしい。
「あー、楽しかったー!」
「ヤムチャさん、ありがとうございましたぁ!」
とりあえず見よう見まねの1ゲームを終えただけで、そう満足の声を漏らした。そして実に子どもらしく、次のターゲットへと走って行った。
「ルーレット見に行こー!」
「やっぱカジノって言ったらルーレットとポーカーだよねー!」
はー、やれやれ。
こうして俺は、大っぴらに溜息をつくことのできる身となった。この頃には周囲はなかなかに盛況となっていて、かなり熱の入っているテーブルも見受けられた。
ちょっと賭け球でもやって、気分を盛り上げるか。
自然と俺はそう考え、相撞き相手を探すことにした。でも数歩も進まないうちに、意外な方向から声をかけられた。
「君、君。さっきの見てたよ。すごいねえ。やっぱり飛行機でのことは夢じゃなかったんだねえ」
「は?…あ。えーと、確か…」
その老紳士の顔にはあまり覚えがなかったが、声にははっきりと聞き覚えがあった。飛行機の中で孫がどうとか言ってた人だ。
「パティ。ほら、さっき君が海に飛び込んだ時。あの時デッキにいたんだよ。あの男の子が君のことを探してたよ」
「わしフレイクね。わしも一緒にいたんじゃよ。わしも助けようと思ってたんじゃが、すっかり先を越されてしまったわい」
「調子いいこと言いおって。おまえは助けられる方だろうが」
老人たちのコントを前に、歯牙にもかけていなかった小さな疑問が解けた。この人たちが少年に俺のことを教えたらしい。それともう一つ、こちらは歯牙にはかけていた小さな不審――夢だと思われていたのか…
俺が苦笑を噛み殺すと、フレイクと名乗った白髪混じりの方が、こんなことを言い出した。
「ところで、ちょいと頼みがあるんじゃが。わしグリーンシーニでそういうところへ行ってみたいと思ってるんだけど、ボディガード代わりについてきてくれないかね?あ、妻には内緒じゃぞ」
「ははは。そうですねえ。入口までならね」
苦笑に苦笑が重なって、俺は思わず笑ってしまった。『そういうところ』がどういうところなのかは、なんとなく見当がつく。武天老師様みたいな人はどこにでもいるもんだ。
そして、そう思ったと同時に聞こえてきた。そういう武天老師様に必ずと言っていいほど鉄拳を下す人間の大声が。
「ちょっと!何、ノリで引き受けようとしてんのよ!」
気づいた時には俺はもうブルマに襟首を掴まれていて、そのままスロットマシンの陰に引っ張り込まれた。乱れたタイを直しながら、俺はできるだけ声を和らげて言ってみた。
「ボディガードならいいじゃないか。俺は何もしないんだし。ちょっとした小遣い稼ぎになるだろ?」
「あんたはそんなことしなくていいの!だいいちあんたは旅行中でしょ!」
なおも大声でブルマは叫んだ。俺はというと、まったくその反対に口を閉じた。別に無理矢理強行するつもりはない。ごくごく単純に、乗ってもいい話かなと思っただけだ。ブルマが嫌なら普通に断る。だから、何もそこまで大げさに騒がなくてもいいのに…
そして、そう思った途端に聞こえてきた。俺たちがこういう状態にある時、必ずと言ってもいいほどにかけられるその声に似て非なる声が。
「まあまあ、若い方は元気でいいわねえ」
「でも、こんなところで喧嘩してちゃダメよ〜」
どこかで聞いたような台詞。…いや、二回目だ。
俺はすかさず笑顔を作った。かなり思うところはあったが、笑顔を作った。相手がウーロンではなかったからだ。俺に答えたのかどうかはわからないが、ともかくも笑いながらその二人の婦人は去って行った。何だかよくわからない空気だけが、後に残された。何の言葉も用意せず口を開きかけた時、ブルマの背後から双子の一人が顔を出した。
「ブルマさん、ブルマさーん。当たっちゃいましたぁ。赤の2!あたしたち今赤いドレスだからー。チップめっちゃ多くなっちゃったんだけど、どうしますか?」
「えっ、マジ!?一目賭け!?」
ブルマが打って変わって上ずった声を出した。双子がきょとんとした笑顔でそれに答えた。
「いちもく?それって何ですか?」
「一つだけに賭けることよ!」
「あっ、そうでーす」
「すぐ行くから!ベットしないで待ってなさい!」
「はぁーい」
「ヤムチャ!何でもかんでも人の話に乗るんじゃないわよ。わかった!?」
まるきりついでのようにそう叫ぶと、ブルマはルーレットテーブルへと駆けだして行った。俺はすっかり呆気に取られて、開けた口を閉じることも忘れた。
忙しないな。っていうか、なんだろうこの展開は。いつものようでもあり、いつものようでもなく…

それから数分後。開けた口を閉じてから、俺もルーレットテーブルへ行ってみた。
山と積まれたピンクのルーレットチップ。それを前に強気に笑うバニーガール風の女。その両脇に控えるアイドル風の女の子。
…まったく。ここは何屋だ。
心の中でそう呟いてから、俺は俺のすべきことを確認した。
どうやら、俺はこっちのボディガードをするのが優先のようだ。
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